バチカン市国(Governor of Vatican City)|システィーナ礼拝堂 『最後の審判』 |
システィーナ礼拝堂について
バチカン市国(Governor of Vatican City)のシスティーナ礼拝堂 『最後の審判』とミケランジェロの作品。 システィーナ礼拝堂(Cappella
Sistina)はサン・ピエトロ大聖堂に隣接し、バチカン宮殿内に建てられた礼拝堂。 ミケランジェロが描いた創世記などの大天井画、最後の審判の壁画で有名です。 教皇を選出するコンクラーヴェの会場としても知られています。 宗教上の理由で、当然ながらシスティーナ礼拝堂は全面撮影禁止で、以外はフラッシュをしなければ撮影可能でした。 システィーナ礼拝堂は、シクストゥス4世により1477年-1480年に建設された。 ミケランジェロの天井画『創世記』(1508年-1512年)と祭壇壁画『最後の審判』(1536年-1541年)で知られています。
側壁のキリストとモーゼの生涯をテーマにした壁画は、ペルジーノ、ボッティチェッリ、ギルランダイオらの作。
また、システィーナ礼拝堂は、撮影禁止のため切手で見た様を中心に表現してみました。 ただし、バチカン美術館の入口の長蛇の列は避けたが、システィーナ礼拝堂にたどり着くまでに相当疲れていました。 通常の美術館で作品を目の当たりに見るのとは違い、20メートルの高さの暗い所にある天井画は、いかに巨大なサイズとはいえ細部がわからずもどかしい思いをします。 切手や写真で見るのは簡単ですが、天井の多数の絵画がそれぞれ絵の向きが違うため、場所が異なるとわかりにくい面もありました。 撮りたかった。 若し行かれる方があれば双眼鏡やオペラグラスを用意したほうが良いです。
説明資料作成では、Wikipediaやバチカン博物館の書籍を参考に利用させて戴きました。
世界遺産の切手:イタリア、絵画切手:ミケランジェロ(ルネサンス)。
ご注意)写真は私が撮影し著作権があります。転載禁止! |
ページ内索引 {システィーナ礼拝堂|バチカン市国のミケランジェロの作品}
システィーナ礼拝堂
■システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)はサン・ピエトロ大聖堂に隣接し、バチカン宮殿内に建てられた礼拝堂。 ミケランジェロが描いた創世記などの大天井画、最後の審判の壁画で有名です。 教皇を選出するコンクラーヴェの会場としても知られています。 シクストゥス4世により1477年-1480年に建設。
■ミケランジェロは、ミケランジェロは、各窓の上方にはルネッタと呼ばれるアーチ形の区画と三角形のスパンドレルと呼ばれる区画についても天井画の一環として制作を命じられた。ルネッタは、側壁と天井を視覚的につなぐ役割をしている。ルネッタに描かれた人物(高さはおおむね2メートル)は、サイズの点では、巨大な預言者・巫女像と、小さめに描かれた歴代教皇像(各窓の両脇に15世紀に描かれた)との中間くらいの大きさである。ルネッタの画像のテーマはキリストの祖先たちである。
■天井画最下部の『キリストの先祖たち』ではそれぞれの家族の人間関係を極めて不仲に表現しており、家族間の親密な愛情表現とは程遠い構成で描かれている。
■ルネッタ(ルネット)に描かれた人物たちは家族を表すとみられるが、いずれの場合もそれは分断された家族である。家族たちは中央の銘板によって物理的に隔てられているだけでなく、さまざまな感情によって互いに背を向けあい、あるいは嫉妬、疑い、怒りなどの感情を自分自身に、あるいはパートナーの方へと向けている。これらの絵でミケランジェロは、人間の怒りや不幸を表現している。そして、これらの家族像を通して人間の本性につきものの問題点を鑑賞者に示し、人類は何ゆえ救世主イエス・キリストを必要とするのかを明瞭に示している。ルネッタの窮屈な空間で、人物は座り、うずくまり、待つほかない。
現存する14面のルネッタのうち、最初に描かれたと思われる2面、『エレアザル、マタン』と『ヤコブ、ヨセフ』がもっとも細かく描き込まれている。人物像は入口側から祭壇側に向かうにしたがって大きくなり、最後の方の絵の1つはわずか2日で仕上げられている。
■聖ヨセフ(ヨゼフとも)、新約聖書に登場するマリアの夫、イエスの養父である。職業は大工であったとされる。ヨセフは、カトリック教会、正教会、東方教会、聖公会およびルーテル教会で崇敬され、カトリック教会では1870年に教皇ピウス9世により、全教会の普遍的な守護聖人であると宣言された。
■旧約聖書に登場するモーセの七つの試練が、一つの作品の中に描かれている。「同胞のためにイスラエル人を虐待したエジプト人を殺す」「砂漠に逃亡する」「羊飼いたちを追放する」「得手炉の娘の羊に井戸から汲んだ水を飲ませる」「神の声を聞いてモーセが靴を脱ぐ」「神の前にひざまずく」「イスラエルの民を率いてエジプトを脱出する」というそれぞれのシーンに、オレンジと緑の衣装のモーセが登場している。
■『出エジプト記』(英語: Exodus)は、旧約聖書の2番目の書であり、『創世記』の後を受け、モーセが、虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語を中心に描かれている。モーセ五書(トーラー)のひとつであり、ユダヤ教では本文冒頭より2番目の単語から『シェモース』と呼ぶ。
■ペルジーノの『聖ペテロへの天国の鍵の授与』は、その構成の明快さと平易さにおいて特筆すべき寓意に満ちた美しい作品で、群衆の中にはペルジーノの自画像も描かれている。町並みの描写には透視図法が用いられており、背景の二つの凱旋門はペテロがローマの大司教であることを、中央の八角形の建物は洗礼堂、あるいは古代ローマの霊廟を象徴している。
バチカン市国のミケランジェロの作品
■サン・ピエトロ大聖堂の中に入ってすぐ右側にルネサンスの巨匠・ミケランジェロが1498年(23歳)~1500年(25歳)にかけて制作した『ピエタ』があります。 十字架にかけられて亡くなったキリストの亡骸を聖母マリアが抱いている像を『ピエタ』と言います。
サン・ピエトロ大聖堂のミケンランジェロ作『ピエタ』 / |
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サン・ピエトロ大聖堂のミケンランジェロ作『ピエタ』 / |
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ミケンランジェロ作『ピエタ』はバチカン 絵画館入口にあるミケランジェロの『ピエタ』 |
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この『サン・ピエトロのピエタ』はミケランジェロの数ある彫刻の中でもダビデ像と並ぶ最高傑作と言われています。 およそ2年をかけてミケランジェロは大理石の一枚岩からかつてなく壮麗な彫刻を創り上げました。 制作にあたり『ピエタ』という題材について彼の下した解釈は、過去の他の芸術家たちとは大きく異なるもので、失意に沈む年配の女性として表現されるのが通例であった聖母マリアの姿を、ミケランジェロは若々しく穏やかで神々しい女性に仕立て上げたのである。 息子イエスよりも若く見えることについて枢機卿は『マグダラのマリアの間違いではないか』と非難した(ドレスの裾からマリアの爪先がわずかに覗いていることからも、この非難は的外れなものではない)が、 (下へ続く) |
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サン・ピエトロのピエタ(バチカン市国) |
ミケランジェロは『原罪のない聖母マリアは歳をとらない』と断言した。 |
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ミケンランジェロ作品 "Pieta", "バッカス(Bacchus)", and "David(ダビデ)" |
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■ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475年3月6日 -
1564年2月18日)は、イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。名前はミカエル(Michael)と天使(angelo)を併せたもの。西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われるバチカンのシスティーナ礼拝堂の天井フレスコ画や『最後の審判』、パオリーナ礼拝堂にある『聖ペテロの磔刑』、『パウロの改宗』を描いたことでよく知られている。もともとは彫刻家であり、『ピエタ』や『ダビデ像』等の傑作のほかにも『バッカス』、『モーセ』、『ラケル』、『レア』などが有名である。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンティとともにルネサンスの三大巨匠と呼ばれる。
当サイトの参考ページ『ミケランジェロ(ルネサンス)』
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