東洋美術切手 アジアの美術(絵画ほか)
アジアの美術(絵画ほか)の切手です。 日本と故宮博物館(中国、台湾)は除いています。 東洋美術は広い範囲の文化や宗教の影響を受けてきました。 強調すべきはアジアの多様な文化を包含する形で美術の歴史があることで、東洋美術史は西洋美術史と平行に、そして数世紀早く発展してきました。 イスラム美術、インド美術、中国美術、日本美術は西洋に大きな影響を与えてきたが、またその逆も言えます。 とりわけ仏教美術は別枠で展示しています。 世界遺産から美術を見る事も出来ます。 写真はクリックで拡大します。
アジアの美術(絵画ほか)の索引
[ 朝鮮半島|中国関係|東南アジア|インド| 中央アジア|西アジア|イスラーム|索引 ]
東洋美術 アジアの絵画・陶芸ほか |
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東洋美術は大きくは、中国関係(先史・殷・周/秦・漢/三国・南北朝/隋・唐/五代・北宋・遼・西夏/南宋・金/元,明,清)、朝鮮半島(高句麗・百済・新羅・高麗/朝鮮王朝)、東南アジア、 インド 、 中央アジア 、 西アジア 、 イスラーム に分類されます。 |
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金弘道の絵画(韓国) |
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金 弘道(きん こうどう、キム・ホンド、1745年〈英祖21年〉 - 没年不詳)は朝鮮王朝後期の画家。字は子能。号は檀園(タンウォン)のほか、丹邱・西湖・高眠居士・輒酔翁などがある。本貫は金海。朝鮮王朝後期を代表する画家の一人であり、金弘道(檀園)は申潤福(實)・張承業(吾園)とともに「三園」と称されている。山水画・人物画・花鳥画にも腕を振るったが、今日その名が知られているのは、「檀園風俗図帖」など、当時の画家たちが題材とすることが稀であった民衆の日常生活を描いた風俗画によってである。金弘道の後に続いた申潤福・金得臣とともに「朝鮮三大風俗画家」と並称されることがある。 |
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金弘道の絵画 『機織り』、『共同井戸の農夫たち』、『書道(寺子屋)』、『シルム(すもう)』、『舞童』 「檀園風俗図帖」より |
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韓国の文学の挿絵から 拡大 |
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慶州(キョンジュ)・石窟庵(ソックイラム)の本尊仏(1952) |
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敦煌・狩猟(西魏、T126) |
敦煌・戦闘(西魏) |
敦煌・農耕(北周) |
敦煌・塔の建築(北周) |
57窟(初唐) 樹下説法図の右脇侍観音菩薩 |
45窟脇侍菩薩 |
45窟は釈迦を真ん中に左右に弟子・菩薩・天王の塑像 |
莫高窟 130窟 大仏 |
壁画が美しい57窟(唐) |
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唐三彩 馬 |
唐三彩 乗馬 |
Horse Chinese, Tang dynasty, early 8th century A.D. |
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北山・日月観音 |
北山・普賢菩薩 |
宝頂山・華厳三聖 |
石門山・三皇洞造像 |
古代都市・シギリアの芸術品 シギリアの美女 ほか |
スリランカ(セイロン) |
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シギリアの美女(スリランカ):スリランカの中央部。シギリアロックはジャングルの中に忽然と姿を現します。かつて、この高さ195メートルの岩山の天辺に王宮を築いた王様がいました。時は5世紀。シンハラ王朝の王子カッシャバは腹違いの弟に王位継承権を取られることを恐れ、父王を殺害し自ら王位につきます。そして、この弟の復讐を恐れ、この人を寄せ付けない断崖の上に王宮を築いたのです。 シギリアの美女は天女と言われています。王が安楽・安寧を求めるために作らせたものだといわれています。 |
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ボロブドゥール寺院遺跡のレリーフ(インドネシア発行) |
ボロブドゥール遺跡と仏像 |
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ボロブドゥール寺院遺跡と仏像(ラオス発行) |
■ボロブドゥール寺院遺跡(ボロブドゥールじいんいせき、Borobudur)は、インドネシアのジャワ島中部のケドゥ盆地に所在する大規模な仏教遺跡で世界的な石造遺跡。世界最大級の仏教寺院。インドから中央アジア(西アジア)に伝播した仏教は一般に部派仏教(上座部仏教)と呼ばれる仏教であったが、ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡である。インドネシアにあるピラミッドです。 アジア旅行|インドネシア ジャワ島の世界遺産・ボロブドゥール ... |
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ボロブドゥール寺院遺跡(インドネシア、1961年) |
ボロブドゥール寺院遺跡と仏像 | ボロブドゥール寺院遺跡 | |
ベトナム発行 |
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世界遺産:ボロブドゥール寺院遺跡群(Borobudur Temple Compounds、シャイレーンドラ朝) |
インドネシアの古代仏教は、8世紀から9世紀へかけてジャワ島やスマトラ島等を中心にして繁栄して行った。 しかし、イスラム教が進出して行く過程のなかで、仏教は、次第に減退しながら、やがて、滅びて行った。 ジャワ島の仏教は、760年頃から850年頃にかけて最も栄えた。 825年頃にはジャワ島中部の古都であるジョグジャカルタ近郊に『チャンディ・ボロブドゥール』が建立されている。 この仏教遺跡は、サイレンドラ王朝のサマラトゥンガ王が創建者と推定されている。 この仏教遺跡は、世界最古にして、世界随一の大石造建築であり、インドネシアに現存する、最古の仏教遺跡として世界的にも有名な遺跡である。 インドから中央アジア(西アジア)に伝播した仏教は一般に部派仏教(上座部仏教)と呼ばれる仏教であったが、ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡である。 ボロブドゥール寺院の造営は、778年のカラサン碑文によれば、ダルマトゥンガ王はヒンドゥー教を奉ずるサンジャヤ王家(古マタラム王国)のパナンカラン王に対し、ターラ(多羅菩薩)をまつるための寺院とシャイレンドラ王家を祀る仏僧のための僧院を建造するよう提案したことによって始まったとしており、780年頃より造営が開始されたものとみられる。 |
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ボロブドゥールの円形壇上にある釈迦如来の仏像とストゥーパ |
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サーンチー仏教遺跡 サーンチー仏教遺跡の女神像 |
Torso of a nature goddess(Yakshi) | Central India 50BC-AD25 |
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■アフガニスタンのバーミヤン渓谷の石仏と壁画は中央アジアにおけるガンダーラ仏教美術の傑作、シルクロードの仏教センターであったバーミヤン渓谷の遺跡は美術的、建築的にガンダーラ文化を基礎としてインドとヘレニズム、ローマ、サーサーン朝イランの文化が融合し、さらに後世にはイスラムの影響が加わった文化が栄えたこと、中央アジアでは既に失われた仏教文化の遺跡であることで選ばれた。 |
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■アフガニスタンのバーミヤン渓谷は古代以来の都市であるバーミヤーン(バーミヤン)の町を中心とするヒンドゥークシュ山脈山中の渓谷地帯で、標高2500mほどの高地に位置する。古代から存続する都市バーミヤーンの近郊には、1世紀からバクトリアによって石窟仏教寺院が開削され始めた。石窟の数は1000以上にものぼり、グレコ・バクトリア様式の流れを汲む仏教美術の優れた遺産である。2001年3月にバーミヤン渓谷の2体の大仏はタリバンによって破壊されている。 |
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ミルワイスの墓 |
バーミヤン |
ガズニの戦勝塔(ミナレット) |
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イラク・バビロン(Babylon) 世界遺産 |
■バビロンはメソポタミア地方の古代都市。 街の中央にはユーフラテス川が流れて、 街を二分していた。 街は矩形に城壁で囲まれていた。 街の東岸(旧市)には、 有名なイシュタル門や空中庭園などが作られ、 街の中央にはバベルの塔として有名なジッグラト、 エ・テメン・アン・キがあった。今では全ての遺構がなくなり、切手の様なレリーフのみが残っている。 旧約聖書創世記ではバベルと表記され、バベルの塔の伝承にて混乱(バラル)を語源とすると伝える。いま、バビロンの遺跡として残されているものは、時代と気候に浸食されながらも堂々とそびえる大ライオン像だけ。 |
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1966年東ドイツ発行 |
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バビロニア Snake Dragon |
ライオンのレリーフ、バビロニア・ネブカドネザル二世の時代(紀元前605-562) |
ブリューゲル≪バベルの塔≫とバビロニアの遺物 |
バーニーの浮彫(Burney Relief、夜の女王) |
■バーニーの浮彫(Burney Relief、夜の女王) は、メソポタミアのイシン・ラルサ期または古バビロン期のテラコッタで作られた高浮彫であり、翼を持つヌードの女神の姿を描いている。紀元前19世紀 - 18世紀 |
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「エウロペの誘拐」(3世紀のバビロン遺跡のモザイク、レバノン) |
羽をつけた雄牛 |
旧約聖書の出エジプト記のヨシュアの章に「メデバ」の名で登場する古くからの町マダバ。そこにあるセント・ジョージ教会は、6世紀の聖地エルサレム周辺を描いたモザイクの地図があることで知られています。ナイル川や死海が描かれている。 世界遺産
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エル・カズネ(宝物殿) |
ペトラ(ヨルダン) |
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馬をひく男(アッシリア) 前8世紀末 新アッシリア時代 |
「人頭有翼のライオン」 前883-前859年頃 新アッシリア時代 |
「鳥頭有翼の神」 前883-前859年頃 新アッシリア時代 |
「人頭有翼の神」 前883-前859年頃 新アッシリア時代 |
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■アッシリア(Assyria)は、メソポタミア(現在のイラク)北部を占める地域、またはそこに興った王国・世界帝国。首都は、初期はアッシュールで、後にニネヴェに遷都した。南側にバビロニアと隣接する。チグリス川とユーフラテス川の上流域を中心に栄え、後にメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築いた。アッシリアの偉業は、ペルシア帝国に受け継がれてその属州となった。 紀元前9世紀から紀元前7世紀にかけてアッシリアの王達は広大な土地を支配した。この頃の最初の偉大な王はアッシュールナシュルパル2世で、宮殿の浮き彫りや像など沢山のものを建設した。(メソポタミア、ニムルド、新アッシリア時代) |
「人頭有翼のライオン」(石灰岩) Human-headed winged lion (lamassu), 883-859 b.c.; |
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■アッシリアのライオン狩り:神格化された(表現様式が決まっている)王様の彫刻と比較し、自由に表現できるライオンの姿を、職人たちは生き生きと描いたとされています。大英博物館 |
アッシリアのライオン狩り |
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トルコ |
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トロイ遺跡 |
トロイの木馬 |
トロイ遺跡出土品 |
■イリオス(イーリオス)は、ギリシア神話に登場する都市。イリオン(Iliov イーリオン)、トロイア(Troia トロイア)、トロイ(英語:Troy)、トロヤ(古典ラテン語:Troja トロイヤ)などとも呼ばれる。現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南にあったとされる。ハインリッヒ・シュリーマンによって発掘された遺跡がイリオスに比定されている。 |
ミラス(Milas)の廃墟 |
karatay gate、konya |
kozak plateau |
ブルサのモスク |
■ブルサ (Bursa) はトルコ北西部の都市。この地にあった古代の都市シウス (Cius) が、紀元前202年にマケドニア王フィリッポス5世からビテュニア王国の王プルシアス1世に与えられ、その名にちなんでプルサ
(Prusa) と名づけられたといわれる。シルクロードの西端の都市として繁栄した。1326年から1365年までオスマン帝国の首都が置かれていたため、オスマン帝国初期のスルタンたちの廟が残る。 |
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