仏教美術の切手(アジアを中心とした)
仏教美術とは信仰の対象としてではなく、仏像、仏画、堂塔伽藍・仏具などの芸術性を認められるものを言います。 仏教の経典は膨大な量にのぼります。その中には、たくさんの仏さまが登場します。 仏教美術とは、それらの仏さまを目に見える形にしたものです。 ここでは、一応、1.インドの仏教美術
@胎蔵曼荼羅アショカ王の仏塔(ストゥーパ) Aマトゥラーの仏像 Bアジャンター石窟群 、2.東南アジアの仏教美術 @ボロブドゥール Aアンコール・トム
、3.中央アジアの仏教美術 @ガンダーラ美術 、4.中国の仏教美術 @敦煌の石窟 A雲崗の石窟 B摂山の石窟 C龍門の石窟 D楽山の大仏 E法門寺の宝物
F房山雲居寺の石経 G大足の石窟 、5.朝鮮の仏教美術 @高麗の仏画 A高麗版大蔵経(版木) 、6.日本の仏教美術 @正倉院の宝物 A浄土三曼荼羅
B両界曼荼羅 C平家納経 に分類しました。 曼荼羅(まんだら)は仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字などを用いて視覚的・象徴的に表わしたものです。 世界遺産や他の頁と重複する部分も否めませんが、ご了解下さい。 世界三大宗教空間は、サン・ピエトロ大聖堂(カトリック教会)、パルテノン神殿(ギリシア神話)、法隆寺(日本仏教)です。 最後に仏教鑑賞の基本を入れています。
参考)上原仏教美術館(〒413-0715、静岡県下田市宇土金351番地、TEL:0558-28-1216)
■当ページの目次 |
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■仏教(ぶっきょう、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教のひとつ(信仰のある国の数を基準にした場合)である。仏教とは一般に、仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。約2500年前(紀元前5世紀)にインドにて発生。他の世界宗教とは異なり、自然崇拝や民族宗教などの原始宗教をルーツに持たない。当時のインドでは祭事を司る支配階級バラモンとは別に、サマナ(沙門)といわれる出身、出自を問わない自由な立場の思想家、宗教家、修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。伝統的に仏教を信仰してきた諸国、諸民族は、経典の使用言語によって、サンスクリット語圏、パーリ語圏、漢訳圏、チベット語圏の四つに大別される。パーリ語圏のみが上座部仏教で、のこる各地域は大乗仏教である。 |
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@胎蔵曼荼羅アショカ王の仏塔(ストゥーパ) Aマトゥラーの仏像 Bアジャンター石窟群 |
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■仏像が出現したのは釈迦入滅後500年以上経ってからである。最初の仏像がどこでどのようなきっかけで制作されたかは明らかでないが、最初期に仏像の制作が始められたのは西北インド(現パキスタン)のガンダーラと、中インドのマトゥラーの2つの地域であり、おおむね紀元後1世紀頃のこととされている。マトゥラーの仏像がインド的であるのに対し、ガンダーラの仏像がギリシア彫刻のように彫りが深いのは、この地にさまざまな民族が侵入し、西方の文化を持ち込んだためである。紀元前330年頃にアレクサンドロス大王の遠征軍がペルシャを越え北インドまで制圧し、ギリシャ文化を持ち込んだ。マトゥラーは古代インド(マウリヤ朝〜グプタ朝期)における美術・仏像の町といわれている。 |
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@胎蔵曼荼羅アショカ王の仏塔(ストゥーパ) |
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東寺(金光明四天王教王護国寺)の欄を参照して下さい。 |
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Bアジャンター石窟群 |
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アジャンター(Ajanta)石窟寺院の壁画のゾウ(インド、1949年) |
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■アジャンター石窟(寺院)群は、インドのマハラーシュートラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群のことをいう。開窟年代は、前期(第1期)と後期(第2期)に区分される。前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀のサータヴァーハナ朝時代に築かれている。後期は5世紀後半から6世紀頃になる。 |
■曼荼羅(まんだら)は仏教(特に密教(一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。))において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字などを用いて視覚的・象徴的に表わしたもの。 |
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20万点以上のコレクション(NATIONAL MUSEUM パンフレットより)を所蔵するインドの国立博物館の収蔵品 国立博物館(上段中央)は、インド独立の日からちょうど二年後の1949年8月15日に、現在地に程近い大統領官邸の一角を暫定的に間借りする形で創立された。主に紀元前3000年頃のインダス文明から現在に至るインドの絵画・美術品・工芸品・文書を収蔵しているほか、インド海軍に関する展示や、中央アジアの出土品、西洋美術、ラテンアメリカ先住民に関するコレクションを展示している。インドはヒンドゥー教の本場であるため、関連の神像の展示は非常に充実している。5世紀頃栄えたグプタ朝時代に作られた素焼きの像やその流れをうけた神像群、9世紀から13世紀にかけて南インドに覇を唱えたチョーラ朝の青銅製の神像、各地各年代で制作された石造の神像や寺院の装飾など、力強く躍動感溢れる秀逸な神像が多数展示されている。世界破壊のため踊る「舞踊の神ナタラージャ」の姿のシヴァ、12世紀チョーラ朝期、青銅製。(上段左端) 紀元前1世紀から前2世紀にかけてのマウリヤ朝(仏教を保護したアショーカ王の王朝)や、シュンガ朝時代の仏教美術は、仏陀の像を直接表現することは禁忌とされた。 |
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@ボロブドゥール Aアンコール・トム |
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@インドネシア ボロブドゥール寺院遺跡(世界遺産) |
ボロブドゥール遺跡と仏像 |
ボロブドゥール遺跡 |
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■ボロブドゥール遺跡(ボロブドゥールいせき、Borobudur)は、インドネシアのジャワ島中部のケドゥ盆地に所在する大規模な仏教遺跡で世界的な石造遺跡。世界最大級の仏教寺院。インドから中央アジア(西アジア)に伝播した仏教は一般に部派仏教(上座部仏教)と呼ばれる仏教であったが、ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡である。 |
日本発行 ボロブドゥールの円形壇上 の仏塔と仏像 |
日本発行 |
ベトナム発行 |
ボロブドゥール遺跡と仏像 |
ボロブドゥール救済(フランス) |
ボロブドゥール寺院遺跡(インドネシア、1961年) |
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ボロブドゥール遺跡と仏像 |
ボロブドゥールは、寺院として人びとに信仰されてきた建造物であるが、内部空間を持たないのが際だった特徴となっている。最も下に一辺約120mの基壇があり、その上に5層の方形壇、さらにその上に3層の円形壇があり、全体で9層の階段ピラミッド状の構造となっている。この構造は、仏教の三界をあらわしているとされる。 |
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Aカンボジア アンコールトム(世界遺産) |
■アンコールトムは一辺3kmの堀と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれている。外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっている。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている。また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌を模したナーガになっている。またこのナーガを引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像がある。アンコールトムの中央に、バイヨン (Bayon) がある。 |
■アンコール遺跡(Angkor)は、カンボジアの北西部、トンレサップ湖の北にあったアンコール王朝時代の遺跡、カンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡である。 |
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■アンコール・トム (Angkor Thom) は、アンコール遺跡の1つでアンコールワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により建設されたといわれている。 |
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アンコール・トム (Angkor Thom)南大門(ベトナム) |
バヨン(アンコール・トム) |
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@ガンダーラ美術 |
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@アフガニスタン・バーミヤン渓谷の文化的景観と |
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■アフガニスタンのバーミヤン渓谷は古代以来の都市であるバーミヤーン(バーミヤン)の町を中心とするヒンドゥークシュ山脈山中の渓谷地帯で、標高2500mほどの高地に位置する。古代から存続する都市バーミヤーンの近郊には、1世紀からバクトリアによって石窟仏教寺院が開削され始めた。石窟の数は1000以上にものぼり、グレコ・バクトリア様式の流れを汲む仏教美術の優れた遺産である。2001年3月にバーミヤン渓谷の2体の大仏はタリバンによって破壊されている。 |
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ミルワイスの墓 |
バーミヤン |
ガズニの戦勝塔(ミナレット) |
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■アフガニスタンのバーミヤン渓谷の石仏と壁画は中央アジアにおけるガンダーラ仏教美術の傑作、シルクロードの仏教センターであったバーミヤン渓谷の遺跡は美術的、建築的にガンダーラ文化を基礎としてインドとヘレニズム、ローマ、サーサーン朝イランの文化が融合し、さらに後世にはイスラムの影響が加わった文化が栄えたこと、中央アジアでは既に失われた仏教文化の遺跡であることで選ばれた。 |
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■ガンダーラ美術とは、ギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様々な美術様式を取り入れた仏教美術として有名である。開始時期はパルティア治世の紀元前50年-紀元75年とされ、クシャーナ朝治世の1世紀〜5世紀にその隆盛を極めた。インドで生まれた仏教は当初、仏陀そのものの偶像を崇拝することを否定していたが、この地でギリシャ文明と出会い、仏像を初めて生み出した。また大乗仏教も生まれた。「兜跋(とばつ)毘沙門天像」という頭に鳳凰のついた冠をかぶった像が存在し、毘沙門天の起源がギリシア神話のヘルメス(ローマのメルクリウス)であるという説がある。5世紀にはこの地に匈奴が侵入し、その繁栄は終わりを告げた。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
古代バーミアンの遺跡とバンデ・アミルの湖(1965) |
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■ガンダーラ(Gandhara, Ghandara, Ghandahra, Chandahara, ペルシア語; Gandara)は、現在のアフガニスタン東部、およびパキスタン北西部にあった古代王国。カブール河北岸に位置し、その東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していた。 |
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@敦煌の石窟 A雲崗の石窟 B摂山の石窟 C龍門の石窟 D楽山の大仏 E法門寺の宝物 F房山雲居寺の石経 G大足の石窟 |
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■敦煌の名前は後漢の学者応劭によると「大にして盛ん」と言う事だが、実際には紀元前からこの地を支配していた月氏の言葉の音訳であるようだ。 紀元前2世紀前半に匈奴に冒頓単于が立ち、月氏を攻めてこの地は匈奴の支配下に入る。冒頓の時代には匈奴に押され気味であった前漢だったが、武帝が即位して、西域に対して積極的に遠征を行い、この地に敦煌郡を設置した。敦煌郡の設置年代についてはかっては紀元前111年と言われていたが、紀元前92年ごろの李広利将軍の大宛(フェルガナ)遠征の際に設置されたとする説が有力となっている。シルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市。 |
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@敦煌・莫高窟(世界遺産) |
他の詳細は「世界遺産・中国・莫高窟」で。 | ||
■敦煌市は中国甘粛省北西部の都市。かつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市。 敦煌は紀元前111年の西漢時代に敦煌都として設立されて以来、歴代シルクロードの交通の中枢として東西文化交流の中心地となって来ました。 |
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狩猟(西魏) |
戦闘(西魏) |
農耕(北周) |
塔の建築(北周) |
伎楽 |
菩薩 |
敦煌・観音菩薩 |
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乗龍昇天 |
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D峨眉山と楽山大仏 |
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中国・峨眉山・報国寺 |
中国・峨眉山・雷音寺 |
中国・峨眉山・洪椿寺 |
中国・峨眉山・洗象寺 |
中国・峨眉山・臥雲庵 |
中国・峨眉山・金頂宝光 |
■峨眉山は五台山、天台山と並ぶ中国国内の仏教聖地の一つで、中国三大霊山の一つ。後漢時代から仏教寺院が建設され、南宋時代には最盛期を迎えた。同じく四川省にある、713年に始まった楽山大仏も有名であり、場所は離れるが、合わせて登録されることとなった。 |
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中国・楽山大仏(中国、2003年、拡大) |
■楽山大仏(らくさん-だいぶつ)は、中国・四川省楽山市にある、弥勒菩薩を象(かたど)って彫られた巨大な磨崖仏(石仏)であり、石窟寺院の一種。
峨眉山地域内の長江の支流、岷江(びん-こう)、大渡河、青衣江が合流する地点にある。 |
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G大足石刻(世界遺産) |
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北山・日月観音 |
北山・普賢菩薩 |
宝頂山・華厳三聖 |
石門山・三皇洞造像 |
宝頂山・千手観音 |
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■大足石刻は649年に最初に切り開かれ、唐朝末期、五代、宋代に次々と作られ、明清代(14〜19世紀)まで、石刻の数は増加を続け、最終的には、巨大な巨大な規模になり、中国の石刻芸術の精華として、末期の中国石窟芸術の代表として、中国三大石窟である、「雲こう石窟」、「龍門石窟」、「莫高窟」と同じくらい有名である。 大足石刻も芸術的価値や規模では中国三大石窟と比べても遜色がない。 特に有名なのは、宝頂山にある仏陀の入滅を描いた釈迦涅槃像で全長31mにも及びます。また、金箔を張った千手観音菩薩も有名で、これは本当に1000本以上の手を持つ荘厳な像です。 |
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Hチベット仏教の仏画(曼荼羅)の掛軸 |
(拡大) | ||
白度母 |
緑度母 |
千手千眼観世音菩薩 |
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釈迦牟尼仏 |
无量寿仏 |
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@高麗の仏画 A高麗版大蔵経(版木) |
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★世界で3番目に古い高麗仏画を発見 2009.6.30 21:25 MSN産経ニュース |
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@正倉院の宝物 A浄土三曼荼羅 B両界曼荼羅 C平家納経 |
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@正倉院の宝物 |
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五絃琵琶「螺鈿紫檀五絃琵琶」(正倉院宝物、奈良時代) |
第2次新昭和切手「らでん模様」正倉院宝物の花鳥のらでん模様 |
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■五絃琵琶「螺鈿紫檀五絃琵琶」:この琵琶は世界で唯一残る5弦の琵琶で、長さ108センチ、幅31センチ、厚さ8センチ。ラクダに乗って琵琶を弾く人の姿がデザインされている。 琵琶を弾く人やラクダなどは厚さ2ミリ程度の夜光貝で表現。人の足、敷物部分は縦5センチ、横3・9センチ、ラクダの下半身などの部分は縦6・1センチ、横2・5センチの大きさの貝が使われ、これらは宝物中でも最大級の貝になるという。 |
■螺鈿(らでん)は、 |
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国宝・八橋蒔絵螺鈿硯箱(日本,1955年、尾形光琳作) |
国宝・八橋蒔絵螺鈿硯箱 |
昭和すかしなし切手「らでん模様」正倉院宝物の花鳥のらでん模様(1949年) クリックで拡大します |
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■八橋蒔絵螺鈿硯箱、尾形光琳作:縦24.2p,横19.8p,高11.2p。『伊勢物語』八橋の段に取材した燕子花と板橋の意匠を,蓋の表と四つの側面にあらわした硯箱。表面の黒漆塗りは艶消しで,花に螺鈿をもちい,葉や茎は金の平蒔絵で描き,橋には鉛の板をはり,杙には銀の板をはめ込んでいる。箱の身は二段重ねで,上段に硯と水滴をおさめ,下段は料紙箱とし,上段と下段の見込みに金の平蒔絵で流麗な波文を描いている。 |
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八橋蒔絵螺鈿硯箱 |
八橋蒔絵螺鈿硯箱 正倉院宝物の花鳥のらでん模様 |
正倉院宝物の一つである |
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■正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北西に位置する、高床の大規模な校倉造(あぜくらづくり)倉庫で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた施設。 |
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A浄土三曼荼羅 B両界曼荼羅 |
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「マンダラ」という語は、英語ではヒンドゥー教やその他の宗教のコスモロジー(宇宙観)も含め、かなり広義に解釈されているが、日本語では通常、仏教の世界観を表現した絵画等のことを指す。「曼荼羅」はもっとも狭義には密教曼荼羅を指すが、日本においては、阿弥陀如来のいる西方極楽浄土の様子を表わした「浄土曼荼羅」、神道系の「垂迹(すいじゃく)曼荼羅」など、密教以外にも「曼荼羅」と称される作品がきわめて多く、内容や表現形式も多岐にわたり、何をもって「曼荼羅」と見なすか、一言で定義することは困難である。 |
■平安建都の際、建立された東寺の五重塔は京都のシンボル。密教文化を現代に伝える重要文化財、講堂内の21体の仏像「立体曼荼羅」や、国宝の金堂、大師堂など多数 因みに東寺は世界遺産ともなっています。クリックで拡大 |
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京都・東寺・如意輪観音(両界曼荼羅)、大威徳明王 | |||
■東寺(金光明四天王教王護国寺)このお寺にはアショーカ王以来の伝統に従って、仏法によって国の平和が護られ、その光が世芥の隅々にまでいきわたるようにということと、それぞれの思想が共に侵さず共存していく原理を見出し仕え、共々に力を合わせ実現されていくようにとの大師の願いが込められています。東寺の伽藍は南大門を入って金堂・講堂、少し隔てて食堂が一直線に置かれ、左右に五重塔と灌頂院が配置されています。塀で区別された境内はそのまま曼茶羅であり蜜厳浄土です。 |
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C国宝・『平家納経』(厳島神社) |
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国宝・『平家納経』(厳島神社) |
■『平家納経』は、平安時代に平家の繁栄を願い、厳島神社に奉納された経典類の総称。経典に施された装飾は絢爛豪華で、平家の繁栄を今に伝えている。平安時代の装飾経の代表作で、当時の工芸を現代に伝える一級史料である。経典を筆写したのは平家の一族らで、清盛・重盛・頼盛・教盛など。それぞれ一巻を分担する形で筆写された。長寛2年(1164年)に厳島神社に奉納されたが、各巻の奥書を参照すると、全体の完成には仁安2年(1167年)までかかったとされる。 |
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■五体投地(ごたいとうち)とは、五体すなわち両手・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝することである。仏教における最も丁寧で正しい、また最上の礼拝方法とされる。古代インドでは、尊者の足下にひざまずき、頭の先を地に付けることが、最高の敬礼方法とされていた。仏教においても仏の両足に頭を付けるが、これを仏足頂礼(ぶっそくちょうらい)といい、両手両足すべてを地に付けて礼拝する。インドやチベットにおける仏教徒は、このように五体投地を行い、礼拝しながら少しずつ前に進んでいき、聖地へ巡礼するスタイルが一般的である。日本においても、一定の期間にわたり修行に入る僧侶などが、本尊の前でこの五体投地で礼拝する。 |
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(●)はクリックで拡大 |
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仏像は4種類に分類される。仏像は大きく分けて以下の4種類。これはもう仏像鑑賞の基本中の基本です。 |
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●如来(にょらい):悟りを得た者。ブッダともいう。服は布きれ1枚。ブッダ=釈迦と考えている人が多い。確かに釈迦はブッダだが、あくまでも大勢いるブッダの中の一人であり、釈迦だけがブッダではない。 |
・釈迦如来 |
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法隆寺・国宝・ |
伊賀国新大仏寺(伊賀)・ |
東大寺・大仏殿・木造の |
兼寺・不空成就如来 |
法隆寺・金堂の内部(法隆寺入山パンフレットから転載)(●) |
夢違観音(国宝)(法隆寺入山パンフレットから転載)(●) |
百済観音(国宝) (法隆寺入山パンフレットから転載)(●) |
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■金堂の内部には、金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、その左右には太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、母である穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っています。 |
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■観音菩薩立像(夢違観音)(国宝)は奈良時代、銅造。もと東院絵殿の本尊。悪夢を良夢に替えてくれるという伝説からこの名がある。 |
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●菩薩(ぼさつ):ただいま修行中!出家前の王子時代の釈迦がモデルなので、胸飾りやブレスレットを身に付けている。他者を救う“行”をしているので、すぐ助けに行けるよう基本的に立ち姿で表され、瞑想には入らない。坐ったり瞑想していては素早く動けないからだ。 |
・文殊菩薩…智恵の仏。 |
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法隆寺・観音菩薩像(壁画) |
東寺・如意輪観音(両界曼荼羅) |
東大寺・月光菩薩 |
法隆寺・百済観音 |
法隆寺・弥勒菩薩 |
中宮寺・弥勒菩薩 |
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平等院・雲中供養菩薩 |
平等院・雲中供養菩薩 |
東大寺・音声菩薩 |
東大寺・大仏殿・木造の |
●明王(みょうおう):修行する者を煩悩から守る仏。 |
・不動明王…明王軍団のボス。修行者を護る。 |
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京都・東寺・大威徳明王 |
伊賀国新大仏寺(伊賀)・岩屋不動尊・不動明王(江戸時代)(●) |
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●天部(てんぶ):魔物から仏界&仏法を守るガードマン。 |
・十二神将…薬師如来の警護を担当。 |
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東大寺・戒壇院広目天像 |
薬師寺・吉祥天 |
薬師寺・伐折羅(ばさら)大将 |
東大寺・執金剛神像 |
国宝・興福寺・阿修羅像 |
国宝・興福寺・阿修羅像 |
東大寺南大門金剛力士像 |
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東大寺南大門の国宝 |
東大寺南大門の国宝 |
東大寺・大仏殿・四天王の |
東大寺・大仏殿・四天王の |
仏たちの上下関係はこんな感じです→ 如来(悟り済)>菩薩(修行中)>明王(民衆を守る)>天部(仏界を守る) |
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8.仏教の用語や知識 |
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●南無阿弥陀仏の「南無」は“おまかせします”という意味。 |
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日本の世界遺産と遺跡・古墳 |
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■日本の世界遺産(The UNESCO World Heritage ) 日本全体のトップ ★作成に当たり、Wikipediaやその地に地域のHPの資料を使わせていただきました。 |
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その他美術関係の切手・写真(切手が主体) |
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美術・工芸切手 [ トップ|先史代|中世
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|美術用語集(備忘録)| ギリシア神話とローマ神話の神々(切手&写真) |
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仏教美術の切手(アジアを中心とした) |
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