西洋美術切手 印象派 炎のゴッホ フィンセント・ヴァン・ゴッホ (2/2)
印象派の炎のゴッホゴッホに特化した絵画切手です。フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は後期印象派の中でも最も名の知られたオランダ出身のゴッホ。 ゴッホはルーベンスの明瞭な色彩に魅了され、日本の浮世絵の特徴である明快な色使い、影の無い世界にも大きな影響を受けた。 ゴッホ・ゴッホの内面をそのまま反映したかのような迫真性の高い独自の表現は野獣派(フォーヴィスム)やドイツ表現主義など後世のゴッホに大きな影響を与えた。 1890年、ゴッホはパリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移住するも、同年7月27日に(おそらく胸部に)ピストルを撃ち自殺を図る。29日駆けつけた弟テオに見守られながら死去、享年37歳。 弟テオも翌年に死去。
ゴッホの黄色の色使いが鮮烈で印象的です。 生前に売れた絵はたった1枚『赤い葡萄畑(La Vigne rouge)』だった。人に贈った絵が、鶏小屋の穴を塞ぐのに使われていたこともあった(『医師フェリックス・レイの肖像』)。 現在、追加でカリブ諸国の切手も追加。 本文作成にあたり『Salvastyle.com』様を参考にさせていただき、引用もさせていただいております。 (
拡大○)は、画像クリックで拡大表示。 ゴッホの絵画の索引 [ 1|2 ]
※ゴッホの活動時期: アントワープ時代・エッテン時代(1881年4月〜12月)|ハーグ時代(1881年12月〜1883年9月)|ドレンテ時代(1883年9月〜11月)|ヌエネン時代(1883年12月〜1885年11月)|パリ時代
(1886年3月〜1888年2月)|アルル時代 (1888年2月〜1889年5月)|サン・レミ時代(1889年5月〜90年5月)|オーヴェール時代(1890年 5月〜7月)
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このページ以外の印象派・フォービズムのゴッホ |
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印象派のゴッホ フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の絵画 (2/2) |
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■フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は、ゴッホとしての活動が約10年間と短く、絶対数としては油彩900点、素描1100点があると言われるが、傑作とされる作品はほとんどが晩年の約2年半(1888年2月から1890年7月)に制作されたものであり、知名度に比して(傑作・良作とされる)作品数は少ない。 ゴッホは1881年末からハーグに移り住みます。そこで義理の従兄でゴッホのアントン・マウフェから絵を習う機会を得ました。しかし、未婚で娘を持ち、しかも当時妊娠していたシーン・ホールニクという女性とゴッホが関係を持ったため、両親やマウフェとの間で不和が生じました。 ファン・ゴッホ美術館 Van Gogh Museum |
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『スカル帽子を被った男の肖像』 |
『羊飼いの女(ミレーによる)』 |
『白い帽子を被った老女』 |
『青の女の肖像』 |
■『医師ガシェの肖像』は、テオの未亡人ヨハンナによって、1898年頃にわずか300フランで売却されたと伝えられる作品である。1990年5月15日にニューヨークのクリスティーズでの競売で、8,250万ドル(当時のレートで約124億5,000万円)で齊藤了英に競り落とされ、日本人による高額落札として話題となった。2010年現在でも、ゴッホ作品の最高落札額である。 |
『花瓶のカーネーション』 |
『ズワーヴ兵(半身像)』 |
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『カフェ・タンブランの女(タンブーランの女)』 (パリ時代) |
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■『カフェ・タンブランの女(タンブーランの女)』はパリの古い酒場キャバレー・カフェ『カフェ・デゥ・タンブーラン』の年老いたイタリア出身の女主人アゴスティーニ・セガトーリを描いた肖像画作品。一時はゴッホと恋愛関係にもあったとされている画面中央に描かれたタンブーランの女主人アゴスティーニ・セガトーリは、まるで疲れきったかのような、やや陰鬱的な表情を浮かべながら右手に火のついた煙草を持っており、特にアンバランス的に描かれる両目の焦点が定まらない表現はセガトーリの酔いの深さを顕著に感じさせる。そして太鼓を思わせるような独特の円卓の上にはアルコールが置かれており、当時のパリにおいて重大な問題となっていたアルコールへの依存を暗喩させている。 (1886年3月から1888年2月までパリに滞在し)ファン・ゴッホ美術館 |
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『アルルの女(読書するジヌー夫人、本を持つジヌー夫人)』 |
ゴッホの自画像と幻覚(モナコ) |
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■『アルルの女(読書するジヌー夫人、本を持つジヌー夫人)』。1888年の11月頃(又は1889年5月頃)に制作された本作は、南仏アルル駅前にあったカフェ・ド・ラ・ガールの主人の妻マリー・ジヌーの姿を描いた肖像画作品で、ゴッホはアルル滞在当初、『黄色い家』を借りるまでの間、このカフェに住んでいたことが知られており、ゴッホ自身も親しくなったジヌー夫人の肖像画を数点制作している。(アルル時代) |
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『馬鈴薯を食べる人たち(食卓についた5人の農民)(Les mangeurs de pommes de terre (cinq paysans attables)) 』( 拡大○) |
『花瓶のグラジオラス』 |
『モンマルトルを見晴らすテラス』 |
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■フィンセント・ファン・ゴッホの初期の代表作『馬鈴薯を食べる人たち(食卓についた5人の農民)』。 ゴッホが本格的にゴッホを志す決意を弟テオに示して数年経過した32歳の頃に制作された本作は、貧しい労働者階級の家族が、小さな慎ましいランプの光の中で夕食として馬鈴薯(じゃがいも)を食する情景を画題にした作品で、労働者への宗教画にも通じる聖性を含んだ賛美と深い共感が示されている。 ゴッホは青年期に炭鉱地帯で伝導師(牧師)として就労するなど貧しい人々の生活の実態を目の当たりにしており、彼らの生活内に漂う独特の悲愴感・哀愁感や、それでも逞しく生きる労働者たちに強く共鳴していた。 (ヌエネン時代) 『ジャガイモを食べる人々』(1885)ゴッホ美術館 |
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『雪のヌエネンの古い教会の塔』 |
『静物(キャベツ、木靴など)』 |
『鎌をもつしゃがむ若者』 |
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『医師フェリックス・レーニンの肖像』(アルル時代) |
『ジョセフ・ルーランの肖像』 |
『白い頭巾の農婦の顔』 |
『白い頭巾の農婦の顔』 |
■『郵便配達夫ジョゼフ・ルーランの肖像』は、ゴッホがアルルへ滞在していた時に親しくなり、ゴッホに対して(アルルを離れるまで)援助を続けていた同地の郵便配達人≪ジョゼフ・ルーラン≫氏を描いた肖像画作品で、ゴッホは1888年12月から翌1889年4月の間に同氏の肖像画を4点以上制作しており、本作はその最後期の作品であると推測されている。画面中央に正面から捉えられる郵便配達夫の制服を着たジョゼフ・ルーラン氏は純真そうな澄んだ緑色の瞳を本作を観る者へと向けている。ボストン美術館 |
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『黒い頭巾の女』 |
『草の上に座る女』 |
■神経発作と精神的病に冒されたゴッホが治療(療養)のためにサン・レミのカトリック精神病院へ入院していた時に制作された『ピエタ(ドラクロワによる)』は、ロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワによる≪ピエタ≫を画題とした作品のリトグラフに基づく模写作品である。 |
『ピエタ(ドラクロワによる)』 |
『ミリエの肖像』 |
『髭をはやした老人の肖像』 |
『17歳のアルマン・ルーランの肖像』(アルル時代) |
『赤ん坊のマルセル・ルーラン』 |
『パシアンス・エスカリアの肖像』 |
『パシアンス・エスカリアの肖像』 |
『フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の自画像』 |
『フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の自画像』 |
『灰色のフェルト帽の自画像』 |
『フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の自画像』 |
『フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の自画像』 |
『タンギー爺さんの肖像(ジュリアン・タンギーの肖像) |
■後期印象派随一のゴッホフィンセント・ファン・ゴッホ、パリ滞在期の代表的な肖像画作品のひとつ『タンギー爺さんの肖像(ジュリアン・タンギーの肖像)』。1887年の秋に制作された本作はモンマルトルのクローゼル通りで画材店を営んでいたジュリアン・タンギー氏、通称≪タンギー爺さん≫を描いた作品である。 タンギー爺さんはパリの若いゴッホたちを熱心に支持しており、金銭的に苦しいゴッホに対しては画材代金の代わりに作品を受け取る場合も多かったと伝えられている。また本作の背景を構成する複数の浮世絵も(本作の)最も注目すべき点である。画面左中央に二代目歌川豊国の『三世岩井粂三郎の三浦屋高尾』、左下に二代目歌川広重の『東都名所三十六花選 入谷朝顔』、中央には歌川広重の『富嶽三十六景 相模川』、右上には同じく歌川広重の『東海道五十三次名所図 会石楽師』、右下には渓斉英泉の『雲龍打掛の花魁』が描かれていると推測されており、本作には表現的な影響はあまり感じさせないものの、ゴッホの日本美術への強い傾倒(ゴッホは浮世絵の熱心な収集家であった)や、その後の平面性・奇抜な構図展開などの取り入れを予感させる。(1887)ロダン美術館 |
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『フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の自画像』 |
『自画像(渦巻く青い背景の中の自画像』 |
『僧侶としての自画像』 |
『フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の自画像』 |
■『自画像(渦巻く青い背景の中の自画像)』は、ゴッホがかの耳切り事件後、1889年5月から神経発作によりゴッホ自身の希望でサン・レミのカトリック精神病院『サン・ポール』へ入院していた時代(通称サン・レミ時代)の9月頃に制作されたゴッホの自画像作品で、少し前(8月末頃)に手がけられた『自画像(パレットのある自画像)』と共に、ゴッホの自画像作品の中では最後期の自画像としても広く知られている。 |
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『アルルのダンスホール(La Salle de danse a Arles)』 |
ゴッホ ボストン美術館 |
ゴッホ ボストン美術館 |
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■『アルルのダンスホール』は、ゴーギャンと共に共同生活を送りながら制作活動をおこなっていた頃となる1888年に手がけられたもので、アルルのレ・リス大通りに面する≪フォリー・アルレジエンヌ劇場≫における祝祭の夕べの情景を描いた作品である。画面の手前から奥にかけて無数に描き込まれる人々は犇めき合う様にダンスホールの中で踊りに興じており、その印象は独特の退廃性に溢れている。また描かれる人々の姿も、一方では流行の衣服に身を包み、また一方では伝統的な衣服を着こなすなど多様で混沌とした様子である。画面右側に描かれる唯一観る者と視線を交わらせる女性は、ゴッホと親しく、ゴッホがアルルを去る日まで援助を続けていた郵便配達人ジョゼフ・ルーランの妻ルーラン夫人であり、ここにゴッホの交友関係を見出すことができる。 |
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『タンギー爺さんの肖像』 |
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その他美術関係の切手・写真(切手が主体) |
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利用したゴッホのシリーズ切手 ・Sierra Leone(シエラ・レオネ) 1991年 |
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西洋美術切手 印象派 炎のゴッホ フィンセント・ヴァン・ゴッホ (2/2) |
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国立ゴッホ美術館(アムステルダム)が所蔵するゴッホの作品(オランダ領アンティル)「どくろ蛾」(1889)、
『フェルト帽をかぶった自画像』(1888)、『カフェ・タンブランの女』(1887)、『アルルの老女』(1888)