Repubblica Italiana(イタリア共和国)|ヴェッキオ橋とアルノ川周辺 オルベテッロ(Orbetello)
フィレンツェ (Firenze)
世界遺産 花の都・フィレンツェ (Firenze) ヴェッキオ橋とアルノ川周辺。 ヴェッキオ橋またはポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)は、イタリアのフィレンツェを流れるアルノ川に架かる橋です。 イタリア語で「古い橋」の名が示すとおり、フィレンツェ最古の橋です。 1218年のカッライア橋が架けられるまでは街で唯一の橋でした。 河川の氾濫などで何度か建て直されており、現在の橋は1345年に再建されたもので、橋の上に宝飾店が建ち並んでいることで知られています。 東京ディズニーリゾートの橋:ポンテ・ベッキオ
- 東京ディズニーシーにヴェッキオ橋をモデルにした橋があり、「ポンテ・ベッキオ」と呼称されています。 ヴェッキオ橋の夕陽に輝くショーウィンドーの中の金銀の宝飾品に心を奪われたが、残念ながら私の手に届くものはなかった。 オルベテッロ(Orbetello)。
説明資料作成では、ガイドブックやWikipediaを利用しています。
ご注意)写真は私が撮影し著作権があります。転載禁止!
ページ内索引 {ヴェッキオ橋とアルノ川周辺 |オルベテッロ(Orbetello) }
ヴェッキオ橋とアルノ川周辺
■アルノ川(Arno) は、イタリア中部を流れティレニア海に注ぐ、長さ241kmの川で、ファルテローナ山(it:Monte Falterona)に源を発し南へ流れる。アレッツォ付近で北西に転じ、フィレンツェで西に変える。ポンテデーラの谷を流れ、ピサの西側でティレニア海に注ぐ。フィレンツェは近郊フィエーゾレを獲得し、アルノ川がうるおす広大で肥沃な平野全域の支配計画を進められました。
雨の中のアルノ川
フィレンツェの
アルノ川と街並み
フィレンツェの
アルノ川と街並み
サンタ・トリニタ橋
ウフィツィ美術館から眺めたアルノ川の対岸の建築物
■サンタ・トリニタ橋 (Holy Trinity Bridge (聖トリニティ橋) と呼び、 古代道路の ヴィア・デ・トルナボーニ (via
de' Tornabuoni) のすぐ近くの区間にある 古代の教会から名づけられた) はイタリア、フィレンツェのルネッサンスの橋で、 アルノ川にかかっている。
サンタ・トリニタ橋は世界で最も古い楕円アーチ橋(1567 年から 1569 年にかけて建設)で、 3 基の平坦な楕円アーチがあり、 名高い優雅な外見を構造に与えている。
外側スパンは長さ 29m (95フィート) で中央スパンは長さ 32m (105フィート) である。 近くにある2つの橋は、東にはヴェッキオ橋、
西にはアラ・カライア橋 (Ponte alla Carraia) である。
ヴェッキオ橋近くのチェーンに付けられた
多数の錠前・南京錠と恋人たち
ここに南京錠をつけて、アルノ川に鍵を投げ入れてしまう。
そうすると南京錠を再び開くことは不可能=2人の愛は永遠、なんだとか。ホテルのある隣町のプラートには中国人が多く居て、その人達が南京錠を持ち込んだのか?
■ヴァザーリの回廊が上を通っているヴェッキオ橋 は、フィレンツェにある橋の中で一番古い橋です。ローマ時代からこの場所に橋があったことが知られています。 1117年と1333年の洪水で流された後、タッデオ・ガッティ(またはネーリディフィオラヴァンテ)によって1345年に建造され、それ以来、660年以上、当時のまま残っているのです。 1557年の大洪水でフィレンツェの他の橋が全て流されてしまった時も、ヴェッキオ橋だけは残ります。更に、1944年、連合軍の侵攻を妨げるべく、ドイツ軍はヴェッキオ橋以外の橋を全て爆破し落としまいました。
■フィレンツェと言えば、ホラふきピノッキオ。 ピノッキオの作者コッローディは、フィレンツェ出身なのです。 ヴェッキオ橋の上だけでなく市中そこかしこで販売してました。購入しました。特にフィレンツェで有名な革手袋は良い記念になるでしょう。
アノル川に架かる古橋 ヴェッキオ橋またはポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)
とヴァザーリの回廊
■ヴァザーリの回廊は1565年、画家であり建築家でもあったジョルジョ・ヴァザーリによって造られた回廊です。メディチ家の一族が市内を安全に通行できるようにとメディチ家の自宅と、仕事場である執政所(今の役所)を直接つなぎヴァザーリの回廊を作りました。メディチ家の人々の緊急避難路とされていました。この回廊の長さは約1kmにもおよびます。
■ベンヴェヌート・チェッリーニ(Benvenuto Cellini, 1500年11月3日 - 1571年2月13日)は、ルネサンス期イタリアの画家、彫金師、彫刻家、音楽家。奔放な「自伝」でも知られる。1900年に設置。 1527年カール5世のローマ侵略に応じてサン・タンジェロ城の防衛に参加し、1528年からミケランジェロとの交遊が始まる。1535年フィレンツェでアレッサンドロ公による貨幣鋳型の注文に応え、4種制作。教皇パウルス3世の不興を蒙り、1538年から2年間サンタンジェロ城に幽閉される。
ヴェッキオ橋上の
チェッリーニ像
ヴェッキオ橋またはポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)
ヴェッキオ橋上の
苔むした屋根の宝石店
ヴェッキオ橋上の
貴金属宝石店
ヴェッキオ橋上の宝石店
ヴェッキオ橋上の宝石店
■昔のヴェッキオ橋は、フィレンツェ市が、フィレンツェの街中にあった肉屋を全てこの橋の上に集めそうです。 街中にあるよりも橋の上にあったほうが、衛生的で匂いもしないと考えたようです。 きっと橋の上から直接排水をしたり、骨などを上から河に直接投げ捨てていたんでしょうね。 所が、ヴァザーリの回廊を通る度に、あまりの悪臭のために辟易し、1593年にコジモの息子、フランチェスコの弟であるフェルディナンド1世が肉屋を撤去し、宝石屋を橋の上に集めました。 こうして、それから400年以上、宝石屋がヴェッキオ橋の上にあるというわけです。
ウフィツィ美術館から見えたヴェッキオ橋とヴァザーリの回廊 /
ウフィツィ美術館の対岸から見たヴェッキオ橋
ガリレオ・ガリレイ の父は1520年フィレンツェ生まれの音楽家ヴィンチェンツォ・ガリレイ (Vincenzo Galilei) で、彼は呉服商もいとなんでいた。 母はペーシャ生まれのジュリア・アンマンナーティ (Giulia Ammannati) 。 2人は1563年に結婚し、翌年イタリアのトスカーナ大公国領ピサで長男ガリレオが生まれる。1581年ガリレオはピサ大学に入学するが、1585年に退学。1582年ごろからトスカナ宮廷付きの数学者オスティリオ・リッチにユークリッドやアルキメデスを学び、1586年にはアルキメデスの著作に基づいて天秤を改良し最初の科学論文『小天秤』を発表する。 1589年にピサ大学の教授の地位を得て、数学を教えた。 1592年パドヴァ大学で教授の職を得、1610年まで幾何学、数学、天文学を教えた。 この時期、彼は多くの画期的発見や改良を成し遂げている。
ガリレオ・ガリレイ博物館
ヴェッキオ橋の傍
ガリレオ・ガリレイ博物館の駐車場は数字でなく星座
ウフィツィ美術館の第一回廊 : 第一回廊の部屋には1200年代から1500年代の作品が時代順に展示。 その通路には、メディチ家コレクションの胸像と彫刻が、彫刻1体と胸像2体づつ規則的に展示されています。ヴォールト式天井は想像上の怪物や動物、サテュロスのグロテスク模様とメディチ家の功績や業績を描いたフレスコ画で装飾され、天井下の壁に沿って展示されているのは著名人(ジョヴィアーナシリーズ)と世界中の支配者の肖像画です。
ヴェッキオ橋近くのアノル川からウフィツィ美術館の第1回廊を
フィレンツェの領事・ゲルハルトウルフ(Gerhard Wolf)の功績文(ヴェッキオ橋の真ん中に掲載)・ナチス時代
ミケランジェロ広場の
下のローマの水道?
アノル川沿いのホテル
「Hotel River」
フィレンツェ、ヴェッキオ橋近く レストラン店先の魚介類 アンコウ
イタリア風の一般民家の中庭 ビッティ宮殿側
■ジョルジョ・ヴァザーリ (Giorgio Vasari, 1511年7月30日 - 1574年6月27日)は、イタリアのマニエリスム期の画家、建築家。イタリアのアレッツォ生まれ。1529年、ローマを訪れ、ラファエロらの作品に学ぶ。のちにメディチ家のトスカーナ大公コジモ1世(1519年-1574年)お抱えの芸術家となった。美術館になっているウフィツィ宮殿は有名。
■ウフィツィ宮殿 :初代トスカーナ大公コジモ1世の治世下、ジョルジョ・ヴァザーリの設計で1560年に着工し、1580年に竣工したフィレンツェの行政機関の事務所がもとになっている。
ヴァザーリの廊下(ウフィツィ美術館とピッティ宮殿を結ぶ回廊)ウフィツィ美術館参考資料より転載
ルブラン自画像 ロココ
(ヴァザーリの廊下)
■ヴァザーリの回廊(ウフィツィ美術館とピッティ宮殿を結ぶ回廊)は、総数で約800点の展示作品を誇り、入口の大階段とそれに続く廊下の初めの部分には、1600年代と1700年代の重要作品が、ヴェッキオ橋の上には史上最高の世界中の自画像コレクションが展示されています。 ルブランの自画像もその中の一部です。
ウフィツィ美術館から見えたヴェッキオ橋と
ヴァザーリの回廊(1930年代後半の絵葉書)
アノル川の下流に向かいヴェッキオ橋方面を撮影
右が繁華街
多少雨模様もあり
川は荒れ気味でした。
■フィレンツェ歴史地区(Centro Storico di Firenze it / Historic Centre of Florence en
) はイタリアの都市フィレンツェの中心部は、ユネスコの世界遺産(文化遺産) に登録されています。歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されており、ルネッサンスの芸術、文化を眼前にみることができます。 主な建築物は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂/市庁舎(ヴェッキオ宮殿)/ウフィツィ美術館
/ボーボリ庭園/サンタ・マリア・ノヴェッラ教会/サンタ・クローチェ聖堂 (フィレンツェ) です。
オルベテッロ(Orbetello)
■オルベテッロ(Orbetello)は、イタリア共和国トスカーナ州グロッセート県にある、人口約1万5000人の基礎自治体(コムーネ)。オルベテッロの集落は、オルベテッロ潟
(Laguna di Orbetello) 中央の砂州上に位置する。オルベテッロ潟は、戦間期のイタリアにおいて水上飛行場としての機能を持ち、イタリア空軍の航空イベントの舞台となった。
ローマからアムステルダムへのKLMの飛行の途中から見えた景色
Orbetello is a town and comune in the province of Grosseto (Tuscany), Italy. It is located c. 35 km south of Grosseto, on the eponymous lagoon, which is home to an important Natural Reserve.
Repubblica Italiana(イタリア共和国)|ヴェッキオ橋とアルノ川周辺 オルベテッロ(Orbetello)
counter