日本の絵画切手(作品別)
日本の絵画切手(有名作品別)です。 主に江戸時代以前の絵画や巻物・屏風絵等を掲載してます。 繊細な筆タッチだけでなく、やはり日本人の感性に訴えるものがあります。 奈良時代から平安時代にかけて、中国や朝鮮半島などから渡来した技法や様式、あるいはそれに倣い日本で描かれた図画が「唐絵」と呼ばれた。これに対して日本的な主題を描くものが産まれ、「大和絵」と呼ばれ、掲載しています。 水墨画や狩野派の絵画・屏風絵など、『平家納経』、『鳥獣人物戯画』、『朝護孫子寺信貴山縁起絵巻』、尾形光琳の絵画、『平治物語絵巻』、『源氏物語絵巻』、『紫式部日記絵巻』、長谷川等伯や俵屋宗達、狩野永徳の絵画を掲載。 また、浮世絵切手は、安藤(歌川)広重の東海道五十三次他と葛飾北斎の冨嶽三十六景はこちらのページで、その他の浮世絵等はこちらのページに掲載しました。日本の蒔絵・漆器・仏像などの伝統工芸はこちらです。
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大和絵・日本画(水墨画含む) |
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国宝・『平家納経』(厳島神社) |
国宝・『普賢菩薩』(平安時代) |
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■『平家納経』は、平安時代に平家の繁栄を願い、厳島神社に奉納された経典類の総称。経典に施された装飾は絢爛豪華で、平家の繁栄を今に伝えている。平安時代の装飾経の代表作で、当時の工芸を現代に伝える一級史料である。経典を筆写したのは平家の一族らで、清盛・重盛・頼盛・教盛など。それぞれ一巻を分担する形で筆写された。長寛2年(1164年)に厳島神社に奉納されたが、各巻の奥書を参照すると、全体の完成には仁安2年(1167年)までかかったとされる。 |
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国宝・『鳥獣人物戯画』(京都・高山寺)「日本最古の漫画」 |
国宝・『鳥獣人物戯画』(京都・高山寺)「日本最古の漫画」 |
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左のほうにはネコの姿も見えます。 |
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■鳥獣人物戯画は、当時の世相を反映して動物や人物を戯画的に描いたもので、鳴呼絵(おこえ)に始まる戯画の集大成といえる。特にウサギ・カエル・サルなどが擬人化して描かれた甲巻が非常に有名である。 |
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国宝・『鳥獣人物戯画』(京都・高山寺)「日本国際切手展2011」 |
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馬に乗るウサギ |
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国宝・『朝護孫子寺信貴山縁起絵巻』 |
国宝・尾形光琳「白梅図・紅梅図」 |
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■朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町の信貴山にある信貴山真言宗総本山の寺院である。国宝『信貴山縁起絵巻』は、平安時代後期、12世紀の成立とされ、日本の絵巻物の代表作とされている。この絵巻は通常の社寺縁起絵とは異なって、朝護孫子寺の創建の経緯等については何も述べておらず、信貴山で修行していた命蓮(みょうれん)という聖(ひじり)の奇跡譚が中心主題となっている。 |
■『紅白梅図』、二曲一双屏風、MOA美術館、国宝 |
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平治物語絵巻より「信西の巻」から |
平治物語絵巻より「信西の巻」から |
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牛車で参内した公家たち |
信西一族追放の詮議 |
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国宝・『紫式部日記』 |
国宝・『平治物語絵詞』 |
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■13世紀(鎌倉時代)には『紫式部日記絵巻』という紙本着色の絵巻物が著された。作者は不詳である。 |
■『平治物語』にもとづいてつくられた絵巻。『平治物語絵詞』ともいう。十数巻あったらしいが,現存するのは,「三条殿夜討の巻」(ボストン美術館蔵),「信西の巻」(静嘉堂文庫蔵),「六波羅行幸の巻」(東京国立博物館蔵)の完本3巻と,諸家に分蔵される「六波羅合戦の巻」の断巻,および少数の模本のみである。鎌倉時代中期の製作。作者は,詞書の書風から,弘誓院(ぐぜいん)教家とする考証もあるが,未詳。 |
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京都・智積院・障壁画 |
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桃山時代に長谷川等伯らによって描かれ、祥雲禅寺の客殿を飾っていた金碧障壁画が真言宗智山派 総本山智積院,には残されています。「楓図」「桜図」「松と葵の図」「松に秋草図」等は国宝に指定されています。智積院(ちしゃくいん)は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥(げんゆう)。智積院の歴史は複雑で、紀州にあった大伝法院と、豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松のために建てた祥雲寺という2つの寺が関係している。 |
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真言宗智山派総本山・智積院の長谷川等伯・久蔵父子の |
京都・智積院・障壁画 桜図 (大阪万博) 国宝 |
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久隅守景の国宝・『納涼図屏風』 |
■久隅守景(江戸時代前期の画家、狩野探幽の弟子)の国宝・『納涼図屏風』:詩情豊かなこの画の主題は,木下長嘯子の和歌らしい。「夕顔のさける軒端の下涼み男はててれ(襦袢)女はふたの物(腰巻)」 |
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国宝・俵屋宗達の『源氏物語関屋澪標図』 澪標図(みおつくしず) |
俵屋宗達の『牛追い図』 |
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■俵屋 宗達(たわらや そうたつ、生没年不詳 - 慶長から寛永年間に活動)は、江戸時代初期の画家。通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」ほか。 |
源氏物語・「宿木」(やどりぎ)は、『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ。巻名は、薫と弁の尼が詠み交わした和歌「やどりきと思ひ出でずは 木のもとの旅寝もいかにさびしからまし」「荒れ果つる朽木のもとをやどりきと思ひおきけるほどのかなしさ」に因む。この「やどりき」はツタの異名(ヤドリギ)と「宿りき(かつて宿った)」の掛詞。薫25歳の春から26歳の夏にかけての話。 |
国宝「源氏物語絵巻」 |
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宇治を訪ねた薫は偶然、初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰路に宇治の邸に立ち寄った浮舟一行と出会い、垣間見た浮舟が亡き大君に似ていることに驚き、弁の尼に仲立ちを願い出た。 |
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国宝・源氏物語絵巻「宿木」(1964年)・琵琶を弾く匂宮 |
国宝・源氏物語絵巻「宿木」(1989年) |
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国宝・源氏物語絵巻「竹河」(1989年) |
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源氏物語・「竹河」(たけかわ)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。薫と藤侍従の和歌「竹河のはしうち出でしひとふしに深きこころのそこは知りきや」および「竹河に夜をふかさじといそぎしもいかなるふしを思ひおかまし」に由来する。 薫15歳の正月下旬、玉鬘邸に若者たちが集まって催馬楽の「竹河」を謡い興じた。その席で玉鬘は薫が弾く和琴の音色が亡父致仕大臣や亡兄柏木に似ていることに気付く。 |
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■『源氏物語絵巻』は、源氏物語を題材にして制作された絵巻としては現存最古のもので、平安時代末期の制作であるとされている。『伴大納言絵詞』、『信貴山縁起絵巻』、『鳥獣人物戯画』(いずれも国宝)とともに日本四大絵巻と称される。 |
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国宝・源氏物語絵巻 柏木二(部分)、柏木三(部分) |
国宝・源氏物語絵巻 鈴虫二(部分) 橋姫(部分) |
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国宝・源氏物語絵巻 早蕨(部分) 宿木二(部分) |
国宝・源氏物語絵巻 宿木三(部分) 東屋一(部分) |
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国宝・紫式部日記絵巻 旧森川家本第三段(部分) |
国宝の『紫式部日記』は、『源氏物語』の著者紫式部(生歿年未詳)が、平安時代、寛弘5年(1008)7月から同7年(1010)正月までの約1年半の間に書き遺した日記。藤原道長の娘であり一条天皇の中宮であった彰子に仕えた紫式部が、彰子の二度の皇子出産とその祝賀の華やかな様子を中心に、当時の権力者道長をめぐる様々な平安貴族の様子を生きいきと描き出した日記文学の傑作である。「紫式部日記絵巻」は、それを約250年後の鎌倉時代前期に絵巻にした作品。もとは全十巻程度の巻物であった。江戸時代以前の伝来は不明。現在はその約4分の1にあたる四巻分が伝わり、五島美術館のほか、大阪・藤田美術館、東京国立博物館、個人コレクターが所蔵する。 |
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藤原信実・三十六歌仙絵巻「伊勢」(1960年) |
雪舟・国宝・『秋冬山水図』 |
長谷川等伯・国宝・『松林図』 |
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■佐竹本三十六歌仙絵巻は、鎌倉時代・13世紀に制作された絵巻物。鎌倉時代の肖像画、歌仙絵を代表する作品である。 |
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■秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)は、 構築的な空間構成,強調された輪郭線,また細い線による簡略化された皴法に雪舟様式の特徴が見出せる。国宝。東京国立博物館蔵。 |
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藤原隆信・国宝・ |
■神護寺三像(じんごじさんぞう)は、京都神護寺が所蔵する三幅の肖像画。「絹本着色伝源頼朝像、伝平重盛像、伝藤原光能像」として1951年(昭和26)に国宝の指定を受けた。三像とも絹本著色、掛幅装。サイズは伝源頼朝像が縦143cm、横112.8cm、伝平重盛像が縦143cm、横112.2cm、伝藤原光能像が縦143cm、横111.6cmで、人物はほぼ等身大に表される。三像とも一枚絹に描かれている。 |
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狩野長信・『花下遊楽図』 |
狩野永徳・国宝・『檜図』 |
可翁筆・『寒山図』(国宝) |
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■描かれた当初の衣裳や花木の,今よりずっと鮮明な色彩を想像すると,落ち着いた背景との対比によって匂うように浮き出たさまがさぞかし優雅であったと思われる。 |
■狩野派随一の天才、狩野永徳が最晩年頃に手がけたとされる傑作、国宝『檜図屏風』。『檜図屏風』は当初、豊臣秀吉が八条宮智仁親王のために建立した八条宮家御殿の襖絵として制作されたものの、改めて屏風へと改装された作品である。 |
■14世紀の代表的な水墨画家の一人の可翁筆・『寒山図』(国宝)減筆体の人物画。寒山は唐時代、天台山に住んでいたという伝説的な隠者で、水墨画の好画題とされる。 |
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屏風絵 |
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国宝・婦女遊楽図屏風(松浦屏風) | 近世初期風俗図の傑作・国宝『彦根屏風』 | ||
■江戸時代初期 六曲一双の金地屏風に、18人の人物をほぼ等身大に描いている。極彩色に彩られた人物は、着飾った遊女や遊廓で養われていた少女、禿(かむろ)たちである。遊女は、三味線や双六、カルタに興じ、また、化粧をし、髪を結うなど身だしなみに精を出している。九州平戸の大名家、松浦家に所蔵されていたことから、松浦屏風と呼ばれる。 |
■ 彦根藩主井伊家に伝えられたため、「彦根屏風」の名がある。江戸時代寛永期(1624〜44)を代表する風俗図として知られる。男女の表情や緊密な構成から、遊楽のもの憂い雰囲気を感じさせる。 三味線、双六(すごろく)、手紙、屏風絵は、漢画の伝統的画題である琴棋書画(きんきしょが)の見立てであり、画中画の屏風は室町末期を下らない本格的な漢画の技法をとる。 卓越した素養と手腕を持つ画家の手になると考えられる。 |
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「舞妓図屏風」の1曲(1961年) | 南蛮人渡来図屏風・桃山時代 | 「本多平八郎姿絵屏風」の千姫 |
■向かって右には、葵紋を散らした鹿の子絞りの小袖を着た女性が侍女に手紙を読ませる様子、左には若侍と、菊の花束を片手に以て結び文を手渡そうとする禿とが描かれる。右扇の美女を千姫、左扇の若衆を本多平八郎忠刻とみて、両者の出会いを表したとする伝承が古くからあるが、実は二人のロマンスに仮託した附会で、風俗画の主題の一つ「文使い図」と考えられる。背景を省略して人物を大きく扱い、その衣装美や姿態美に重点が置かれた本図は、井伊家伝来の「彦根屏風」とともに江戸初期風俗画中の名品に数えられる。 |
京都国立博物館 |
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京洛風俗図屏風・賀茂競馬図(日本) |
正倉院宝物の一つである |
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■京洛風俗図屏風・賀茂競馬図は、 賀茂別雷神社(上賀茂社)に伝習された有名な「賀茂競馬」が描かれている。落款に「画所預従五位上土佐守藤原陽蘭軒筆」とあるが、作者は比定できず、町絵師の系統による作品と見るほうが妥当であろう。いずれにせよ、精緻な描写がされており、江戸前期の風俗を良く表している。 |
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■奈良・正倉院宝物「羊木昴兆風」は、上端には花喰い鳥、中央には羊と樹木、下段には山岳を配した、ササン朝ペルシャ風の構図となっており、樹木の幹には2匹の小猿、山岳中には立ち止まって見返る1匹の仔鹿が表されています。この屏風に描かれている羊の大ぶりの巻き角や、連珠文様の胸帯をかけている姿態は、エジプトのアンチノエ発見のササン朝期の羊文錦と通じるところがあるともいわれています。下端には「天平勝宝三年十月」(天平勝宝3年は751年)と墨書があり、当時の税(租庸調)の一つである調のあしぎぬの銘識の一部ではないかといわれています。 |
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観楓図屏風(かんぷうずびょうぶ) 平安建都1200年記念(1994) |
■洛北・高雄は古来,紅葉の名所として名高い。清滝川のほとりで思い思いに紅葉狩を楽しむ人々の姿が描かれる。遠く雲間に神護寺の伽藍や,雪の愛宕社も望まれる。春夏を描いた他の1隻とともに四季の名所絵であったと思われる。画中の印から,狩野元信の次男,「秀頼」の筆とされるが,孫の「秀頼」とする説もある。 |
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近世初期に来航したポルトガル人の風俗を描いた「南蛮図屏風」六曲一双の左隻の一部 |
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「南蛮屏風」(左隻・部分) |
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■近世初期に来航したポルトガル人の風俗を描いた「南蛮図屏風」六曲一双の左隻の一部です。慶長後半から元和・寛永頃に活躍したとされる狩野道味(生没年不詳)が1593〜1600年頃に描いたもので、日本の港に着いたポルトガル船から積み荷を降ろす場面が描かれています。(ポルトガル、2010年)所蔵:ポルトガル国立古美術館 |
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日本の絵画切手(作品別) |
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