西洋美術切手 印象派 炎の画家 フィンセント・ヴァン・ゴッホ (1/2)
印象派の炎の画家ゴッホに特化した絵画切手です。フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は後期印象派の中でも最も名の知られたオランダ出身の画家。1853年3月30日にオランダ南部のズンデルトに生まれる。祖父、父共に牧師だった。性格は激しく、家族を含め、他人との交流に難を抱えていた。
今でこそ有名な画家であるが生前では1枚の絵(「赤いぶどう畑」)しか売れない画家であった。ゴッホはルーベンスの明瞭な色彩に魅了され、日本の浮世絵の特徴である明快な色使い、影の無い世界にも大きな影響を受けた。 画家・ゴッホの内面をそのまま反映したかのような迫真性の高い独自の表現は野獣派(フォーヴィスム)やドイツ表現主義など後世の画家に大きな影響を与えた。 1890年、ゴッホはパリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移住するも、同年7月27日に(おそらく胸部に)ピストルを撃ち自殺を図る。29日駆けつけた弟テオに見守られながら死去、享年37歳。 弟テオも翌年に死去。
ゴッホの黄色の色使いが鮮烈で印象的です。 特にブータンにて特集が組まれた事もあり其れを中心に展示しました。現在追加でカリブ諸国の切手も追加。 本文作成にあたり「Salvastyle.com」様を参考にさせていただき、引用もさせていただいております。 (
拡大○)は、画像クリックで拡大表示。 ゴッホの絵画の索引 [ 1|2 ]
※ゴッホの活動時期: エッテン時代(1881年4月〜12月)|ハーグ時代(1881年12月〜1883年9月)|ドレンテ時代(1883年9月〜11月)|ヌエネン時代(1883年12月〜1885年11月)|パリ時代
(1886年3月〜1888年2月)|アルル時代 (1888年2月〜1889年5月)|サン・レミ時代(1889年5月〜90年5月)|オーヴェール時代(1890年 5月〜7月)
■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリ|ダ・ヴィンチ|ラファエロ|ミケランジェロ|デューラー|ティツィアーノ|ルーベンス|ベラスケス|アングル|エル・グレコ|レンブラント|カラヴァッジオ|フェルメール|ダイク|ドラクロワ|ゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワール|マネとモネ|セザンヌ|ゴーギャン|マチス|ピカソ|ダリ|葛飾北斎|安藤広重|クリムト|シャガール|モディリアーニ|ミュシャ ] |
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このページ以外の印象派・フォービズムの画家 |
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印象派の画家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の絵画 (1/2) |
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■フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は、1853年、オランダ南部のベルギーとの国境に近い町ズンデルトに生まれた。祖父、父共に牧師だった。前年に生まれてすぐに死んだ兄と同じ名前を付けられた。幼い頃から性格は激しく、家族を含め、他人との交流に問題を抱えていた。 |
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『セントポール病院の庭木』 |
『セントポール病院の庭木』 |
『野生の花とアザミ(thistle)の花』(オーヴェール時代) |
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『セントポール病院の庭』 |
『パリの郊外』 |
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『秋の風景』 |
『石切り場と風車のあるモンマルトルの眺め』 |
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■ゴッホは1885年に実家を離れ、アントウェルペンの美術学校で学んだ後、1886年にパリに移住する。パリでは、フェルナン・コルモンの画塾で学び、ロートレックやエミール・ベルナール等と知り合った。特にロートレックはゴッホの数少ない理解者であった。 |
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『ムーラン・ド・ラ・ギャレット(モンマルトルの風車と菜園)』 |
ゴッホ『星月夜(The starry night)』 |
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『ムーラン・ド・ラ・ギャレット(モンマルトルの風車と菜園)』 |
『農家(北の思い出)』 |
『クリサンテミュームと野の花の花瓶』 |
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ムーラン・ド・ラ・ギャレット(1886) |
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『デイジーとアネモネの花瓶』 |
『銅の花瓶のあみがさゆり』 |
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『ポピーと蝶』 |
『ヒャクニチソウとゼラニウムの花瓶』 |
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『赤いけしの花の花瓶』 |
『ボタンの花瓶』 |
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『夜のカフェテラス(アルルのフォラン広場)』と |
『夜のカフェテラス |
『ホリーホックの花瓶』 |
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『アルルのはね橋(アルル=ブーク運河のラングロワ橋)』 |
『サン・ポール・ド・モゾールの教会の眺め』 |
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■ゴッホの南仏アルル(Arles)時代の代表作「夜のカフェテラス」は、満天の星をたたえたコバルト・ブルーの夜空と、その下でガス灯に照らされ、金色に輝くカフェテラスを描いた、とても美しい作品です。 比較的裕福な階級層向けのカフェテラスの情景を描いた作品。夜のカフェテラス(1888) 所蔵:クレラー・ミュラー美術館 |
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『アルルのゴッホの寝室(画家の寝室、ゴッホの部屋)』(サン・レミ時代、ルーマニア、1991年) |
『オレンジの入った籠のある静物』(アルル時代、 拡大○) |
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■アルル滞在期に手がけた最も重要な作品のひとつ『アルルのゴッホの寝室(画家の寝室、ゴッホの部屋)』。画家たちの共同生活場所を想定して借りられた「黄色い家」の自身の寝室が描かれている。 72×90cm | 油彩・画布 | フィンセント・ファン・ゴッホ美術館 |
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『サント・マリの家並』(アルル時代、 拡大○) |
『窓から見た肉屋』(アルル時代) |
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■ゴッホの最晩年の代表作『オーヴェールの教会(オーヴェールの聖堂)』は有名な耳切り事件後、精神的に不安定となったゴッホが、1890年からの治療・療養生活を過ごした最後の二ヶ月間で手掛けられた80点余りの作品の中の1点。12世紀頃に同地へ建てられ、以後、改修が重ね続けられてきた≪教会≫を描いた作品ある。空間が渦巻いた深い青色の空を背景に、逆光的に影の中に沈む重量感に溢れた本作のオーヴェールの教会は、何者をも寄せ付けぬような、不気味とも呼べるほど非常に厳めしい雰囲気を醸し出している。そして構造的にはほぼ正確に描かれているものの、その形体は波打つように激しく歪んでおり、教会の近寄りがたい異様な様子を、より一層強調している。 94×74cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ) |
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『オーヴェールの教会(オーヴェールの聖堂)』 |
『アルルの恋人たち』 |
『丘の道の2本のポプラ』 |
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(フランス)( 拡大○) |
(シエラ・レオネ)( 拡大○) |
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『サント・マリ海岸の漁船』 |
『アルルのレストラン・カレル』 |
『春の釣風景(クリシー橋の釣り人)』 |
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『糸杉に囲まれた花咲く果樹園』(アルル時代、 拡大○) |
『サント・マリの白い小屋』 |
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『オーヴェールの村道』 ヘルシンキ、アテネウム美術館 |
『オーヴェールの家』 |
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■有名な耳切り事件後、精神的に不安定となったゴッホが、1890年5月20日からパリ北西イル=ド=フランス地域圏のオーヴェール=シュル=オワーズに赴き、ゴッホの友人であり、セザンヌなど新しい芸術家たちへの支援を惜しまなかった医学博士(精神科医)ポール・ガシェのもとで治療・療養生活を過ごした最後の二ヶ月間で手がけられた80点あまりの作品の中の1点。 |
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『西洋夾竹桃と静物』 |
『花瓶の薔薇』 |
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『ひまわり・バラその他の花のボール(水盤)』( 拡大○) |
『ヒャクニチソウとその他の野花の花瓶』(パリ時代、 拡大○) |
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『ひまわり、14本 Tournesols (quatorze) 』1888年 モナコで発行の「国際生花コンクール」 |
『アイリスのある静物(花瓶に入った背景が黄色のアイリス) (Nature morte : iris (dans un vase, sur fond
jaune))』 |
「国際生花コンクール」 |
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■『ひまわり(14本)』。本作は、日本の浮世絵から強い影響を受けたゴッホが、同国(日本)を光に溢れた国だと想像し、そこへ赴くことを願ったゴッホが、ゴーギャンを始めとする同時代の画家達を誘い向かった、日差しの強い南仏の町アルルで描かれた作品で、本作を始めとする≪ひまわり≫を題材としたゴッホの作品は、このアルル滞在時に6点、パリ時代には5点描かれていることが記録として残っている。 |
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『歩きはじめ(ミレーによる)』(サン・レミ時代) |
『オーヴェールの村の道と階段』(オーヴェール時代) |
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『酒飲み(ドーミエーによる)』(サン・レミ時代)、『ラザロの復活(レンブランドによる)』(サン・レミ時代) |
『麦を束ねる人(ミレーによる)』(サン・レミ時代、 拡大○) |
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『樫の木のある岩山』(アルル時代) |
『ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋』 1888年 |
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『イタリアの女(アゴスティーン・セガトーリの肖像)』 |
『仕事に行く画家』 |
『瓶、2つのグラス、チーズ、パンのある静物』 |
『石膏トルソ、薔薇、2冊の小説のある静物』 |
『ムラサキキャベツと玉葱のある静物』(パリ時代)、『林檎の入った籠のある静物』(ゴッホのパリ時代)、 |
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『日本趣味 : 花魁 (Japonaiserie : figure)』 |
『日本趣味 : 梅の花(Japonaiserie : l'arbre (Prunier en fleurs))』 1887 |
『花咲く巴旦杏の木』 |
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■『日本趣味 : 花魁』は19世紀前半(江戸時代後期)に活躍した美人画で名高い浮世絵師、渓斎英泉による花魁図≪雲龍打掛の花魁≫をゴッホが模写した作品である。ゴッホは弟テオの会社が発刊した雑誌パリ・イリュストレの1886年5月号(日本特集号)表紙に縮小掲載された≪雲龍打掛の花魁≫を見て本作を手がけたと考えられており、同時期の代表作『タンギー爺さんの肖像(ジュリアン・タンギーの肖像)』の背景にも同浮世絵の模写が描き込まれている。画面中央に配される花魁の姿は原図をほぼ踏襲しているものの、そこに用いられる色彩はある種のけばけばしさを感じさせるほど大胆な配色が施されている。 |
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『日本趣味 : 雨の大橋(大はしあたけの夕立)(Japonaiserie : pont sous la sluie) 』 1887 |
『花瓶のライラック、雛菊、アネモネ』(パリ時代) |
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■フィンセント・ファン・ゴッホの日本趣味(ジャポニズム)への強い憧れと傾倒を示す代表的な作例のひとつ『日本趣味 : 梅の花』。本作はゴッホが数多く所持していた日本の浮世絵の中の1点、歌川広重屈指の傑作『名所江戸百景
亀戸梅屋敷』の模写作品である。原図となる歌川広重の『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』に対しては、梅の枝や花を超近景として配するという大胆で奇抜な構図と、赤色から白色、そして(赤色と)補色関係にある緑色へと変化を示す鮮明な色彩に惹かれたのであろうと推測されている。 |
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『ローヌ川の小船(砂を積み降ろす人夫)』(アルル時代、 拡大○) |
『あざみ』(アルル時代) |
『花咲く果樹園』(アルル時代) |
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『アニエールのセーヌ川にかかる橋』(パリ時代、 拡大○) |
『雪の中の蒔き拾い』 |
『アリスカンの並木道』 |
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『日暮れの麦畑』(アルル時代、 拡大○) |
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■『ラ・クロの収穫(青い荷車)』は、1888年の6月頃に制作された。ゴッホが強烈な陽光を求めて向かった南プロヴァンスのモンマジュール近郊ラ・クロ平野の収穫風景を描いた作品である。画面のほぼ中央へ青い荷車が描き込まれ、その水平線上の右部分へは小さな赤い荷車が、左部分へは大きな積み藁が配されている。これを中景として画面下部へは前景となる簡素な柵が背の低い木立が、画面上部へは遠景として悠々と広がるラ・クロ平野と青々とした山が構成されている。 |
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『アルル近郊の家のある並木道』 |
『種まく人(種をまく人、農夫) (Le semeur)』 |
『ラ・クロの収穫(青い荷車) (The Harvest)』 |
『夜のカフェ(アルルのラマルティーヌ広場)』 |
■『種まく人(種をまく人、農夫) (Le semeur)』は、ゴッホが19世紀フランス写実主義の巨匠ジャン=フランソワ・ミレーの代表作『種をまく人』に共鳴を覚え、同画題にて取り組んだ作品のひとつでもある。 ゴッホは「種まく人を描くことは昔から僕の念願だった。古い願いはいつも成熟できるとは限らないけど、僕にはまだできることがある。ミレーが残した『種をまく人』には残念ながら色彩が無い。僕は大きな画面に色彩で種まく人を描こうかと思っている。」と言っています。 |
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『サントマリの漁船』 |
『プロヴァンスの積み藁』 |
『黄色い家(アルルのゴッホの家、ラマルティーヌ広場)』 |
『ぶどう畑と家並(オーヴェールのブドウ畑)』( 拡大○) |
■ゴッホのアルル滞在期を象徴する作品『黄色い家(アルルのゴッホの家、ラマルティーヌ広場)』。本作は友人アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの勧めもあり、1888年2月から南仏プロヴァンスの町アルルでゴッホが他の画家仲間らと共に共同生活をしながら制作活動をおこなう目的で借りた家、通称≪黄色い家≫のある風景を描いた作品で、同年(1888年)の9月に制作された。このアルルでのゴッホの意欲的(希望的)で壮大な計画は、他の画家仲間から賛同を得るには至らず、結局、同時期に総合主義を確立させた(ポン=タヴェン派)の指導者的立場に近かったポール・ゴーギャンのみがブルターニュから参加するのみであった。 |
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その他美術関係の切手・写真(切手が主体) |
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利用したゴッホのシリーズ切手 ・Sierra Leone(シエラ・レオネ) 1991年 |
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西洋美術切手 印象派 炎の画家 フィンセント・ヴァン・ゴッホ (1/2) |
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