バチカン市国(Governor of Vatican City)|世界遺産 バチカン サン・ピエトロ大聖堂 |
フィレンツェ (Firenze)
バチカン市国(Governor of Vatican City)。 通称バチカンはイタリアのローマ市内にある世界最小・世界遺産の主権国家。 ヴァチカン、ヴァティカンとも表記する。バチカンという名称は、この地のもともとの名前であった「ウァティカヌスの丘」 (Mons Vaticanus)
からとられています。 ここに教会が建てられ、やがてカトリック教会の中心地となったもともとの理由は、この場所で聖ペトロが殉教したという伝承があったためです。 その狭い領土の中にサン・ピエトロ大聖堂、バチカン宮殿、バチカン美術館、サン・ピエトロ広場などが肩を並べている。 国全体が『バチカン市国』として今ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。 バチカン市国はローマの北西部に位置するバチカンの丘の上、テヴェレ川(テビレ川)の右岸にあります。 観光客が入れる場所は、サン・ピエトロ広場、サン・ピエトロ大聖堂、バチカン美術館周辺のみ。 写真撮影はシスティーナ礼拝堂以外はOKでしたが、余りにも膨大な絵画や彫刻、時間制限がある中で見る事は至難の業です。 ルーヴル美術館と比較し小規模で少し通路が狭い感じですが、量的・質的なものは遜色がない。 N.Yのメトロポリタン美術館の感じ。 バチカン美術館だけでなくバチカン市国自体が巨大な美術館と思えます。 説明資料作成では、Wikipediaやバチカン美術館の書籍を参考に利用させて戴きました。 教会の中でも取り分け神聖な場所ですので、肌の見えるノースリーブやひざ上のスカートなどはNG!服装には気をつけて見学して下さい! 世界にも冠たる強力なパワースポットです。
サン・ピエトロ大聖堂のヴァーチャル・ツアー英語版(バチカン市国制作)。 ・・ 内部のイメージが鮮明に分かります。
世界遺産の切手:イタリア。 絵画切手 [ ラファエロ|ミケランジェロ ]
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ページ内索引 { サン・ピエトロ大聖堂 外観|サン・ピエトロ大聖堂 内部と身廊の各礼拝堂
|バチカン美術館の軽食と動物|バチカン美術館の作品|システィーナ礼拝堂
|「ラファエロの間」|コインカード(COIN・CARD)|サンタンジェロ橋|
バチカン市国関連の切手 }
■バチカンの地は古代以来ローマの郊外にあって人の住む地域ではなかったが、キリスト教以前から一種の聖なる地だったと考えられている。326年にコンスタンティヌス1世によって使徒ペトロの墓所とされたこの地に最初の教会堂が建てられた。 やがてこの地に住んだローマ司教が教皇として全カトリック教会に対して強い影響力をおよぼすようになると、バチカンはカトリック教会の本拠地として発展し、755年から19世紀まで存在した教皇領の拡大にともなって栄えるようになった。 1860年にイタリア王国が成立すると教皇領は接収されたため、ローマ教皇庁とイタリア王国政府が関係を断絶し、教皇は「バチカンの囚人」と称してバチカンに引きこもった。 このような不健全な関係を修復すべくイタリア政府とバチカンの間で折衝が続けられたが、1929年2月11日になってようやく教皇ピウス11世の全権代理ガスパッリ枢機卿とベニート・ムッソリーニ首相との間で合意が成立し、3つのラテラノ条約が締結された。
■「バチカン放送局日本語課の公式HP」
サン・ピエトロ大聖堂 外観
■サン・ピエトロ大聖堂(イタリア語:Basilica di San Pietro in Vaticano)はバチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山。 サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意味で、キリスト教の使徒ペトロ(ペテロ)のイタリア語読みに由来します。 カトリック教会の伝承によれば、サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所があったところに建立されたとされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇る。
本来は、コンスタンティヌス1世により、聖ペテロのものとされる墓を参拝するための殉教者記念教会堂として建設されたものである。14世紀まで、ローマ司教(現在のローマ教皇)の司教座聖堂は、コンスタンティヌスのバシリカ(現在のサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂)であった。
■球体をもった球体(伊: Sfera con sfera、または、Sfera all'interno della sfera)は、アルナルド・ポモドーロによるブロンズの彫刻。 現代美術の研磨されたブロンズで出来た4mの寓話彫刻モニュメントは、元々は1960年代に バチカン美術館のために制作された作品のひとつ。
サン・ピエトロ大聖堂 内部と身廊の各礼拝堂
■サン・ピエトロ大聖堂を含むイタリアを訪れた観光客がかかる「スタンダール症候群」という病気を、1979年にフィレンツェの精神科医師ガジエッラ・マゲリーニが指摘した。これは、膨大な芸術作品群をできる限り多く見て回ろうとする強迫観念が、観光を楽しむ余裕を奪い、頭痛などの症状を発するものである。 1975年にガラッシ・パルッツィが著した本によると、大聖堂の美術品はトラヴェルティーノ像165体、ストゥッコ像125体、大理石彫像が110体、ブロンズ像40体があると記されており、そのひとつひとつが大作揃いである。 祭壇画はほとんどがモザイクの複製画に取り換えられているが、これも膨大な数になる。聖堂内にある歴代教皇の墓は147基あり、多くは地下礼拝堂にあるが堂内でもたくさんの墓碑を見ることができる。
内陣の青銅製大天蓋(バルダッキーノ) |
『主祭壇』 - |
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内陣の青銅製大天蓋 |
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内陣の青銅製大天蓋 |
バルダッキーノの下の |
■内陣の青銅製大天蓋(バルダッキーノ)は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニと、おそらく一部はフランチェスコ・ボッロミーニによって 1624年に着手され、1633年に完成した。 バルダッキーノのねじれ柱は、旧サン・ピエトロ大聖堂のパーゴラに使われていた初期キリスト教時代の円柱を再現したもので、巨大な大聖堂の中心部に視線を集中させる効果を持つ。 ブロンズ製ですが、このブロンズはパンテオンから剥がされて持ってこられたそうです。 |
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■サン・ピエトロ大聖堂の身廊に入って右手前に通称「ピエタ礼拝堂」がある。 正式にはクロチフィッソ(磔刑像)礼拝堂というが、ルネサンスの巨匠・ミケランジェロが1498年(23歳)~1500年(25歳)にかけて制作した「ピエタ」が安置されたことからこう呼ばれる。 十字架にかけられて亡くなったキリストの亡骸を聖母マリアが抱いている像を「ピエタ」と言います。 |
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バチカン サン・ピエトロ大聖堂 本物 ミケランジェロ 『サン・ピエトロのピエタ』 / 当サイトの参考ページ「ミケランジェロ(ルネサンス)」 |
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サン・ピエトロ大聖堂のピエタの礼拝堂 |
■ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475年3月6日 - 1564年2月18日)は、イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。名前はミカエル(Michael)と天使(angelo)を併せたもの。西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われるバチカンのシスティーナ礼拝堂の天井フレスコ画や『最後の審判』、パオリーナ礼拝堂にある『聖ペテロの磔刑』、『パウロの改宗』を描いたことでよく知られている。もともとは彫刻家であり、『ピエタ』や『ダビデ像』等の傑作のほかにも『バッカス』、『モーセ』、『ラケル』、『レア』などが有名である。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンティとともにルネサンスの三大巨匠と呼ばれる。 |
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■ミケランジェロが制作した4作品(ただし、完成したのは『サン・ピエトロのピエタ』のみ)の通称と制作年、現在の収蔵場所は以下の通り。 |
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聖ペトロの大司教座 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ |
サン・ピエトロ大聖堂の |
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『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』によれば聖ペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になった。カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなす。これは「天の国の鍵」をイエスから受け取ったペトロが権威を与えられ、それをローマ司教としてのローマ教皇が継承したとみなすからである。 |
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■サン・ピエトロ大聖堂の『天国の扉』は、くぐれば天国に行かれる扉だそうで、開く周期があるようです。 次は2025年だそうです。 ただ、他の方の『天国の扉』とは少し見映えが違いますが、ガイドさんからはココがそうだといわれて記念撮影をして来ました。 |
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(参考)フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の北側の扉『天国への門』です。 |
サン・ピエトロ大聖堂の『天国の扉』 |
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サン・ピエトロ大聖堂 |
サン・ピエトロ大聖堂 聖なる扉 これが『天国の扉』 |
聖アンドレア |
サン・ピエトロ大聖堂には、中央入口の扉(ジョット 作)を除き、①『死の扉』 - ジャコモ・マンズー 、②『善と悪の扉』 、③『中央扉』 - アントニオ・フィラレーテ(1445年8月14日旧大聖堂に設置、1620年に現在の聖堂に設置)
、④『秘蹟の扉』 、⑤『聖なる扉』 の扉があります。 『天国の扉』とはどれにあたるのか?
ローマ・カトリック教会において、特に重視されるのはマタイによる福音書の16:18-19のイエスのペトロに対する言葉である。
「シモン・バル・ヨナ。お前は祝福されたものだ。このことは血と肉によってでなく天におられる父によって示されている。わたしは言う、おまえは岩(ペトロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐものは天でもつながれ、地上で解くものは天でも解かれるのである。」 この箇所から「天国の鍵」のデザインが教皇の紋章に取り入れられている。
バチカン美術館の軽食と動物
■イタリアでカフェのことを“BAR(バール)”と呼び、華麗な手さばきでエスプレッソをいれる職人を「バリスタ」と呼びます。美味しかった。
また食事をしていると太った人懐こい黒い野良猫も居ました。 ごく普通に膝の上に乗りました。
バチカン美術館の作品
■バチカン美術館(Musei Vaticani)は、ヴァチカン市国にあり、歴代ローマ教皇の収集品を収蔵展示する世界最大級の美術館。 日本語では「ヴァチカン美術館」、「バティカン美術館」などとも表記する。 16世紀末に教皇ユリウス2世により創設されたこの美術館は、ベルヴェデーレの中庭の大部分を占めており、世界で最も大きな美術品コレクションの一つであり、歴代の教皇が蒐集した美術品の膨大なコレクションを展示している。 バチカン宮殿の北側にある美術館で、図書館など20を越える施設の総称。 バチカン宮殿、システィーナ礼拝堂を含めてバチカン美術館と呼ぶ場合も多い。所蔵品の中心となっているのは、ユリウス2世の彫刻コレクションである。 また、キリスト教美術以外にも、古代ギリシャ、古代エジプトの膨大なコレクションを誇っている。 詳細は「バチカン美術館」
『チグリス川の神様』 ラオコーン像の左にある / 『ラオコーン像』 |
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システィーナ礼拝堂
■システィーナ礼拝堂は、バチカン宮殿、バチカン美術館と繋がっている。シクストゥス4世の命により教皇礼拝堂として1475年に建設が始まり、1481年に建物が完成した。礼拝堂の名称は教皇の名に由来している。ミケランジェロが4年の歳月をかけて描いた大天井画の『創世記』、やはりミケランジェロが6年の歳月をかけた『最後の審判』の壁画があることであまりに有名。 また、教皇を選出するコンクラーヴェの会場としても知られている。 詳細は「システィーナ礼拝堂」
ミケンランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画・アダムの創造 |
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■システィーナ礼拝堂天井画は、バチカン市国のバチカン宮殿内に建てられたシスティーナ礼拝堂の天井に、ミケランジェロ・ブオナローティによって描かれた絵画作品です。盛期ルネサンスを代表する芸術作品の一つであるこの天井画は、1508年から1512年にかけて制作された。天井画がある壮大なシスティーナ礼拝堂は、1477年から1480年にかけて、教皇シクストゥス4世によってバチカン宮殿内に建造されたものである。さまざまな主題を含むこの天井画は、祭壇壁の『最後の審判』の巨大なフレスコ画(これもミケランジェロ作)や、他の画家たちによって制作されたフレスコ壁画、ラファエロの原画によるタペストリー群などとともに、システィーナ礼拝堂全体の装飾計画の一部をなすものであり、これらは全体として、カトリック教会の教義を絵画化したものである。律法・預言・諸書の3部39巻からなる。
「ラファエロの間」
■バチカン宮殿は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計した大階段でサン・ピエトロ大聖堂とつながっている。ラファエロ・サンティとその弟子らによるフレスコ画のある4つの部屋からなる「ラファエロの間」で有名です。ラファエロ自身の代表作である『アテナイの学堂』もラファエロの間第2室にある。また、フラ・アンジェリコの壁画で飾られたニコラウス5世礼拝堂も有名である。
詳細は「ラファエロの間」
ラファエロ |
ラファエロ 「署名の間」の『アテナイの学堂』 |
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ラファエロの自画像 |
コインカード(COIN・CARD)
■バチカン市国では、以前はリラが用いられていたが、イタリアがユーロに通貨を変更した2002年1月1日以降、ユーロが流通するようになった。なお、バチカン発行のコインはユーロ圏ならどこでも使用することが可能である。 写真のコイン・ミントの発行枚数は12万枚、2010年。 ベネディクト16世
(ローマ教皇)。
サンタンジェロ橋
■サンタンジェロ橋はヴァチカンの入口。
■テヴェレ川(Tevere)は、古代ローマ時代には「澄んでない川」を語源とするティベリス川(Tiberis flumen ラテン語)と呼ばれていた。 伝説では、ローマの創始者であるロムルスも双子の弟レムスと共にこの川に流された事になっている。
バチカン市国関連の切手
■バチカン市国は国自体が文化遺産の宝庫である。サン・ピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂など、ボッティチェッリ、ベルニーニ、ミケランジェロといった美術史上の巨匠たちが存分に腕をふるった作品で満ち溢れている。 またバチカン美術館とバチカンの文書資料館には歴史上の貴重なコレクションが大量に納められている。バチカンは1984年に世界遺産に登録された。 イタリアの世界遺産物件であるローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂と隣接している。 バチカン市国(Governor of Vatican City)発行のコインはユーロ圏ならどこでも使用することが可能であるが、切手はバチカン市国以内での郵便物の投函にのみしか通用しない。
バチカン市国(Governor of Vatican City)|世界遺産 バチカン サン・ピエトロ大聖堂 |