Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

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美術切手|アメデオ・モディリアーニ:エコール・ド・パリ(パリ派)、縦に引き伸ばされたかのような面長の顔とアーモンド形の瞳による独自の人物画を確立。友人・知人、恋人などを描いた肖像画や裸婦像、少年・少女など子供を描いた作品がとりわけ有名。

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西洋美術切手 近代絵画の切手 アメデオ・モディリアーニ(Amadeo Modigliani)

 アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(1884年7月12日 - 1920年1月24日)は、20世紀初頭に活動した画家・彫刻家で、イタリア出身だが、渡仏し、おもにパリで制作活動を行った。セファルディ・ユダヤ系のイタリア人である。芸術家の集うモンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリ(パリ派)の画家の一人に数えられる。 1914年、パリでも著名な画商ポール・ギヨームと知り合い、ギヨームや友人のマックス・ジャコブの勧めもあって1915年頃から絵画に専念し画業を始める。シャイム・スーティンや藤田嗣治やモーリス・ユトリロとも交友関係にあった。 モディリアーニは、エジプトやアフリカなどの原始美術と故郷イタリアに息衝くシエナ派など古典芸術の厳格性を融合させ、縦に引き伸ばされたかのような面長の顔とアーモンド形の瞳による独自の人物画を確立。類稀な造形性と抒情的で画家自身と同調するかのような独特な人物表現は以降の現代芸術に多大な影響を与えた。友人・知人、恋人などを描いた肖像画や裸婦像、少年・少女など子供を描いた作品がとりわけ有名であるが、数点の風景画も残されている。35歳で没した。モディリアーニ(Modigliani モディッリャーニ)はイタリア語圏のユダヤ教徒に多い姓。
 

 

■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリダ・ヴィンチラファエロミケランジェロデューラーティツィアーノルーベンスベラスケスアングルエル・グレコレンブラントカラヴァッジオフェルメールダイクドラクロワゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワールマネとモネセザンヌゴーギャンマチスピカソダリ葛飾北斎安藤広重クリムトシャガールモディリアーニミュシャ ]

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20世紀以降 アメデオ・モディリアーニ(Amadeo Modigliani)の絵画

『座る裸婦』(土候国FUJIEIRA)

『座る裸婦』(赤道ギニア)

『青い目の女』(フランス)  『デディ・ヘイデンの肖像』(モナコ)

アメデオ・モディリアーニ 絵画 『座る裸婦』 アメデオ・モディリアーニ 絵画 『座る裸婦』(赤道ギニア) 『青い目の女』(フランス) モジリアーニ 『デディ・ヘイデンの肖像』(モナコ) モディリアーニ 絵画

■『座る裸婦』(Female nude 、赤道ギニア):1916年 | 油彩・画布 | 92.4×59.8cm | コートールド・インスティテュート・ギャラリー
■『ジャンヌ・エビュテルヌの肖像(青い眼の女)』:1617年 | 油彩・画布 | 55×46cm | フィラデルフィア美術館 面長で傾いた顔、異様だが温かみのある瞳、そして極端な撫肩。原画を鑑賞するとその1枚を見ただけで、なぜか「 得した 」というか「 生きててよかった 」ような気になってしまう。
■『座っている夫人(デディ・ヘイデン)の肖像』:1918年 | 油彩・画布 | 92×60cm | パリ市立近代美術館

モディリアーニ 『座る裸婦』

モディリアーニ

アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)の絵画。『糸杉と家』 、『裸婦像』、『夜会服の赤髪の若い娘』(1918)、『モディリアーニの自画像』。タブに家。シート地に絵道具など。(サントメプリンシペ、2009年) クリックで拡大

■アメデオ・モディリアーニの代表作としては、
・カリアティード(1911-13年)(愛知県美術館)
・ポール・ギヨームの肖像(1915年)(オランジュリー美術館)
・シャイム・スーティンの肖像(1916年)(個人蔵)
・髪をほどいた横たわる裸婦(1917年)
・おさげ髪の少女(1918年)(名古屋市美術館)
・ズボロフスキーの肖像(1919年)(サンパウロ美術館)

アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)による様々な肖像画

アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)の絵画。『糸杉と家』 、『裸婦像』、『夜会服の赤髪の若い娘』(1918)、自画像。<BR> モディリアーニ 絵画

モディリアーニ(ギニアビサウ、2005年)

(いずれもクリックで拡大)

モディリアーニ(コンゴ、2005年)

モディリアーニ(ギニアビサウ、2005年) モディリアーニ(コンゴ、2005年)

下段中央は『眼を閉じた裸婦』(1917年 | 油彩・画布 | 73×116cm | グッゲンハイム美術館(N.Y.))

『モディリアーニの肖像』と作品『赤いショールとジャンヌ・エビュテルヌ』。シート地に『背中を見せて横たわる裸婦』(1917、バーンズ基金)、『ズボロフスキーの肖像』(1919、サンパウロ美術館)、『腕を広げて横たわる裸婦』(1919、サンパウロ美術館)ほか(サントメプリンシペ、2009年)いずれもクリックで拡大

『モディリアーニの肖像』と作品『赤いショールとジャンヌ・エビュテルヌ』。シート地に『背中を見せて横たわる裸婦』(1917、バーンズ基金)、『ズボロフスキーの肖像』(1919、サンパウロ美術館)、『腕を広げて横たわる裸婦』(1919、サンパウロ美術館)ほか(サントメプリンシペ、2009年)

モディリアーニ

モディリアーニ

ズボロフスキーの肖像
(マリ、1984年)

■アメデオ・モディリアーニは、フィレンツェやヴェネツィアの美術学校に学び、1906年にパリに赴きました。アフリカやオセアニアなどの民族美術が持ち合わせるプリミティヴな感覚に触発され、次第に簡潔で鋭い造形感覚を示すようになります。原始美術の素朴で純粋な造形は、当時ピカソやマティス、エコール・ド・パリの画家たちが独自のスタイルを探求する過程で重要な指針でした

ズボロフスキーの肖像 モディリアーニ 絵画

『背中を見せて横たわる裸婦』は、後に深い恋愛関係に落ちることになる画学生であったジャンヌ・エビュテルヌと出会い、画家として最も精力的に活動をおこなった時期である1917年に手がけられた作品であり、モディリアーニの代表的な裸婦作品はこの頃に集中して制作されている。非常にしなやかで官能的な肢体の曲線を露わにソファーに横たわる裸婦像。

モディリアーニ没後90年『うつぶせに横たわる裸婦』(1917・バーンズ財団美術館、サントメプリンシペ)

『うつぶせに横たわる裸婦』、1916−19年の間に、24点ほどの裸婦を描いている。モディリアーニの裸婦は、横たわっているいるのはベッドなのか長椅子なのか、はっきり分からない。 それまでの歴史的な裸婦の絵のように、「オダリスク」のようなエキゾティックな小道具もなく、室内装飾もない。モディリアーニが慣習を拒否しているという点で傑出した作品。1917年、モディリアーニのパトロン、レオポルド・ズボロウスキーが主催したベルト・ヴェイユ画廊でのモディリアーニ展で、5点のヌードが警察に押収された。いかに絵画の歴史を無視した裸婦像だったかを物語っている。

■アメデオ・クレメンテ・モディリアーニの絵画の代表作の大部分は1916年から1919年の間に集中して制作されている。モディリアーニの絵画のほとんどは油彩の肖像画であり(風景画はわずか3点)、顔と首が異様に長いプロポーションで目には瞳を描き込まないことが多いなど、特異な表現をとっているが、これは自身の彫刻の影響が指摘されている。なお、初期にはピカソの「青の時代」やポール・セザンヌの影響を受けた絵を制作している。モディリアーニは、1917年にはベルト・ヴァイル画廊にて、生前唯一の個展を開催したが、裸婦画を出展したのが元で大騒ぎとなり、一日で裸婦画を撤去する事態となった。同じ年、後に妻となり、裸婦像などの絵画モデルを務めた画学生ジャンヌ・エビュテルヌと知り合っている。彼女を内妻とし、1918年に長女ジャンヌをもうけるも、貧困と持病の肺結核に苦しみ、大量の飲酒、薬物依存などの不摂生(ただし飲酒については肺結核による咳を抑えるためしかたなく飲んでいたと言われる)の末、1920年1月24日に結核性髄膜炎により35歳で没した。
■モディリアーニの生涯は半ば伝説化しており、映画化もされている。
『モンパルナスの灯』(1958) 監督:ジャック・ベッケル、主演:ジェラール・フィリップ、フランス映画
『モディリアーニ 真実の愛』(2004)監督:ミック・デイヴィス、主演:アンディ・ガルシア、6カ国合作
だが、近年になりジャンヌの写真や絵画が再発見されるとともに、伝説と化した彼らの生涯の再評価が始まっている。
■エコール・ド・パリは、「パリ派」の意味で、20世紀前半、各地からパリのモンマルトルやモンパルナスに集まり、ボヘミアン的な生活をしていた画家たちを指す。厳密な定義ではないが、1920年代を中心にパリで活動し、出身国も画風もさまざまな画家たちの総称。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではない。

"Madam Pompadour (Portrait of Beatrice Hastings)", "Portrait of a Girl", ”Hebuterne by Modigliani, 1919”(右側3枚のうち一番左が、ジャンヌを描いたもの) and "Portrait of Lunia Czechovska",他(モディリアーニ、2003年)

Hebuterne by Modigliani, 1919

モディリアーニ

モディリアーニ

Jeanne Hebuterne(ジャンヌ・エビュテルヌ
Jeanne HebuterneThe following summer, the Russian sculptor Chana Orloff introduced him to a beautiful 19-year-old art student named Jeanne Hebuterne who had posed for Tsuguharu Foujita. From a conservative bourgeois background, Hebuterne was renounced by her devout Roman Catholic family for her liaison with the painter, whom they saw as little more than a debauched derelict. Despite her family's objections, soon they were living together, and although Hebuterne was the current love of his life, their public scenes became more renowned than Modigliani's individual drunken exhibitions.[citation needed]
On December 3, 1917, Modigliani's first one-man exhibition opened at the Berthe Weill Gallery. The chief of the Paris police was scandalized by Modigliani's nudes and forced him to close the exhibition within a few hours after its opening.
After he and Hebuterne moved to Nice, she became pregnant and on November 29, 1918 gave birth to a daughter whom they named Jeanne (1918-1984). When Modigliani died on January 24, 1920 Hebuterne was pregnant with their second child.
 

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