Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
美術切手|印象派|セザンヌ(Cezanne)の絵画 『近代絵画の父』と呼ばれているセザンヌ 印象派が光の反射や待機の振動に固執するあまり、画面から形態と構図を見失ってしまったことに不満を持つ。

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西洋美術切手 印象派|セザンヌ(Cezanne)の絵画

 西洋美術切手 印象派|セザンヌ(Cezanne)の絵画。 ポール・セザンヌ(Paul Cezanne、1839年1月19日 - 1906年10月22日(10月23日説もある))はフランスの画家。 当初はモネやルノワール等と共に印象派のグループの一員として活動していたが、1880年代からグループを離れ、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求した。 セザンヌは、印象派が光の反射や待機の振動に固執するあまり、画面から形態と構図を見失ってしまったことに不満を持つ。 彼は、丸形や四角形を強調した物体の捉え方をしたため、ピカソのキュビスムへの影響も強い。 その事から、『近代絵画の父』と呼ばれているセザンヌ。
 


■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリダ・ヴィンチラファエロミケランジェロデューラーティツィアーノルーベンスベラスケスアングルエル・グレコレンブラントカラヴァッジオフェルメールダイクドラクロワゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワールマネとモネセザンヌゴーギャンマチスピカソダリ葛飾北斎安藤広重クリムトシャガールモディリアーニミュシャ ]

このページ以外の印象派・フォービズムの画家
[ 印象派トップゴッホ(NO.1NO.2マネとモネセザンヌゴーギャンルノワールマチス ]

 印象派の画家 ポール・セザンヌ(Paul Cezanne)の絵画

◎1839年、当時結婚はしていなかったものの、南仏の小さな町エクス=アン=プロヴァンス(通称エクス)で帽子の販売業を営んでいた裕福な父ルイ=オーギュスト・セザンヌと母アンヌ=エリザベート・オノリーヌの間に長男として生まれる。両親が正式に結婚(1844年)した後の1848年、父ルイ=オーギュスト・セザンヌが知人と共にセザンヌ・カバソール銀行を設立、事業は成功しセザンヌ家はさらに裕福になる。

■セザンヌはピサロら印象派の画家とも交流があり、1874年のいわゆる第1回印象派展にも出品しているが、やがて印象派のグループから離脱し、故郷の南仏・エクス=アン=プロヴァンスのアトリエで独自の探求を続けていた。印象派の絵画が、コロー、クールベらに連なる写実主義の系譜上にあるのに対し、セザンヌは自然の模倣や再現から離れ、平面上に色彩とボリュームからなる独自の秩序をもった絵画世界を構築しようとした。 セザンヌは風景、人物、静物のいずれの画題の作品も多数手がけている。
自然などのモティーフを前にしたときの感覚を重要視した表現は、数多く生まれた世紀末〜20世紀初頭の絵画様式、特にパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックによって提唱・創設されたキュビスムの形成に多大な影響を与えた。 その事から、『近代絵画の父』と呼ばれているセザンヌ。
■オーヴェールの地名は、確かゴッホやゴーギャンも居ました。

『花瓶に挿した花』
(モナコ、1972年)

セザンヌ(Cezanne) フランス発行
印象派 セザンヌ 『花瓶に挿した花』(モナコ、1972年)

『水遊びをする女たち』
(フランス、2006年)

『カード遊びをする人たち』
(メトロポリタン美術館、フランス、1961年)

『カード遊びをする人たち』
( バーンズ・コレクション、
ルワンダ)

『オーヴェールの首つりの家』
La Maison du pendu, a Auvers
(モナコ、オルセー美術館)

『水遊びをする女たち』(フランス、2006年) セザンヌ 印象派 印象派 絵画切手 セザンヌ カルタ遊びの人々(フランス、1961年) 印象派 絵画切手 セザンヌ 『カード遊びをする男たち』(ルワンダ) 印象派 絵画切手 セザンヌ 『オーヴェールの首つりの家』(モナコ、オルセー美術館)

■ポール・セザンヌの最も重要な作品のひとつ『カード遊びをする人たち』。本作はセザンヌが当時、強く関心を寄せていた労働者階級の人々をモデルにカード遊びに興じる人々を描いた、現在5点が確認されている連作的作品群≪カード遊びをする人たち≫の中で バーンズ・コレクションのものは最初の作品だと考えられている。

■『オーヴェール=シュル=オワーズの首吊りの家』。セザンヌがガジェ医師と共にオーヴェール=シュル=オワーズに滞在した1873年に制作され、翌1874年に開催された第1回印象派展へ出品された本作に描かれるのは、パリ北西の地≪オーヴェール=シュル=オワーズ≫の風景で、画家と親しかった印象派の巨匠カミーユ・ピサロや、フィンセント・ファン・ゴッホも同地で制作活動をおこなっている。画面最前景には村の中心へと続く田舎道が突然画面左から横切るように大胆に配され、その道の先には二軒の家が左右対称的な位置に配されている。画面の中央やや上部分に空いた空間には中景として村の家々が、さらに遠景にはオーヴェールの景観と青々とした空が広がっている。
■『女性大水浴図』は、力強く硬質的な裸婦の描写や荒々しく多様性を強く感じさせる色彩表現などは異質的ながら極めて強力な存在感を醸し出すことに成功しており、画面全体から発せられる活き活きとした生命力と共に本作の大きな魅力として観る者の眼を惹きつける。

切手は『女性大水浴図 (Grandes baigneuses)』 1900-05年頃

切手『女性大水浴図 (Grandes baigneuses)』 1898-05年頃

セザンヌ(Cezanne) 『女性大水浴図 (Les Grandes baigneuses)』 1900-05年頃

セザンヌ 『女性大水浴図 (Grandes baigneuses) 』
1900-05年頃 フィラデルフィア美術館

『肘をつきながら勉強する赤いベストの少年』 セザンヌ 
『マルディ=グラ(謝肉祭の最終日,プーシキン美術館)』 他

『女性大水浴図 (Les Grandes baigneuses)』 セザンヌ 肘をつきながら勉強する赤いベストの少年』 セザンヌ 『マルディ=グラ(謝肉祭の最終日,プーシキン美術館)』

◎1861年、法律の勉強を放棄しパリへと旅立つ(父との対立が本格化する)。1861年、アカデミー・シュイスに入り、カミーユ・ピサロやギヨマンらと出会う。中でもセザンヌにとって最も良い理解者となったピサロとの出会いは画家にとっても重要な転機となった。その後、一時的にエクスへと帰郷するも1862年、パリへ再来、この年にカフェ・ゲルボワでクロード・モネ、ルノワール、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールら後に初期印象派を形成する主要な画家たちと知り合う。またこの頃、色彩の魔術師とも呼ばれたロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワと、写実主義の大画家ギュスターヴ・クールベを崇拝に近いほど賞賛し、精力的に研究をおこなう。その後、エドゥアール・マネやエドガー・ドガなどと知り合い、当時の印象派の画家たちと行動を共にしていたものの、近代都市と変貌していたパリの雰囲気に馴染むことができず、故郷エクスとパリを往復する生活を送りながら第1回、第3回の印象派展に参加するが、作品はほとんど理解されなかった。1772年、後に妻となるオルタンスとの間に息子ポール誕生。

『肘をつきながら勉強する赤いベストの少年』
(モルジブ、2004年)セザンヌ

■セザンヌの作品では、複数の異なった視点から眺められたモチーフが同一画面に描き込まれ、モチーフの形態は単純化あるいはデフォルメされている。セザンヌはサロンでの落選を繰り返し、その作品がようやく評価されるようになるのは晩年のことであった。本人の死後、その名声と影響力はますます高まり、没後の1907年、サロン・ドートンヌで開催されたセザンヌの回顧展(出品作品56点)は後の世代に多大な影響を及ぼした。この展覧会を訪れた画家としては、ピカソ、ブラック、レジェ、マティスらが挙げられる。また、詩人のリルケは、当時滞在していたパリでこの展覧会を鑑賞し、その感動を妻あての書簡に綴っている。

セザンヌの静物画『青い花瓶』
(パラグアイ、1970年)

セザンヌ(Cezanne)『肘をつきながら勉強する赤いベストの少年』(モルジブ、2004年)セザンヌ 『青い花瓶』 セザンヌ

『カリーニョのサン・ジョアン・デ・カセリュスにあるロマネスク様式の教会』(仏領アンドラ) ユトリロ

『カリーニョのサン・ジョアン・デ・カセリュスにあるロマネスク様式の教会』(仏領アンドラ) セザンヌ 印象派

『リンゴとオレンジのある静物』(1895-1900 オルセー美術館)
とセザンヌの自画像

背景は『果物入れ、グラス、林檎のある静物』、
右側は『静物:カーテン、花瓶(エルミタージュ美術館』

『リンゴとオレンジのある静物(1895-1900 オルセー美術館)』とセザンヌの自画像 背景は『果物入れ、グラス、林檎のある静物』、右側は『静物:カーテン、花瓶(エルミタージュ美術館』

■ポール・セザンヌを代表する静物画の傑作『リンゴとオレンジ(林檎とオレンジ)』。本作は画家が1870年代以降、数多く手がけた果物を画題とした静物画の中の一点であり、本作は構図、構成、対象の捉え方など完成度が最も高いものとして知られている。セザンヌは画家に共鳴していた批評家ギュスターヴ・ジェフロワに対して「リンゴでパリを驚かせたい」と語ったと言われており(これはエミール・ゾラによる小説≪制作≫の中で、主人公の画家が「素晴らしく描かれた一本の人参で革命を起こしたい」との台詞への画家の反応とも考えられる)、本作は画家の対象に対する切実で、複雑な想いと表現が顕著に示された作品でもある。(文章転載参考:Salvastyle.com )

風景(セザンヌ、カメルーン)

セザンヌ(Cezanne)の静物画(キルギスタン)

風景(セザンヌ、カメルーン) 1981年

『温室のセザンヌ夫人(メトロポリタン美術館)』 (Mme Cezanne dans la serre) 1891-92年頃
切手は、ミャンマー、ソマリア

■画家の妻である≪オルタンス・フィケ≫をモデルに制作された人物画作品で、セザンヌが妻オルタンスを画題とした作品を生涯の中で複数枚(20点前後)手がけているが、本作はその中でも特に代表的な作品のひとつとして位置付けられている。画面中央に配されるセザンヌ夫人ことオルタンス・フィケは、黒く細身の衣服に身を包み、やや首を斜めに傾けながら(本作を観る者、そしてセザンヌへと)視線を向けている。その表情には激情的な感情性や思想的な様子は見出すことはできず、セザンヌ夫人を描いた他の作品と同様、(やや物悲しげではあるが)ほぼ無表情である。そして背景には明るい黄土色を主体として樹木や植木鉢(鉢植え)、花を咲かせた植物などが配されている。(文章転載参考:Salvastyle.com )

 

"Still Life with Water Jug", "Self Portrait from 1890", "Jacqueline", "Naked Woman", "The Bathers 1890(『水遊びをする女たち』)", and "ガルダンヌ Gardanne 1886" (セザンヌの絵画、2009年)

セザンヌの絵画 『水浴の男たち (Baigneurs) 1890-92年頃』オルセー美術館、『休息する水浴の男たち』 他

セザンヌの絵画

エザンヌ 水浴の男たち (Baigneurs) 1890-92年頃 オルセー美術館 セザンヌ 

■セザンヌは異常なまでな潔癖症だった。例えば、ちょっとでも洋服が誰かに触れた、もしくはすれ違っただけで何度も何度もぬぐった。特に彼は女性を忌み嫌っていたため、女性の場合はこの癖はひどかった。
■作品は時間をかけて何度も描き直され、最初の構図を留めないものも多い。絵が完成する前にリンゴなどが干からびてしまうことも多かったという。

印象派セザンヌの絵画 『』、『』、『肘をつきながら勉強する赤いベストの少年』、
『マルディ=グラ(謝肉祭の最終日,プーシキン美術館)』、『温室のセザンヌ夫人(メトロポリタン美術館)』、『林檎の籠(リンゴのバスケット)』

林檎の籠(リンゴのバスケット) マルディ=グラ(謝肉祭の最終日,プーシキン美術館)

■近代絵画の創始者ポール・セザンヌ随一の肖像画作品『マルディ=グラ(謝肉祭の最終日)』。≪謝肉祭(カーニバル)の最終日≫を意味する『マルディ=グラ』との名称が付けられた本作は、画家の息子ポールと、画家の友人ルイ・ギヨームをモデルとする、≪コメディア・デラルテ(16世紀〜18世紀の欧州で流行した即興演劇のひとつ)≫の登場人物≪アルルカン≫と≪ピエロ≫を描いた二重肖像画。画面右側に描かれた、伝統的な赤色と黒色の菱形模様が特徴的な衣服と長杖(スラップスティック)を手にする、すらりとした肉体のアルルカンはセザンヌの息子ポール(当時16歳)がモデルとなっている。

メトロポリタン美術館 印象派 セザンヌの作品多数 『カード遊びをする男たち』、、『温室のセザンヌ夫人』、『ドミニック叔父』・・・

印象派 セザンヌの作品多数
『リンゴとオレンジのある静物』(1895-1900 オルセー美術館) 他

メトロポリタン美術館 印象派 セザンヌの作品多数 印象派 セザンヌの作品多数

印象派セザンヌの絵画 『カード遊びをする人たち』
バーンズ財団  メリオン ペンシルヴェニア

印象派セザンヌの絵画 『ガルダンヌ』 
背景はシスレーの『ガレンヌ村の橋』(メトロポリタン美術館)

■セザンヌは人付き合いが極端に苦手な性格で心を許せる友人はカミーユ・ピサロなど数人に限られていた。さらに、オルタンスや息子のポールの存在が発覚したとき厳格な父とのパイプ役となったのは母親であったが、この母はオルタンスと折り合いが悪いという有様であった。父の死後、セザンヌは母と妹とも一つ屋根の下で暮らすことになるが、この女性3人はケンカばかりしていたため家庭では常に居心地の悪さを感じていた。そんな環境の中で、セザンヌは一人息子のポールに対してだけは終生変わらぬ愛情を注いだという。

『オーヴェールの農園』
(モナコ、1989年)

印象派 セザンヌ(Cezanne) 『オベールの農園』(モナコ、1989年)

■1880年代以降、セザンヌ(Cezanne)はエクスに戻り、プロヴァンスの風景画、人物画、静物画、水浴画など、後にセザンヌを代表する作品を制作することに専念。1890年代後半から次第に評価を得るようになり、晩年期には高額で絵画が取引されるようになったものの、糖尿病など健康状態が悪化。精神状態も不安定になり、対人関係が困難となった。1906年、偉大なる巨匠としての地位は確立されていたものの、エクスのアパートで肺炎により死去。

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