世界の絵画・美術工芸の切手のトップページ
世界と日本の絵画・美術工芸の切手(Art Stamps)のトップページ。
世界の美術工芸では先史代の洞窟壁画から敦煌や中世以前(先史代含む、ゴシック期や15世紀後半の初期ネーデルランド(オランダ、フランドル)絵画期の作品)。ルネサンスのヴィーナス誕生ののサンドロ・ボッティチェッリや万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ、聖母子画のラファエロ・サンティ、ドイツ絵画史上最大の画家アルブレヒト・デューラー。バロックと17-18世紀の風俗画家、ピーテル・パウル・ルーベンス/ロココ と18世紀のヴェネツィア絵画。ロマン派・写実派/印象派とフォービズム/炎の画家フィンセント・ヴァン・ゴッホ、ルノワール。 ミロ、ダリ、ゲルニカのピカソ、ミュシャ、シャガールやモダン・ポップアート(タマラ・ド・レンピッカ
)・・の近代絵画、故宮博物館絵画/故宮博物館の文物・工芸品(銅器、磁器、玉器他)やチェコ・プラハ美術館収蔵、マイセン等の世界の美術工芸品(宝物)を掲載。年代や派別の特集で絵画や工芸を紹介、日本の絵画・美術工芸・文学では、日本の絵画・浮世絵や葛飾北斎が描いた「冨嶽三十六景」と歌川広重が描いた「東海道五十三次」、日本の国宝や重要文化財の絵画・工芸品や伝統工芸、地元出身の芭蕉の俳句、仏教美術等の美術工芸の切手をアップ。一部、実際の写真も掲載。 2010年、ハプスブルグ家の至宝絵画が日本でも展示され、一部写真画像も入れてます。
(フランス旅行写真索引) ルーヴル美術館 セーヌ川 凱旋門・シャンゼリゼ その他
このページでは世界の美術工芸品の切手を展示。 |
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世界の美術工芸 |
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美術・工芸切手 [ トップ|先史代|中世
|ルネサンス ( ア行〜タ行、ナ行〜ワ行、その他 )
|バロック|ロココ|
ロマン派、新古典とアカデミック絵画|写実主義
|印象派|象徴主義、耽美主義、ラファエル前派
|近代絵画|日本(画家|作品)
|ポップ(モダン)|故宮(絵画
|文物)
|世界の美術工芸品|仏教美術
|デザイン|浮世絵(1,2)|アジアの美術|メトロポリタン美術館(切手)|プラハ美術館(切手) |キリスト教絵画の見方
|美術用語集(備忘録)| ギリシア神話とローマ神話の神々(切手&写真) |
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■浮世絵関連の頁索引 [ 浮世絵(1,2)|日本の絵画|印象派・ゴッホ|プラハ美術館収蔵|広重と北斎|趣味の雑貨(版画) ] |
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■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリ|ダ・ヴィンチ|ラファエロ|ミケランジェロ|デューラー|ティツィアーノ|ルーベンス|ベラスケス|アングル|エル・グレコ|レンブラント|カラヴァッジオ|フェルメール|ダイク|ドラクロワ|ゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワール|マネとモネ|セザンヌ|ゴーギャン|マチス|ピカソ|ダリ|葛飾北斎|安藤広重|クリムト|シャガール|モディリアーニ|ミュシャ ] |
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タイトル |
代表的な切手 |
内容 |
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先史代からローマ帝国分裂の4世紀末頃までの切手
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先史代からローマ帝国分裂の4世紀末頃までの絵画・彫刻・美術工芸品切手を特集します。本頁では絵画に限定するのではなく、先史代含め、原始美術のラスコーやアルタミラ洞窟・・の壁画や彫刻や建造物までも含めました。 エジプト美術の世界遺産・ルクソール遺跡、ギリシャ時代の建造物や芸術作品も掲載。ほかにはメソポタミア美術やローマ美術、中国・敦煌の遺物。絵画では各年代の絵画、宗教画・・も対象としました。 |
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ローマ帝国分裂以降の中世の絵画切手(中世の絵画・彫刻(ビザンティン・キリスト教・ロマネスク・ゴシック美術やフランドル、ネーデルラント絵画等))5世紀ー16世紀 |
『宰相ロランの聖母』(カメルーン) |
ローマ帝国が東西に分裂した4世紀末以降からルネサンス以前の絵画・15世紀以前の絵画・彫刻・美術工芸品切手を特集します。 本頁では4世紀末にローマ帝国が東西に分裂、コンスタンティノポリス(現在のトルコ領イスタンブル)を首都とする東ローマ帝国が誕生すると、東西の美術が混合したビザンティン美術が誕生する。東ローマ帝国のもと東ヨーロッパでは、聖人の肖像が描かれた板画であるイコンや教会堂のモザイク画・・、独特なキリスト教美術として発展した。西ヨーロッパでは西暦1000年を機に教会堂の復興が盛んになり、11世紀初頭から13世紀初頭にかけて、素朴な信仰心に満ちた美術様式であるロマネスク美術が修道院を中心に発展した。この時期絵画は文字の読めない人々にキリスト教を教える役割もあった。13世紀以降の美術はゴシック美術と呼ばれ、フランス中心にヨーロッパ各国で発展した。ロマネスク美術に比べ、より自然な人体表現・・がなされるようになった。修道士・・に代わり、専門の画家が誕生してきた。また、ステンドグラスが作られるようになったのはこの時期である。教会堂はステンドグラスに彩られる空間となった。ネーデルランド。 |
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ルネサンス
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ルネッサンス(ルネサンス)とは、「文芸復興」と訳されるが、本来「再生」を意味するように、人間の全精神の核心を意味し、中世の教権主義的なカトリック教会封建的な豪族諸侯との結託からなる旧秩序に対抗して、イタリアの知識的な商工市民階級が、十字軍の結果や皇帝党対法王党の葛藤・・に起因する都市の隆盛に伴って次第に勃興し、「人間の再生」を目指して展開した人間生活の種々の面における革新運動と、その成果に対して、この概念が与えられた。 この新興市民階級は、長く忘れられてたローマや古代ギリシアの古代社会に彼らと共通する理想を見出し古代文化に憧れ、それに追従することによって「人間の解放」を達成しようとした。 この運動はまずフィレンツェを中心に展開され、イタリアの諸都市に及び、アルプス以北のヨーロッパ各地に広がって行った。 |
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サンドロ・ボッティチェッリ |
初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派の代表的画家サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli)の絵画の切手です。彼は13歳で金細工の工房に弟子入りし、15歳になると画家を目指し、フィリッポ・リッピの工房に入る。画家フィリッポ・リッピは、聖母を描かせたら右に出る者はいないと評判を取った名人だった。当初古典的な聖書画を描いたボッティチェッリの作風はルネサンスらしいおおらかで甘美な人間賛美に変わって行き、代表作「春・プリマヴェーラ」「ヴィーナスの誕生」が描かれる。彼の絵はフィレンツェを熱狂させた。フィリッポ・リッピについては最下段に収録しました。 切手は「ヴィーナスの誕生」。 |
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レオナルド・ダ・ヴィンチ |
西ドイツ発行 |
ルネサンスの万能の天才・画家レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)と弟子のジャンピトリーノの絵画の切手です。15世紀の客観的な写実主義を完成し、これによって主観的な精神内容を表現して、主観と客観の融合による古典形式を15世紀末に確立した。イタリアのルネサンス期を代表する万能の天才として知られ、「万能人(uomo universale)(ウォモ・ウニヴェルサーレ)」とも呼ばれてる。レオナルドの芸術作品は、『最後の晩餐』(1498年, Ultima Cena or Cenacolo ミラノ)や『モナ・リザ』(1503 -1506年, La Gioconda, ルーヴル美術館蔵)のような精巧な絵画がよく知られてる。彼の絵画の特徴はスフマート技法と空気遠近法である。画家として非常に有名であるが、現存する絵画は17点(うち数点は弟子の手との説もある)に過ぎない。ジャンピエトリーノ。 |
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ラファエロ・サンティ |
『システィーナの聖母』 |
盛期ルネサンスの建築家・画家ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)iの絵画の切手です。ラファエロ・サンティは二十一歳のときに彼はフィレンツェに移り住む。しかし、ただの田舎出の画家でしかなかった彼に、教会が宗教画を依頼すること・・なく、彼は個人の注文主を見つけては肖像画や聖母子像を中心に絵を描いた。ラファエロはその生涯で多くの聖母子像を残してるが、その大部分はこの時期に描かれたと考えられる。フィレンツェに来てからのラファエロは、ペルジーノの影響を脱して、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの芸術に触れ、多くの肖像画製作の経験を通して大きな成長を遂げる。その後ローマに出たラファエロは教皇の信頼を得てヴァチカン宮殿で壁画を描くようになる。またこの時期にラファエロは、若い頃に描いたテーマの絵を改めて取り上げて描きなおすこともしてる。 |
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アルブレヒト・デューラー『馬に乗った婦人と騎兵』(マルタ) |
『書斎の聖ヒエロニムス』(銅版画) |
ルネサンスのドイツの数学家・画家・アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer)の絵画の切手です。ニュルンベルク生まれのドイツ絵画史上最大の画家。彼の芸術はドイツ特有の力強い内面性と,イタリア美術の古典的な造形の見事な調和に到達した。金工家の父は彼を後継者にしようとしたが,画家への志かたく,13歳ですでに見事な鉛筆素描『自画像』を描いた。15歳で有名アトリエに学び,19歳のころコールマールやバーゼル・・を旅し,生計は版画で立てた。その報酬・・で24歳のときイタリア旅行,鋭い自然観察の水彩画『アルコ風景』を描き,34歳のイタリア再旅行ではルネサンスの絵画理論の研究や作画の実際を学び,代表作『アダムとエヴァ』のほか,宗教・肖像・風景・動植物・・を主題とし,力作として『バラの冠の聖母』『万聖節』・・がある。なお見落とせないものに,彼の天才的な線描素質を駆使した木版画(『ヨハネ黙示録』『マリアの生涯』)と銅版画(『受難』の連作,『書斎の聖ヒエロニムス』、『騎士と死と悪魔』)がある。 |
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■色々な画家の題材となってるダナエって? |
タイトル |
代表的な切手 |
内容 |
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バロックと
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『Danae(Argos王Acrisiusの娘;Zeusとの間にPerseusを産んだ、 |
バロック時代:16世紀末から18世紀前半の絶対王政時代のヨーロッパの美術を一般に「バロック」と呼んでいる。バロックとはポルトガル語で「ゆがんだ真珠」を意味する「barocco」が語源であるが、この呼称がこの時代の美術に対して使用されるようになったのは、19世紀の後半ブルクハルトの著作「チチェローネ」(1855)においてである。 17世紀美術はルネッサンスの堕落と批判されつつも、ルネッサンスに匹敵する時代精神の様式的表現として確立された。 ジャンルにおいてはカトリック系の諸国では、王国貴族と教会がパトロンとなり、宗教、肖像、歴史が主なジャンルで、新教国では、風景、静物、風俗画が主なジャンルとなった。 |
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画家 カラヴァッジョ(Caravaggio)、レンブラント(Rembrandt Harmensz. van Rijn)、ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)、ディエゴ・ベラスケス(Diego Velazquez)、エル・グレコ(El Greco)、ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck)、フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbaran)、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolome Esteban Murillo)、サッソフェッラート(Sassoferrato)、ヘラルト・テルボルフ、グエルチーノ(Il Guercino)、オラツィオ・ジェンティレスキ(Orazio Gentileschii)、ミニャール(Pierre Mignard)、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour)、ニコラスフーシェ (Nicolas Fouche)、ヤン・ステーン(Jan Steen)、ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)ほか。 |
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ルーベンス
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『聖母子』(フランス) |
ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)の切手です。ルーベンスは1600年イタリアでの宮廷画家を振り出しに、アルブレヒト大公・イサベラ公妃に仕え語学が堪能故に外交官としても活躍した彼は1630年イギリス国王チャールズ1世よりナイトの位を授かり、又1631年にはスペイン国王フェリペ4世からもナイトの位を授かってます。 私生活では1609年10月に最初の妻イサベラ・ブラントと結婚生涯に1500点もの作品を残してますが、肖像画が大部分を占めており作品には宮廷画家らしく格式があり威厳のある作品の多いなか家族や友人を描いた作品も数多くこの頃の作品、すいかずらの茂みのルーベンスとイサベラ・ブラントには仲むつましい2人の姿が描かれてます。ベルギーに住居があった関係でベルギーで切手の発行が多い。二番目の妻エレーヌ・フールマンを描いた作品も多く、総作品数は約1200点と膨大な数です。 |
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タイトル |
代表的な切手 |
内容 |
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ロココ と
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アングルの『泉』(モナコ、1980年) |
ロココ(Rococo)時代:フランスにおいて太陽王ルイ14世没後の18世紀末からフランス革命前までに特徴的だった美術上のムーヴメントをロココと呼ぶ。語源は、「人工洞窟の貝殻装飾」であった「ロカイユ」である。 パリのオテルドスービーズのに代表される貴族の室内装飾のように、自由で繊細、左右不均衡で曲線を好む作風が特徴である。この特徴が絵画にも現れはじめて時代全般の呼び名となったのである。18世紀のヴェネツィアの絵画も入れました。当時のヴェネツィアは観光ブームで外人客が押し寄せました。当時は観光名所の絵葉書・・ありませんから、カナレットとか、グァルディとか、マリエスキとか、ベッロット・・の風景画家が、このようなお金持ちの外人客の求めに応じて、景観画や奇想画(古代ローマの廃墟みたいなものと現実にある建物とを組み合わせたり、現実には存在しない奇岩を配したりして制作した、奇想に富んだ南国の風景画)を制作し、外国の貴族たちはこれらをイタリア土産として、喜んで買って帰ったわけです。こういう風にしてイタリア人も、自分の祖先が残した壮麗な文化遺産を、新たな目で見ることが出来るようになりました。この頃の景観画の中には、その地方に住んで働く人々の姿が点景として描かれてます。ヴェネツィアだけでなく、例えばナポリであればヴェズーヴィオ火山の素晴らしい風景の中に、網を引く漁師や洗濯女・・、様々な庶民の姿が前景に小さく現われて来てます。プーシェ、プッサン、アングル、ルブラン・・。 |
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ロマン派
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「民衆を導く自由の女神」 |
ロマン派と言えば誰しもが作風は情熱的な表現と大胆な色彩を持つドラクロワをあげるであろうと思います。あの熱烈な色彩とドラマティックな光は一度見れば忘れられない。また、スペインが生んだ・新古典主義の形式主義に挑戦たしゴヤも捨てがたいものと思います。スペインの切手にはゴヤの特集があります。 情熱を感じるからでしょうか。 何故かスペインの画家が多い。新古典主義。 |
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画家:ウジェーヌ・ドラクロワ(Delacroix)、ゴヤ(Francisco de Goya)、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner)、ヴァルトミュラー(Ferdinand Georg Waldmuller)、テオドール・ジェリコー(Jean Louis Andre Theodore Gericault)他 |
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写実主義 |
写実派は明確な定義が無いですが、クールベや、ドーミエ、ミレーといったフランスの画家たちの作品は、社会派リアリズムとよばれてます。 ターナーはイギリスのいかにも曇った絵が多く、余り好きではありません。 |
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掲載の写実派の主要な画家一覧: |
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印象派とフォービズム
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『オランピア』(カメルーン) 青いソファーのマネ婦人 |
1874年にモネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、ピサロ、シスレーらが展覧会を開いた。彼らの作品のスケッチ的な性格をジャーナリストがからかって「印象派」とつけた呼び名が始まりであるといわれる。コローやバルビゾン派の画家達の自然観察を基にした作品や、ドービニー、ヨンキント、ブーダンの感覚をすばやく描き止め、明るくいきいきした効果を作り出す考え方が印象派の画家達に大きな影響を与えたといわれる。彼らは、光が作り出す瞬間の印象を新鮮に描き止めることに苦心した。シュヴルールやヘルムホルツの科学的な理論から「筆触分割」「視覚混合」といった手法も取り入れた。また、日本の浮世絵や写真をヒントに思いがけない切り取りや、上から見おろした構図等も用いた。フォーヴィスム(Fauvisme、野獣派)は、20世紀初頭の絵画運動、1905年にパリで開催された展覧会サロン・ドートンヌに出品された一群の作品の、原色を多用した強烈な色彩と、激しいタッチを見た批評家ルイ・ボークセル(Louis Vauxcelles)が「あたかも野獣の檻(フォーヴ、fauverie)の中にいるようだ」と評したことから命名された。運動の中心人物であるアンリ・マティス、アンドレ・ドラン達であった。派は不明でも同時代の画家(ルーマニア・アマン他)も掲載中。 [ マチス ] |
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フィンセント・ヴァン・ゴッホ |
『アルルの女(読書するジヌー夫人、本を持つジヌー夫人)』 |
印象派の炎の画家ゴッホに特化した頁です。フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は後期印象派の中でも最も名の知られたオランダ出身の画家。1853年3月30日にオランダ南部のズンデルトに生まれる。祖父、父共に牧師だった。性格は激しく、家族を含め、他人との交流に難を抱えてた。今でこそ有名な画家であるが生前では1枚の絵しか売れない画家であった。ルーベンスの明瞭な色彩に魅了される。日本の浮世絵の特徴である明快な色使い、影の無い世界にも大きな影響を受けた。画家の内面をそのまま反映したかのような迫真性の高い独自の表現は野獣派(フォーヴィスム)やドイツ表現主義・・後世の画家に大きな影響を与えた。1890年、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移住するも、同年7月27日に(おそらく胸部に)ピストルを撃ち自殺を図る。29日駆けつけた弟テオに見守られながら死去、享年37歳。弟テオも翌年に死去。特にブータンにて特集が組まれた事もあり其れを中心に展示しました。 |
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ルノワール |
フランスの印象派の画家 ピエール=オーギュスト・ルノワール(ルノワール、PIERRE-AUGUSTE RENOIR、1841年2月25日 -
1919年12月3日)の絵画切手を特集しました。言わずもがなの代表的なな印象派の画家です。その暖かみある画風から日本でもかなりの人気を誇ってます。印象派らしく風景画や静物画にも取り組みましたが、何よりも人間への関心が強く、健康美あふれる裸婦や少女、さらに恋人や友人たちの幸福そうな生活情景を描いた傑作を数多く残してます。
風景画、花・・の静物画もあるが、代表作の多くは人物画である。「桟敷席」は白黒を色彩の基調としながら柔和で瑞々しい筆触による多様かつ輝くような洗練された描写にある。 |
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『桟敷席(The Theater Box)』 |
『マルゴの肖像(モデルの肖像)』 |
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象徴主義、耽美主義、
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象徴主義(symbolisme)は自然主義への反動であった。「観念に感受可能な形を着せる」ことが重要であった。自然主義者とは対照的に、象徴派は事物を忠実には描かず、理想世界を喚起し、魂の状態の表現を特別扱いする印象や感覚を探求した。 象徴主義はロマン主義の最も秘教的な側面とも関係があるが、何よりもシャルル・ボードレールに負う部分が大きい。 オディロン・ルドン(Odilon Redon)、ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)、アルノルト・ベックリン(Arnold Becklin)、ギュスターヴ・カイユボット(Gustave Caillebotte)、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munc)、ウィリアム・ラッセル・フリント(Sir William Russell Flint) |
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近代絵画と
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Kiss(『接吻』 |
最近の絵画では、シャガールの仲の良いほのぼのとした恋人たちや幻想的な絵やクリムトとミュシャが退廃的な画風から非常に人気があります。 ピカソ・ダリ・ミロの特異な絵も興味深いものがあります。それぞれ代表的なものをUPしました。 ムンクの「叫び」は2004年に盗難にあい、当時4,000万円の懸賞金が掛けられ2006年に無事に戻りました。20世紀の美術は、様々な「イズム」に彩られており、19世紀以前に比べて、その動きは著しく激しかったことから、「20世紀美術」という用語で言われます。ユトリロ、ブラマンク、エルンスト、ルオーほか |
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近代絵画の主要な画家:クリムト(Gustav Klimt)、ユトリロ(Maurice Utrillo)、ブラマンク(Maurice de VLAMINCK)、エルンスト(Max Ernst)、ルオー(Georges ROUAULT)、ウィンズロー・ホーマー(Winslow Homer)、藤田嗣治、ミロ(Joan MIRO)、ダリ(Salvador dali)、ビュッフェ(Bernard Buffet)、シャガール(Marc CHAGALL)、ムンク(Edvard Munch)、ミュシャ(Alfons Maria Mucha)、ローレンス(Lawrence)、ジョン・バイアム・リストンショー(John Byam Liston Shaw)、アメデオ・モディリアーニ(Amadeo Modigliani)、ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット、ヨーゼフ・リースラー(Josef Liesler)、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)、アンリ・ルソー(Henri Rousseau)、オットー・ディクス(Otto Dix)、ノーマン・ロックウェル |
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モダン・ポッポアート(ピンナップ・アート) |
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2000年頃から旧ソ連やアフリカ諸国から発行されてる,私共からすれば少し邪道気味のモダン・ポッポアートの切手を特集しました。基本的には発行国と何の縁もゆかりも無く、国内で使用はせず外貨獲得を目的にしてるようです。何だか悲しいが、私も含め海外の人で買う人も沢山いるようです。ドリュー・ポサダ(Drew Posada)のピンナップ・アート, 画家はドリュー・ポサダ(Drew Posada)のピンナップ・アート,メル・ラモスのポップアート、タマラ・ド・レンピッカを掲載してます。 |
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タマラ・ド・レンピッカ(Tamara de Lempicka, 1898年5月16日 - 1980年3月18日)はアール・デコの女性画家。ポーランドのワルシャワに生まれる。ジャック・ニコルソンはタマラの作品をコレクションしている。2005年には、女優兼アーティストのカーラ・ウィルソンが、タマラの生涯に基づく一人芝居「Deco Diva」を演じた。 |
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オールポスターズ:世界最大級絵画&ポスターショップ! |
タイトル |
代表的な切手 |
内容 |
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故宮博物館絵画台北の國立故宮博物院の所蔵品は北京の故宮博物院が元来所蔵してたものである。世界一の中国美術工芸コレクションとして名高い故宮博物院は、フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと並んで世界四大博物館の1つに数えられてます。 |
中国(北京、所蔵品117万件/瀋陽、主に後金・清時代の文物・美術品2239点)・台湾(台北、所蔵品60万8985 件冊)にある故宮博物館の名画切手です。いずれも数千年前から文物が展示され両方とも膨大な資料があります。故宮博物館の文物(銅器、磁器、玉器他)はこちらから。中国(中華人民共和国)の名画の切手の一部は故宮博物館ではなく発見された場所での保管も混じってますがご了承ください。台湾(中華民国)のものは故宮博物館所蔵です。故宮博物館がなぜ分割されたかは、中国の歴史と深い関係があります。1924年に北洋軍閥の一人である馮玉祥が溥儀を紫禁城宮殿から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持ってた美術品・・を一般公開したのが始まりで、その後いろいろな変遷があった。第二次世界大戦後、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になった為、1948年の秋に中華民国政府は故宮博物院から2,972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へと運んだ。これによって誕生したのが台北市の故宮博物院であり、現在故宮博物院の所蔵品は北京と台北の二箇所に別れて展示されてる。台湾の故宮博物館の絵画は、郎世寧(カスティリオーネ、1688-1766)のものが多い。 |
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故宮博物館の文物・工芸品(銅器、磁器、玉器他) |
中国・台湾にある故宮博物館の美術工芸品(銅器、磁器(Porcelain)、玉器、錫器、金銀細工他)の切手です。故宮博物館の名画切手はこちらから。時代分類は新石器時代/夏・商(殷)・周時代/春秋戦国時代/秦・漢・三国時代/晋・十六国・南北朝時代/隋・唐・五代十国時代/宋・遼・夏・金時代/元時代/明時代/後金・清時代で区分しました。中国(中華人民共和国)の文物の切手の一部は故宮博物館ではなく発見された場所での保管も混じってますがご了承ください。台湾のものは故宮博物館所蔵です。 |
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チェコ・プラハ美術館収蔵 |
チェコの美術切手は綺麗さとその緻密さで有名です。非常に美しい凹版印刷です。今回特別企画としてチェコのプラハ美術館に収蔵されてる絵画を纏めて展示しました。画家は切手に記載の通りで、有名画家は別の頁に紹介してますので具体的な内容・画家については省略しました。年代別に整理してます。Vaclav Hollar(ホラー、1607-1677) と呼ばれる作家の詳細は不詳ですが非常に多いことが特徴です。デューラー、ミュシャ、エルグレコ・・の有名画家。 |
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仏教美術 |
仏教美術とは信仰の対象としてではなく、仏像、仏画、堂塔伽藍・仏具・・の芸術性を認められるものを言います。 仏教の経典は膨大な量にのぼります。その中には、たくさんの仏さまが登場します。 仏教美術とは、それらの仏さまを目に見える形にしたものです。 ここでは、一応、1.インドの仏教美術 @胎蔵曼荼羅アショカ王の仏塔(ストゥーパ) Aマトゥラーの仏像 Bアジャンター石窟群 、2.東南アジアの仏教美術 @ボロブドゥール Aアンコール・トム 、3.中央アジアの仏教美術 @ガンダーラ美術 、4.中国の仏教美術 @敦煌の石窟 A雲崗の石窟 B摂山の石窟 C龍門の石窟 D楽山の大仏 E法門寺の宝物 F房山雲居寺の石経 G大足の石窟 、5.朝鮮の仏教美術 @高麗の仏画 A高麗版大蔵経(版木) 、6.日本の仏教美術 @正倉院の宝物 A浄土三曼荼羅 B両界曼荼羅 C平家納経 に分類しました。 |
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マイセン等の
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世界の美術工芸品(宝物(トレジャー)や至宝・財宝も含みます)に関する切手です。美術に関しては別に絵画や宝石等は別にそれだけを中心に整理してますので、物と言うか古くより各国で愛用され・高価な取り扱いを受けてる物や宝飾品に限定してみました。焼き物がどうしても多くなってます。ヴァチカン市国の至宝ではエトルリア時代(紀元前8世紀 - 紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群)の素焼きものが多いです。クレムリンのイースターエッグも興味深いです。日本の文化庁では「建造物,絵画,工芸品,彫刻,書跡,典籍,古文書,考古資料,歴史資料・・の有形の文化的所産で,我が国にとって歴史上,芸術上,学術上価値の高いものを総称して有形文化財と呼んでいます。このうち,建造物以外のものを総称して「美術工芸品」と呼んでいます。」との定義がありますが上記の取り扱い判断で掲載。 |
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日本の絵画・美術工芸・文学 |
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■日本の絵画・美術工芸・文学では、日本の絵画(画家別)/(作品別)/江戸の絢爛な文化・浮世絵や錦絵/浮世絵師・葛飾北斎が描いた「冨嶽三十六景」とその他の作品/浮世絵師・歌川広重が描いた「東海道五十三次」/江戸・日本橋から三島、沼津から掛川、袋井から岡崎、池鯉鮒から土山、水口から京都・三条大橋/日本の国宝や重要文化財、伝統工芸/地元出身の芭蕉の俳句等をアップしてます。 |
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タイトル |
代表的な切手 |
内容 |
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日本の美術(美術家別) |
日本切手を中心に日本の画家・彫刻家の美術作品。日本の絵画や人形切手(作家別)です。 画家がハッキリしてる絵画の浮世絵だけでなく水墨画・日本画・油絵・版画・彫刻等多数掲載してます。 繊細な筆タッチだけでなく、やはり日本人の感性に訴えるものがあります。 奈良時代から平安時代にかけて、中国や朝鮮半島・・から渡来した技法や様式、あるいはそれに倣い日本で描かれた図画が「唐絵」と呼ばれた。これに対して日本的な主題を描くものが産まれ、「大和絵」と呼ばれ、別の頁(作品別)で掲載。 水墨画や狩野派の絵画・屏風絵も掲載中。 |
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日本の絵画(作品別) |
牛車で参内した公家たち |
日本の絵画切手(作品別)です。 主に江戸時代以前の絵画や巻物・屏風絵等を掲載してます。 繊細な筆タッチだけでなく、やはり日本人の感性に訴えるものがあります。 奈良時代から平安時代にかけて、中国や朝鮮半島・・から渡来した技法や様式、あるいはそれに倣い日本で描かれた図画が「唐絵」と呼ばれた。これに対して日本的な主題を描くものが産まれ、「大和絵」と呼ばれ、これらは掲載してます。 水墨画や狩野派の絵画・屏風絵も掲載中。 |
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江戸の絢爛な文化・
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日本が世界に誇る浮世絵や錦絵の切手です。安藤広重(歌川広重)と葛飾北斎の富嶽三十六景は別ページに記載しており、それ以外の切手を掲載。浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物・・を描く。「浮世」という言葉は、「現代風」とも訳される。現在一般に浮世絵といえば、専ら多色刷りの木版画(錦絵)を想像する場合が多いが、肉筆画・・も含まれてます。欧米諸国では浮世絵は、印象派の巨匠たちに見出されて高く評価され、その作品に影響を与え、油絵による模写もされてる。内容は順次更新中です。喜多川歌麿、鈴木春信、東洲齋写楽、鳥居清長、菱川師宣、梅堂国政 他を収録中。そのほか海外ではAJMAN(アラブ土侯国)とパラグアイにて発行された浮世絵切手を最後に収録。ハンガリーの浮世絵は、ブダペストの東アジア絵画美術館の作品から。 |
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浮世絵師・葛飾北斎が描いた「冨嶽三十六景」と
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葛飾北斎が描いた日本の浮世絵切手・冨嶽三十六景とその他の作品の切手です。葛飾 北斎(葛飾 北齋)(かつしか ほくさい、宝暦10年9月23日?(1760年10月31日?) - 嘉永2年4月18日(1849年5月10日))は、江戸時代の化政文化を代表する浮世絵師の一人である。森羅万象何でも描き、生涯に3万点を越す作品を発表し、版画の他、肉筆画にも傑出した。さらに読み本挿絵芸術に新機軸を出したこと、北斎漫画をはじめ絵本を多数発表して毛筆による形態描出に敏腕を奮い、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところが大であった。葛飾派の祖となり、ゴッホ等の印象派絵画の色彩にも影響を与えた。代表作に「冨嶽三十六景」「北斎漫画」・・がある。その功績は海外で特に評価が高く「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人でただ一人、ランクインした。冨嶽三十六景は当初は名前の通り、主版の36枚で終結する予定であったが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になった。追加の10枚の作品を「裏富士」と呼ばれてる。発表当時の北斎は72歳と、晩年期に入ったときの作品である。また西洋画法を取りいれ、遠近法が活用されてる事、当時流行してた“ベロ藍”ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。世界では広重よりも有名な葛飾北斎の「冨嶽三十六景」や北斎漫画。 |
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浮世絵師・歌川広重が
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江戸名所 雪月花の内) |
安藤(歌川)広重(廣重)が描いた日本切手・東海道五十三次(国際文通週間)です。ご自身の旅行した時の事を思い出してください。 この頃の武蔵国の人口は1834年(天保5年) - 171万4054人。 葛飾北斎は、天保2年に「冨嶽三十六景」を刊行し、その影響もあったのか、広重は天保の大飢饉の最中の天保3年(鼠小僧次郎吉が獄門になった年)夏、幕府が朝廷に御馬を献上する八朔御馬献上儀の旅に、加わりこの模様を写生したそうです。このスケッチをもとに「東海道五十三次続絵」を保永堂より出版しました。「日本橋」から「三条大橋」までの宿場を舞台に、旅に関わる風物、人物を自然の景観のなかに抒情ゆたかに描き、雪や雨・・、自然現象がかもしだす風情をたくみにあらわしてます。広重の個性がよく発揮されたこの連作は、旅行ブームを背景に庶民の間で大いに人気を博しました。作品は天保5年(広重38歳)の保永堂版と、天保13年(同46歳)の行書版、嘉永2年(同53歳)の隷書版、嘉永5年(同56歳)の張交図会(はりまぜずえ)の4種類があります。特に断りが無い場合は保永堂版です。 |
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東海道五十三次
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安藤(歌川)広重が描いた日本切手・東海道五十三次(国際文通週間)です。江戸・日本橋から相模国を経由して伊豆国の三島まで。元号が元禄になる頃には江戸の人口は100万人を確実に超えてます。大きな町だったようです。日本橋は、江戸城の堀から隅田川に注ぐ日本橋川に架かった橋で江戸の中心であったばかりか、日本の中心の橋で、東海道を含む五街道は全てここが起点になってた。時期は天保の大飢饉の真っ只中。 |
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東海道五十三次
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駿河の国・沼津から遠江の国・掛川まで。富士山を眺めながらの東海道です。江戸時代の駿河国は、直轄地である駿府の西の守りとして田中藩が、東の守りとして小島藩が置かれた。この他にも、東海道の宿場町が多く誕生した。中でも、大井川は架橋や渡船が禁止されたため、旅人は川越によって渡川するほかなく、両岸に位置する島田宿と金谷宿は、川越で盛えた。駿河国(沼津、原、吉原、蒲原、由比、興津、江尻、府中、丸子、岡部、藤枝、島田)、遠江国(金谷、日坂、掛川) |
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東海道五十三次
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遠江の国・袋井から徳川家康の生誕地の参河(みかわ)の国・岡崎まで。意外と平坦な道だったようです。当時、遠江はお伊勢参りの通過点で、阿波で始まった1830年(文政13年 / 天保元年) の文政のお蔭参りでは、60年周期の「おかげ年」が意識されてた。伝播地域は、明和よりも狭かったが、参加人数(参詣者:427万6500人/当時の日本総人口:3228万人(1850年))は大幅に増加した。何故か参詣するときに、ひしゃくをもって行って伊勢神宮の外宮の北門で置いていくということが流行った。 広重もそんな光景を見たのかも知れない。そのおかげで物価は大上昇の時期でもあったようです。遠江国(袋井、見附、浜松、舞坂、新居、白須賀)、参河国(二川、吉田、御油、赤坂、藤川、岡崎) |
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東海道五十三次
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参河(みかわ、現在の愛知県の東部にあたる)の国の池鯉鮒から尾張国(名古屋)や伊勢国(三重県)を経由して近江の国(滋賀県)・土山まで。海を渡り鈴鹿峠越えの道のりです。もう直ぐに京の都です。この鈴鹿峠は三重県(旧伊勢国)亀山市(旧関町)と滋賀県(旧近江国)甲賀市(旧土山町)の境に位置する東海道(国道1号)の峠。標高は357m。飛鳥時代に古代東海道上に鈴鹿関が置かれ、以後これより東を東国〜関東と呼んだ。かつては峠を挟んで、滋賀県側には土山宿、三重県側には坂下宿が所在し、東海道の旅人たちの憩いの場となった。浮世絵関連では印象派・ゴッホ|プラハ美術館収蔵もあります。 |
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東海道五十三次
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安藤(歌川)広重が描いた日本切手・東海道五十三次(国際文通週間)です。近江の国・水口から京都・三条大橋まで。18世紀の初めころの京都と大坂はともに40万近い人口をかかえてた。夏の京都は、祇園祭一色です。懐かしい思いが沢山詰まってます。また安藤広重が京都に行く数年前の天保元年(1830)、京都は大地震に見舞われ7,000人からの死者を出し、余震が翌年まで続いたと記録に残ってます。天保の大飢饉もこの時期で道中だけでなく、大変だった時期に京都に行ったのかと思いを馳せました。 |
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タイトル |
代表的な切手 |
内容 |
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日本の国宝や重要文化財、伝統工芸
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日本の国宝や伝統工芸に関する切手のページです。飛鳥時代以降の国宝や重要文化財を中心に掲載。蒔絵(まきえ)は、漆芸の技法の一つである。他には仏像・鉄器・漆器・磁器・陶器・織物・人形・灯篭・彫り物・・日本では非常に有名なものを整理してます。国宝・舟橋蒔絵硯箱(本阿弥光悦)国宝・片輪車蒔絵螺鈿手箱 葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱 五絃琵琶「螺鈿紫檀五絃琵琶」(正倉院宝物、奈良時代) 国宝・八橋蒔絵螺鈿硯箱 尾形光琳作・・です。琉球ガラスも追加。 |
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日本の美術家の氏名のINDEX(切手) あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行 / |
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■日本の美術は、繊細な筆タッチだけでなく、やはり日本人の感性に訴えるものがあります。「浮世絵2」には江戸時代の歌川 国芳に描かれた浮世絵に東京スカイツリーの記事写真も掲載。 |
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■世界の美術館を訪ねると必ずと言って良いほど浮世絵が有ります。日本が誇る芸術です。切手でも各国で発行され日本では文通週間だけでなくいろんな記念切手で採用されてます。今更ながら浮世絵も良いと思います。 |
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地元出身の芭蕉の俳句等 |
地元の伊賀出身の大先輩の芭蕉の俳句や観阿弥・世阿弥や江戸川乱歩等地元出身者に関連するものを中心に整理しました。松尾 芭蕉は現在の三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師です。俳句の特徴は、@五・七・五の「韻律」で詠まれる定型詩である。A大抵「季語」が入る。B一か所、必ず「切れ」がある。 C余韻を残す。 です。地元では子供も含めた俳句会もあります。 能楽大成者 観阿弥は妻の出生地である名張市小波田で初めて猿楽座(後の観世座)を建てました。その後、足利三代将軍義満の絶大な庇護を受け「能楽」として京の地で開花し、伝統芸能の一つの頂点になりました。 これも毎年市役所で薪能が開催されます。 日本の探偵小説を創始した作家、江戸川乱歩は、明治27年(1894)、名張の町に誕生しました。 生後まもなく転居したせいで、乱歩にとって名張は「見知らぬふるさと」でありつづけましたが、晩年になってようやく「ふるさと発見」が果たされ、昭和30年(1955)には名張市民の手で「江戸川乱歩生誕地」碑が建立されました。 |
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■『キリスト教絵画を見る為の旧約聖書(創世記、出エジプト記)と新約聖書(福音書ほか)』の目次 |
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[ トップ|旧約聖書・『創世記』|旧約聖書・『出エジプト記』|新約聖書・『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』| |
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■美術工芸について参考にしているページ |
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1.Web Gallery of Art, (英語) |
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注)絵画の著作権などの関して → まず、著作権の存続の有無と、著作権者が誰であるかが問題です。著作者の死後50年(と、戦時加算)の期間が経過していれば、その著作物はすでにパブリックドメインにありますから、その人格権を侵害しない態様であれば、自由に利用できます。 絵画を、単に正面から写真撮影しただけのものは、その撮影者に権利は生じません。したがって、ある絵画の写真について、すでに保護期間が経過したものは自由に利用でき、保護期間内のものは絵画の著作権者に許諾を求めれば良いことになります。 |
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「Kunioの世界の切手紹介と海外写真集」(Collection of stamps in the world of Kunio and introduction of overseas photograph) |