西洋美術切手 ロマン派のフェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワの絵画
フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugene Delacroix, 1798年4月26日 - 1863年8月13日)はフランスの19世紀ロマン主義を代表する画家。 1798年、パリ近郊のシャラントン(現在のサン=モーリス)に生まれた。 ルネサンス以来、新たな色彩感は、すでに、18世紀のヴァトーが打ち出していた。ヴァトーの時代のロココ調の絵画は、宮廷の広間を飾り、王朝の華やかさを表すものであった。 しかし、この18世紀末に勃発したフランス革命により、王朝の夢は、一夜にして崩れ去った。 絵画もまた、ナポレオン皇帝の出現により、古典派へと復古し、新古典主義の風潮に包まれていく。 ドラクロワは、新古典主義の形式主義に挑戦し、ルーベンス、ジェリコー、ミケランジェロの作風に影響を受けた。 東洋趣味に憧れモロッコを旅行し、オリエントの強烈な色彩と風物に感銘し、これを作品にも反映させている。また、作風は情熱的な表現と大胆な色彩を持ち、反アカデミスムに影響を与えた。アングルとはサロンでの入選を競争した永遠のライバルである。しかし、ドラクロワは主題の選択において古典への回帰にこだわっている側面も強い。色彩の魔術師といわれている。
■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリ|ダ・ヴィンチ|ラファエロ|ミケランジェロ|デューラー|ティツィアーノ|ルーベンス|ベラスケス|アングル|エル・グレコ|レンブラント|カラヴァッジオ|フェルメール|ダイク|ドラクロワ|ゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワール|マネとモネ|セザンヌ|ゴーギャン|マチス|ピカソ|ダリ|葛飾北斎|安藤広重|クリムト|シャガール|モディリアーニ|ミュシャ ] |
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フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ |
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『十字軍のコンスターチノープル入城』(フランス) ルーヴル美術館 |
『モロッコ馬に鞍を付ける』 |
ドラクロワ画 |
『天使とヤコブの戦い』 |
『フランスのルーヴル美術館写真集』にも実部写真や他の絵画写真を掲載しています。 |
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■『十字軍のコンスターチノープル入城』:西側のキリスト教会は、東方正教会を信用していなかった。東方正教会を罰し、服従させるために、西側は第4次十字軍をビザンチンの首都コンスターチノープルに送り、攻撃した。1204年、ビザンチンは降伏した。この作品は、フランスの総司令官ボードアン伯が、軍馬に乗って入場する場面である。 勝利者の前には、降伏を叫び片手を上げる老人、仰向けになった女の屍、子を抱いて慈悲を乞うトルコ人。 血なまぐさい光景が広がる。 中景にはローマ風の建物。その後方にはボスフォロスの海が青く広がり、空には暗雲がたなびく。 切手は絵画の一部分。 |
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ドラクロワ・民衆を導く自由の女神(ルーヴル美術館の本物) |
ベトナムで発行された『民衆を導く自由の女神』小型シート |
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ドラクロワ画 『オダリスク』 |
『民衆を導く自由の女神』 |
セントヴィンセント・グレナディーンで発行された 1830年 |
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■『キオス島の虐殺(Scenes des massacres de Scio』)は、ウジェーヌ・ドラクロワ初期の問題作『キオス島の虐殺(死あるいは隷属を待ち受けるギリシア人の家族)』。本作は1820年にオスマン帝国(オスマン・トルコ)の圧政支配に抗う形で会戦した≪ギリシア独立戦争≫時の実話で、1822年4月に起こったオスマン・トルコ軍によるキオス島住人に対する虐殺的行為を描いた非常に社会性の強い作品である。この年、1824年1月、ジェリコーが落馬が原因でこの世を去った。ドラクロワを理解してくれた数少ない先輩の一人である。ジェリコーの『メデュース号の筏』で、進んでモデルを努めたのも、ドラクロワであった。彼は悲嘆に暮れた。これ以後、ドラクロワは、全く孤独の道を歩まざるを得なくなる。 |
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ドラクロワ画 |
ドラクロワ画 『十字軍のコンスタンティノポリス占拠(十字軍のコンスタンティノープル入城)』 |
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『民衆を導く自由の女神−1830年7月28日』小型シート(ルーヴル美術館) 1982〜90年に発行された「普通切手/自由の女神」9種 |
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■『民衆を導く自由の女神−1830年7月28日(La Liberte guidant le peuple - Le 28 juillet 1830)』(ルーヴル美術館)は、国民の支持を失っていた国王シャルル10世が、言論の自由を奪う勅令を出したことが引き金となり1830年に起こった、所謂7月革命が題材の、画家自身が体験し描いた歴史画。その歴史的背景と価値を考慮し、フランス国家が買上げることになった。「自由」「平等」「博愛」の意味を持つ、後にフランス国旗となる青・白・赤色(トリコロールカラー)の旗を掲げる女神は、争いの暗い影に光をもたらす存在として描かれるほか、民衆の、死してなお自由を求める力強さは圧巻の一言である。また民衆の同胞の死体を乗り越え前進するという、この革命でおこなられた自由を求める争いの凄惨さを、ドラクロワが克明に描いたことは特に注目すべき点である。7月革命後、王政復古で復活したルイ18世のブルボン朝は失脚し、ブルジョワジーの推すルイ・フィリップが王位に付くことになったほか、この革命は、ベルギー、イタリア、ポーランドなどの国々へ民族運動を発起させる切っ掛けを与えた。 |
フランス発行(1999年3月26日)「フィレックスフランス’99」小型S |
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ドラクロワ 『キオス島の虐殺』 ルーヴル美術館 |
ドラクロワ画 『アルジェの女たち』 ルーヴル美術館 |
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■『アルジェの女たち』は、モロッコを訪れた後、最後の数日間滞在したアルジェリア最大の都市≪アルジェ≫の≪ハーレム(イスラム圏内における女性居室を指す)≫に住まう女たちを描いた異国情緒溢れる作品である。画面の中央へは2名、左側へは1名ハーレムの女らが配されているが、その様子はハーレム特有の気だるさと官能的な風俗性に富んでいる。彼女らが身に着ける豊かな色彩と文様による異国的な衣服は独特の情緒と異国的雰囲気を感じさせ観る者を強く惹きつける。さらに画面右側には女たちの従者である黒人女性が配され人物的対比が示されている。このような異国独特の風俗性や官能性、さらには東方的主題の扱いなども特筆に値するものであるが、本作で最も注目すべき点は類稀な色彩の妙にある。画面右上から差し込む北アフリカの強烈な陽光によって光と影の強い対比が示されているが、ドラクロワはその陰影の中に多様な色彩を見出し、色彩による対比でもそれを描写している。 |
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ドラクロワ画 『自画像』、『女とオウム(オダリスク、おうむと女) |
ドラクロワ画 『サルダナパロスの死(サルダナパールの死)』 |
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■ウジェーヌ・ドラクロワが手がけた裸婦作品の傑作『女とオウム(オダリスク、おうむと女)』。1827年に制作されたドラクロワの裸婦作品の中で最も有名なもののひとつとして数えられる本作は、ドラクロワの女性像の重要な着想元となった≪ロール嬢≫を裸婦のモデルに制作された作品で、彼女はほぼ同時期に画家が手がけた『ミソロンギの廃墟に立つギリシア』でもモデルを務めている。 |
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『女とオウム(オダリスク、おうむと女)』の画面中央に配されるやや緑色を帯びた青色の長椅子にゆったりと横たわる裸婦は左手を床に着くほどだらりと脱力させ、やや節目がちに視線を傾けながら、一羽の鸚鵡(おうむ)へと手を伸ばしている。裸婦の脚は左足を上にして組まれているが、下となる右足は質の良さを感じさせる光沢を放つ座布団(クッション)の上に置かれている。裸婦の身に着ける腕輪、頭部の面紗(ベール)、首飾り、そして柔らかく座る長椅子や鸚鵡などは当時の東方趣味の影響と吸収を感じさせるものの、本作において、より注目すべき点はその色彩の豊かさにある。裸婦のしなやかで丸みを帯びた身体へ落ちる微妙な陰影の変化がドラクロワが使用する色彩を効果的に引き立て、繊細な印象を与えつつ、流動的でやや大ぶりな筆触によって女性の姿には華やかな生命力を見出すことができる。 |
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ドラクロワ画 『白い靴下の裸婦(白靴下の女)(Femme aux bas blancs)』ルーヴル美術館 |
ドラクロワ画 『女とオウム(オダリスク、おうむと女) |
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■『白い靴下の裸婦(白靴下の女)』。1832年のサロン出品作としても知られる本作は、白い靴下を履いたベッドに横たわる官能的な裸婦を描いた作品。『白い靴下の裸婦(白靴下の女)』では、画面左上から対角線上となる右下へと頭部から足先が流れるような配置で裸婦が配されており、画面中央部には裸婦の女性面を最も感じさせる下腹部が、女性の丸みを帯びた身体の特徴を強調するかのように描き込まれている。両腕で頭を抱えるような仕草をみせる裸婦の官能的な姿はしばしば18世紀スペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤの『裸のマハ』と比較されるが、対角線上に配される裸婦の姿態は画面の中へ躍動感を与える効果を発揮しており、観る者を誘うかのような裸婦の肉感と刺激性を強調させている。 |
『ウジェーヌ・ドラクロワの肖像(自画像)』(ガンビア) |
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『民衆を導く自由の女神−1830年7月28日』ルーヴル美術館 |
『ウジェーヌ・ドラクロワの肖像(自画像)』(フランス) |
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1830年の七月革命に際しては、有名な『民衆を導く自由の女神』を制作している。この絵画は彼の肖像と共に、旧フランス・フランの100フラン紙幣に描かれたこともあった。 |
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ドラクロワ画 『』、『』、『』 |
ドラクロワ 『ミソロンギの廃墟に立つ瀕死のギリシャ』、『民衆を導く自由の女神−1830年7月28日』ルーヴル美術館、『』 |
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ドラクロワ 『ハムレットと2人の墓穴掘り人夫』ルーヴル美術館、『ウジェーヌ・ドラクロワの肖像(自画像)』、『モロッコのスルタン』 |
『民衆を導く自由の女神−1830年7月28日』ルーヴル美術館 |
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■『ミソロンギの廃墟に立つ瀕死のギリシャ』ボルドー美術館 |
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シエラレオネで発行されたルーヴル美術館のウジェーヌ・ドラクロワの絵画(1993年) |
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『十字軍のコンスタンティノポリス占拠 |
『モロッコのユダヤ人の結婚式(jews purchasing brides in morocco)』 |
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『サルダナパロスの死(サルダナパールの死)』・ルーヴル美術館 |
『民衆を率いる自由の女神』・ルーヴル美術館 |
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■『サルダナパロスの死(サルダナパールの死)』は、19世紀初頭に活躍した英国を代表する詩人ジョージ・ゴードン・バイロンの詩集(戯曲)≪サルダナパロス≫に主要な着想を得ながら、同詩集の内容を大きく改変させた光景として描かれた作品である(※サルダナパロスは古代ギリシアにおける古代アッシリア帝国サルゴン朝の最後の王アッシュール・バニパルの異名である)。バイロンの詩集で扱われるサルダナパロスは、支配下の民衆のための益を望んだ王であり、反乱軍の謀略によって失墜する王の最後は、毅然と態度を崩さず自ら火葬の階段を登ってゆく高貴な姿で書き出されているものの、本作に描かれるサルダナパロスは全く逆の様子である。画面上部中央より左側へ配されるサルダナパロスは、鮮やかな赤色の敷布で覆われ黄金の象で装飾された寝具で片肘を突き寝そべりながら周囲の光景を無表情・無感情で眺めている。その周囲では己の死の後に存在することを許さなかった王の命令によって、臣下や近衛兵、奴隷らが、サルダナパロスの財宝を破壊し、寵姫や寵馬など王の快楽のための全ての者や動物を殺害する極めて暴力的な様子が近景として克明に描かれている。 |
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『墓地の孤児(墓場の少女)』、『アルジェの女たち』 |
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■『ダンテの小船(地獄の町を囲む湖を横切るダンテとウェルギリウス)』は、1822年、ドラクロアが24歳のときの作品である。この年のサロンに、初めて入選した作品でもある。ダンテの『神曲』の「地獄扁(第八歌)」から主題を取っている。地獄の町ディテの城壁の周りにある湖を、ダンテとヴェルギリウスが渡るところである。亡霊たちが、小船に乗り込もうとして、あえいでいる。壮烈な場面である。作品は賛否両論分かれた。ある批評家は「ごてごてした下手くそな絵」と言い、ある批評家は「詩的な想像力を持っていて、野蛮で激しいが、魅力的」だと言った。 このような、劇的な表現は当時は奇異であった。古典派の絵画では考えも及ばぬ情景を描いたのである。 |
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『ウジェーヌ・ドラクロワの肖像(自画像)』、『キオス島の虐殺(Scenes des massacres de Scio)』、 |
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■『フレデリック・フランソワ・ショパンの肖像』は、19世紀前半期を代表するポーランド出身のロマン派の作曲家兼ピアニストで、そのピアノ曲は古今東西のピアニストらにとっては最も重要なレパートリーのひとつとして数えられる≪フレデリック・フランソワ・ショパン≫を描いた作品で、本来はオードロップゴー美術館(デンマーク王立美術館)に所蔵されるショパンと極めて近しい関係にあったフランスの女流作家≪ジョルジュ・サンド(ショパンとの関係はマジョルカ島への逃避行の逸話でも良く知られている)≫の肖像画と合わせて一枚の作品であったことがルーヴル美術館に残されるデッサンによって判明している。ショパンは1831年、パリに来てから有名になった。ジョルジュ・サンド(フランスの小説家)と知り合い、1849 年、結核で亡くなるまで彼女とともにいた。 |
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ドラクロワの動物絵画 |
コンゴ、モーリタニア、ニジェールの動物、1973年 |
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ドラクロワ 『白い馬』 |
ドラクロワ 『眠るライオン』 |
ドラクロワ 『ライオンとトラ』 |
■ドラクロワは、1832年、フランス政府の外交使節に随行する記録画家としてモロッコを訪問した。1834年の『アルジェの女たち』は、モロッコ旅行の際のデッサンをもとに制作したものである。その時に多数の動物を見たものと思います。 |
ドラクロワ |
ドラクロワ |
ドラクロワ |
ドラクロワ『母親と戯れる若い虎』 ルーヴル美術館 |
その他美術関係の切手・写真(切手が主体) |
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ロマン派 フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワの絵画 |
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