西洋美術切手 バロック/マニエリスム エル・グレコ(El Greco)
エル・グレコ(El Greco、1541年-1614年)は、現ギリシャ領のクレタ島出身の画家。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、一般に知られるエル・グレコの名はスペイン語で「ギリシャ人」を意味する通称である。
当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島で初めイコンを学び、のちにイタリアのヴェネツィア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、ヴェネツィア派絵画を学んだ。1577年、36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍した。
全体的に暗い画面、縦に長く伸びた構図、複雑なポーズを取る人体などが特徴的で、晩年〜死去後は忘れられた存在になったが、20世紀初頭、印象派の画家達やピカソらによって、その独自性が再評価された。
またエル・グレコの作品は数こそ多いが、長期にわたり劣悪な状態に置かれていたものが大半を占めるため、描かれた当初の状態を保っている作品は少ない。彼が到着した時のスペインはレコンキスタでの勝利とクリストファー・コロンブスによるアメリカ海域での新世界の侵略、そしてカール五世の国王就任により急激に力を強めていた。
★イコン(icon)とは、キリスト教において神や天使や聖人を記念し象徴として模られた絵や像で、敬拝(崇敬)の対象とされるもの。
■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリ|ダ・ヴィンチ|ラファエロ|ミケランジェロ|デューラー|ティツィアーノ|ルーベンス|ベラスケス|アングル|エル・グレコ|レンブラント|カラヴァッジオ|フェルメール|ダイク|ドラクロワ|ゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワール|マネとモネ|セザンヌ|ゴーギャン|マチス|ピカソ|ダリ|葛飾北斎|安藤広重|クリムト|シャガール|モディリアーニ|ミュシャ ] |
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バロックの画家 エル・グレコ(El Greco)の絵画 |
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エル・グレコ |
聖会話作品『聖母子と聖マルティーナ、聖アグネス』 |
『キリストの12使徒の肖像』 (ハンガリー、1968年) |
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■聖会話作品『聖母子と聖マルティーナ、聖アグネス』。トレドのサン・ホセ礼拝堂のために制作された本作に描かれるのは、幼子イエスを胸に抱く聖母マリアと寄り添う天使達と、聖マルティーナの伝説に準ずる最初の殉教聖女のひとりとして想定された架空の聖女テクラと、ラテン教会四大殉教童貞聖女のひとりでローマ長官の息子からの求婚を拒んだことから売春婦に貶められ裸身で市内を引き回されるも頭髪が伸び身体を覆った伝説をもつ聖アグネスで、本作に示されるエル・グレコ独自の様式化された端麗な表現はパルミジャニーノから多大に影響を受けていたことが知られている。聖女テクラは「神に栄光あれ」を意味し、イコニオン人であるも聖パウロによって改宗したため婚約者にキリスト教徒であると密告され町を追放され、以後、聖パウロと共に東方で布教活動をおこなったとされる。 |
エル・グレコ 『サイン』 |
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エル・グレコ 『Crist Stripped of His Garments』 |
エル・グレコ 『Concert of the Angels』 |
エル・グレコ 『自画像』 |
エル・グレコ 『嵐のトレド風景』メトロポリタン美術館 |
■『キリストの磔刑』:エル・グレコは生涯に幾度も「キリストの磔刑」を描いた。その中でも特に本作品のように、突如黒雲に覆われて行くドラマティックな空をバックにした単身像としての「十字架のキリスト」は、グレコ自身によって、また彼の工房作として数多く制作された。それらは背景のモティーフ、すなわち騎乗する人物と建築物の組み合わせに従って種々のヴァリエーションを作っている。しかし、いずれの場合もキリストの身体は長く引き伸ばされ、その優雅な逆S字型曲線は、顔の表情と相まって苦悩よりはむしろ法悦の様を表わしている。本作品の背景の丘の上に遠望されるのは、フェリーペ二世がエル・エスコリアールに建てたサン・ロレンソ修道院である。 |
エル・グレコ『キリストの磔刑』 |
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マニエリスム最大の画家エル・グレコの最高傑作のひとつ 『オルガス伯爵の埋葬』。(ラオス) MCと小型シート |
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■代表作『オルガス伯爵の埋葬』、荒れ果てていたサント・トメー聖堂の再建に尽力し、1323年に没したオルガス伯爵(ゴンサロ・ルイス・デ・トレド)の逸話を題材に描いた本作は、画面上下で、イエスに導かれ天上へと昇華してゆくオルガス伯の魂の昇天と、当時の知識人や有力者に囲まれながら執り行われる肉体の埋葬という2場面を同時に構成しており、そのどちらの表現も画家の全作品中、特に白眉の部類に属する出来栄えを見せている。父なる神の威光を受け光り輝くイエスの周りには、聖母マリアや洗礼者聖ヨハネを始めとする諸聖人の他、幾多の天使が描かれている。 |
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『キリストの復活』 |
『祈るキリスト』 |
■世界の三大名画は、以下の3作品を言います。 |
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■エル・グレコが1600年代当初に手がけた宗教画作品の代表的作例のひとつ『キリストの復活』。確証はないものの、ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院礼拝堂の大祭壇画衝立の一部であったとも推測されている本作に描かれるのは、磔刑に処され絶命し石墓に埋葬された主イエスの亡骸が、三日後の早朝、死に勝利し復活を遂げるという、新約聖書内で特に重要視される主題のひとつ≪キリストの復活≫。 |
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『聖なる家族』(セイント・ルシア、1977年) |
『羊飼いの礼拝 (Adoracion de los pastores)』 |
エル・グレコ ピエタ ブルンジ、1974年 |
『 聖アンナと聖ヨハネのいる聖家族』(ニュージーランド、1977年) |
■マグダラのマリアは新約聖書中福音書に登場するイエスに従った女性である。マリヤ・マグダレナとも転写される。正教会・カトリック教会・聖公会で聖人。 マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、悪霊に憑かれた病をイエスによって癒され、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと。そして、復活したイエスに最初に立ち会った一人とされる。『マタイによる福音書』などによれば、彼女は復活の訪れを弟子(使徒)たちに告げるため遣わされた。このため彼女は初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」
(the Apostle to the Apostles) と呼ばれ、正教会での彼女の称号「亜使徒」はこの事績に由来する。 宗教画においてルネサンス以降の宗教画では、聖書の人物によって衣服の色がおおむね定まっており、聖母が青や紺色の衣やマントを着るのに対し、マグダラのマリアは緑色の下衣、朱色のマントを身につける事が多い。多くは豊かな金髪を見せ、高価な油壺を手にする。時代にもよるが、古い15世紀の絵画などでは聖母が赤い衣に暗濃色のマントであることもある。
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赤道ギニアで発行されたエル・グレコの宗教画 |
エル・グレコ 『聖家族とマグダラのマリア』 |
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エル・グレコの宗教画 キリスト 聖セバスチャン |
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■エル・グレコが残す聖家族作品の最も優れた例のひとつ、『聖家族と聖アンナ』。聖母マリアと幼子イエスに、幼子イエスの父であり聖母マリアの夫である聖ヨセフ、聖母マリアの母である聖アンナを描いた典型的な≪聖家族≫を主題に描いた作品である本作は、エル・グレコの生涯の中で幾度も描かれてきた≪聖家族≫のひとつであるが、その中でも、やや明るめの青空の中に安定的に配された登場人物の浮かべる感情豊かな表情や、筆跡が残る独特の表現が、特に秀逸の出来栄えを見せている。聖衣に包まれる幼子イエスの身体や聖母マリアの姿態はマニエリスム様式らしく縦に引き伸ばされ、極めて長身に描かれている。、 |
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エル・グレコ 『受胎告知 (Anunciacion) 』 |
『受胎告知 (Anunciacion) 』エル・グレコ (プラド美術館) |
エル・グレコ |
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『Betrothal Of The Virgin』 1614 |
エル・グレコ |
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『聖母の婚約』 |
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『Portraito of a Cardinal』 |
『St.Jerome as a Cardinal』 |
エル・グレコ 『トレド風景』、聖書の物語 『 聖母戴冠』 |
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エル・グレコ |
エル・グレコ |
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『十字架を担うキリスト』、『聖家族と聖アンナ』、 |
『聖アンデレと聖フランチェスコ』、『聖家族とマグダラのマリア』 エル・グレコ |
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■『聖母子と聖マルティーナ、聖アグネス』は、トレドのサン・ホセ礼拝堂のために制作された。描かれるのは、幼子イエスを胸に抱く聖母マリアと寄り添う天使達と、聖マルティーナの伝説に準ずる最初の殉教聖女のひとりとして想定された架空の聖女テクラと、ラテン教会四大殉教童貞聖女のひとりでローマ長官の息子からの求婚を拒んだことから売春婦に貶められ裸身で市内を引き回されるも頭髪が伸び身体を覆った伝説をもつ聖アグネスで、本作に示されるエル・グレコ独自の様式化された端麗な表現はパルミジャニーノから多大に影響を受けていたことが知られている。聖女テクラは「神に栄光あれ」を意味し、イコニオン人であるも聖パウロによって改宗したため婚約者にキリスト教徒であると密告され町を追放され、以後、聖パウロと共に東方で布教活動をおこなったとされる。 |
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■エル・グレコが残す聖家族作品の最も優れた例のひとつ、『聖家族と聖アンナ』。聖母マリアと幼子イエスに、幼子イエスの父であり聖母マリアの夫である聖ヨセフ、聖母マリアの母である聖アンナを描いた典型的な≪聖家族≫を主題に描いた作品である本作は、エル・グレコの生涯の中で幾度も描かれてきた≪聖家族≫のひとつであるが、その中でも、やや明るめの青空の中に安定的に配された登場人物の浮かべる感情豊かな表情や、筆跡が残る独特の表現が、特に秀逸の出来栄えを見せている。聖衣に包まれる幼子イエスの身体や聖母マリアの姿態はマニエリスム様式らしく縦に引き伸ばされ、極めて長身に描かれている。 |
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エル・グレコ 『羊飼いの礼拝(キリスト降誕)』 拡大○ |
エル・グレコ 『』 |
エル・グレコ 『』 |
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エル・グレコ 『ピエタ』 |
エル・グレコ 『聖三位一体(Trinidad)』 |
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エル・グレコ |
エル・グレコ 『』 |
エル・グレコ 『』 |
エル・グレコ |
メトロポリタン美術館 |
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エル・グレコ若しくは弟子 『聖ペテロの涙』 と部分の拡大 フィレンツェ ウフィツィ美術館参考資料より 拡大○ |
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復活の天使とマグダラのマリア |
■『聖ペテロの涙』は、三度にわたってキリストを見捨てた事を後悔して涙ぐむ聖ペテロのイコノグラフィーは、反宗教改革の中で生まれた。 エル・グレコは、この題材を取り上げた最初の画家であったとされている。その後の30年間のうちに16点もの類似作(多くは彼の工房)が制作されていることから、当時に好評を得たテーマであった事がわかる。 |
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エル・グレコ・『受胎告知』 |
■「受胎告知」には、聖母マリアが、天使ガブリエルからキリストの受胎を告げられる場面が描かれています。天使が左手に持つのは、マリアの純潔を象徴する白百合(ユリ)の花。中央に舞い降りているのは、聖霊の象徴の鳩です。デフォルメした長いか顔は印象的。(1600年頃、ブダペスト国立西洋美術館蔵。大原美術館 ハプスブルグ展にて) |
■キリスト教においては白いユリ(マドンナリリー)の花が純潔の象徴として用いられ、聖母マリアの象徴として描かれる。クレタ文明の遺跡のひとつであるクノッソス宮殿の壁画にはユリが描かれている。東洋ではユリは食用や薬用に使用される。花の観賞は、日本では前近代にまでさかのぼる奈良の率川(いさかわ)神社の三枝祭(さいくさのまつり)などの例外もあるが、明治30年代頃からである。幕末にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本のユリの球根を持ち帰り、復活祭に用いられるイースター・リリーとして大流行すると、球根は近代日本の絹に次ぐ二番目の主要輸出品として外貨を獲得した |
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【マニエリスム -The Mannierism-】 |
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エル・グレコの出身地 ギリシャ・クレタ島の地図 大きな地図で見る |
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■ギリシャ最大の島クレタは、ヨーロッパ最古の文明の発祥地としてあまりにも有名です。ミノア文明に始まるこの島の繁栄は、クノッソス宮殿遺跡など島の至る所に見ることができます。同時に、美しい海岸線と1年を通じて温暖な気候に恵まれたクレタは、ギリシャ有数のリゾートともなっています。また、クレタ島は2000種の植物、中でも130種の原種が自生するワイルドフラワーの楽園です。 |
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メトロポリタン美術館のエル・グレコの絵画 『羊飼いの礼拝(キリスト降誕)』、『自画像』、『嵐のトレド風景』、『Portraito of a Cardinal』 |
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掲載のバロック絵画と17-18世紀の風俗画の主要な画家一覧: |
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■関連ブログ 「バロック/マニエリスム|エル・グレコ(El Greco)の『聖家族とマグダラのマリア』の切手 (2011/02/21) 」 |
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西洋美術切手 バロック/マニエリスム クレタ島出身の画家エル・グレコ(El Greco) |
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