Austria(オーストリア)|音楽の都ウィーン&ザルツブルグ、ドナウ 2005年 世界遺産 |
演奏旅行 オーストリア
2005年6月、演奏旅行(大阪のモザール・マンドリン・オーケストラ:2006年10月14日(土)開催:第28回定期演奏会)で出掛けたオーストリアです。 ウィーン(Wien、Vienna )で演奏会を実施し、ザルツブルグ・ドナウ河等を訪問して来ました。 流石に歴史のある町並み、風景です。 今モーツアルトの生誕祭りで賑わってます。2006年12月には娘が行ってきました。 切手も交えて内容を構成しています。 オーストリア共和国は、ヨーロッパの略中央に位置しており、面積は日本の1/4、人口は約810万人、ドイツ語が公用語です。関西空港からは毎日就航し11時間15分の距離にあります。『サウンド・オブ・ミュ-ジック』の舞台となったザルツブルク市街の歴史地区 やウィーン歴史地区は世界遺産に登録されています。 また、世界三大歌劇場は、ウィーン国立歌劇場、イタリア・ミラノのスカラ座、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(若しくはフランス・パリの
ガルニエ宮、ドイツ・ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場)と言われています。 ドナウ川クルーズもしました。 世界遺産にも登録されたオーストリア北部のドナウ川下流地域に広がる景勝地・ヴァッハウ渓谷
(Wachau) も掲載、
切手で一部補完。 VIDEOバーチャル・ツアーはここをクリック!(オーストリア政府観光局提供)
ご注意)画像の無断転用はお断りします。 |
時節柄なのか、オーストリアは他の日本の団体も多かったです。 因みに飲食する場所では、さながら関西にいる時のように関西弁があちらこちらで飛び交い、外国ではない錯覚に陥ったこともありました。 良い事も有れば悪い時もあります。 食事はといえば野菜が少なく、ポテトが貴重な野菜で、他は輸入しているそうです。 その為か食事は肉食が多いのが欠点ですね。(kumiko)
(オーストリアのページ内索引) Wien(ウイーン) |Salzburg(ザルツブルグ)| Donau(ドナウ)
ウィーン(Wien、Vienna)
■音楽の都ウィーンは、オーストリアの首都であり、9つの州のひとつ。古くよりヨーロッパの東西と南部を結ぶ十字路として、ウィーンの森を背景に二千年の歴史に育まれてきました。特に、音楽と芸術の都、典雅な宮廷文化に彩られた古都、学芸の誉れ高い街、流麗な世紀末芸術が花咲いた街、多彩な料理とワイン、ウィンナー・コーヒーとケーキの街――まさしく、限りない発見の街です。
自身が演奏をした会場 ・・・ |
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■ウィーン3区、ロートリンガーシュトラーセ20番地にあるコンツェルトハウスは、フランツ=ヨーゼフ皇帝の時代1913年に完成、1998~2000年に抜本的に改修されました。現在はウィーン交響楽団の本拠地で、年間を通じて同オーケストラによる数多くのコンサートがあります。ウィーン芸術週間音楽祭など、重要なフェスティバルの数々も、ここで開催されています。 また、ウィーン・コンツェルトハウスの独特な雰囲気は世界的な音楽界のアーティストに魅力を与えています。そのほか、数多くの社会的イベント、舞踏会、会議、ディナー、会社のプレゼンテーションやパーティーに広間を提供しています。 |
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■コンツェルトハウスは、フランツ=ヨーゼフ皇帝の時代1913年に完成、1998~2000年に抜本的に改修されました。現在はウィーン交響楽団の本拠地で、年間を通じて同オーケストラによる数多くのコンサートが・ります。ウィーン芸術週間音楽祭など、重要なフェスティバルの数々も、ここで開催されます。 |
コンチェルトハウス |
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モーツァルト生誕250年記念の切手 |
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[切手のリンク:ヨーロッパ切手|デッドカントリー切手|世界遺産 ] |
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■ホーフブルク王宮(Hofburg):13世紀頃(1275年ごろ)にオーストリア公国公城として、オーストリア公オタカル2世によって建てられたと言われているハプスブルク家の歴代オーストリア皇帝が住んでいた宮殿(1278年~1918年)で、日本語のガイドツアーありました。 スペイン乗馬学校・国立図書館・王宮礼拝堂(ウィーン少年合唱団) ■ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere);対トルコ戦争のオイゲン公の夏の離宮。クリムトなどの名画を有する19・20世紀オーストリア絵画館と美しい庭園(下記参照)が有名。 |
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ホーフブルク王宮(Hofburg) / ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere) |
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ウィーンの町並み(バスの車窓から) / |
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■ウィーン・フォルクスオーパー (Volksoper Wien) は、オーストリア・ウィーンにある歌劇場。1898年、時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年を記念し、「カイザー・ユビロイムス・シュタットテアター」(「皇帝記念都市劇場」の意)として建築家のフランツ・フライヘア・フォン・クラウスとアレクサンダー・グラフによって建設され、同年12月14日に開館した。当時は演劇を専門に上演する劇場であったが、1903年よりオペラの上演もされるようになり、1905年には劇場名を「カイザー・ユビロイムス・シュタットテアター・フォルクスオーパー」と改称。1908年からは「フォルクスオーパー(Volksoper)」となった。 |
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ベートーベンの坐像(ウイーン市内) |
■市立公園から有名なコンサートホールであるコンツェルトハウスへ向かう大きな道路沿いに、ベートーヴェン広場と呼ばれる小さな広場があり、その中にベートーヴェン像があります。音楽の都ウィーンには有名な音楽家たちゆかりの地、場所がたくさんある。 |
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モーツアルトの立像 |
聖シュテファン寺院(St. Stephansdom) |
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■モーツアルトの立像とベートーベンの坐像:ウィーンを訪れた観光客なら必ず訪れるであろう王宮(ホーフブルク)のすぐ隣、王宮公園の緑豊かな庭園の中にあるモーツアルト像が有ります。 |
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街のパフォーマー 丁度、モーツアルト生誕250年の時期でしたので、このようなパフォーマが多数おりました。 / マリアテレジア像(ウイーン市内マリア・テレジア広場) |
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■マリア・テレジア:ハプスブルク家で唯一の女帝(実際には皇帝に即位したことはない。)だったマリア・テレジア・フォン・エスターライヒ(1717年5月13日 - 1780年11月29日)は、1717年、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世と皇后エリーザベト・クリスティーネの長女として誕生した。それまでハプスブルク家はサリカ法典に基づく男系相続を定めていたが、彼女の兄が夭折して以後、カール6世に男子がいなかったが、カール6世は国事勅書を出して国内および各国に、彼女のオーストリア・ボヘミア(ベーメン)・モラヴィア(メーレン)・ハンガリーなど、ハプスブルク家世襲領の相続を認めさせた。当時の王族としては珍しく、初恋の人である夫フランツ・シュテファンとは恋愛結婚で結ばれ(夫の方はこの結婚のために、自分の所領ロートリンゲン公国を手放さなければならなかったのだが)、夫婦生活は非常に円満だった。男子5人、女子11人の16人の子供をなした。 右は、アンドレアス・メラーが描いた『11歳の女帝マリア・テレジア』1727年 油彩、カンヴァス ウィーン美術史美術館蔵(「Theハプスブルグ」より) 凛とした聡明さが伺えるテレジア |
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マリア・テレジア |
フランツ・クサファー・ヴィンターハルター画・ |
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■フランツ・クサファー・ヴィンターハルター画・『オーストリア皇妃エリザベート』は、1865年 油彩、カンヴァス 国家家財管理局 宮廷家財庫 ウィーン家具博物館蔵。エリザベートが27歳の時の肖像。美しい人です。(実物、大きな絵画) |
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■エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ(Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach、1837年12月24日
- 1898年9月10日)は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝(兼国王)フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。エリーザベトは当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌と、身長172cmと背が高く、ウエスト50センチで体重は50キロという驚異の体形の持ち主だった。 |
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ブルゴーニュのマリー(1457~1482)、マリア・テレジア(1717~1780) |
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ハプスブルク家の栄光の歴史でもあるウィーン美術史美術館(国連) |
■ウィーン美術史美術館(Kunsthistorisches Museum, Wien)は、ウィーンにある美術館。自然史博物館と対になるものとして建てられ、1891年開館。現在は組織上ウィーン大学の一部局。オーストリア、ドイツ、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダの各地ハプスブルク家の領土を中心に生み出された400年間に亘る美術コレクションを中心とする美術館で、1891年、一般公開された。古代から19世紀に至るヨーロッパ各地の美術品を収蔵している。なかでもピーテル・ブリューゲルの作品数は世界最大を誇り、『雪中の狩人』『農民の踊り』『子どもの遊戯』など、美術全集でおなじみの傑作が1室に集められている。また、ハプスブルク家の人物の肖像画なども多数収められている。 |
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オーストリアの誇る現代画家クリムトの作品(切手) |
ウィーンの歴史 |
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クリムト Kiss(『接吻』1908年)のFDC(フランス) |
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In the 13th century, Vienna came under threat from the Mongolian Empire, which stretched over much of present-day Russia and China. Due to the death of their leader Ogedei Khan, the Mongolian armies retreated from the European frontier and did not return. |
■ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756年1月27日ザルツブルクに生まれ - 1791年12月5日)は有名なクラシック音楽の作曲家の一人である。6歳でシェーンブルン宮殿にてマリア・テレジア御前演奏。7歳のマリア・アントーニア(マリー・アントワネット)にプロポーズしたという逸話がある。他詳細は割愛。
■モーツァルト死因は連鎖球菌?=「感染で合併症」の新説-オランダ研究者
【ニューヨーク時事】オランダにあるアムステルダム大の研究グループは19日までに、18世紀の作曲家モーツァルトは連鎖球菌に感染してのどの炎症を起こし、合併症である急性腎炎によって死亡した可能性があるとの新説をまとめ、米国の内科学紀要に発表した。
モーツァルトは35歳だった1791年12月、ウィーンで世を去った。死因に関しては、毒殺やリウマチ熱など諸説あり、毒殺説を基にプーシキンの戯曲「モーツァルトとサリエリ」や映画「アマデウス」(1984年)が生まれた。 研究グループは当時のウィーン市民の死亡記録を調査し、若い世代の間で全身のむくみというモーツァルト同様の症状を呈した死亡例が急増していたことを発見。この症状をもたらす連鎖球菌感染症の小規模流行があったと推論し、モーツァルトも犠牲になった恐れがあると指摘した。(2009/08/19-23:59)
ザルツブルグ(Salzburg)
■ザルツァッハの清流に臨み、岩山の上に壮大な城塞がそびえるザルツブルクは、モーツァルトの生地として名高く、毎夏盛大な音楽際が催されます。 ユネスコ世界文化遺産です。 文字通り「塩の城」。 (ザルツブルグへは、列車で移動。)
※ザルツァハ川(Salzach)は、オーストリアとドイツを流れる河川。イン川の支流で、長さは225km。水源はザルツブルク州のクリムル近郊のキッツビュール・アルプス。 Salzとはドイツ語で塩を意味し、19世紀までこの川は、塩を船で輸送するのに使用されていた。その後、塩の運搬は鉄道が代替することになった。ザルツブルク州の州内を、南西から北に向かって流れており、この川沿いに都市が発展している。
Salzburg (literally: "Salt Castle") is the fourth-largest city
in Austria and the city of the federal state of Salzburg. Salzburg's "Old
Town" (Altstadt) has internationally renowned baroque architecture
and one of the best-preserved city centres north of the Alps. It was listed
as a UNESCO World Heritage Site in 1997. The city is noted for its Alpine
setting.
Salzburg was the birthplace of 18th-century composer Wolfgang Amadeus Mozart.
In the mid-20th century, the city was the setting for parts of the American
musical and film The Sound of Music, which features famous landmarks in
Austria. The musical was a partnership between Richard Rodgers and Oscar
Hammerstein II.
■マリオネット博物館(ホーエンザルツブルク城):領主の地下室にあり、マリオネット劇場で使われた人形を展示する小さな博物館。モーツァルトのオペラ「魔笛」に登場するパパゲーノの人形や映画「アマデウス」に登場した人形などもある。自らマリオネット人形を操ってみることができる。
2013年に100周年を迎えるザルツブルクのマリオネット劇場。350席から成るこの見応えあるバロック様式の劇場は世界屈指のマリオネット劇場として有名です。オーストリア・ポストが2013年2月27日にモーツァルトのオペラ「魔笛」よりパパゲーノのモチーフの切手(62セント)を発売します。
ドナウ(Donau)
■メルクからクレムスにいたる30数キロの一帯は「<strong>ヴァッハウ渓谷</strong>」と呼ばれ、<strong>ドナウ</strong>川クルーズの中で最も風光明媚な場所として知られており、ユネスコ世界文化遺産に指定されています。渓谷というには広々としており、流れもゆるやかで、小高い丘にはい上がるぶどう畑や、その向こうにそびえる城や宮殿のシルエットが、数分おきに目の前に迫ってきます。 ドナウ川クルーズ観光。 シュトラウスの「青く美しきドナウ」というイメージとは裏腹に、いつ見てもドナウは「泥の河」的な色合いである。
■ドナウ川(スロヴァキア語: Dunaj, セルボクロアチア語: Dunav, ドイツ語: Donau, ハンガリー語 Duna, 英語、フランス語:
Danube, トルコ語: Tuna)は、ヴォルガ川に次いでヨーロッパで2番目に長い大河で、ドイツ南部バーデン=ヴュルテンベルク州の森林地帯「シュヴァルツヴァルト(黒い森)」に端を発し、概ね東から南東方向に流れ、東欧各国を含む10ヶ国を通って黒海に注ぐ重要な国際河川。河口にはドナウ・デルタが広がる。全長は2,850
km。ギリシア人は河口から鉄門までのドナウ川を知っており、イストロス川と呼んだ。ローマ帝国もほぼ同じ地域まで進出し、ヒステール川と呼んだ。 ローマ帝国時代には、ほとんど源流から河口までの全域が、蛮族に対する帝国の北方の防衛線の役割を果たした。ウィーン、ブダペスト、ベオグラード、ソフィアといった各国の首都はこの時期の最重要基地に起源を持つ。 |
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キャンペーン情報あり↓ |
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(オーストリア政府観光局公式サイト) |
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Austria(オーストリア) 音楽の都ウィーン&ザルツブルグ、ドナウ 2005年 世界遺産 |