西洋美術切手 ルネサンス(産業革命)の絵画 画家(その他)
ルネッサンス(ルネサンス)とは、「文芸復興」と訳されるが、本来「再生」を意味するように、人間の全精神の核心を意味し、中世の教権主義的なカトリック教会封建的な豪族諸侯との結託からなる旧秩序に対抗して、イタリアの知識的な商工市民階級が、十字軍の結果や皇帝党対法王党の葛藤などに起因する都市の隆盛に伴って次第に勃興し、「人間の再生」を目指して展開した人間生活の種々の面における革新運動と、その成果に対して、この概念が与えられている。 この新興市民階級は、長く忘れられていたローマや古代ギリシアの古代社会に彼らと共通する理想を見出し古代文化に憧れ、それに追従することによって「人間の解放」を達成しようとした。 この運動はまずフィレンツェを中心に展開され、イタリアの諸都市に及び、一般に、15世紀末-16世紀には、程度の差はあるが、ルネサンスの文化はアルプス以北の西欧や一部東欧諸国にも波及したと考えられている(北方ルネサンス)。 マニエリスム期の画家が多い。 画家は、ティントレット、ヴェロネーゼ、エルダー、ヤコポ・ズッキ、ロレンツォ・ロット、ジローラモ・ロマニーノ、ロレンツォ・コスタ(Lorenzo
Costa)、ジョルジョ・ヴァザーリ 他。
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ルネサンス時代の他の画家 |
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■マニエリスム (Mannerism) とはルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉である。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたる。 |
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マキャヴェリ,ザノービ゙(Machiavelli,Zanobi 1418-1479) |
マルコ・ドッジォーノ(Marco d'Oggiono /1475?〜1530) |
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■Zanobi Machiavelli (1418-1479) was an Italian painter and illuminator. |
■Marco d'Oggiono (c. 1470 - c. 1549) was an Italian Renaissance painter
and a chief pupil of Leonardo da Vinci, many of whose works he copied. |
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ロレンツォ・コスタ(Lorenzo Costa) 『聖母子』(ドミニカ) |
ロレンツォ・コスタ(LorenzoCosta) 『聖母子』(USA) 拡大○ |
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■ロレンツォ・コスタ(Lorenzo Costa, 1460年 - 1535年)は、イタリアのルネサンス期の画家。1483年に、コスタは『聖母子とともにあるベンティヴォーリオ家』他のフレスコ画を、サン・ジャコモ・マッジョーレのベンティヴォーリオ礼拝堂の壁に描くと、引き続き多数の作品を制作した。彼の息子イッポリト(1506年 - 1561年)とジローラモ、さらにジローラモの息子の小ロレンツォ(1537年 - 1583年)も画家になった。 |
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ベルゴニョーネ(Bergognone) |
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■ベルゴニョーネAmbrogio Bergognone、1481−1522に活躍)。パヴィア僧院内部とヴィスコンティ城の絵画館でかなりの数、目につくのがこの画家の絵(ブレラ絵画館、ポルディ・ペッツォリ美術館にも収蔵)。大画家ではないがレオナルドの強い影響下にも負けず芽を出している、近代的に繊細な、清新なもの、あるいは個性的な愛くるしさ、みずみずしさなどに掬すべきベルゴニョーネの物語的(narrative)ボエジーがある。 |
ベルゴニョーネ 『聖母子』 |
ベルゴニョーネ 『父なる神と天使と聖母子』(マラウィ、1977年) |
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アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ(Alvise VivariniまたはLuigi Vivarini ) |
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ヴィヴァリーニ ナショナルギャラリ 『聖母子』(ケイマン諸島) |
ヴィヴァリーニ 『聖母の戴冠』 |
ルネサンス ヴィヴァリーニ |
ルネサンス ヴィヴァリーニ |
(拡大○) |
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ルネサンス イタリア ヴィヴァリーニ 『Madonna and Child Enthroned,Surrounded by Saints』 |
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■Bartolomeo or Bartolommeo Vivarini (c. 1432 - c. 1499) was an Italian
painter, known to have worked from 1450 to 1499. His brother Antonio and
his nephew (also possibly his pupil) Alvise were also painters. He learned
oil painting from Antonello da Messina, and is said to have produced, in
1473, the first oil picture done in Venice. Housed in the basilica of San
Zanipolo, it is a large altar-piece in nine divisions, representing Augustine
and other saints. ■アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ(Alvise VivariniまたはLuigi Vivarini, 1446年 - 1502年)は、15世紀に活躍したイタリア出身の画家 |
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Vicente Juan Masip ルネッサンス時代のスペインの画家。 |
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Vicente Juan Masipの『最後の晩餐』 |
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■Vicente Juan Masip (also Vicente Macip; 1475- 1545) was a Spanish painter of the Renaissance period. he was one of the main members of the considered the premier painter of the Valencian school of painters. Since his name Macip made him sound like a laborer (macero), he adopted the name of Juanes or de Juan, and the heraldry of that family of nobility. He painted a Raphaelesqe Holy Family for the sacristy in the Cathedral of Valencia. |
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■最後の晩餐(さいごのばんさん)は、キリスト教の新約聖書に記述されているキリストの事跡の一つ。イエス・キリストが処刑される前夜、十二使徒と共に摂った夕食、またその夕食の席で起こったことをいいます。この場景を描いた作品は多く、特に題材に因んで教会の食堂の壁画として描かれる事が多いが、その中でもレオナルド・ダ・ヴィンチの絵がもっともよく知られている。イエスと十二使徒を描くのが通例となっている。 |
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オルライ・Bernard van Orley [Flemish Northern Renaissance Painter, 1488-1541] 『聖母子』 |
■Bernard van Orley (Brussels, between 1487 and 1491- Brussels, 6 January 1541), also called Barend van Orley, Bernaert van Orley or Barend van Brussel,was a significant Flemish Northern Renaissance painter and draughtsman, and also a leading designer of tapestries and stained glass. He is counted among a group of painters belonging to the Romanism school of painting, who has not been given enough attention by the general public. |
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デューラー『Portrait of Bernhard von Reesen』(東ドイツ発行) |
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Bernard van Orley by |
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Marinus van Reymerswaele [Flemish Northern Renaissance Painter, ca.1490-1567] |
ダル・オッチオ(Dall'Occhio) |
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『TAXコレクター』 |
■Marinus Claeszoon van Reymerswaele (Reimerswaal, The Netherlands, c. 1490 - Goes c. 1546) was a Dutch painter. He worked in Zeeland from 1533-1545. Hence he is also named Marinus de Seeu (from Zeeland). He studied at the University of Leuven (1504) and was trained as a painter in Antwerp (1509). |
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Luca Signorelli (c. 1445 - October 16, 1523) |
ヴィンチェンツォ フォッパ(Vincenzo Foppa ) |
■Vincenzo Foppa (c. 1430 - c. 1515) was a Northern-Italian Renaissance painter. He was an elderly contemporary of Leonardo da Vinci. Born at Bagnolo Mella, near Brescia in the Republic of Venice, he settled in Pavia around 1456, serving the dukes of Milan and emerging as one of the most prominent Lombard painters. Foppa returned to Brescia in 1489. His style shows affinities to Andrea del Castagno and Carlo Crivelli. Vasari claimed he had trained in Padua, where he may have been strongly influenced by Mantegna. |
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『聖家族』 Luca Signorelli, Sacra Famiglia, Firenze, Uffizi |
■Luca Signorelli (c. 1445 - 16 October 1523) was an Italian Renaissance painter who was noted in particular for his ability as a draughtsman and his use of foreshortening. His massive frescoes of the Last Judgment (1499-1503) in Orvieto Cathedral are considered his masterpiece. |
『Bottigella Altarpiece-Detail of Saints』の聖母子 |
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ロレンツォ・ロット(Lorenzo Lotto, 1480-1556) |
ロレンツォ・ロット 『聖母子と聖カタリナ、聖トマス』 拡大○ |
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ロレンツォ・ロット 『聖母子』 |
■ロレンツォ・ロット(Lorenzo Lotto、1480年 - 1556年)はルネサンス期のイタリアの画家。反古典主義的な思想と対象の内面へ迫る心理描写が大きな特徴。レオナルド・ダ・ヴィンチを始め、ヴェネツィア派の発展において決定的な役割を果たしたアントネッロ・ダ・メッシーナやドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーの影響を受けながら、画家独自の不安的で神経質な様式を形成。16世紀イタリアにおけるヴェネツィア派の代表的な画家。 |
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ロレンツォ・ロット 『東方3博士の礼拝』 ロレンツォ・ロット 『聖家族』 (クック諸島、1990年) ルーヴル美術館 |
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ロレンツォ・ロット『スザンナの貞操』 拡大○ |
ロレンツォ・ロット・『聖家族』 (USA、1970) |
ロレンツォ・ロット・『聖母子』 |
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ウフィツィ美術館参考資料より転載 |
■『スザンナの貞操』は、入浴中のスザンナが言い寄る二人の老人を拒絶するという聖書のエピソードを描いた。壁の向こうの風景は伝統画法に従っているが、高角度の視点から描かれ、左上に浴場に向かうスザンナを盗み見する老人二人が遠方に見える。巻物は、スザンナの言葉と復讐を企てる老人の言葉が書かれている。 何かマンガを見ているような絵です。 |
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◎ロレンツォ・ロットは、ジョルジョーネやヴェネツィア派最大の巨匠ティツィアーノとは一線を画す存在として、ヴェネツィア、トレヴィーゾ、ローマ、マルケ、ベルガモなど各地を遍歴しながら活躍。その画業はしばしばティツィアーノと比較される。幾多の宗教画を残すほか、傑出した肖像画家としても名を馳せた。 |
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ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari) |
ヴァザーリ 『ウルカヌスの鍛冶場』 ビーナスとウルカヌス |
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■ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511年7月30日 - 1574年6月27日)は、イタリアのマニエリスム期の画家、建築家。その画風は誇張された人体のプロポーションや複雑な人物の動作表現、鮮やかで冷艶な色彩、難解な寓意を配するなど典型的なマニエリスム様式の特徴を示す。イタリアのアレッツォ生まれ。1524年、13歳の時にフィレンツェに出てルネサンス三大巨匠のひとりミケランジェロや、マニエリスム様式の先駆的存在であったアンドレア・デル・サルトの下で修行時代を送るほか、メディチ家の庇護を受け、後のトスカーナ大公コジモ1世とも交友を重ねる。1529年にローマへと移りラファエロ作品の影響を受けながらミケランジェロに倣った誇張された人体のプロポーションや複雑な人物の動作表現を用いる独自の画風を確立。建築家としてはパラツィオ・ヴェッキオ、ウフィッツィ宮改装、ウフィッツィ宮とピッティ宮を結ぶ通称『ヴァザーリの回廊』と呼ばれる回廊など数々の著名な建築物を手がけている。(右下へ続く) |
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ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-74)の絵画「聖母を描く聖ルカ」 |
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■ルネッサンス期の画家で美術家評伝の著者として知られるジョルジョ・ヴァザーリ(1511-74)の絵画「聖母を描く聖ルカ」(フィレンツェ、サンティッシマ・アッヌンツィアータ教会のサンティッシマ・トリニタ礼拝堂)。聖ルカはヴァザーリの自画像と言われている。 拡大○ |
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ヤコポ・ズッキ(Jacopo Zucchi) |
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■ヤコポ・ズッキ(Jacopo Zucchi、1540 - 1596)の描いた絵画は、メディチ家の善政の政治的寓意と解釈されるべき歴史的伝統があったという。フィレンツェの画家。ヴァザーリの弟子。 |
ヤコポ・ズッキ 神話による『銀の時代』、『黄金の時代』 |
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『Eros and Phyche』 |
■『銀の時代』、『黄金の時代』は、枢機卿だったフェルナンド・デ・メディチの所有物収納庫に有った作品、家具装飾か肖像画カバーとして描かれたらしい。ヴァザーリと一緒にヴェッキオ宮殿の造営に参加しており、この2作品は、ルーヴル美術館にあるヴァザーリのデッサンと関連付けられている。『黄金の時代』はコジモ1世の婚礼で歌われた歌が発送源。 |
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Jacopo Zucchi (c. 1541- c. 1590) was a Florentine painter of the Mannerist
style, active in Florence and Rome. 右の『雪の奇蹟」はバチカン絵画館に収蔵されています。 |
ヤコポ・ズッキ |
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アレッソ・バルドヴィネッティ(Alessio Baldovinetti ) |
Ulrich Apt the Elder 1460 - 1532 |
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『聖母子』 クリックで拡大 |
『Adoration of the Magi』 (東方三博士の礼拝) ダホメー |
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■アレッソ・バルドヴィネッティAlessio Baldovinetti (1427年10月14日- 1499年8月29日)イタリアの初期ルネサンスのフィレンツェの画家。 |
■Ulrich Apt the Elder 1460 - 1532 は、北方ルネサンスの画家。 |
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(ジローラモ・ロマニーノ(Girolamo Romanino、1484-1562)) |
ラッザロ・バスティアーニ(Lazzaro Bastiani) |
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■ジローラモ・ロマニーノ(1485または1487−1560)、1514〜1539年の間のトレントの司教 ベルナルド・クレシオの招きで、トレントに滞在していたのは1531〜1932年とされる。ブオンコンシリオ城の中心パラッツォ・マーニョの壁画に代表する、城内の装飾の多くを手がけた。 |
■絵画工房の親方であったラッザロ・バスティアーニ(Lazzaro Bastiani)の作品は、ウィーンにある『S・ヴェネランダ(S. Veneranda)』、ロンドンのナショナル・ギャラリーにある『聖処女の前跪く Doge Mocenigo 』及び『聖母子』(以前は、カルパッチョのものとされていた)などの絵画におい見て取れる。 |
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『キリストの誕生(降誕)』 |
『キリストの誕生(降誕)』 |
『聖母子』 |
『聖母子』 |
ロバート・ピーク・エルダー |
■ロバート・ピーク・エルダー Robert Peake (1576 - 1619)は、イギリスのジャコビアン時代の画家。ジャコビアン時代(Jacobean era)とはイングランド史およびスコットランド史でジェームズ1世の治世期間(在位:1603年 - 1625年)を指す時代区分です。ジャコビアン時代でもっとも著名な肖像画家ダニエル・マイテンス(Daniel Mijtens)はオランダ人で、次のチャールズ1世の時代にはフランドル出身のアンソニー・ヴァン・ダイクだった。しかし、自国の画派では、ロバート・ピーク・エルダー(Robert Peake the Elder)、ウィリアム・ラーキン(William Larkin)、サー・ナサニエル・ベーコン(Sir Nathaniel Bacon)という画家たちが活躍した。 |
Ambrosius Bosschaert the Elder |
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『ヘンリーフレデリック(1594-1612)プリンスオブウェールズ』 |
■Ambrosius Bosschaert the Elderは、1573年アントワープ生まれ、1621年ハーグにて没。オランダ黄金期の、花を主なモチーフとして描いた静物画家。彼の花束を対称的に描かれていると銅の小さな寸法に科学的正確さとは、通常です。彼らは時には象徴的、宗教的意味が含まれます。 |
フラワーショー(モナコ、1973年) |
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『Prince of Wales, and Sir John Harington』(1603年) |
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ティントレット(Tintoretto,1518-1595、ヴェネツィア) |
ティントレット 『ウルカヌスに見つかったマルスとビーナス』 |
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『十字架を背負うキリスト』 |
『レダ(Leda)』ギリシア神話レダ(ユピテルの愛の物語) |
ボッティチェッリを参考に |
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ウフィツィ美術館 |
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■ティントレット(Tintoretto,1518-1595、ヴェネツィア)は、ヴェロネーゼと並び16世紀ヴェネツィア派を代表する画家。本名ヤコポ・ロブスティ(Jacopo Robusti)だが、父親が染物師【tintore】だったことからティントレットの呼び名で知られるようになる。作風はすでにヴェネツィア派の巨匠であったティツィアーノやミケランジェロからの影響を受けながら形成されていったと考えられている。多少引き伸ばされた人体のプロポーションや、躍動感に富んだ捩れる姿勢、極端に表される短縮法、強い明暗対比などマニエリスムやバロック的な表現を用いることで、ドラマティックな画面構成の作品を創造した。世界最大級の絵画作品となる『天国(700×2000cm)』を始め、その作品の多くは稀にみる大きさが際立っている。 |
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■『レダと白鳥』 のレダとして描かれているのはヴェネツィアの高級娼婦。ギリシャ神話の主題のティントレット30代の作品。 ウフィツィ美術館 第32展示室「パッサーノとティントレット」 |
『ウルカヌスに見つかったマルスとビーナス』 ティントレット |
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『レダと白鳥』 1550年代 ティントレット |
■ティントレットの代表作『スザンナと長老たち』。本作の主題は、旧約聖書≪ダニエル記≫へ補遺的に記される逸話で、裕福なユダヤ人ヨヤキムの妻スザンナの水浴を2人の長老達が覗き見し、スザンナへ「我々と関係しなければ、お前が若い男と姦通していると通報する」と、脅迫し姦淫の要求をするも、スザンナに拒否される。それに腹を立て、脅迫どおりスザンナを姦通を犯した罪で死罪にするよう告発するも、少年であったダニエルが2人の長老達の告発に疑いを持ち、スザンナが何処で罪を犯したか2人へ別々に話を聞くと、一方は乳香樹の下で、もう一方は柏の木の下で、と別々の場所を答えたことから2人の長老達の虚偽を暴き、スザンナの無実を証明する≪スザンナと長老たち≫で、本主題は当時ヴェネツィアで人気の高く、ティントレットも本作以外に同主題で複数枚、作品を手がけている。ミケランジェロに倣う妻スザンナの量感溢れる肉体的美しさと、その中に品格を感じさせる人体の表現力はティントレットの最も大きな魅力であり、本作においても如何なく発揮されている。 |
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■『ウルカヌスに見つかったマルスとビーナス』:この絵のテーマは、アポロ(光明・医術・音楽・予言を司る理知的な神)に情報を与えられたヴァルカヌス(大神ゼウスの子でローマ神話の“火の神”/噴火山、ヴァルカン半島の語源)が妻ビーナスの不倫(お相手はローマ神話の屈強な“軍神マルス”で、間抜けにも右奥のベットの下端から兜の頭が見えている)の現場に踏み込んだ瞬間の描写です(伝承ではヴァルカヌスが二人の不倫の現場に網を仕掛けたことになっている)。そして、この絵についてのアカデミックでオーソドックスな美術史上の解釈は「天網恢恢疎にして失わず」(天の網は広大で、その目は大まかなようだが、実際は何一つ取りこぼすことはない)、つまり妻たる女性たちの不貞への戒めということになっているようです。 絵画は、ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク(http://www.pinakothek.de/alte-pinakothek/)にあります。色はシートより単片のほうが近い。この絵の大きな画像は下記URLでご覧ください。ボッティチェッリを参考に |
『スザンナと長老たち (Susanna e i vecchioni)』 ティントレット |
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■肖像画『胸を露わにする女性の肖像』。プラド美術館が所蔵する本作は、女性の柔らかな光を放つ肌の質感や色彩の豊かさも特筆に値するが、何と云っても肖像画の中に甘美性を持たせつつ、モデルの凛とした表情の美しさが際立っている。高貴で端正な顔立ちはもちろん、多少誇張されつつも女性特有の強い意思を秘めたこの女性の肖像画は、人間を賛美し、再発見したルネサンス芸術の真髄とも呼べる美しさに溢れている。また白色肌によく合った透き通る美しさを放つ真珠の首飾りなどから、当時最高級とされていた透ける素材を使用した服装からも、この女性が特別な存在であることがわかる。 でも綺麗な女性ですね。 |
『胸を露わにする女性の肖像』 |
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ルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli, 1445年/1450年頃 - 1523年) |
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シニョレッリ 『モーセの遺言と死』 システィーナ礼拝堂 |
■ルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli, 1445年/1450年頃 - 1523年)は、ルネサンス期のイタリアの画家。コルトーナの出身で、師はピエロ・デラ・フランチェスカであるとされるが、画風は師の理知的で静けさに満ちた作風とは異なり、ダイナミックな線描と正確な人体表現が特色である。ボッティチェリ、ペルジーノらとともに、バチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画装飾に携わっており、当代一流の画家とみなされていたことがわかる。 |
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パオロ・ヴェロネーゼ(paolo veronese)(イタリア、1528-88) |
Maitre de Flore(16世紀)、 |
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『賢明と力 (Saggezza e Forza)』 |
■ヴェロネーゼは、16世紀ヴェネツィア派の画家。アントニオ・バディーレの下で修行し、ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノや、コレッジョら多くの画家から影響を受け、独自の作風を確立。人物の複雑なポーズ、極端な短縮法などマニエリスム的な構成を要し、ティントレットとは対照的に明暗対比を抑え、補色を並置するなど、画面の中に明るい光彩を置くことを得意とし、同時にヴェロネーゼの最も優れた個性となった。また宗教画の中にさえ世俗性を表現する事も大きな特徴で、世俗性が原因で、代表作『レヴィ家の饗宴』では主題の解釈で、審問に召喚されるというスキャンダルさえ起こした。パオロ・ヴェロネーゼの真作が約300点、帰属作品は400点を超えている。初期はマニエリズム風。後に、古典主義的な作風を築く。代表作「レヴィ家の饗宴」「カナの婚礼」など。 |
土候国MANAMA発行 |
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■寓意画『賢明と力』。画面中央よるやや左に位置する女性像は賢明を表し、画面右の男は力を示すとされている本作は、ヴェネツィア派の巨匠らしい鮮やかで大胆な色彩と、マニエリスム的な人体の短縮法によって描かれていることなど、画家の独特な特徴が良く表現されており、寓意画としての価値はもちろん、比較的良好な保存状態ゆえに鑑賞作品としての価値や、技術が円熟の局地に達していたヴェロネーゼの画業を研究する上でも、重要な作品となる。衣服の柔らかい表現、人物の複雑なポーズなど、ルネサンス絵画芸術の歴史的背景を考えても、見るべき点は多い。女性は賢明を、男性は力を表している。天井の力、地上の力をも意味する。銘文「全ては虚栄なり」が足元の地球に書かれている。 |
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『カナの婚礼』の一部(中央部分のキリストとマリア、同左部分、 |
ヴェロネーゼ 『ディアナ』 エルミタージュ美術館(ソ連、1978年) |
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ヴェロネーゼ 『聖家族』 ほか |
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『ヴェロネーゼの自画像』 |
『ヴェロネーゼの自画像』 |
ヴェロネーゼ 『聖家族と聖カタリナと幼い洗礼者聖ヨハネ』 |
ヴェロネーゼ 『ディアナ』 |
ヴァチカン市国 |
ウフィツィ美術館(拡大○) |
エルミタージュ美術館 |
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■『カナの婚礼』は、ルーヴルで最もサイズの大きな作品です。『カナの婚礼』には、婚礼の饗宴と、水をぶどう酒に変えたイエスの最初の奇跡が描かれ、ミラノのフレスコ画では、イエスと使途たちの最後の晩餐が描かれています。《カナの婚礼》は、福音書に書かれている出来事と1560年代のヴェネチアの上流社会の婚礼とを混ぜ合わせて描かれた作品で、驚くようなディテールがあちこちに隠されています。(ルーブル美術館) |
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アントネッロ・ダ・メッシーナ |
『メッシーナ自画像』 |
アントネッロ・ダ・メッシーナ 『聖母子(USA) |
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『キリストの磔刑』 |
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■アントネッロ・ダ・メッシーナは、15世紀、メッシーナを中心に活躍したシチリア島出身の画家。ヴェネツィア派の発展において、決定的な役割を果たす。その様式はイタリアで発見された遠近法や幾何学的形態、油彩による濃明な色彩のほか、フランドル絵画からの影響である細密描写など、当時の西欧絵画の融合をみせる。イエスがゴルゴダの丘で十字架に架けられる場面を描く、キリスト教の中でも最重要視される教義のひとつである主題≪磔刑≫は、画家が生涯において繰り返し描いてきた主題でもあり、その中でも本作は最も複雑で劇的な構想によって描かれた作品である。 |
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ニコラ・フロマン |
Vrancke van der Stockt (1420 - 1495)) |
ロッソ・フィオレンティーノ Rosso Fiorentino |
■ロッソ・フィオレンティーノ Rosso Fiorentino:1494-1540 | イタリア | マニエリスム ポントルモと並びフィレンツェ、ローマなどで活躍したマニエリスム第一世代を代表する画家。初期のフィレンツェではデューラーなどの作風を学び、『十字架降下』など鮮烈な色彩で悲壮な視線を向ける、幻想的で独創的な人物像を描いた。1524年からはローマに居を移し、とラファエロの弟子やパルミジャニーノと交遊を築きながら礼拝堂などのフレスコ画を制作した。 |
『聖母子』 クリックで拡大 |
『Annunciation』 クリックで拡大 |
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Nicolas Froment (1461 - 1483) はフランスの画家。 |
Vrancke van der Stockt は北方ルネサンスの画家。 |
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エルコレ・デ・ロベルティ(Ercole de' Roberti, 1451年頃 - 1496年) |
ニコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ (Niccolo di Pietro 1394-1440) |
■Niccolo di Pietro Gerini (ca. 1340-1414) was an Italian painter of the late Gothic period, active mainly in his native Florence. Niccolo di Pietro Gerini's works can be found in major art galleries in Rome, the Vatican, Florence, London, Milan, New York, Los Angeles, Amsterdam, Berlin, Paris, St Petersburg, Boston, Cambridge, Budapest, Birmingham, Pelago, Prato, Pisa, Altenburg, Avignon, Denver, and several other museums. |
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■エルコレ・デ・ロベルティ(Ercole de' Roberti, 1451年頃 - 1496年)またはエルコレ・フェッラレーゼ(Ercole Ferrarese)、エルコレ・ダ・フェラーラ(Ercole da Ferrara)は、初期ルネサンスのイタリアの画家。 |
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パルマ・イル・ヴェッキオ(Palma il Vecchio) |
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パルマ・イル・ヴェッキオ(Palma il Vecchio, 1480年 - 1528年7月)はイタリアのヴェネツィア派の画家。本名はヤコポ・パルマ(Jacopo Palma)またはヤコポ・ネグレッティ(Jacopo Negretti)ヤコポ・ニグレッティ(Jacopo Nigretti)といい、Palma il Vecchio(老パルマ)と呼ばれるのは、同名の甥の息子と区別するためで、甥の息子はパルマ・イル・ジョーヴァネ(en:Palma il Giovane, 若パルマ)と呼ばれている。パルマの絵は色彩の豊かさに優れているものの、創意工夫や力強いデッサンに関してはあまり考慮されていない。 パルマの絵には、娘(と言われる)ヴィオランテを描いた絵が多い。ティツィアーノは彼女に夢中だったと言われている。パルマの作品で有名なものは、たとえば、ヴェネツィアのサンタ・マリア・フォルモーザ教会にある6つの絵がある。 |
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パルマ・イル・ヴェッキオ『A Blonde Woman』(1520年)ロンドン・ナショナルギャラリー、《ヴィーナスとキューピッド》フィッツウィリアム美術館 |
パルマ・イル・ヴェッキオ『Venus and Cupid in a Landscape』(Norton Simon Museum)、『ディアナとカリスト』(1525年)ウィーン美術史美術館 |
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■イタリア・ルネサンスの始まりはチマブーエあるいはその弟子ジオット(1276年? - 1337年)の絵画とされる場合も多い。しかし「人間性」を尊重した彫刻家ドナテッロと「線遠近法」を完成させた建築家フィリッポ・ブルネレスキの二人の特徴を絵画において融合させたマサッチオ(1401年
- 1428年)が始まりだとする見解もある。このことからドナテロ、ブルネレスキ、マサッチオは初期ルネッサンスの三大巨匠と呼ばれる。 |
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ルネサンス時代の画家で未詳。 |
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『聖母子』(未詳、 |
『聖母子』(未詳、 |
『聖母子』(未詳、ドミニカ) |
1973年モナコで発行された |
15世紀・ルネサンスの |
掲載のルネサンスの主要な画家一覧: |
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『ガリレオ・ガリレイ |
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