ルネサンスの巨匠|ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio、チチアン)の絵画の切手
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)。 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490年頃 - 1576年8月27日)は、ルネサンス期のイタリアのチチアン。 チチアンとも言う。 ジョルジョーネとともにルネサンスのヴェネツィア派の最盛期を代表するチチアン。 画業だけで言えばルネサンスの三大巨匠をも凌ぐ、盛期ルネサンス期に最も活躍したヴェネツィア派の巨匠。 安定した形体と、暖色系の豊かな色彩に秀で、多くの宗教画、肖像画を残す。 代表作の『田園の合奏』や『ウルビーノのヴィーナス』は、近代のチチアンたちにもインスピレーションを与えています。 ティツィアーノ(チチアン)は初期にはヴェネツィアの先輩チチアンであるジョルジョーネの影響を受けた。 ジョルジョーネの代表作とされる『田園の合奏』、『眠れるヴィーナス』などは、夭折したジョルジョーネが未完のまま残していた作品をティツィアーノが完成させたものだといわれている。フェラーラのエステ家、マントヴァのゴンザーガ家、ウルビーノのローヴェレ家などのそうそうたる名家をパトロンに持ち、ヴェネツィアを代表するチチアンとして活躍した。 Salvastyle.com様 を作品説明で参考にさせていただきました。
(ルーブル美術館:日本語解説)
■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリ|ダ・ヴィンチ|ラファエロ|ミケランジェロ|デューラー|ティツィアーノ|ルーベンス|ベラスケス|アングル|エル・グレコ|レンブラント|カラヴァッジオ|フェルメール|ダイク|ドラクロワ|ゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワール|マネとモネ|セザンヌ|ゴーギャン|マチス|ピカソ|ダリ|葛飾北斎|安藤広重|クリムト|シャガール|モディリアーニ|ミュシャ ] |
|||
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)の絵画 |
|||
◎チチアン(ティツィアーノ)は、ヴェネツィア共和国の一部であった、ピエーヴェ・ディ・カドーレという小さな村の裕福な家庭に生まれた。生年は1488年から1490年頃とされるが判明していない。10歳になるかならないかの時期にヴェネツィアに出て、はじめモザイク職人のもとで修業し、次いでヴェネツィア派の初期の巨匠ジェンティーレ・ベリーニ、ジョヴァンニ・ベリーニ兄弟に師事した。 90歳近い長寿を保ち、晩年に至るまで宗教画、神話画、肖像画など幅広いジャンルの作品を多数残し、後世のチチアンへの影響も大きかった。 |
|||
『マグダラのマリア』 |
チチアンの『悔悛するマグダラのマリア(Maddalena penitente)』 |
『フローラ(Flora) 』 |
|
(ソ連、1971年) |
St Mary Magdalene |
||
■ティツィアーノが聖人を描いた作品の中で、おそらく最も有名な作品のひとつが、この『悔悛するマグダラのマリア(Maddalena penitente)』。チチアンは『マグダラのマリア』について幾多も描いており、現在も作品が数多く残っているが、本作が現存作品中、最初期のものとして認知されている。主題は娼婦であったマグダラのマリアがキリストの前でその罪を悔い、涙を流す姿を描いた≪マグダラのマリア≫。ルカ福音書ではマグダラのマリアは罪を悔い、キリストの足元で涙を流し、その涙で濡れた足を自分の髪で拭いた後、香油を塗ったとされている。マグダラのマリアの手の下で金髪に輝く髪がマリアの裸体を包み込むその姿は、深い同情性を誘うと同時に、高い官能性も表現している。本作は宗教画でありながら、官能性を公然と示し、信仰を奮い起こさせるともに、芸術的な快楽も是認した作品として広く賞賛を受けた。 |
『フローラ(Flora) 』(花の女神、ハンガリー、ウフィツィ美術館) |
||
ティツィアーノの代表作品(拡大○) |
ティツィアーノの代表作品(拡大○) |
||
『聖母子(Madonna of the Cherries)』ティツィアーノ(ウガンダ) |
ティツィアーノの作品 ギリシャ神話『Apollo flaying Marsyas』より |
『The Deposition』 |
|
From Apollo flaying Marsyas、 |
|||
『聖なる家族』(NZ、1963年) |
『聖母子と聖パウロ』(拡大○) |
||
《聖母子と聖パウロ》 1540年代初期 油彩、カンヴァス |
|||
『キリストの埋葬』 |
『Danae(ダナエ)』 |
||
■ダナエ (Danae) 1553-1554年 128×178cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド):神話画連作ポエジアより『ダナエ』。このポエジアの典拠は全てギリシア・ローマ神話の≪転身物語≫によるもので、本作はアルゴス王の娘ダナエのもとに訪れる父なる存在ゼウス(ユピテル)が訪れる場面を描いた作品。ダナエを描いた作品は他にも数点残されており、中でもナポリのカポディモンテ国立美術館が所蔵するダナエが色彩、構図ともに最も優れているとされている。本作の主題≪ダナエ≫とは、ギリシャ神話でアルゴス王アクリシオスに青銅の部屋に閉じこめられた娘ダナエの下に黄金の雨と姿を変えたゼウス(ユピテル)が訪れ、彼女と交わりペルセウスが生まれたものの、父アクリシオスが怒り、母子を箱に入れて海に流したが、箱はセリポス島に漂着したとされている場面。 |
ティツィアーノの神話画連作ポエジアより『Danae(ダナエー)』(ブルガリア) |
||
|
|||
黄金の雨を受ける老婆。この場面は他にも黄金の金貨を大皿で受ける姿や、イタリア・ナポリのカポディモンテ国立美術館所蔵のダナエでは同場所にキューピッドが描かれるなど、様々なヴァリエーションで制作されている。 |
|||
神話画連作ポエジアより『Danae(ダナエー)』(セント・トーマス) |
神話画連作ポエジアより『Danae(ダナエー)』(ガンビア) |
||
ティツィアーノの神話画連作ポエジアより『Danae(ダナエー)』 |
プラド美術館、マドリード のティツィアーノの本物の『ダナエー』 |
||
ティツィアーノの作品(レソト) |
ティツィアーノの作品『聖母の神殿奉献』(レソト) |
||
■『聖母の神殿奉献』は、幼き聖母マリアが両親(聖ヨアヒムと聖アンナ)に連れられエルサレムの神殿を訪れた際、手助けも借りず15段の階段を上り、祭司長の下へ赴いた場面を描く≪聖母の神殿奉献≫で、画家は巧みな遠近法と輝くような色彩を用いながらも、15世紀より展開されてきた伝統的な構図で描いた。新約聖書では、神殿奉献をおこなったのは聖母マリアが3歳の時とされているほか、新約聖書四福音書の一、通称ルカ福音書にも記されているエルサレムの神殿の祭司長ザカリヤは、大天使ガブリエルより妻エリサベツとの間に子供を授かると聖告を受けたと記されている。また、その子供が後の洗礼者聖ヨハネであったとされている。 |
|||
ティツィアーノの作品『パドヴァのフレスコ画の一部 |
ティツィアーノの作品 『聖母子』(赤道ギニア、クリスマス) |
||
『自画像』プラド美術館 |
|||
ティツィアーノの作品 『』(ドミニカ) |
ティツィアーノの作品 『自画像』(ドミニカ) ベルリン国立美術館 |
||
『ウルビーノのヴィーナス』と『ヴィーナスの鏡(Venus with a Mirror)』 |
■『ウルビーノのヴィーナス』は、西洋絵画における裸体表現の歴史を考えるうえで重要な作品である。ヴィーナスのポーズは、先述のジョルジョーネ作『眠れるヴィーナス』を下敷きにしているが、ジョルジョーネのヴィーナスが目を閉じているのに対し、ティツィアーノのヴィーナスは挑発的とも思える視線を観者の方へ向け、背景も屋外から室内に変えられている。『ウルビーノのヴィーナス』は、神話の世界の女神というよりは、肉感的な地上の女性のように見える。この作品は、ゴヤの『裸のマハ』、マネの『オランピア』などの源流と見なされている。西洋における裸体画の系譜は、神話の女神の理想化された容姿を描いたものから、現実世界の女性を描いた作品へと引き継がれていったのである。フレンツェのウフィツィ美術館蔵。1538年 |
||
ヴィーナスを完全に目を覚ました姿で表現 |
|||
ティツィアーノ 《懺悔するマグダラのマリア》(拡大○) |
ティツィアーノ 神話画連作ポエジアより『Danae(ダナエ)』と |
||
■『ヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド(Venere con organista e amorino)』プラド美術館は、カール5世と解釈される音楽を奏でるオルガン奏者は、愛の神キューピッドを見つめる美の女神ヴィーナスとの間の絆を感じつつ、決して交わることなくプラトニックな関係を保っている。これは当時の人文学書『愛の本質の書』中「崇高なる天上の愛はプラトニックであり音楽によって愛撫される」に基づいていると考えられてる。また背景の抱擁し合う男女や牡鹿、牝鹿、孔雀などは至高の美と高ぶる愛と性を表現しているとされ、世俗と天上の愛の本質の差異と、そこに起こる葛藤をティツィアーノの類稀な表現によって画面内に示したと考えられる。 |
『ヴィーナスとキューピッドとヤマウズラ』 1550 | ウフィツィ美術館 |
||
パルミジャニーノ |
『ヴィーナスの鏡(Venus with a Mirror)』と『ウルビーノのヴィーナス』 ティツィアーノの作品 |
||
◎イタリアを代表する美術館のひとつであるナポリ・カポディモンテ美術館の名品によって、ルネサンスからバロックまでのイタリア美術を概観する展示会が京都府京都文化博物館で2010年10月に有りました。 展示された作品は主に、ファルネーゼ家が蒐集したルネサンスおよびバロック美術の作品と、ブルボン家が蒐集したナポリ・バロック美術の作品です。マニエリスムのパルミジャニーノ《貴婦人の肖像(アンテア)》、ティツィアーノ《マグダラのマリア》、グイド・レーニ《アタランテとヒッポメネス》、ジェンティレスキ《ユディトとホロフェルネス》といった至極の名品を含む80点。貴婦人の肖像(アンテア)は目を見張る美しさでした (クリックで拡大します)。 |
|||
ティツィアーノの作品 『アダムとイヴ』(グレナダ) |
ティツィアーノの作品 『バッコス祭(アンドロス島の人々)』 |
||
メトロポリタン美術館 「ヴィーナスとアドーニス (Venere e Adone)」 |ティツィアーノ・ヴェチェッリオ / |
|||
『聖セバスチャン』(ソ連、1987、エルミタージュ美術館) |
ティツィアーノの作品 |
ティツィアーノの作品 |
ティツィアーノの作品 |
■『鏡のヴィーナス』(西: Venus del espejo、英: Venus at her Mirror)は、スペイン黄金世紀の巨匠であるスペイン人チチアンのディエゴ・ベラスケスが描いた絵画。古代からバロック期にいたるまでの数多くの絵画が、ベラスケスのこの作品に影響を与えたといわれる。イタリアのチチアンたちが描いた裸体のヴィーナス、たとえばジョルジョーネの『眠れるヴィーナス
(Sleeping Venus, 1510年 ドレスデン美術館蔵)』、ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス (Venus of Urbino,
1538年 ウフィツィ美術館蔵)』などである。ベラスケスはこの絵画にそれまでのヴィーナスの作品でよく描かれた、ベッドや長椅子に横たわるヴィーナス、鏡に映った自分自身を見つめるヴィーナスという二つのポーズを取り入れている。提供:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
『ヴィーナスの鏡(Venus with a Mirror)』(ソマリア、タジキスタン) |
||
ティツィアーノ 『若い男の肖像』 |
ティツィアーノ 『アダムとイブ(Adam and Eve)』 |
ティツィアーノ |
ティツィアーノ 『海からあがるヴィーナス(Venus Anadyomene)』 |
■ティツィアーノ 『『海からあがるヴィーナス (Venus Anadyomene)』 1525 | 73.6 x 58.4 cm | スコットランド国立美術館、エディンバラ |
|||
『聖母』、『聖母子』 |
ティツィアーノ 『 Madonna of the Frari(サンニッコロ・デイ・フラーリの聖母) 』 バチカン美術館 |
||
ティツィアーノの 『聖母子と聖ヨハネ、聖カタリナ』(クック、1990年) 『聖家族』(クック、1990年) |
ティツィアーノ |
||
■ティツィアーノの「la bella」の美女のモデルに関しては高級娼婦であるとか、貞節な結婚した女性であるとか、長い間論議されてきました。今回、フィレンツェ文化財局から、ティツィアーノがヤコポ・パルマ・イル・ヴェッキオが描いた「美しい女達」に影響を受けて描いた「女性の理想像」であり、「真面目で正直そうで、また官能的でもある」二面性を持った女性像を表わした、と結論されました。ピンクがかった肌、青白い襟ぐり、ラピスラズリとアズライト(藍銅鉱)色で金糸を使ったダマスク織りの洋服、豊かな金色の頭髪。2008年修復で、切手は修復前。 |
|||
ティツィアーノの 『la Bella』フィレンツェ パラティーナ美術館 |
ティツィアーノの 『愛の教育(Education of Love)』の部分 |
||
■『聖なる愛と俗なる愛』一方の女性が衣服をまとっているのに対し、他方の女性は裸体で描かれている。おそらく、一般の人が見ると、衣服をまとっている女性は「聖なる愛」を象徴し、裸体の女性が「俗なる愛」を象徴していると見るのではないだろうか。 しかし、実は逆であったのである。その意味をこれから説明しよう。 西欧では裸体は純潔、純白を意味していた。日本と西洋の大きな違いである。 |
|||
ティツィアーノの 『愛の教育』の部分 1966年 |
ティツィアーノ 『聖なる愛と俗なる愛』の一部 ボルゲーゼ美術館 |
||
■『ディアナとカリスト(Diana e Callisto)』 は、フェリペ2世のために制作され、女性様式一連の神話、主に古代ローマの詩人オウィディウスの詩をもとに、感覚的な神話の翻訳画として対画『ディアナとアクタイオン』と共に描かれた作品の中の一枚で、ティツィアーノの様式がさらに変化を示す好例のひとつ。若年期の頃の几帳面ともいえる細部まで緻密な技巧的作風は影を潜め、マッキエと呼ばれる荒々しく大まかな斑点技法へと変化している。主題≪ディアナとカリスト≫とは、主神ユピテルの娘で太陽神アポロの双子の妹でもある、純潔の女神≪ディアナ≫へ、処女の誓いを立て従者として従っていたニンフ≪カリスト≫が、ユピテルに見初められ子を宿し、狩りの最中の沐浴の際に妊娠が発覚してしまったことから、激昂したディアナがカリストを熊に変える(諸説あり、ユピテルの妻ユノの怒りを恐れユピテルがカリストを熊に変えた、又はユノ自身が変えたともされる)神話で、オウィディウスの詩を深く理解していた教養高い画家であるからこそ、行間に隠された光彩や荘重さが、自身の芸術性や技巧と相成って鮮やかに画面へ反映されている。 |
|||
『鏡の前の女』チェコスロバキア、1965年 (拡大○) |
『聖愛と俗愛』の一部 ボルゲーゼ美術館1515年(パラグアイ) |
『ディアナとカリスト(Diana e Callisto)』 |
|
|
|||
『ヴィーナスとアドニス (Venere e Adone)』 プラド美術館 |
|||
■『ヴィーナスとアドニス (Venere e Adone)』 1553-1554年| 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド):スペイン国王フェリペ2世の注文により、10年以上にわたり断続的に描かれ続けた神話画連作ポエジアより『ヴィーナスとアドニス』。このポエジアの典拠は全てギリシア・ローマ神話の≪転身物語≫によるもので、本作はキプロス島の美少年アドニスに恋をしたヴィーナスが、危険な狩りに出ようとするアドニスを制止する場面を描いた作品です。ヴィーナスの制止を聞かす、狩りに出たアドニスは、この場面の後、狩りの最中猪に突き殺されたとされています。ヴィーナスの鬼気に迫る迫真の表情が、この場面により臨場感を与えている。ヴィーナスの制止を振り切り、狩りに出るアドニスはギリシャ神話に登場する美少年で、穀物の死と復活の神。狩りの最中に猪に突き殺され、その血からアネモネ(キンポウゲ科の球根植物)が生じたとされている。 |
|||
『聖母』(guyana、1988年 チチアン) |
『ウルビーノのヴィーナス』の背景に写る物から |
||
『キリストの埋葬』(セント・ヴィンセント、1989年) |
ティツィアーノ 『キリストの埋葬』(マリ、1974年) |
||
ティツィアーノ 『ピエタ(Pieta)』 キリストと聖母マリア |
背景は『悲しみの聖母』プラド美術館 (ジブチ チチアン) |
||
■ピエタ:Like numerous of his late works, Titian's last painting, the Pieta
, is a dramatic scene of suffering in a nocturnal setting. |
|||
■サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂 (Basilica di Santa Maria Gloriosa dei Frari)は、通常フラーリと縮めて呼ばれる、ヴェネツィアにあるカトリック教会のバシリカ。サン・ポーロ地区の心臓部カンポ・デイ・フラーリに建つ。教会は『聖母の被昇天』(Assunzione della Beata Vergine)に献堂された。 1250年、フランチェスコ会は教会を建てるべく土地を譲渡された。しかし建物は1338年まで完成しなかった。完成後ほとんどすぐに、より大きな後継者である現在の教会が1世紀で建てられた。鐘楼(カンパニエーレ)は、1396年に完成したサン・マルコ寺院の次にヴェネツィアで2番目に高い。 |
|||
ティツィアーノの作品 右の絵の拡大 |
聖会話とペーザロ家の寄進者たち(ペーザロ家祭壇画)(Sacra conversazione con i donatori Pesaro (Pala Pesaro)) |
||
聖会話とペーザロ家の寄進者たち(ペーザロ家祭壇画)(Sacra conversazione con i donatori Pesaro (PalaPesaro)) |
サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ聖堂 (拡大○) |
||
■依頼主の名前から『ペーザロ家祭壇画』とも呼ばれている本作の主題は、画面中に聖母子と聖人を配する≪聖会話≫だが、通常、真正面向きに描かれる聖会話を、ティツィアーノは聖母子を右斜め上に、諸聖人をその対角線上(左斜め下)に配するという、今までにないダイナミックな構図で描き、主題の新たな表現方法を示した。≪聖会話≫で最も重要な人物である聖母子を、真正面ではなく、右斜め上に配することによって、画面の中に動きが生まれ、この場面の臨場感をより強調している。また幼児キリストと会話をしている人物は、手に聖痕が刻まれている聖フランチェスコである。ヤコポ・ペーザロが教皇軍の司令官としてサンタ・マウラでの戦いに勝利したことの象徴として、トルコ人捕虜と、ペーザロ家の紋章で飾られた戦勝旗を掲げる戦士(ペーザロの部下)が描かれた。1519年 - 1526年 ヴェネツィアのフラーリ聖堂 |
|||
■『ディアナとアクタイオン』は、古代ギリシアの都市国家テバイの王カドモスの孫として知られるアクタイオンが狩猟の帰路につく途中で洞窟に立ち寄った際、ギリシア神話でアポロンの双子の妹アルテミスと同一視されるローマ神話の女神ディアナや女神に仕えるニンフたちの水浴場面に遭遇してしまった為、女神ディアナの逆鱗に触れてしまい、姿を牡鹿へと変えられる逸話≪ディアナとアクタイオン≫である。本作では水浴する姿を目撃された女神ディアナはとっさに左手で布を取り、裸体を隠そうとしている姿が表現豊かに描かれている。一方偶然にもディアナたちの水浴を目撃してしまったアクタイオンは思わず身を怯め、後ろへ仰け反っているほか、ニンフらは個々個々に驚きや戸惑いを示しているがディアナの脚を拭くニンフは遭遇に気づいていないのか、そのまま自然な仕草を見せている。 |
|||
ティツィアーノの作品 『ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)』 |
ティツィアーノの作品 『ディアナとアクタイオン』(フジエラ) |
||
■『ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)』は、復活したキリストが、マグダラのマリアの前に現れるという物語である。庭師と間違えられたキリストは、鋤を持つ姿で描かれる。ティツィアーノがまだ若い頃の作品である。マグダラのマリアは豊な衣装を着ている。キリストは見を引きながら言う。「私に触らないように。私はまだ父の許に上がってはいないのだから」 二人の人間的なやりとりが描かれている。 復活したキリストの身の軽さに比べ、マリアはこの世のしがらみで重い。 背景の青はうねリ来る海に見えるが、広大な世界が広がり、マリアを待ち受けているのである。(ヨハネ 20) |
|||
◎88年というルネサンスに活躍した画家の中でも最も長い生涯を送ったティツィアーノの画業は、ヴェネツィア派最大の巨匠の名を残すに相応しい、華々しいものであった。また、ティツィアーノの作風は生涯にわたり変化し続け、ヴェネツィア派最大の特徴である色彩の魅力を存分に発揮し、その鮮やかに彩色された色彩は≪色彩の錬金術≫とまで呼ばれることとなった。ティツィアーノが手がけた作品は、真作数で約300点、工房作品も含めると500点を超える数を残している。 |
|||
ティツィアーノ 『Ecce Homo』 |
ティツィアーノ 『ヴィーナス』の変形? パラグアイ |
||
■ecce homo:エッケホモとは、 《イバラの冠をいただいたキリストの肖像画》.[ラテン語 'Behold the man! (見よ,この人を)' の意] |
|||
その他美術関係の切手・写真(切手が主体) |
|||
■美術・工芸切手・写真の索引 [ トップ|先史代|中世|ルネサンス ( ア行〜タ行、ナ行〜ワ行、その他 )|バロック|ロココ|ロマン派、新古典主義とアカデミック絵画|写実主義|印象派|象徴主義、耽美主義|近代絵画|日本(画家|作品)|ポップ(モダン)|故宮博物館(絵画|文物)|ルーヴル美術館|メトロポリタン美術館|プラハ美術館|ウフィツィ美術館とアカデミア美術館|バチカン美術館|世界の美術工芸品|仏教美術|デザイン|キリスト教絵画の見方|美術用語集(備忘録) ] |
|||
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio、チチアン)の絵画 ルネサンス |
|||