Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
美術切手|バロックの画家 アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck) フランドルの代表的な画家。 イングランド国王チャールズ1世の宮廷画家。ルーベンスの工房で助手を務めた。師のルーベンスより、優美な絵を描く。 42歳の若さで亡くなっている。

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西洋美術切手 アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck)

 アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck 、1599年-1641年は、)はバロック時代の画家。 ルーベンスの工房にいた助手たちで、一番、優れていた。十代の終わりには、すでに、助手頭であった。1632年、ロンドンに移住し、イギリス国王チャールズ一世の首席宮廷画家となる。 肖像画で国際的人気を得た。ファン・ダイク自身、ハンサムで、優美な物腰だったので、貴族などから人気があった。ファン・ダイクの肖像画は、その人物の立場、ときには性格までも暗示するよう演出されているのが、特徴である。18世紀、レノルズやゲインズバラなどの、イギリス肖像画に決定的な影響を与える。宗教画や神話画も描いている。 師のルーベンスより、優美な絵を描く。 42歳の若さで亡くなっている。 
 

 

■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリダ・ヴィンチラファエロミケランジェロデューラーティツィアーノルーベンスベラスケスアングルエル・グレコレンブラントカラヴァッジオフェルメールダイクドラクロワゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワールマネとモネセザンヌゴーギャンマチスピカソダリ葛飾北斎安藤広重クリムトシャガールモディリアーニミュシャ ]

バロックの画家[ バロック全体グレコルーベンスレンブラントベラスケスカラヴァッジオフェルメールダイク ]

アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck)

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『2人の若いイギリスの紳士の肖像(スコットランドの貴族・レノックス伯一家(Dukes of Lennox)の息子達)』 ヴァン・ダイク

『狩り場のチャールズ1世像』 ルーヴル美術館 ヴァン・ダイク

『2人の若いイギリスの紳士の肖像(スコットランドの貴族・Dukes of Lennox の息子達)』 ヴァン・ダイク ヴァン・ダイク 『狩り場のチャールズ1世像』 ルーヴル美術館

■ヴァン・ダイクが描いたイングランド王チャールズ1世像の数多い肖像画のうち、最高傑作とされているのが『狩り場のチャールズ1世像』である。伝統的な王侯の肖像画と異なり、この絵のなかの国王チャールズ1世は、野外の風景のなかで2人の召使とともに描き出されている。チャールズ1世は乗馬服、つば広帽、乗馬用ブーツという軽装でくつろいだ様子であるが、こちらを見つめる王の表情には威厳があり、モデルの身分の高さを無言のうちに語っている。王の傍らにいる2人の召使は陰のなかに描かれ、王のみに光が当たっている点も、王の高貴さを強調している。イングランド国王チャールズ1世の宮廷画家。

『家族の肖像画』(ソ連,1970年)
ヴァン・ダイク

『チャールズ1世の子供』、『花嫁とオレンジのウイリアム公、ウィレム2世とメアリー・スチュアート』、
『ウイリアム2世・オレンジの皇太子』(ベルギー,1964年) ヴァン・ダイク

バロック 美術 切手 ヴァン・ダイク 『家族の肖像画』(ソ連,1970年) チャールズ1世の子供、花嫁とオレンジのウイリアム公、ウイリアム2世・オレンジの皇太子(ベルギー,1964年) ヴァン・ダイク バロック チャールズ1世の子供、花嫁とオレンジのウイリアム公、ウイリアム2世・オレンジの皇太子(ベルギー,1964年) ヴァン・ダイク バロック チャールズ1世の子供、花嫁とオレンジのウイリアム公、ウイリアム2世・オレンジの皇太子(ベルギー,1964年) ヴァン・ダイク バロック

『マントを分け与える聖マルティヌス(St.Martin Dividing His Cloak)』(ベルギー、1910年)

『聖ミカエルとサタン(悪魔)』
(ベルギー、1897年)
ヴァン・ダイク

『聖母子と寄進者』
ヴァン・ダイク

『マントを分け与える聖マルティヌス(St.Martin Dividing His Cloak)』(ルワンダ)

バロック 美術 切手 ヴァン・ダイク  バロック 美術 切手 ヴァン・ダイク 『聖ミカエルとサタン(悪魔)』(ベルギー、1897年) バロック 美術 切手 ヴァン・ダイク バロック 美術 切手 ヴァン・ダイク マントを分け与える聖マルティヌス(St.Martin Dividing His Cloak)(ルワンダ)

■稀代の早熟を示す画家ヴァン・ダイク初期の代表的な宗教画作品のひとつ『マントを分け与える聖マルティヌス』。1612年頃に手がけられた油彩スケッチが残されるよう、本来はヴァン・ダイクの師ルーベンスが祭壇画として制作する予定であったが、何らかの理由でヴァン・ダイクの手に委ねられたと推測される本作に描かれるのは、4世紀に活躍したコンスタンティヌス大帝が統治するハンガリー出身の聖人マルティヌスが、ローマ軍兵士として従軍していたときに教会へ向かう途中、裸で寒さに耐える乞食を目撃し、自身の纏う外套(マント)を引き裂き分け与えた逸話≪マントを分け与える聖マルティヌス≫の場面である。
■『ロザリオの聖母』は、パレルモの聖ドミニコ会に属するロザリオ兄弟団のために制作され、オラトリオ・デル・ロザリオに所蔵されている本作には、天上から降臨する聖母マリアと聖母に抱かれる幼子イエスを中心に、スペインのカスティリャ地方の貴族出身で聖ドミニコ修道会の創始者でもある≪聖ドミニクス≫や、リマ出身である聖ドミニコ会第三会≪聖女ローサ≫など、聖ドミニコ会に関係する聖人たちが描かれている。

『Nicolaus Rockoxの肖像』
(ベルギー、1961年)ヴァン・ダイク

『ロザリオの聖母 (The Madonna of the Rosary)』ヴァン・ダイク
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■自画像は、ヴァン・ダイクが画家として独立した頃までに描かれた自画像の中で最も洗練された表現がされており、古典的情景を感じさせる風景描写と、端正な面持ちで自信に満ちた若々しい画家の表情や女性的な洗練された指先の表現は特筆に値する。また深みのある青みがかった黒色に近い衣服はやや荒々しいタッチで描かれ、全体的に暗く表現された画面内でヴァン・ダイクの顔に射すハイライトは印象的であり、本作における画家の洗練された技量が示されている。

『ヴァン・ダイク自画像
(Self-Portrait)』
エルミタージュ美術館

バロック 美術 切手 ヴァン・ダイク 『Nicolaus Rockoxの肖像』(ベルギー、1961年) 『ロザリオの聖母 (The Madonna of the Rosary)』 ダイク ヴァン・ダイク自画像 (Self-Portrait)エルミタージュ美術館

『聖ジョンと聖なる家族』、『聖母子』、『聖母子と2人の寄贈者』
(ミクロネシア、1999年、クリスマス,ヴァン・ダイク)

『聖ジョンと聖なる家族』、『聖母子』、『聖母子と2人の寄贈者』(ミクロネシア、1999年、クリスマス,ヴァン・ダイク)『聖ジョンと聖なる家族』、『聖母子』、『聖母子と2人の寄贈者』(ミクロネシア、1999年、クリスマス,ヴァン・ダイク)

『聖家族』(ヴァン・ダイク)

ルーベンスの協力者(After Rubens) 聖家族

『男と彼の妻の肖像』 ヴァン・ダイク

『聖ジョン』 ヴァン・ダイク

ヴァン・ダイク  バロック ヴァン・ダイク 

ヴァン・ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、ティツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響が見られる。ヴァン・ダイクは1627年にいったん帰国後、1632年にはイングランドに渡り、国王チャールズ1世の宮廷画家となった。それ以後、ヴァン・ダイクは1641年に没するまでイングランドで活躍した。

■ヘンドリク・ファン・デン=ベルフ Hendrik van den Bergh  スペイン=ヘルデルラント州総督 Stadhouder van Opper-Gelre、ステーフェンスヴェールト領主 heer van Stevensweert 、生年: 1573 ブレーメン(独) 、没年: 1638/5/22

ヘンドリク・ファン・デン=ベルフ (Hendrick van der Bergh,)』
ヴァン・ダイク

『マリア・ルイサ・デ・タシス
(Portrait of Maria de Tassis (1611-1638))』 ヴァン・ダイク

バロック ヴァン・ダイク  バロック ヴァン・ダイク Portrait of Maria de Tassis (1611-1638) マリア・ルイサ・デ・タシス

■”Portrait of Maria de Tassis”:This picture is considered one of Van Dyck’s most beautiful portraits. The sitter is Maria Louisa de Tassis, the niece of the Imperial Postmaster in Antwerp, Maximilian de Tassis. Facing the viewer is a young woman, approximately nineteen years old. She is wearing a magnificent dress made from skilfully worked silk and lace.
The opulent, almost pompous clothing with the multiple rows of pearl jewellery and the heavy jewels contrast with the obvious youth of the sitter who greets the viewer with a cautious smile.
Her unaffected charisma lends the distinguished pose a certain liveliness. Van Dyck’s technical approach displays the range of possibilities available in portraying the haptic qualities of a surface. The gentle, warm tones of the light brings to life the many folds of the sitter’s puffed up dress and the fluffy feathers of the fans.  『マリア・ルイサ・デ・タシス』:中世ヨーロッパのまばゆいシルクとレースの衣装や宝石に身を包んでいる18歳のタシス嬢。みずみずしい美しさと眼差しが生き生きとして美しい作品。

『聖母子と寄進者 The Virgin and Child with Donors』
ヴァン・ダイク

『聖母子と寄進者 The Virgin and Child with Donors』
ヴァン・ダイク

バロック ヴァン・ダイク  バロック ヴァン・ダイク 

■デンビー伯ウィリアム・フィールディングとは、ラ・ロシェル包囲戦に名前が出てくる人物で、イギリス軍のデンビー伯ウィリアム・フィールディング率いる艦隊が1628年4月に出発したが、交戦することなくポーツマスに帰還した(第二次ラ・ロシェル派遣軍)。デンビー伯については「彼は国王の船を戦闘で危険にさらす権限を与えられておらず、不面目にもポーツマスへ帰港した」と述べてられている。
■ラ・ロシェル包囲戦(フランス語:Le Siege de La RochelleまたはLe Grand Siege de La Rochelle)はフランス国王ルイ13世とユグノー(フランスのプロテスタント)との内戦においてフランス西部のラ・ロシェルで1627年から1628年に行われた戦いである。イギリスはラ・ロシェルを救援すべく更に2度に渡り艦隊を派遣している。

『デンビー伯ウィリアム・フィールディング
(William Feilding, 1st Earl of Denbigh)』 ヴァン・ダイク

『聖アウグスティヌスの幻視 (St.Augustine in Ecstasy)』
 ヴァン・ダイク

『デンビー伯ウィリアム・フィールディング(William Feilding, 1st Earl of Denbigh)』 ヴァン・ダイク 聖アウグスティヌスの幻視 (St.Augustine in Ecstasy)

■『聖アウグスティヌスの幻視』は、アントウェルペンの聖アウグスティヌス会聖堂のために制作された。ラテン教会四大博士のひとりで、ヌミディアのタガステに生まれた(ヒッポの)聖アウグスティヌスが、聖三位一体論の執筆するさなかにおこなった海浜の散策中、幼児が貝殻で砂浜を掘り海水を汲み上げる姿を目撃し、それが無駄な努力であることを幼児に諭したところ、自身の責務であった聖三位一体論の神秘解明が不可能であることに気付き戒められた体験を、幻視体験として表現した≪聖アウグスティヌスの幻視≫を主題に描かれた作品。

アンソニー・ヴァン・ダイクが描く肖像画の数々

アンソニー・ヴァン・ダイクが描く肖像画の数々 アンソニー・ヴァン・ダイクが描く肖像画の数々

アンソニー・ヴァン・ダイクが描く肖像画の数々

アンソニー・ヴァン・ダイクが描く聖母子や寄進者
『福者ヘルマン・ヨゼフの夢』(上段右とシート地)

アンソニー・ヴァン・ダイクが描く肖像画の数々 アンソニー・ヴァン・ダイクが描く聖母子や寄進者

『ヨハン・マウリッツ・ファン・ナッサウ伯と彼の家族(Earl Johannes von Nassau-Siegen und Familie)』 ダイク

『ヨハン・マウリッツ・ファン・ナッサウ伯と彼の家族(Earl Johannes von Nassau-Siegen und Familie)』 ダイク

■『福者ヘルマン・ヨゼフの夢』は、アントウェルペンのイエズス会のために制作され同会女子修道院を経てウィーン美術史美術館に所蔵されることになった作品。描かれるのは、ドイツのケルンに生まれた熱心なキリスト教徒で神秘体験者でもある≪福者ヘルマン・ヨゼフ≫が夢の中でおこなった(又は幻視した)聖母マリアとの神秘的な婚姻体験場面で、輝きを帯びる光彩表現や劇性を感じさせる場面構成、自然を超越した神秘的な印象の大気描写などヴァン・ダイクの類稀な表現力が如何なく発揮されている。本作に描かれる≪福者ヘルマン・ヨゼフ(1150-1241)≫はイエズス会に関連する聖者ではないものの、中世の特にドイツ近郊では非常に人気が高かった、聖母マリア信仰の深い聖人で、本作では2天使を連れた聖母マリアより霊的な婚姻者(配偶者)の証である指輪を授かっている。



アンソニー・ヴァン・ダイクは、1621年から1627年にかけてイタリアに滞在。ルネサンス期の作品、特にヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノから多大な影響を受ける。イタリア滞在の成功で国外にも名を馳せ、英国王チャールズ1世の招きにより1632年から1641まで宮廷画家として活躍、ヴァン・ダイクの描いた肖像画はイギリス国内で大きな反響と賞賛を受け、同国における肖像画制作の最も重要な模範のひとつとして18世紀末まで継承された。

■ヨハン・マウリッツ・ファン・ナッサウ(Johan Maurits van Nassau, 1604年6月17日 − 1679年12月20日)は、ナッサウ=ジーゲン伯、のちナッサウ=ジーゲン侯(1674年 − 1679年)。オランダ総督の家系オラニエ=ナッサウ家の同族で、オランダ領ブラジル総督を務めた。父はナッサウ=ディレンブルク伯ヨハン6世(オラニエ公ウィレム1世の弟)の息子ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン7世。ドイツ名はヨハン・モーリッツ・フォン・ナッサウ(Johann Moritz von Nassau)。 父の従弟に当たるオラニエ公フレデリック・ヘンドリックの下、オランダ共和国で軍人として若くして名を上げた。 1636年にオランダ西インド会社が経営する植民地オランダ領ブラジルの総督として赴任するが、同社と対立して1644年に帰国した。 ヨハン・マウリッツのデン・ハーグの邸宅は、現在はマウリッツハイス美術館となっている。
■ヴァン・ダイク「狩場のチャールズ1世」:従来の国王の肖像画は、豪華な衣装で、荘厳な雰囲気を出すように描かれていた。しかし、ファン・ダイクの描いたチャールズ一世は、狩猟服の軽装である。しかも、中央に陣取るわけではなく、すこし左よりに描いている。チャールズ一世は、後に、1649年、清教徒革命で処刑される。

ヴァン・ダイク ルーブル美術館
「狩場のチャールズ1世」

ヴァン・ダイク「狩場のチャールズ1世」

アンソニー・ヴァン・ダイクが描く肖像画の数々

『ヴァン・ダイク自画像
(Self-Portrait)』

『ヴァン・ダイク自画像 メトロポリタン美術館

その他美術関係の切手・写真(切手が主体)

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掲載のバロック絵画と17-18世紀の風俗画の主要な画家一覧:
カラヴァッジョ(Caravaggio)、レンブラント(Rembrandt Harmensz. van Rijn)、ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)、ディエゴ・ベラスケス(Diego Velazquez)、エル・グレコ(El Greco)、ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck)、フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbaran)、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolome Esteban Murillo)、サッソフェッラート(Sassoferrato)、ヘラルト・テルボルフ、グエルチーノ(Il Guercino)、オラツィオ・ジェンティレスキ(Orazio Gentileschii)、ミニャール(Pierre Mignard)、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour)、ニコラスフーシェ (Nicolas Fouche)、ヤン・ステーン(Jan Steen)、ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)


関連ページ "El joven Van Dyck" (20 noviembre 2012 - 3 marzo 2013).

 
 

バロックの絵画 アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck)

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