日本の絵画切手(美術家別) ラ行、ワ行
日本の絵画や人形・彫刻等の美術切手(美術家別、ラ行とワ行)です。 美術家がハッキリしている絵画や浮世絵だけでなく水墨画・日本画・油絵・版画・彫刻等多数掲載してます。 繊細な筆タッチだけでなく、やはり日本人の感性に訴えるものがあります。 奈良時代から平安時代にかけて、中国や朝鮮半島などから渡来した技法や様式、あるいはそれに倣い日本で描かれた図画が『唐絵』と呼ばれた。これに対して日本的な主題を描くものが産まれ、『大和絵』と呼ばれ、別の頁(作品別)で掲載しています。 水墨画や狩野派の絵画・屏風絵も掲載中。 収録の美術家は
渡辺崋山 / 渡辺始興 / 渡辺省亭 です。 また、浮世絵切手は、安藤(歌川)広重の東海道五十三次他と葛飾北斎の冨嶽三十六景はこちらのページで、その他の浮世絵等はこちらのページに掲載しました。日本の蒔絵・漆器・仏像などの伝統工芸はこちらです。
美術家の氏名のINDEX あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行 / 作品別(大和絵・日本画) 国宝・工芸
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お断り)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から一部、美術家の紹介で転用もしています。 |
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収録の美術家は 渡辺崋山 / 渡辺始興 / 渡辺省亭 |
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渡辺始興 |
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渡辺始興・『鶴画』 ● |
渡辺始興・薊(あざみ) |
渡辺始興・『農夫図屏風』 |
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■渡辺 始興(しこう)は、江戸中期の美術家。名は始興、通称は求馬。 もと近衛家煕の家臣で朝廷にも仕えた。 はじめ狩野派を学び、のち尾形光琳の門人となる。絵画などの古典の模写や花鳥の写生によって画技を充実させ、写実を基礎とした装飾風の作品を描く。 光琳派の祖述者として各地に光琳派を発展させ、円山応挙らに影響を与える。 代表作は京都大覚寺の障子腰貼絵『野兎図』・奈良興福院(コンブイン)の『障壁画』・『吉野山図屏風』など。 渡辺始興・『農夫図屏風は平成20年11月の通常版切手帳(干支文字切手)・切手シートの背景画。『農夫図屏風』は、牛を連れて家路につく若い農夫が描かれています。淡く彩られた秋草の咲く野辺を牛がゆったりと歩んでいます。 |
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渡辺崋山 |
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日本最初の年賀切手 |
■渡辺 崋山(わたなべ かざん、寛政5年9月16日(1793年10月20日) - 天保12年10月11日(1841年11月23日))は、江戸時代後期の美術家であり、三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった。通称は登(のぼり・ただし一部の絵には『のぼる』と揮毫)、諱は定静(さだやす)。号ははじめ華山で、35歳ころに崋山と改めた。号は他にも全楽堂、寓画堂など。 |
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渡辺省亭 |
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渡辺省亭・花鳥十二ヶ月図・ |
渡辺省亭・花鳥十二ヶ月図・ |
渡辺省亭・花鳥十二ヶ月図・ |
■葡萄(山種美術館所蔵) 本図は籠に盛られた葡萄と野ねずみの取り合わせであり、大変緻密に描かれた作品です。伝統的な洒脱な筆致に、洋風を加味した華やかな花鳥画が省亭の得意とするところでありました。この作品の枯れかけた葡萄のつる、ねずみの毛並みなどの質感に、彼の写実の技が冴えます。 |
渡辺省亭・葡萄図(部分) |
渡辺省亭・花鳥十二ヶ月図・ |
■渡辺 省亭は、嘉永4(1851)年〜大正7(1918)年。江戸に生まれる。 旧姓吉川、のち父の歌友の渡辺家を継ぐ。名は義復(ぎふく)、良助。菊池
容斎(きくち ようさい)に師事。 明治8年起立工商会社で図案を制作、明治10年の第1回内国勧業博覧会で図案が受賞。翌年パリ万国博覧会で銅牌を受賞、その視察のため渡仏、西洋文化に直接触れる。その後各国の万国博覧会で受賞し、高い評価を得る。また、七宝焼図案、挿絵なども手がけた。 |
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(参考)日本の美術団体 |
■日本美術院展(院展)1898年創立。財団法人。1910年(明治43年)、岡倉天心がボストン美術館 中国・日本美術部長として渡米したことにより、同院は事実上の解散状態となる。1914年(大正3年)、文展(文部省美術展覧会)に不満を持つ大観や観山らは、前年に岡倉が歿したことを契機にその意志を引き継ぐ動きを見せ、日本美術院を再興する。院展は日本美術院の公募展(展覧会)の名称として現在も使われており、院展と日本美術院はほぼ同義に扱われることが多い。現在は日本画のみを対象としている。 日本美術院ホームページ |
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日本の美術切手|美術家別、ラ行、ワ行: |
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