Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
美術切手|レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci):ルネサンス、15世紀の客観的な写実主義を完成し、主観的な精神内容を表現して、主観と客観の融合による古典形式を15世紀末に確立。作品は、『最後の晩餐』(ミラノ)や『モナ・リザ』( ルーヴル美術館蔵)

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レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)と弟子のジャンピトリーの絵画の切手

 ルネサンスの万能の天才・画家レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo di Ser Piero da Vinci)と弟子のジャンピトリーノ(Giampietrino)の絵画の切手です。 15世紀の客観的な写実主義を完成し、これによって主観的な精神内容を表現して、主観と客観の融合による古典形式を15世紀末に確立した。 イタリアのルネサンス期を代表する万能の天才として知られ、「万能人(uomo universale)(ウォモ・ウニヴェルサーレ)」とも呼ばれている。 レオナルドの芸術作品は、『最後の晩餐』(1498年, Ultima Cena or Cenacolo ミラノ)や『モナ・リザ』(1503 -1506年, La Gioconda, ルーヴル美術館蔵)のような精巧な絵画がよく知られている。彼の絵画の特徴はスフマート技法と空気遠近法である。画家として非常に有名であるが、現存する絵画は17点(うち数点は弟子の手との説もある)に過ぎない。 レオナルドの多岐に渡る研究は、13,000ページに及ぶノートに、芸術的な図と共に記録されている。この膨大なノートは、19〜20世紀になって、科学技術の分野での先駆的な研究として注目を集めるようになった。 レオナルドは音楽の演奏及び作曲も行なった。 リュートを演奏し、自作のリラを弾きながら歌った。ミラノを最初に訪れたのは、メディチ家の依頼でスフォルツァ家にリラを献上するためだったという説もある。 新しい楽器のアイディアや演劇用にデザインした服装もスケッチに残されている。
(ルーブル美術館:日本語解説
 

 

■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリダ・ヴィンチラファエロミケランジェロデューラーティツィアーノルーベンスベラスケスアングルエル・グレコレンブラントカラヴァッジオフェルメールダイクドラクロワゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワールマネとモネセザンヌゴーギャンマチスピカソダリ葛飾北斎安藤広重クリムトシャガールモディリアーニミュシャ ]

■ルネサンスチチアンの先頭の頭文字(ア行〜タ行ナ行〜ワ行その他

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レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)の絵画

 レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画『モナ・リザ』各種

ルーブル美術館の
本物のモナ・リザ(クリックで拡大)

『モナ・リザ』 (モナ・リザ等の絵画は「フランス」の頁  

モナ・リザ(1503-06年、ルーヴル美術館収蔵)

モナ・リザ フランス発行

ダヴィンチ モナ・リザ 絵画 ルーブル美術館の本物のモナ・リザ フランス ルネサンス ダヴィンチ 絵画切手 モナ・リザ 南アラビア発行

南アラビア発行

ルネサンス ダヴィンチ 絵画切手 モナ・リザ ブータン発行

ブータン発行

モナ・リザ ダ・ヴィンチ ルネサンス フランス発行

モナ・リザ Guyana発行

モナ・リザ アフリカ・チャド発行

レオナルド・ダ・ヴィンチ
(イタリア1932年)

レオナルド・ダ・ヴィンチ『1513年の自画像』(ハンガリー、1952年)

ルネサンス ダヴィンチ 絵画切手 モナ・リザ Guyana発行 ルネサンス ダヴィンチ 絵画切手 モナ・リザ アフリカ・チャド発行 レオナルドダヴィンチ(ハンガリー、1952年)

モナ・リザ(Mona Lisa(Monna Lisa):モデルについては諸説あるが、レオナルド・ダ・ヴィンチによって理想化された人物像とする説が一般的である。 レオナルドは1503年にこの絵を描き始め、3年か4年制作にあたった。完成後もレオナルドの手元に置かれ、フランスのフランソワ1世の招きによりレオナルドと共にアンボワーズ城近くのクルーの館へ移り、その後1510年頃にフランソワ1世によって4000エキュで買い上げられ、フォンテーヌブロー宮殿に留め置かれたとされる。人物をバストアップのアングルで捉え、遠景を背景に配し、頭を頂点にしてピラミッド状に人物を置いた『モナ・リザ』の構図は、その後の肖像画に大きな影響を与えた。実際の絵画はルーブル美術館@フランスにあります。
■アイルワースのモナ・リザ(Isleworth Mona Lisa)はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたもう一枚のモナ・リザとされる絵画。16世紀の作品であるルーブルのモナ・リザよりもモデルが若いことが特徴で構図もほぼ同じだが、美術史家の多くは作者がレオナルド・ダ・ヴィンチだということに否定的である。作者は不詳で製作年代についても一致した見解はない。
■世界の三大名画は、以下の3作品を言います。 
ディエーゴ・ベラスケス作 『ラス・メニーナス(宮廷の女官たち)』
レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン作 『夜警』
レオナルド・ダ・ヴィンチ作 『モナ・リザ』
時に 『モナ・リザ』にかえて エル・グレコ作 『オルガス伯爵の埋葬』 と言う方もいます。

アイルワースのモナ・リザ(Isleworth Mona Lisa) 拡大

アイルワースのモナ・リザ( Isleworth Mona Lisa)

モナ・リザ 北朝鮮発行

モナ・リザ アイルランド発行

モナ・リザ 
ブリヤート共和国 発行

世界最初のモナ・リザ切手

ルネサンス ダヴィンチ 絵画切手 モナ・リザ 北朝鮮 ルネサンス ダヴィンチ 絵画切手 モナ・リザ アイルランド発行 ルネサンス ダヴィンチ 絵画切手 モナ・リザ ブリヤート共和国 発行 ルネサンス ダヴィンチ 絵画切手 モナ・リザ

西ドイツ発行

アラブ首長国(AJIMAN)で発行された一寸ユニークなモナ・リザ(裸婦と着衣)
        ・・レオナルド・ダ・ヴィンチでなく弟子のジャンピエトリーノの作品か?

モナ・リザ ハンガリー発行
ルネサンス ダヴィンチ 絵画切手 モナ・リザ ハンガリー発行
アラブ首長国(MANAMA)で発行された一寸ユニークなモナ・リザ ヌード

■モナ・リザに関して、人物をバストアップのアングルで捉え、遠景を背景に配し、頭を頂点にしてピラミッド状に人物を置いた『モナ・リザ』の構図は、その後の肖像画に大きな影響を与えた。肖像画として初めて空想の空間の前に人物を描いたものの一つでもある。顔、首、胸、腕は柔らかな光が当たっているように描かれ、この光彩が隠れた球面と円形の構図を明らかにし、画面を生きたものとしている。全体を通してレオナルドが完成したスフマートで描かれており、背景には空気遠近法が効果的に用いられている。これによってレオナルドは、モデルと風景を統合的に描くことに成功している。モデルのわずかな微笑みを含めて、これらの全てが調和した一つの絵に仕上げられた裏には、レオナルドが持っていた人間と自然の宇宙的な繋がりの構想(←?)が反映されており、レオナルドの才能と先見を永遠に記録している。【Wikipedeia】

ダ・ヴィンチのモナ・リザの顔の部分(イギリス、2000年)

ダ・ヴィンチのモナ・リザの顔の部分(イギリス、2000年)

モナ・リザ ギニア・ビサウ発行 ダヴィンチ

モナ・リザ モザンビーク発行 ダヴィンチ 『レダと白鳥』

■『レダと白鳥』は、現存していないレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画(1515年 - 1520年)のチェザーレ・ダ・セスト(Cesare da Sesto)による模写です。 レダと白鳥 は、ギリシア神話の主神ゼウスが白鳥に変身し、スパルタ王テュンダレオースの妻であるレダ(レーダー)を誘惑したというエピソードをもとにした、西洋の彫刻や絵画などにおける題材(モチーフ)。 

モナ・リザ

白貂を抱く貴婦人

『レダ』(ダヴィンチ)
Staatliche Kunstsammlungen, Kassel, Germany

『レダと白鳥』(ダヴィンチ)

■数少ないレオナルドの絵画のうち、『モナ・リザ』『聖アンナと聖母子』『洗礼者ヨハネ』の3枚は、イタリアではなくフランスのルーヴル美術館にある。これは、フランソワ1世にフランスへ招かれた際、レオナルドが持って行き、フランス国内で没したためである。この3枚に、レオナルドは死ぬまで筆を入れ続けたとも言われる。

 モナコで発行されたレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画(1969年)

『女性の顔』

『ダ・ヴィンチの自画像』

『老人の顔』

『聖メアリー・マグダレンの勉強中の横顔』 マグダラのマリア

女性の顔 モナコで発行されたダ・ヴィンチの絵画(1969年) ルネサンス  ダ・ヴィンチの自画像 モナコで発行されたダ・ヴィンチの絵画(1969年) ルネサンス  老人の顔 モナコで発行されたダ・ヴィンチの絵画(1969年) ルネサンス  聖マグダレンの勉強中の横顔 モナコで発行されたダ・ヴィンチの絵画(1969年) ルネサンス 

『男の横顔』

『プロの軍人』

ベアトリーチェ・デステ(拡大○)

『聖メアリー・マグダレンの勉強中の横顔』 マグダラのマリア は、夭折したシモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチがモデル。

男の横顔 モナコで発行されたダ・ヴィンチの絵画(1969年) ルネサンス  プロの軍人 モナコで発行されたダ・ヴィンチの絵画(1969年) ルネサンス 

全てがダ・ヴィンチのデッサンですが見事です。  下はアルバニアで1969年に発行されたダ・ヴィンチのデッサン画。 
『ヘリコプター図案』、『1513年の自画像』、『ユリ』、『Beatrice(ベアトリーチェ)の肖像』、『高貴な女性の肖像』

■ベアトリーチェ・デステ(Beatrice d'Este, 1475年6月29日 - 1497年1月2日)は、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの妃。イタリア・ルネッサンス期を代表する女性として知られている。フェラーラ公エルコレ1世・デステの娘で、イザベラ・デステの妹、アルフォンソ・デステの姉にあたる。15歳で、バーリ公ルドヴィーコ・スフォルツァと婚約し、1491年1月に結婚した。ベアトリーチェとルドヴィーコの結婚と同時に、ベアトリーチェの弟アルフォンソとジャン・ガレアッツォ・スフォルツァの妹アンナとの結婚式も行われた。彼女はきちんとした教育を受け、ニッコロ・ダ・ゴッレジョ、ベルナルド・カスティリョーネ、ドナト・ブラマンテ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ジョヴァンニ・アントニオ・アマデーオといった学者・詩人・芸術家らを要するきらびやかな宮廷の中にいた。ダ・ヴィンチは結婚の祝いとして、彼女の肖像画を贈っている。

レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサン 馬、自画像、若い女性(マリ、1977年)
若い女性はシモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチがモデル?

レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサン (イタリア、1932年)

レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサン 馬、自画像、若い女性(マリ、1977年)

 ガンビアで発行されたルーブル美術館のレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画(1993年)

『洗礼者聖ヨハネ』(San Giovanni Battista)ルーヴル美術館

『岩窟の聖母』(Virgin of the Rocks) パリ・ルーヴル版

『洗礼者ヨハネ』

『貴婦人(チェチリア・ガッレラーニの肖像)』

ダ・ヴィンチ ルネサンス 洗礼者聖ヨハネ ダ・ヴィンチ ルネサンス 『岩窟の聖母』 ルーブル版 ダ・ヴィンチ ルネサンス 『洗礼者ヨハネ』 ダ・ヴィンチ ルネサンス 『貴婦人(チェチリア・ガッレラーニの肖像)』

■ダ・ヴィンチ最晩年の作品とされる『洗礼者聖ヨハネ』(San Giovanni Battista)。 晩年期は失意の中フランソワ一世の招きによりローマを去り、フランスへ向かったダヴィンチが同地で描き、 本作と『モナリザ』、『聖アンナと聖母子』の三作品は生涯手元に残した。なおモナリザを思わせる聖ヨハネの端正な顔立ちと微笑みは、 ダ・ヴィンチが同性愛者だったという推測に基づき、寵愛していた弟子ジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ)をモデルにしたという説もある。 ヨルダン川でキリストの洗礼を行なった者とされる洗礼者聖ヨハネは、バプテスマのヨハネとも呼ばれ、都市生活から離別し、神の審判が迫ることを説き、 人々に悔い改めの証として洗礼を施すが、ヘロデ王の娘サロメの願いにより斬首刑に処された。

『2人の馬使い』(馬の習作)

『岩窟の聖母』の拡大図

『モナ・リザ』

『モナ・リザ』の手の部分

ダ・ヴィンチ ルネサンス 『2人の馬使い』(馬の習作) ダ・ヴィンチ ルネサンス 岩窟の聖母』の拡大図 ダ・ヴィンチ ルネサンス 『モナ・リザ』 ダ・ヴィンチ ルネサンス 『モナ・リザ』の手の部分

■『岩窟の聖母』 ルーヴル版 (Virgin of the Rocks)は、ルネサンス期の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ不朽の祭壇画『岩窟の聖母』。ミラノ滞在時に手がけられた本作の主題は原罪(SEX)を犯さずにイエスを宿した聖母マリアの姿≪無原罪の御宿り≫と考えられているも、ヘロデ王が2歳以下の嬰児を虐殺するために放った兵士から逃れる為にエジプトへ逃避する場面≪嬰児虐殺≫とも解釈される傾向もある。

■『白テンを抱く貴婦人の肖像』。最初のミラノ滞在時に制作された肖像画のモデルはミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロの愛妾(または同氏が結婚以前に寵愛していた)チェチリア・ガッレラーニと推定されており、背景に輝く肌の質感を透明感のある色彩で描かれた本作は、今なお色褪せることなく、完成されたレオナルドの作品として公開されている。黒色真珠を身に着ける、ミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロの愛妾、チェチリア・ガッレラーニの肖像にみられる、左斜め方向を見つめる視線、微かに微笑む口元と、成熟した女性ではない、あくまで若々しい少女の表情を、卓越した観察眼で捉えた。またチェチリア・ガッレラーニがやさしく抱いている、写実的に描かれた当時、冬の衣服として用いられていた白テンの毛皮は、本作では純潔の象徴としても解釈される。

左  『白貂を抱く貴婦人(ヒニアビサウ発行)』 絵が左右逆転 切手は『受胎告知』  
右   『白貂を抱く貴婦人』(ポーランド発行、二種  『白貂を抱く貴婦人』(1485-90年、チャルトリスキ美術館収蔵)

白貂を抱く貴婦人(ポーランド発行) 切手 ダ・ヴィンチ 白貂を抱く貴婦人(ポーランド発行) 切手

『ブノワの聖母(幼児キリストに花を差し伸べる聖母)』
『ブノワの聖母(幼児キリストに花を差し伸べる聖母)』 ソ連 ダヴィンチ ルネサンス 絵画
凄く若いマリア様、
エルミタージュ美術館

ザイールで発行された
ダヴィンチの業績
人力飛行機

ザイールで発行された万能の天才ダヴィンチの業績

■『ブノワの聖母(幼児キリストに花を差し伸べる聖母)』 ロシアが誇る美の殿堂、エルミタージュ美術館の至宝、レオナルド・ダ・ヴィンチ初期の作品『ブノワの聖母』。やや硬さを感じる聖母マリアの左手、幼児キリスト右脚の厳しい明暗や境界線など、レオナルドらしさが存分には感じられず、画家屈指の名作とは呼べないまでも、作品が持つ気品や慈愛に満ちた聖母の表情は、初期の作品とは思えないほど優雅かつ繊細に描かれている。本作は名門貴族クラーキン公のコレクションからフランスの画家レオン・ブノワの手に渡り、その後、ロシア皇帝ニコライ2世が購入したことから『ブノワの聖母』と呼ばれることとなった。また画面右上の白々とした窓の風景は未完成の為、又はレオナルド自身が塗りつぶしたなどの理由が推測されている。レオナルド独自の技法『スフマート(ぼかし技法)』によって表現される聖母の輪郭は、暗い背景に溶け込み、慈愛に満ちた聖母の人物をより際立たせている。

レオナルド・ダ・ヴィンチ  『雪の聖母マリアの祝日 1473年8月5日』 ペン画 ウフィツィ美術館資料より

モナ・リザとダ・ヴィンチの自画像とデッサンなど作品 『リッタの聖母』、『人体均衡図 Vitruvian Man』(グレナダ)

モナリザとダ・ヴィンチの自画像とデッサンなど作品(グレナダ) モナリザとダ・ヴィンチの自画像とデッサンなど作品(グレナダ)

『最後の晩餐』(イタリア)
 この作品は、イエス・キリストが磔刑の前夜に12人の弟子とともにした晩餐を描いたのも。 最後の晩餐 ダヴィンチ イタリア

『最後の晩餐』(イタリア):レオナルド・ダ・ヴィンチの描く一点透視図法の消失点は、中央にいるキリストの向かって左のこめかみの位置にあり、洗浄作業によってこの位置に釘を打った跡が見つかった。こめかみの位置に釘を打ち、そこから糸を張ってテーブル、天井、床などの直線を描いたと考えられている。12人の弟子はキリストを中心に 3人一組で描かれており、4つのグループがほぼ等しい幅を持つよう左右に等しく配置されている。これらの配置はまた、背景の分割によってより明確になるよう描かれている。キリストの顔や手などには未完成と思われる部分もある。弟子たちは顔よりも手の形によって表情が表現されており、様々な手の表現がこの絵画の大きな特徴の一つである。最後の晩餐(イエス・キリストが磔刑の前夜に12人の弟子とともにした晩餐を描いたもの。イタリア発行。1495-97年、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会壁画:油彩・テンペラ) 

『最後の晩餐』(グレナダ) 一点透視図法  ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院

■『最後の晩餐』は、単純に、通常示される教義≪聖体拝受(主によるパンと酒杯の拝受)≫を描いたものではなく、イエスが十二人の使徒に対し『この中に私を裏切るものがいる』と、裏切り者を指摘する、劇的な要素での登場人物の複雑な心理描写に重点が置かれている。この≪最後の晩餐≫は過越祭(ユダヤ教の祝日)におこなわれたとされていたことから、子羊料理が描かれるが、本作では魚料理が描かれたことが近年の修復作業によって判明した。 下の左から2番目の切手は、絵画ではありませんが、「サントーストルモワーヌ=イソワール教会の彫刻「最後の晩餐」」です。最後の晩餐で入れてます。 

小説『ダ・ヴィンチ・コード』はレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でキリストの右隣には女性らしき性別の人物が座っており、マグダラのマリアではないかとする説を紹介している。 使徒ヨハネと解釈されてきたこの人物を、髭の無い青年もしくは女性的に描き、金髪で衣装もマグダラのマリアと同じ朱色とするのは、ダ・ヴィンチに始まらず、それ以前からの伝統である。 話題の『最後の晩餐』の絵にはキリストと12人が描かれているので、件の人物が使徒ヨハネとして描かれたことはほぼ確かである。

レドナルド・ダ・ヴィンチ(フランス、1952年)

『最後の晩餐』
(フランス 1973年)

レドナルド・ダ・ヴィンチ
(ルーマニア、1952年)

レドナルド・ダ・ヴィンチ(フランス、1952年) サントーストルモワーヌ=イソワール教会の彫刻「最後の晩餐」 レドナルド・ダ・ヴィンチ(ルーマニア、1952年)

『レダと白鳥』(ダヴィンチ)

『レダと白鳥』(ダヴィンチ)Ajiman

『ダ・ヴィンチ・コード』(The Da Vinci Code)は、ダン・ブラウンの長編推理小説。アメリカで2003年に出版された。『ウィトルウィウス的人体図』、『モナ・リザ』、『岩窟の聖母』、『最後の晩餐』などのレオナルド・ダ・ヴィンチ作品の謎にはじまり、多くの流説を結びつけた内容は世界的にヒットし、44言語に翻訳され7000万部の大ベストセラーとなった。筆者が(フィクションであるにも関わらず)事実に基づいていると述べたため、多くの研究者による論争が行われている。 

■ロシア旅行写真 
〔 エルミタージュ美術館 旧館エルミタージュ美術館 新館

『レダと白鳥』(ダヴィンチ)

『レダと白鳥』、『白貂を抱く貴婦人』、『Madonna Litta』(ダヴィンチ)

『聖アンナと聖母子』 ダヴィンチ 

1513年の自画像 マリで発行

『聖アンナと聖母子』 ダヴィンチ ルネサンス 

『聖アンナと聖母子』 ルーヴル美術館。完成していればレオナルドの最高傑作のひとつとして数えられていたであろう、晩年期に制作された未完の大作『聖アンナと聖母子』。主題の≪謙譲の聖母子≫にマリアの母アンナがその膝に母子(聖母マリアとキリスト)を抱くというあまり例のない構図で描かれた本作は、画家の生涯で二度目となったミラノ滞在中、当時のフランス国王ルイ12世のために制作された作品だと考えられている。

『聖アンナと聖母子』
ダヴィンチ (ブリヤート共和国 )

『聖アンナと聖母子』
聖母とキリストを抱くアンナ

『岩窟の聖母』(Virgin of the Rocks)(イタリア、1952年)

レオナルド・ダ・ヴィンチ『1513年の自画像』(イタリア、1952年)

『聖アンナと聖母子』 ダヴィンチ ルネサンス 『聖アンナと聖母子』 ダヴィンチ ルネサンス ブルンジ

ブルンジ発行

(Virgin of the Rocks)

■『イザベラ・デステ』(Isabella d'Este Gonzaga 1474年5月18日 - 1539年2月13日)は、イタリア・ルネサンス期のマントヴァ侯夫人。文芸を保護したことでも知られる。イザベッラ・デステとも表記される。 フェラーラのエステ家出身。フェラーラ公エルコレ1世・デステとナポリ王フェルディナンド1世の娘エレオノーラ・ディ・ナポリの間に生まれた。16歳でマントヴァ侯フランチェスコ2世・ゴンザーガと結婚。才色兼備で知られ、高い教養と外交手腕を持っていた。 レオナルド・ダ・ヴィンチは1500年、マントヴァに立ち寄り、イザベラの素描を残している。「モナ・リザ」のモデルは、通説ではジョコンダ夫人とされるが、イザベラがモデルだとする研究者もいる。ティツィアーノもイザベラの肖像画を描いている。

『イザベラ・デステ』(フランス)ベアトリーチェ・デステの姉 FDC

『イザベラ・デステ』(フランス) ダ・ヴィンチ FDC

『イザベラ・デステ』(フランス)
ベアトリーチェ・デステの姉

ダ・ヴィンチの人体デッサン

「ウィトルウィウス的人体図」とダ・ヴィンチ自画像(オランダ)

「ウィトルウィウス的人体図」
(ポーランド)

『イザベラ・デステ』(フランス) ダ・ヴィンチ ルネサンス 医療文化100年(日本) 「ウィトルウィウス的人体図」

医療文化100年
「ウィトルウィウス的人体図」

「ウィトルウィウス的人体図」 「ウィトルウィウス的人体図」

『ウィトルウィウス的人体図』(ヴェネツィア・アカデミア美術館蔵)は、1490年頃のレオナルド・ダ・ヴィンチのノートにはCanon of Proportions (プロポーションの法則)が書かれている。このなかの『ウィトルウィウス的人体図』は、当時発見された古代ローマの建築家のウィトルウィウスの「建築論」にある「人体は円と正方形に内接する」という記述を表現している。この図は、レオナルドの描いた中で最もよく引用されるものの一つであり、イタリアの1.00ユーロ硬貨にも用いられている。NTTドコモのクレジット事業、iDのサービスマークにも使用されている。『人体均衡図 Vitruvian Man』。
■『リッタの聖母』(リッタのせいぼ、Madonna Litta )は、1490年から1491年にレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた絵画。聖母マリアの最も古い型とされる。 サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に展示されている。 

『イザベラ・デステ』

『リッタの聖母(Madonna Litta)』

『レダと白鳥』(ダヴィンチ)

ダ・ヴィンチ 『リッタの聖母(Madonna Litta)』(ソ連、1970年)1490-1491年 エルミタージュ美術館

『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』(バーリントン・ハウス・カルトン)(1499 - 1500、ナショナルギャラリー (ロンドン)蔵)

ダ・ヴィンチ 『リッタの聖母』(ソ連、1970年) Madonna Litta 聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ(1499 - 1500、ナショナルギャラリー (ロンドン)蔵 ダ・ヴィンチ

■『聖アンナと聖母子、幼児の洗礼者ヨハネ』(バーリントン・ハウス・カルトン)1499年は、紙にチョークと鉛白( 139.5×101cm London National Gallery 蔵)。 ルイ十二世は、サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ聖堂にあった『最後の晩餐』や、『岩窟の聖母』から深い感銘を受けており、そのため1499年10月、レオナルドに聖アンナ、聖マリア、キリストと幼児の洗礼者ヨハネをモテイィーフとして大画面の作品を注文したと推測される。 ルイ十二世はこれを妻アンヌ・ドゥ・ブルターニュへの贈り物として注文したようだが、結局これは完成しなかった。 それでも全体図が描かれた絵画の原寸大の下絵は残存しており、「バーリントン・ハウス・カルトン」と呼ばれている。 人物達は岩で取り囲まれた風景の中におり、マリアは母アンナの片膝の上に座っている。幼児キリストは、祝福のポーズを取りながら、右横にいる幼児ヨハネに体を向けており、今にもマリアの手から滑り落ちそうである。

『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』が背景、 『白貂を抱く貴婦人』、『モナリザ』、『レダと白鳥』他 ダ・ヴィンチの有名作品

 

■『レダと白鳥』 は、ギリシア神話の主神ゼウスが白鳥に変身し、スパルタ王テュンダレオースの妻であるレダ(レーダー、Leda)を誘惑したというエピソードをもとにした、西洋の彫刻や絵画などにおける題材(モチーフ)。 ギリシア神話では、レダは、カストールとポリュデウケース(ポルックス)のディオスクーロイの双生児、後にミュケーナイ王アガメムノーンの妃となったクリュタイムネーストラー、トロイア戦争の発端の一つとなった絶世の美女ヘレネー(「トロイのヘレン」)の母である。一説では、カストールとクリュタイムネーストラーは人間の夫テュンダレオースの子で、ポリュデウケースとヘレネーは神であるゼウスの子だとされるが、これには色々な説がある。イタリアルネサンス期の古典的官能表現とともに広く取り上げられるモチーフとなった。 ダ・ヴィンチが描いた絵は現存していません。チェザーレ・ダ・セストによる模写があるのみ。 『レダ』は、Staatliche Kunstsammlungen, Kassel, Germany。

レオナルド・ダ・ヴィンチ作 
『受胎告知』

レオナルド・ダ・ヴィンチ作『受胎告知』ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

『岩窟の聖母』(ルーヴル版)(ダ・ヴィンチ)、『秤を持つ聖母』(Cesare da Sesto (1477-1523)による)

■『岩窟の聖母』(がんくつのせいぼ)は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油絵。 ほとんど同じ図柄の絵が2つあり、ひとつは現在パリのルーヴル美術館に、もうひとつはロンドンのナショナルギャラリーに展示されている。中央人物が聖母マリアであり、絵に向かって右端は天使である。 幼児は一方がイエス・キリストで、他方は洗礼者ヨハネであるが、どちらがどちらであるかは議論がある。
■Cesare da Sesto (1477-1523)はルネサンス期の画家で、レオナルド・ダ・ヴィンチの模写が得意だった様です。 右の絵は、『岩窟の聖母』と似てるが「Virgin with Scales」。

■イタリア特別編 [ イタリアのトップミラノヴェローナヴェネツィアフィレンツェドゥオーモヴェッキオ橋ウフィツィ美術館とアカデミア美術館 )|ローマコロッセウムフォロ・ロマーノ )|バチカン市国バチカン博物館ラファエロの間システィーナ礼拝堂 ) ]

レオナルド・ダ・ヴィンチ作 『受胎告知』 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

レオナルド・ダ・ヴィンチ作『受胎告知』ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

■レオナルド・ダ・ヴィンチ作 『受胎告知』 ウフィツィ美術館(フィレンツェ):聖母マリアは、聖胎を貞淑に受けとめる聖母マリアの姿。本主題『受胎告知』は中世〜ゴシック期より最も多く描かれてきた主題のひとつで、父なる神によって遣わされた大天使ガブリエルが主イエスの受胎を聖母マリアに聖告する場面である。
神の使者大天使ガブリエルは、祝福のポーズと共に聖母マリアへキリストの受胎を告げる、神の使者大天使ガブリエル。卓越した表情の描写や画面の構成力、背景の遠近法など、最初期作品とはいえ、画面からは画家の豊かな才能が随所に垣間見れる。

レオナルド・ダ・ヴィンチの立像の足元の弟子達と教授風景 
背景はマリーノ宮・ミラノ市庁舎

レオナルド・ダ・ヴィンチの立像の足元の弟子達と教授風景 レオナルド・ダ・ヴィンチの立像の足元の弟子達と教授風景

ヴェロッキオとダ・ヴィンチ 『キリスト洗礼』 ウフィツィ美術館

ダ・ヴィンチ 『荒野の聖ヒエロニムス』 バチカン美術館

レオナルド・ダ・ヴィンチの立像と
マリーノ宮・ミラノ市庁舎(オペラのスカラ座のスカラ広場)

ヴェロッキオとダ・ヴィンチ 『キリスト洗礼』 <p>レオナルド・ダ・ヴィンチ 『荒野の聖ヒエロニムス』</p> レオナルド・ダ・ヴィンチの立像とミラノ市庁舎(スカラ広場) レオナルド・ダ・ヴィンチの立像とミラノ市庁舎(スカラ広場)

ジャンピエトリーノ

ジャンピエトリーノ(Giampietrino (Giovanni Pietro Rizzoli) )はイタリア生まれのレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子、1500-1540年。ジャンピエトリーノの『マグダラのマリヤ』が有名です。エルミタージュ美術館には『St John』、『Repentant Mary Magdalene 』、『Madonna with Child』が、メトロポリタン美術館には『Diana the Huntress』など多数の作品が残されています。

『聖母子』(ハンガリー、1070年)

『聖母子』(Giovanni、アンチグア)

『聖母子』(ハンガリー、1070年) ダヴィンチの弟子 ジャンピエトリーノ 『聖母子』(アンチグア) giovanni

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レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)と弟子のジャンピトリーの絵画の切手

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