イタリア共和国|世界遺産・コロッセウムとコンスタンティヌスの凱旋門 |
フィレンツェ (Firenze)
コロッセウム(ラテン語:Colosseum, イタリア語:Colosseo コロッセオ)は、ローマ帝政期に造られた円形闘技場。英語で競技場を指す
colosseum や、コロシアムの語源ともなっています。 工事はウェスパシアヌス治世の75年に始まり、ティトゥス治世の80年から使用されるようになった。使用開始に当たっては、100日間に渡りイベントが続けられ、数百人の剣闘士が闘い命を落としている。なお、完成したのはドミティアヌスの治世中です。 訪問した時はイタリアの記念日で、コロッセオには無料では入れました。 大きさは想像以上のもので、外郭しか見れなかったヴェローナの円形競技場も想像できました。 コロッセウムは、フラウィウス朝の皇帝が建設者であることから「フラウィウス闘技場」(フラウィウス円形闘技場)が本来の名前です。 しかし、ネロ帝の巨大な像(コロッスス)が傍らに立っていたためコロッセウムと呼ばれるようになったといわれています。 また、コロッセオがあるパラティーノ(Palatino)、パラティーノの丘は、ローマの七丘のうちの一つ。最も歴史が古いといわれている。 ここにはコンスタンティヌスの凱旋門もあります。 コロッセオの北西の丘に建つ『ウェヌスとローマの神殿』の遺跡は遥か向こうに見えました。 他にはカラカラ浴場。 これらの箇所は、初日は雨で断念、2日に亘って見学しました。 説明資料作成では、ガイドブックやWikipediaを利用しています。 歴史的なものや綺麗さ大きさ以上に強力なパワースポット!
フォロ:フォルム、フォーラム(Forum)は、古代ローマ市にあった集会用の広場の意味です。
ご注意)写真は私が撮影し著作権があります。転載禁止! |
ページ内索引 [ コロッセオ|コンスタンティヌスの凱旋門|
世界遺産 『ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂』 ]
世界遺産の切手:イタリア。
コロッセオ・コロッセウム
■コロッセウム(ラテン語:Colosseum, イタリア語:Colosseo コロッセオ)は、ローマ帝政期に造られた円形闘技場。英語で競技場を指す colosseum や、コロシアムの語源ともなっている。コロッセウムはネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の庭園にあった人工池の跡地に建設された。 構造は火山灰を利用したコンクリートで出来ている。 鉄骨を用いないコンクリートで幾多の地震に崩壊しなかったのは全体が円筒形で力学的に安定していたためである。中世を通じてコロッセウムに使用されている建材は他の建築物に流用され続けた。 コロッセウムは、径188m短径156mの楕円形で、高さは48m、45,000人を収容できたそうです。
コロッセウムの入場券 |
世界遺産のコロッセウムの周囲を歩いていると壁がドス黒く汚れていました。 |
|
コロッセウムの外側 |
コロッセウム 見学者の人間が凄く小さく見える |
|
コロッセウム |
||
※コロッセウムは、初期においては競技場にローマ水道より引いた水を張り、模擬海戦を上演することさえ可能だった。が、後には「迫」のような複雑な舞台装置を設置したためにそのような水を使った大規模演出は不可能となった。 また、人力エレベーターの存在もありこれは剣闘の選手の入場のために用意されていた。現在ではその巻き上げを行った柱の跡が残っている。 コロッセウムの横には噴水が作られた。 |
||
コロッセウムの内側・ |
コロッセウムの内側 |
円形格闘場 |
コロッセウムの観客席 |
天井部分は開放されているが、日除け用に布を張る設備があった。皇帝席には一日中直射日光が当たらないように設計されており、また一般の観客席についても一日に20分以上日光が当たらないように工夫がなされていた。 |
|
コロッセウムの観客席 |
円形格闘場 コロッセウムの観客席 |
|
コロッセウムの内部 |
||
円形格闘場 コロッセウムの観客席 |
コロッセウムの1階通路 |
|
昔、この地下より猛獣が登場した。 |
||
コロッセオにいた黒猫 |
||
コロッセウムの黒いネコ |
コロッセウムの柱の飾り |
コロッセウムの柱の飾り |
■イタリアのネコは天敵がいないせいなのか何処にいっても堂々としています。このネコも人など全く気にしない風でした。 |
||
コロッセウムのローマ時代のレリーフ 当時の格闘技の様子がわかります |
||
中世を通じてコロッセウムに使用されている建材は他の建築物に流用され続けた。 つまり一種の採石場とされていたのである。 その大理石はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂にも使用されている。それにもかかわらず往時の姿をとどめているのは、迫害されたキリスト教徒がここで殉教したと伝えられていたため、一種の聖地となっていたからである。 しかし、キリスト教徒が迫害されたという明確な証拠はない。 |
||
観光地にはつきものの |
コロッセウムの外側 手前は金網 |
|
フォリ・インペリアリ通り |
フォロ・ロマーノから見た |
ヴェネツィア広場からコロッセオ近くまで伸びるフォリインペリアリ通り(Via dei Fori Imperiali)。1990年代以降、道路の両側に大量の発掘調査が行われ、その下には重要なローマ帝国の遺物が残っています。片側にはフォロロマーノ、もう一方には諸皇帝たちのフォロが続き、まさに野外博物館のようなところです。 |
観光地にはつきものの古代の服装を着た剣闘士・写真モデルは、ガイドさんからの注意では、「ナカタ! ナカタ! 日本語話せます!」と近づいて来て、一緒に写真を撮ると、10ユーロをぼったくる人達だそうです。 |
||
コロッセオ(コロッセウム)の地図(新世界の7不思議) 大きな地図で見る |
||
■スイスの「新世界七不思議財団」は、2007年7月7日に新・世界七不思議を決定しようと世界中からの投票を呼びかけていた。最終候補として挙げられた21の候補地から次の7つが選ばれ、ポルトガルの首都リスボンで開かれた式典で発表された。ギリシャのアクロポリス、フランス・パリのエッフェル塔、チリ・イースター島のモアイ、英国のストーンヘンジ、日本の清水寺などは選に漏れた。 |
コロッセオ |
|
ローマ・コロッセオ |
ローマ・コロッセオ |
ローマ・コロッセオ |
Construction of the Colosseum began under the rule of the Emperor Vespasian
in around 70-72 AD. The site chosen was a flat area on the floor of a low
valley between the Caelian, Esquiline and Palatine Hills, through which
a canalised stream ran. By the 2nd century BC the area was densely inhabited.
It was devastated by the Great Fire of Rome in AD 64, following which Nero
seized much of the area to add to his personal domain. He built the grandiose
Domus Aurea on the site, in front of which he created an artificial lake
surrounded by pavilions, gardens and porticoes. The existing Aqua Claudia
aqueduct was extended to supply water to the area and the gigantic bronze
Colossus of Nero was set up nearby at the entrance to the Domus Aurea.
コンスタンティヌスの凱旋門
■パラティーノ(Palatino)、パラティーノの丘は、ローマの七丘のうちの一つ。最も歴史が古いといわれている。 古代ローマ時代にはパラティヌスと呼ばれた。 フォロ・ロマーノとチルコ・マッシモ(大競技場)の間にある。 古代にはローマ建国の英雄ロムルスとレムスがかつて住んだとされ、貴族の邸宅が数多くあり、のちに初代皇帝アウグストゥスを筆頭に歴代の皇帝が独占したため、イタリア語や英語で宮殿を意味する語の語源となった。
■コンスタンティヌスの凱旋門(世界遺産)は、イタリアの首都ローマのコンスタンティヌスの凱旋門。 高さ25mの門で、ローマに数ある凱旋門の中でも最大。 315年に建築されたもので、コンスタンティヌス帝(272~337年)が、312年に行われたローマ北端のムルヴィウス(ミルヴィオ)橋の戦いで、皇位を争うマクセンティウス帝(278~312年)を敗死させてローマに凱旋したことを記念したものです。 イタリアのローマのコロッセオとパラティーノの丘の間に位置する古代ローマ時代の凱旋門で、ローマ建築の代表的なもの。
コロッセオとパラティーノの丘の間に位置している。 フランスのパリに建設されたエトワール凱旋門のモデルにもなっている。 高さ21m、幅25.7m、奥行き約7.4m。3つの門を有し、中央の門が高さ約11m、幅約6.5m、左右の門が高さ約7m、幅3mである。 構成は、フォルム・ロマヌム(フォロ・ロマーノ)にあるセプティミウス・セウェルスの凱旋門のものを踏襲している。 1960年のローマオリンピックでは、マラソン競技のゴール地点に選ばれた。 コンスタンティヌスは312年の勝利でローマに入城すると、フォルム・ロマヌム(現フォロ・ロマーノ)のロストラに立って凱旋演説を行い、フォルム・ユリウム(現フォロ・ジュリアーノ)にて市民に賜金を施した。
コンスタンティヌスの凱旋門(世界遺産)の彫刻や装飾 |
||
コロッセオの北西の丘に建つ『ウェヌスとローマの神殿』の遺跡 |
■『 ウェヌスとローマ神殿(Templum Veneris et Romae)』は、ローマ帝国全盛期の第14代ハドリアヌス帝(在位117年~138年)の時代に計画・着工され、第15代アントニヌス・ピウス帝(在位:138年~161年)の時代135年に完成したようです。詳細は、フォロ・ロマーノ で。 |
|
ローマ・ |
コンスタンティヌスの凱旋門(表裏、コロッセオ傍) |
|
古い絵葉書 コンスタンティヌスの凱旋門 |
The Arch of Constantine (Italian: Arco di Costantino) is a triumphal arch in Rome, situated between the Colosseum and the Palatine Hill. It was erected to commemorate Constantine I's victory over Maxentius at the Battle of Milvian Bridge on October 28, 312. Dedicated in 315, it is the latest of the existing triumphal arches in Rome, from which it differs by spolia, the extensive re-use of parts of earlier buildings. |
|
雨に煙る |
ローマの地下鉄・コロッセオ駅とポップな地下鉄の列車 |
|
■コロッセオ (Colosseo)駅 は、ローマ地下鉄のB線にある駅の一つで、1955年2月10日に開業した。 モンティ地区のコロッセオ通り
(via del Colosseo) 沿いにあり、以下の最寄り駅となっています。 |
■ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス(古典ラテン語:Gaius Flavius Valerius Constantinus
ガーイウス・フラーウィウス・ウァレリウス・コーンスタンティーヌス、272年2月27日 - 337年5月22日)は、古代ローマ帝国の皇帝(在位:306年
- 337年)。帝国を再統一し、専制君主制を発展させたことから「大帝」と称されることが多い。
キリスト教を公認してその後の発展の政治的社会的基盤を用意したことから、正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会では、聖人とされている。記憶日は、その母太后聖ヘレナと共に6月3日。日本正教会では正式には「亜使徒聖大帝コンスタンティン」と呼称される。バチカン美術館には母子共に多数の作品が展示されている。 コンスタンティノポリスを首都とした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、彼と同じ名(ギリシア語形:コンスタンティノス)を持つ皇帝が多数即位した。東ローマ帝国はコンスタンティヌスが創始した専制君主制とキリスト教の信仰の上に成り立っていたため、その先駆者であるコンスタンティヌスを「最初のビザンツ皇帝」と呼ぶ歴史家もいます。
世界遺産 『ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂』
■世界遺産 『ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂』
世界遺産 『ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂』の対象建築物・遺跡は、次の通りです。 ・・ フォロ・ロマーノ 、
コロッセオ 、 コンスタンティヌスの凱旋門 、 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂 、 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 、 サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
、 カラカラ浴場 です。
■カラカラ浴場(カラカラよくじょう、Le Terme di Caracalla、Antoniniane)は、イタリアのローマにある古代ローマの公衆浴場あるいは「テルマエ」(thermae)。 カラカッラ浴場とも表記されることもある。 212年から216年にかけて、カラカラ帝の治世に造営された。構成は225mの長さに185mの幅、おおよその高さは38.5mほどで、あちらこちらに2,000から3,000の浴槽を設置できた。 「フリギダリウム(frigidarium)」と呼ばれる「冷室」と 「テピダリウム(tepidarium)」と呼ばれるこの浴場には「温室」と「カルダリウム(caldarium)」と呼ばれる「熱室」と二つの「パライストラ」という、今でいう「ジム」のようなものさえあった。
カラカラ浴場と庭園 木は松です |
||
カラカラ浴場 |
イタリアで不思議に思った事の一つに木があります。 |
|
Roman(ローマ)時代コイン: AD198-217 銀製 人物:カラカラ帝 |
||
■カラカラ帝:未来の皇帝カラカラ帝は、188年リヨンで本名ルキウス・セプティミウス・パシアヌスとして生を受けた。211年に弟ゲタ帝と共に即位するが、12月にゲタを殺害する。弟ゲタの殺害によって起きた212年の大虐殺は、皇帝と元老院との仲を永久にこじれさせ、ローマ社会のさまざまな分野の人々をカラカラから遠ざける事となった。彼に名をもっとも有名にしたものは、彼がローマに建てた広大な浴場で、今日それは廃墟になってさえ、ローマの威勢を示す印象的な記念物になっている。 |
■『ローマの休日』(ローマのきゅうじつ、原題:英: Roman Holiday)は、1953年製作のアメリカ映画。 1953年度のアカデミー賞において、主役の新人オードリー・ヘプバーンがアカデミー最優秀主演女優賞を、脚本のイアン・マクレラン・ハンターが最優秀脚本賞を、衣装のイデス・ヘッドが最優秀衣裳デザイン賞をそれぞれ受賞しました。 コロッセオもその中に出てきます。
Repubblica Italiana(イタリア共和国)|世界遺産 円形競技場・コロッセウムとコンスタンティヌスの凱旋門 |