西洋美術切手 写実派(写実主義)の絵画
写実派(写実主義)は明確な定義が無いですが、クールベや、ドーミエ、ミレーといったフランスの画家たちの作品は、社会派リアリズムとよばれています。 19世紀の半ばに、『写実主義(レアリスム)』とよばれる絵画の流派が誕生した背景には、1848年のパリ民衆の蜂起とルイ・ナポレオンによるクーデターの影響で激動する社会がありました。その写実主義絵画の代表といわれているのが、クールベとミレーです。写実主義の根拠のひとつは、クールベの『写実主義宣言』(1855年)にあります。『私に天使を描いてほしかったら、ここに天使を連れてきてごらん。そうしたら描いてあげよう』というクールベの言葉は、あくまで目に見えるものだけが絵画のテーマに価する、という彼の信念をあらわしています。 掲載の画家はドーミエ、クールベ、ミレー、リオタールなどです。
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掲載の写実派の主要な画家一覧:オノレ・ドーミエ(Daumier)、ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-F Millet)、ジーン・エティエン・リオタール(Liotard)、ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet) |
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写実派 : 1855年のパリ万博美術展の際、クールベは公式の展覧会場の近くにパビリオンを設け、その入口の上に「レアリスム館」と書き込んだのでした。19世紀頃のヨーロッパでは肖像画を描くことが一つのステイタスであった。 肖像画では、対象を正確に描写することが重要で、遠近法などの技法が工夫された。肖像画は大きな需要があったため産業として確立し、学校も多く設立され、技術さえ学べればそこそこの絵が描けるようになっていた。肖像画と言っても顔だけではなく、服装や背景の調度品なども、対象人物の地位を表すものとして重要だった。そのため、それらの物を正確に描く技術も発達した。これらの人物や物を正確に描く絵画のことを写実主義という。 |
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クールベ(Gustave Courbet) |
ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet、1819年-1877年)当時の画壇の潮流であった、絵画の理想化を拒否。視覚に忠実なレアリスムを確立。同朋の、ドーミエとジャン・フランソワ・ミレーとで、19世紀中頃の写実主義を推し進めた。絵画の批評家や一般の人々は、実際の生活よりも良く描かれている絵画に慣れていた。クールベはこれに反対した。普通の場所や人々をそのまま描いた。 故郷オルナンの森やドイツの森に入り、鹿や野兎、狐などの狩猟を好んだハンターであったと同時に、優れた動物画を数多く残しました。 |
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『こんにちは、クールベさん』 |
クールベ画 『The Bather, 1868(メトロポリタン美術館)』、『まどろみ』ほか |
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クールベ画 |
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クールベ画 『The Source, 1868』、『The Bather, 1868(メトロポリタン美術館)』 |
クールベ画 |
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クールベ画 |
クールベ画 『』、『』、『The Bather, 1868(メトロポリタン美術館)』、『まどろみ』 |
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『Femme nue couchee』 |
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『The man with a pipe Self-portrait, 1848-49』クールベの自画像、シート地は『Woman with a Parrot, 1866 (メトロポリタン美術館)』 |
クールベ画 シート地・『セーヌ河畔の娘たち』 |
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■今ではクールベの代表作とされている、大作『オルナンの埋葬』も、発表当時の評判はさんざんであった。この絵にクールベが付けた題名は『オルナンの埋葬に関する歴史画』というものだった。当時のフランスの人々にとって「歴史画」とは、古代の神々、殉教者、英雄、帝王などを理想化された姿で描いた格調高い絵画のことであった。これに対し、オルナンという、山奥の田舎町の葬式に集まった名もない人々という主題を、まるで歴史上の大事件のように扱い、このような巨大な画面(縦約3.1メートル、横約6.6メートル)に表して「歴史画」と称するのは当時としては常識はずれのことだった。 |
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クールベ画 |
クールベ画 『The Bather, 1868(メトロポリタン美術館)』 |
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『The Bather, 1868(メトロポリタン美術館)』 |
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クールベ画 『スペインの女』、『まどろみ』、『』、『ジョーの肖像』 |
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クールベ画 『Woman with a Parrot, 1866 (メトロポリタン美術館)』 |
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■1855年、パリの万国博覧会に『画家のアトリエ』を出展するが、同会に拒否され、会場の前で個展を開催し、そこで展示した。以後、自然画等さまざまな作品を制作するが1871年にパリ・コミューンに参加するが敗北、逮捕される。2年後スイスへ亡命し、晩年はアルコールにまみれながら風景画等を描いた。享年58歳。 |
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ドーミエ(Daumier) |
オノレ・ドーミエ(Daumier、1808年-1879年)は、19世紀半ば以降フランスにおこった社会の現実を客観的に描写しようとする写実主義運動の、絵画面での代表の一人。1830年代に国王ルイ=フィリップを揶揄する政治漫画を多く発表し、風刺版画の庶民芸術家として知られている。オノレ・ドーミエ(1808年- 1879年)マルセイユ生まれの画家。ドーミエは300点以上の油絵作品を残しロートレックやゴッホなど多くの画家に影響を与えた。 |
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『クリスパンとスカパン』 |
オノレ・ドーミエ画 『クリスパンとスカパン』のFDC |
■伊丹市立美術館は、 日本で一番ドーミエの作品を所蔵している美術館です。 |
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『クリスパンとスカパン』 オルセー美術館 |
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ドーミエ本人(有名人シリーズ) |
ドーミエ 『列車の客室』 |
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『帰宅』(ニジェール、1979年) |
ドーミエは、生涯に4,000点近い版画を残したほか、数十点の彫刻、三百数十点の油絵を残している。彼の油絵は、生前にはほとんど公開されなかったが、当時のパリ市民の日常生活、当時の最新技術であった鉄道車両内の情景などを大胆な構図と筆使いで表現したもので、印象派や表現主義の絵画を先取りしたものとして、今日では高く評価されている。 |
オノレ・ドーミエ画 『洗濯女』 |
『劇場の切符売り場』(フランス) |
ミレー(Jean-F Millet) |
ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-F Millet、1814-1875)フランスの農民画家。 |
ミレー 『晩鐘(L'Angelus)』 |
ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet)|種まく人 1850 ボストン美術館 拡大 |
ミレー 『麦をふるう人』 |
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晩鐘 (L'Angelus) 1855-1857年 |
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■ミレーの代表的名作『晩鐘』。シュルレアリスムの画家サルバドール・ダリが主題として幾度も取り上げた作品としても知られている。 |
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リオタール(Jean-Etienne Liotard) |
スイスのジュネーヴ生まれのジャン=エティエンヌ・リオタール(Jean-Etienne Liotard、1702年-1789年) は,パステル画、細密画で名を馳せ“真実の画家”とも呼ばれた18世紀のアーティスト。パリ,ウィーン、ロンドン、ローマなど、当時のヨーロッパの主要都市をほとんど訪れ、生前は国際的に名の知られた芸術家だった。 |
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万国郵便連合100年(アメリカ、 |
『チョコレートを運ぶ娘』(リオタール)ドレスデン国立絵画館 |
『チョコレートを運ぶ娘』(リオタール)ドレスデン国立絵画館 拡大 |
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a young lady on it reading a letter |
東ドイツ発行 |
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万国郵便連合100年(アメリカ、1974年)リオタールの絵画 FDC |
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美術切手|写実派(写実主義)は明確な定義が無いですが、クールベや、ドーミエ、ミレー、リオタールといったフランスの画家たちの作品は、社会派リアリズムとよばれています。 |
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