サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli)と師フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi)の絵画の切手
初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派の代表的画家サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli、1445年3月1日? - 1510年5月17日)の絵画の切手です。 彼は13歳で金細工の工房に弟子入りし、15歳になると 画家を目指し、フィリッポ・リッピの工房に入る。 当時、画家フィリッポ・リッピ(Fra
Filippo Lippi)は、聖母を描かせたら右に出る者はいないと評判を取った名人だった。 当初古典的な聖書画を描いていたボッティチェッリの作風はルネサンスらしいおおらかで甘美な人間賛美に変わって行き、代表作
『春・プリマヴェーラ』、『ヴィーナスの誕生』が描かれる。 また、ダンテ『神曲』の挿画も担当し、彼の絵はフィレンツェを熱狂させた。 ボッティチェッリの本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピというが、兄が太っていたことから『ボッティチェリ』(小さな樽)という意味のあだ名が付いた。 ボッティチェルリ、ボッティチェリ、ボティチェリなどと表記されることもあります。 ボッティチェッリの絵画は、『東方三博士の礼拝』と『聖母』が多い事に気付きます。 夫々が名画と言われています。 ボッティチェッリの師匠のフィリッポ・リッピについては最下段に収録しました。 リッピは聖母像などに見る甘美な女性像が得意です。(ルーブル美術館:日本語解説、ウフィツィ美術館)
索引 [ ボッティチェッリ|フィリッポ・リッピ ]
■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリ|ダ・ヴィンチ|ラファエロ|ミケランジェロ|デューラー|ティツィアーノ|ルーベンス|ベラスケス|アングル|エル・グレコ|レンブラント|カラヴァッジオ|フェルメール|ダイク|ドラクロワ|ゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワール|マネとモネ|セザンヌ|ゴーギャン|マチス|ピカソ|ダリ|葛飾北斎|安藤広重|クリムト|シャガール|モディリアーニ|ミュシャ ] |
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ボッティチェッリ 『ヴィーナスの誕生』 フィレンツェ ウフィツィ美術館 |
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■シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチ (Simonetta Cattaneo Vespucci,1453年 - 1476年4月26日)は、ジュリアーノ・デ・メディチの愛人。フィレンツェ一の美女として讃えられ、長らくサンドロ・ボッティチェッリ作『ヴィーナスの誕生』のヴィーナスのモデル、他の彼の作品でもモデルとなったといわれてきた。ピエロ・ディ・コジモも彼女の肖像画を描いた。存命中、彼女に触発され詩や絵画が創り出された。彼女の出生地については諸説あり、ポルトヴェーネレやジェノヴァが挙がっている。15歳で、マルコ・ヴェスプッチ(探検家アメリゴ・ヴェスプッチの遠縁にあたる)と結婚。ヴェスプッチ家を通してボッティチェッリに見いだされ、彼女を描くために多くの画家たちがフィレンツェにやってきた。彼女の絵を賭けたトーナメントにジュリアーノが応募し、勝ち抜いた彼がシモネッタの恋人となった。2人が出会ってわずか1年後に、シモネッタは肺結核で死んだ。ボッティチェッリが『ヴィーナスの誕生』を完成させたのは、それから9年後のことであった。 |
『ヴィーナスの誕生』ウフィツィ美術館 |
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『ヴィーナスの誕生』 (タジキスタン) ウフィツィ美術館 |
■『ヴィーナスの誕生』は、ボッティチェッリの代表作で、天の国から『愛』という贈り物を持ってきたヴィーナスが、我々の国の岸辺へと漂い着いた姿を表現した作品。ウェヌス(Venus)は、ローマ神話の愛と美の女神。日本語では英語読み『ヴィーナス』と呼ばれる事が多い。本来は囲まれた菜園を司る神であったが、後にギリシア神話におけるアプロディテと同一視され、愛と美の女神と考えられるようになった。一般には半裸或いは全裸の美女の姿で表される。ウェヌスは固有の神話が残っておらず、ローマ神話でウェヌスに帰せられる神話は本来アプロディテのものである。 |
『東方三博士の礼拝』と『東方三博士の礼拝』に書き込まれた |
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『薔薇園の聖母、 |
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『聖母子と少年聖ヨハネ ルーヴル美術館 |
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『洗礼者ヨハネ』聖母子と二人の聖ヨハネ(バルディ祭壇画)》(1484〜85年、ベルリン国立絵画館) |
ボッティチェッリ |
ボッティチェッリ |
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■祭壇画『聖母子と二人の聖ヨハネ(バルディ祭壇画)』(1484〜85年、ベルリン国立絵画館) メディチ銀行イギリス支店の支店長をしていたジョヴァンニ・ダニョーロ・デ・バルディがフィレンツェに戻り、私設礼拝所のために注文した作品。ジョヴァンニはヨハネのイタリア語読みで、洗礼者はフィレンツェの守護聖人だったことから聖母子の右側にいる。画面に描かれている植物に赤いリボンが付けられ、そこにマリアを讃える章句が書かれている。北ヨーロッパで盛んになっていた「無原罪の御宿り」の教義の影響が見られる。 |
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『The Mystic Nativity』 |
ボッティチェッリ |
ボッティチェッリ・『若い婦人(ジョアンナ・デリ・ビッツィ)に贈り物をするヴィーナスと3美神』 |
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『書斎の聖アウグスティヌス』 |
『花の女神・フローラ』 |
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■『書斎の聖アウグスティヌス (Sant' Agostino nello studio)』:聖人『聖アウグスティヌス』は4世紀から5世紀にかけて活動をおこなったラテン教会四大博士のひとりで11世紀に創設された聖アウグスティノ教会の教祖としても知られる、キリスト教で最も著名な聖人のひとりであるが、ボッティチェッリは本作では牧歌的で大らかな人文主義的傾向を逸脱し、精神的な不安定を感じさせる人物の表情などに1478年に起こったジュリアーノ・メディチ暗殺事件の影響が感じられる。 |
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システィナ礼拝堂側壁のフレスコ画から、『モーセの試練』の部分 左側 ボッティチェッリ バチカン博物館の書籍を参考 |
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■1482年教皇シクストゥス4世の依頼によって描かれたシスティナ礼拝堂側壁のフレスコ画から、『モーセの試練』、『キリストの試練』の中に描かれているボッティチェッツ独特の柔らかな線描で描かれた優美な女性の顔部分と背景をコラージュしたデザイン。(ヴァチカン、2010年) |
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システィーナ礼拝堂壁画(1481-83年、バチカン) ボッティチェリ |
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『東方三博士の礼拝』 |
『モーセの試練』 |
『反逆者たちの懲罰(コラ、ダタン、アビラムの懲罰)』 |
『キリストの誘惑と癩病者の浄め』 |
実際のルーヴルの名画 ボッティチェリ |
実物 ボッティチェリ 『聖母子と五人の天使』 ルーヴル美術館 |
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■『聖母子と五人の天使』は、ボッティチェリの若い頃(23歳)の作品とされる。構図はまだぎこちないが、ボッティチェリ的な繊細なデザインが随所に窺える。1469年頃、板にテンペラ、58x40cm。 『春(ラ・プリマベーラ) (La Primavera)』の右側には春を告げる西風の神、ゼピュロスとゼピュロスに追われる花を象徴する女神、クローリスが描かれています。西風ゼビュロスから逃れることができず、ついに陵辱されてしまったクローリスは、当時の解釈では後、ゼビュロスの妻となり、花の女神フローラへ変身したとされていました。未通の乙女クローリスと、成熟し花の女神となったフローラが同時に描かれています。 |
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『San Barnabaの祭壇画(サン・バルナバの祭壇画)』 、 |
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『聖母子と若き洗礼者聖ヨハネ・サンドロ(Virgin and Child with John the Baptist)』 ルーヴル美術館 |
『キューピッド』(ガーナ、1997年) |
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『受胎告知』FDC(イタリア,2001年) ウフィツィ美術館 |
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日本におけるイタリア 『受胎告知(Annunciation )』 |
■『プリマヴェーラ』(伊: Primavera)は、ルネサンス期のイタリア人画家サンドロ・ボッティチェッリが1482年頃に描いた絵画。この作品を鑑賞する流れは向かって右から左である。(春を告げる西風の神)ゼピュロスが3月の冷気を吹き飛ばし、ニンフのクローリスを拉致して自分のものにしようとしている。後に彼(ゼピュロス)と結婚した彼女(クローリス)は神の地位へと引き上げられ、春の女神(フローラ)となってバラの花を大地へと撒き散らしているのである。真紅の布をまとうマーキュリーは、荒天をもたらす雲からオレンジ園を守っている。中央にいるのは女神ヴィーナス。 |
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『春(ラ・プリマベーラ、La Primavera)』 ボッティチェッリ フィレンツェのウフィツィ美術館 |
『花の女神・フローラ』 |
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ボッティチェッリ、イエメン発行 |
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『春(ラ・プリマベーラ、La Primavera)』 ボッティチェッリ(フランス、2010年) フローラと三美神 |
the manner of Alessandro Botticelli 'Mater Admirablis'. 聖母子 マルタ,2009. |
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フランスの写真はこちら |
『春(ラ・プリマベーラ) (La Primavera)の中の3美神』(モナコ発行) |
『受胎告知』(日本、2001年) |
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若い婦人に贈り物をする |
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『ビーナスの誕生』(日本、2001年) |
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『春(ラ・プリマベーラ、La Primavera)の中の3美神』 ボッティチェッリ ウフィツィ美術館 |
『春(ラ・プリマベーラ、La Primavera)の中の3美神』 : 中に描かれる春の≪女神プリマヴェーラ≫≪花の女神フローラ≫≪西風ゼフェロス≫は、≪春の女神プリマヴェーラ≫を≪花の女神フローラ≫と、≪花の女神フローラ≫を≪クロリス(フローラの別名称)≫と解釈されることもある。さらにアグライア(輝き)、エウフロシュネー(喜び)、タレイア(花の盛り)を意味する幾多の画家が描いてきた三美神の描写は、ルネサンス期の絵画作品の中でも特に優れており、ラファエロの描いた三美神と共に、卓越した表現や図像展開からルネサンスを代表する三美神として広く認知されています。 |
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『春(ラ・プリマベーラ)』(サンマリノ発行) 女神ヴィーナス、三美神、春の女神プリマヴェーラ |
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■ボッティチェッリは、春(ラ・プリマベーラ) (La Primavera)の中で、愛と美の女神ヴィーナスを中心に、左にヘルメス・三美神、右に春の女神プリマヴェーラ・花の女神フローラ・西風ゼフェロスを配する本作に描かれる主題は、≪ヴィーナスの王国≫と推測されている。中央に配される着衣のヴィーナス(左の切手では赤い衣の女性)は『世俗のヴィーナス』を表わしているとされている(『ビーナスの誕生』に描かれている裸体のヴィーナスは『天上のヴィーナス』を表すとされている。 また、ボッティチェリの名は19世紀イギリスのラファエル前派に注目されたことから名声が広まっているという経緯がある。 |
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『『聖母子と2天使』 1470 ナポリ、カポディモンテ美術館 |
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『ヴィーナスとマルス』の部分 |
『ヴィーナスの誕生』 |
『誹謗(ラ・カルンニア)』 |
ボッティチェッリ |
ボッティチェッリの聖母子 |
『聖母子と少年聖ヨハネ |
『プリマベーラの中の3美神』 |
サンドロ・ボッティチェリ |
■ボッティチェッリの代表的な神話画作品のひとつ『ヴィーナスとマルス (Venere e Marte)』ギリシア神話のアフロディーテと同一視される愛と美と豊穣の女神ヴィーナスと、主神ユピテルと正妻ユノの子でありギリシア神話におけるアレスと同一視される軍神マルスの蜜月関係と考えられている。女神ヴィーナスの流麗な曲線で描かれる輪郭線や品位を感じさせる白地を用いた肌や衣服、軍神マルスの男性的な身体描写など最高潮に達した画家の優れた力量が存分に示されている。 |
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『受胎告知(Annunciation )』 |
ボッティチェッリ 『受胎告知』 ウフィツィ美術館 |
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受胎告知は『ルカ福音書』(1章26〜38節)に記されているように、神の使者たる大天使ガブリエルが処女マリアにキリストの懐妊を告げ知らせる物語を主題にした、キリストの幼児物語のなかで最初に位置し、キリスト教美術でももっともよく知られた場面になっている。フィレンツェのウフィツィ美術館。 |
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『マニフィカトの聖母』 |
『聖母子』(ブルンジ、1974年) |
ダンテ生誕700年(ヴァチカン市国、1965年、ボッティチェッリ |
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マニフィカトの聖母(1483-85年、フィレンツェのウフィツィ美術館蔵) |
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■マニフィカトの聖母 (Madonna del Magnificat) 作品中で開かれる書物に聖母マリアを称え誉める歌『マリア頌歌』、通称『マニフェカト』が記されることから作品の題名となり『マニフィカトの聖母』と呼ばれるようになった。ウフィツィ美術館(フィレンツェ) |
ボッティチェッリ |
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ボッティチェッリ |
ボッティチェッリ |
『柘榴(ザクロ)の聖母 』 |
ボッティチェッリ ウフィツィ美術館蔵 |
ボッティチェッリ『本の聖母(Madonna del Libro)』 |
『天蓋の下の聖母(聖母戴冠)』 |
『聖母子と2天使』 1470 |
『バルディの聖母』=『聖母子と二人の聖ヨハネ(バルディ祭壇画)』 |
天蓋(てんがい)とは、貴人の寝台や玉座、祭壇・司祭座などの上方に設ける織物のおおい。 |
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『神秘の降誕』 ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
『東方三博士の礼拝』 |
ボッティチェッリ 『神秘の降誕』 ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
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『神秘の降誕』は、師匠フィリッポリッピの絵画『東方の三博士の礼拝』とそっくりです。 また聖母マリアの顔も似ていますね。 |
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『Madonna & Child with two |
『聖母子と少年聖ヨハネ |
ボッティチェッリ |
ボッティチェッリ |
ボッティチェッリ絵画の背景にある思想的なもの(Wikipediaから引用) |
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ボッティチェッリは新プラトン主義者たちの友人となり、この考えを完全に認めたため、彼らにより理論化された美を、自らのメランコニックで観照的な性格により、個人的な解釈加えながら、視覚的に表現することができた。 |
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『キリストの死への哀悼』(ポルディ帥yッツォーリ美術館)、『ヴィーナスの誕生』(ウフィツィ美術館)、 |
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■『ビーナスの誕生(Nascita di Venere)』の主題は古代アペレスの失われた名画『海から上がるヴィーナス』を復元したもの。『プリマヴェーラ』では花の女神、フローラとして、また、ヴィーナスの誕生では海から生まれでるヴィーナスとして描かれているのは、当時、メディチ家ジュリアーノ・デ・メディチの愛人であり、フィレンツェ一の美人として画家や詩人の賞賛を浴びていたシモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチ
/Simonetta Cattaneo Vespucci (1453-1476)です。ボッティチェッリによって彼女の美しさはこの2作品によって500年以上も伝えられてきました。 |
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ボッティチェッリ 『受胎告知』(ウフィツィ美術館)、『春(プリマヴェーラ)』(ウフィツィ美術館)、 |
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ボッティチェッリ 『神秘の降誕 キリストの降誕(nativity)』 1501年 108.5×75cm | テンペラ・板 | |
本作においては主題よりも、老いたボッティチェリがサヴォナローラからの宗教的影響を受け孤立した存在ゆえの激しい感情に満ちた表現に注目したい。画面上部(切手は一部のため写っては居ません)にはギリシア語で謎めいた銘文が以下の内容で記されている。「私アレッサンドロはこの絵画を1500年の末、イタリアの混乱の時代、ひとつの時代とその半分の時代の後、すなわち聖ヨハネ第11章に記される3年半の間悪魔が解き放たれるという黙示禄の第2の災いの時に描いた。そして悪魔はその後、第12章で述べられるよう鎖につながれこの絵画のように≪地に落とされる≫のを見るのであろう」。この銘文は友愛の精神と祈りによって罪悪が裁かれることを意味しており、画面全体を支配する激しい感情性や宗教的古典表現などの多様性は、フィレンツェ派の中で孤高の画家となったボッティチェリの内面における瞑想の表れである。なお本作は画家の作品中、唯一年記がされる作品でもある。(Salvastyle.com より転載) |
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『神秘の降誕(nativity)』は、 神の子イエスが聖胎した聖母マリアの御身体から |
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ボッティチェッリ 『キリストの死への哀悼』、『ヴィーナスとマルス』、『ユディットの帰還』 ほか |
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Venus and Mars is a painting by the Italian Renaissance master Sandro Botticelli, dating from c. 1483. The work shows the Roman gods Venus and Mars in an allegory of Beauty and Valour. Mars sleeps, watched by Venus, while two infant satyrs play with his armour and another rests under his arm. A fourth blows a conch shell in his ear in an effort to wake him. |
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ボッティチェッリ 『ヴィーナスとマルス』 ロンドン・ナショナル・ギャラリー 拡大× |
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■『ヴィーナスとマルス』:ヴェスプッチ家の依頼により寝台の装飾画として描かれたと推測される本作に描かれているのは、ギリシア神話のアフロディーテと同一視される愛と美と豊穣の女神ヴィーナスと、主神ユピテルと正妻ユノの子でありギリシア神話におけるアレスと同一視される軍神マルスの蜜月関係と考えられている。なお一部では女神ヴィーナスはシモネッタ・ヴェスプッチを、軍神マルスはジュリアーノ・デ・メディチをモデルに描かれたとする説が唱えられている。火星(マルス)はセックスをつかさどり、女性にとっての恋人像をあらわす。ヴィーナスとマルスはギリシャ神話の代表的なカップルの一つだけれど、ヴィーナスにはウルカノスという夫がいるのだから、いわば不倫のカップルです。 |
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ボッティチェッリ 『マニフィカトの聖母』(Madonna del Magnificat) |
ボッティチェッリ 『Madonna del Libro』 1480年 |
ボッティチェッリ 『Madonna and Child (Madonna della Loggia) 』1467年 |
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ミラノ・ポルディ・ペッツォーリ美術館 マニフィカトの聖母 に類似 |
ウフィッツィ美術館 |
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ボッティチェッリ 『聖母子、幼い洗礼者ヨハネと2天使』 |
ウフィツィ美術館 『春(プリマヴェーラ)』の三美神 拡大○ |
ウフィツィ美術館 『聖母子(薔薇園の聖母』 ボッティチェッリ |
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Madonna of the Rosegarden (Madonna del Roseto) 1469-70 |
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ボッティチェッリ 『ホロフェルネスの遺骸の発見』、『ユディットの帰還』 二連画 ウフィツィ美術館資料より 拡大○ |
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『ホロフェルネスの遺骸の発見』、『ユディットの帰還』 臣下たちのさまざま身振りは、驚き、失望、恐怖などを表している。ホロフェルネスの部下たちや馬までもが「これはどうしたことだ」と首ナシ死体を覗き込んでいている。ユディットは進みながら一瞬動きを止め、侍女アブラはホロフェルネスの首を頭に乗せている。安堵感を感じさせる。 ただユデイットの持つ刀で首が切れるか少し不安です。 |
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サンドロ・ボッティチェッリ Sandro Botticelli |「聖ゼノビウスの三つの奇跡」 Three Miracles of St Zenobius メトロポリタン美術館 |
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サンドロ・ボッティチェッリ Botticelli (Alessandro di Mariano Filipepi)| |
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フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi)の絵画 ・・ ボッティチェッリの師 と息子のフィリッピーノ・リッピ(Filippino Lip) |
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フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi, 1406年 - 1469年10月8日)はイタリア、ルネサンス中期の画家。フラ・アンジェリコとともに、15世紀前半のフィレンツェ派を代表する画家。ボッティチェッリの師でもあった。幼くして孤児になったリッピはカルミネ派修道院で育てられ、修道士となった。絵画の師はロレンツォ・モナコとされているが、フィレンツェの先輩画家で夭折したマサッチオの作品からも影響を受けている(マサッチオはリッピが所属していたカルミネ派の教会に代表作『貢の銭』などの壁画を描いていた)。リッピの初期の作品にはゴシック風の堅さがあるが、やがてマサッチオ風の現実感ある空間・人体表現が現われる。聖母像などに見る甘美な女性像はリッピの特色である。 リッピの弟子にはサンドロ・ボッティチェッリがいる。子供のフィ リッピーノは孫弟子? リッピの描く女性ってのは本当に可憐で魅力的ですね。 |
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『フィリッピーノ・リッピの自画像』 リッピの息子(イタリア) |
1973年モナコで発行されたFilippo Lippi(フィリッポ・リッピ)の絵画 |
女神のステンドグラス |
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フィリッポ・リッピの学校 『東方三博士の礼拝 |
15世紀のフランドルの学校 |
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『聖母子』 |
『聖母子と二天使』 |
フィリッポ・リッピ |
フィリッポ・リッピ 『森の聖母』 |
■『幼子キリストの礼拝 (Adorazione del Bambino)』 1453年頃、137×134cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ) |
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『聖母子』 |
『聖母子』 |
『聖母子』(リッピ、USA) |
フィリッポ・リッピ ウフィツィ美術館 |
◎フィリッポ・リッピは、フラ・アンジェリコとともに、15世紀前半のフィレンツェ派を代表する画家である。フラ・アンジェリコが敬虔な修道士であったのとは対照的に、リッピは何人もの女性と浮名を流す恋多き男で、修道女と駆け落ちするなど奔放な生活を送ったことで知られる。代表作としては、@聖母戴冠(1441-44年頃、ウフィツィ美術館所蔵)、A東方三博士の礼拝(1445-50年頃、ナショナル・ギャラリー
(ワシントン)所蔵)、B受胎告知(1440年代、アルテ・ピナコテーク)、C聖母子と二天使 1460年代 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)、D受胎告知(1450年代)(ロンドン、ナショナルギャラリー
(ロンドン)) 、Eヘロデの宴(1452−64)(プラート大聖堂壁画) がある。レオナルド・ダ・ヴィンチの岩窟のマドンナは、彼のゴシック的な設定が影響している。 |
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代表作『聖母子と二天使』 (フィリッポ・リッピ、ミクロネシア) |
『聖母子』 |
『東方三博士の礼拝』 フィリッポ・リッピとフラ・アンジェリコ |
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フィリッポ・リッピ 『聖母戴冠((Incoronazione della Vergine)』 1441-44年頃、ウフィツィ美術館所蔵) ウフィツィ美術館資料より |
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■ サント・アンブロージオ聖堂、主祭壇画(1143-47)は、右端に洗礼者ヨハネがいる。その足元で膝を折って、祈っている人物は、この祭壇画の発願者で、この聖堂の参事会員フランチェスコ・マリンギ。 聖母マリアが天の女王の冠を授けられている場面が中央だが、冠を手に持っているのはキリストではなく、父なる神。これは特異な主題解釈。 |
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◎フィリッピーノ・リッピ(Filippino Lippi,1457年 - 1504年4月)はイタリアの画家。フィリッポ・リッピの息子。母は父の聖母子像のマリアのモデルにもなったルクレツィア・ブーティ。 トスカーナ州のプラートで生まれる。父の弟子であったサンドロ・ボッティチェリに師事。父同様画家となり、メディチ家お抱えになった。特に、ボッティチェリと共にフィレンツェの黄金期を築いたロレンツォ・デ・メディチに贔屓にされた。 |
フィリッポ・リッピと助手たち |
フィリッポ・リッピ 『聖母子とマリア誕生の物語(トンド・ピッティ)』 フィレンツェ ピッティ宮殿 拡大 |
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フィリッポ・リッピ 『ヘロデの饗宴』 1452-66年頃 |
フィリッポ・リッピとピエトロ・ベルジーノ 『十字架降下』 |
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◎1452年、リッピはフィレンツェの北西20キロにあるプラートの大聖堂の壁画制作を委嘱され、1464年頃までこの仕事に携わっている。洗礼者ヨハネ伝と聖ステファノ伝を主題としたこの壁画は現存し、リッピの代表作と見なされている。この壁画制作期間中の1456年にはプラートのサンタ・マルゲリータ修道院の礼拝堂付き司祭に任命されている。当時リッピは50歳前後の壮年である。 |
リッピMC 『聖母子』パラッツォ・メディチ=リッカルディ、フィレンツェ |
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フィリッポ・リッピ 『聖母子と二天使』 |
フィリッポ・リッピ 「聖母子」 |
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Madonna and Child, ca. 1485|Filippino Lippi フィリッポリッピ |
フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi) 2天使を伴う玉座の聖母子 |
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その他美術関係の切手・写真(切手が主体) |
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ボッティチェッリ『神秘の降誕』(1501、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)
ボッティチェリ最後の作品。地上で抱きあう天使と若者の部分。