Hungary(ハンガリー共和国)|東欧の真珠・ブダペスト(Budapest) |
Hungary(ハンガリー共和国)
ハンガリー共和国、通称ハンガリーは、東欧の真珠と呼ばれる東ヨーロッパの国。 オーストリア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロベニアに囲まれた内陸国で、平地が卓越する。 ドナウ川などのヨーロッパの有名な川が通っています。 首都ブダペスト(Budapest)では、ロンドンに次いで世界で2番目に地下鉄が開通しました。 ブダペスト市内の両岸の地区を結ぶ代表的な橋が、セーチェニ鎖橋(ナイトクルーズで有名)です。 世界遺産の英雄広場にはダンボールで出来た自動車等、往時を忍ばせるものがある。 世界遺産である首都のブダペストを中心に散策・撮影しています。 900年に今日のハンガリーの主要民族であるマジャル人がやって来てパンノニアと都市を占領し、1世紀後にハンガリー王国を形成した。 また、ハンガリーで温泉は約1500見つかっている。 そのうち約半分が入浴に用いられている。 ハンガリーの人々の温泉好きさは、首都ブダペストの市内に数多く存在する温泉施設の多さからも想像がつく。 意外な感じがします。
ご注意)写真は娘が撮影したものです。 |
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ハンガリーの首都・ブダペストの1945年、1970年当時の様子(切手) |
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日本語の表記はハンガリー共和国、通称ハンガリー。 漢字表記では洪牙利で、洪と略される。 中国語では、ハンガリーのフン族語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる匈奴から、匈牙利と表記するようになった。
東欧の真珠・ブダペスト(Budapest)
■ハンガリーの首都・ブダペスト(Budapest):人口は1980年代半ばの207万人が最高で、それから若干減少し現在は180万人である。ドナウ川の両岸に広がった都市で、 右岸(西側)のブダとオーブダ、左岸(東側)のペシュト(ペスト)の3地区からなる。 これらの地区はもともと別々の町であり、 1873年に合併されてブダペスト市が形成された。両岸の地区を結ぶ代表的な橋がセーチェニ鎖橋である。ドナウ河岸、ブダ城地区、 アンドラーシ大通りを含むブダペストが世界遺産として登録されている。ブダペストは世界中で最も温泉に恵まれた首都である。 「ドナウの真珠」、「ドナウのバラ」、「ドナウの女王」、「東欧のパリ」など、それを称える異名をいくつも持っている。
■ブダペストの歴史は89年頃ローマ帝国が、もともとケルト族が定住していた現在のオーブダ地区の近くに建設した都市アクインクムに始まり、アクインクムは106年から4世紀の終わりまで、ローマ帝国のパンノニア州の州都であった。 900年に今日のハンガリーの主要民族であるマジャル人がやって来てパンノニアと都市を占領し、1世紀後にハンガリー王国を形成した。 切手の国名表記はMAGYAR(マジャール、マジャル)です。 民族に誇りを感じます。
くさり橋(セーチェーニ鎖橋)
■セーチェーニ鎖橋(セーチェーニ・ラーンツヒード)は、ハンガリーの首都ブダペストに架かる吊り橋である。全長380メートル。ブダペスト市内のドナウ川沿岸で最初に架かった恒常的な橋であり、西岸のブダ地区と東岸のペシュト地区(ペスト地区)を結んでいる。単に鎖橋とも呼ばれる。 ブダとペシュトはドナウ川を挟んで発展した町で、それらを結ぶ橋を建設しようという試みは15世紀初頭以来、何度も見られたが、いずれも成功しなかった。橋は1849年11月20日に完成した。最初に完成した橋は長さ410ヤード(約375
m)、幅39フィート(約12 m)、高さ海抜36フィート(約11 m)、主塔の高さ160フィート(約48.8 m)であった。完成した時点では世界最長の吊橋だったといわれる。
■ブダペスト、この町の夜景を一目でも見たことのある方は、ブダペストがなぜ次のような特徴を持っているのかお分かりになることでしょう。
- この地には5万年前から人が住んでいましたが、今日の名前で呼ばれるようになったのは128年前にすぎません。というのも、1873年までは、ブダペストはオーブダ、ブダ、ペストというそれぞれ3つの町に分かれていたからです。
- ブダの丘陵の下には、たっぷりとした湯量の温泉をたたえた洞窟が縦横に走っています。市内に全部で80ヶ所ある源泉からは、毎日7千万リットルの湯が湧き出ており、12ヶ所の温泉や療養所に湯を供給しています。
- 2000年前の円形劇場、400年前のトルコ時代の浴場、ハンガリー独特の19世紀末アールヌボ-様式の建物など、変化に富んだ歴史的建造物に溢れています。20世紀初頭に折衷様式で建造された、数多くの優雅なアパルトマンが、町の景観を統一の取れたものにしています。
- 珍しい交通機関がいくつもあります。1896年に建国一千年を記念し旧市街と市民公園をつないで開通したヨーロッパ大陸で最初の地下鉄。世界で3番目に古い登山鉄道。緑豊かなブダの丘陵地帯の森をぬって走る、子供の鉄道員で運営されている子供鉄道などです。
ブダペストの英雄広場 他
■ブダペストの英雄広場は、1896年のハンガリー建国1000年を記念して建造された広場です。広場の中央には、大天使ガブリエルの像が立っています。大天使ガブリエルはローマ教皇の夢に現れ、イシュトヴァーンに王冠を授けるよう啓示を与えた天使といわれています。 ガブリエルの像の後ろには、イシュトヴァーン以降のハンガリー歴代国王や国のために活躍した将軍たちの銅像が並んでいます。 英雄広場の隣には「芸術博物館」が建っています。 「芸術博物館」は、ハンガリーの名家エステルハージ家の美術品を収容するための建物でした。 ラファエロ、ゴヤ、デューラー、エル・グレコ、ベラスケスなど有名な画家たちの作品が展示されているそうです。 扇状に並んでいる像は歴代国王などハンガリーの英雄たちである。台座にはマジャル族などの部族長の騎馬像が並んでいる。
Heasook tere (meaning "Heroes' Square" in Hungarian , "英雄広場") is one of the major squares of Budapest , Hungary , rich with historic and political connotations . At the inner top edge of the left colonnade is a male figure driving a chariot using a snake as a whip representing War, while on the facing end of the right colonnade is a female figure in a chariot holding a palm frond representing Peace.
ブダペストの建造物 / 英雄広場 ダンボールで出来た自動車 |
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ブダペスト |
首都ブダペストの風景とドナウ川 |
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アムステルダム行きKLM機中にて(フェリヘジ空港) |
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■聖イシュトヴァーン大聖堂は、ハンガリーの首都ブダペストにあるカトリック教会のバシリカ。 聖遺物箱に収められている右手のミイラの主、ハンガリー王国の初代国王イシュトヴァーン1世にちなんで名づけられた。 1083年に列聖されたイシュトヴァーン1世の右手のミイラが、聖遺物として保管されている。遺体から失われていた右手がトランシルヴァニアで発見されてから各地を転々とし、1771年マリア・テレジアによってブダに戻されたものである。
ハンガリー国会議事堂と並んで、ブダペストで最も高い建造物である。建物高96m、幅55m、奥行87.4m。 1851年に着工し、54年後の1905年に完成した。
■リスト・フェレンツ国際空港は、ハンガリーの首都、ブダペストにある空港である。ブダペスト空港と表記されることが多い。市の東南東16kmに位置する。2011年3月リスト・フェレンツ(ドイツ語:フランツ・リスト)生誕200周年を記念して、フェリヘジ国際空港からリスト・フェレンツ国際空港に名称が変更された。
ブダ城
■ハンガリー・ブダペストの世界遺産(「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城、アンドラーシ通り」)の対象は、ブダ城(15世紀後半には、ルネサンス建築の様式に改築された。 マリア・テレジアによる再建によって、部屋室203室の巨大さを誇るにいたった)/マーチャーシュ聖堂(歴代国王の結婚式や戴冠式の場として利用)/国会議事堂(1904年に完成したネオ・ゴシック建築で、ドナウ河畔に面している。)/セーチェーニ鎖橋/アンドラーシ通り(パリのシャンゼリゼ通りを模したプラタナスの並木道。地下にユーラシア大陸初の地下鉄)/聖イシュトバーン大聖堂(Saint
Stephen's Basilica)、英雄広場、セーチェニ温泉、リスト音楽院 がそれにあたる。
ハンガリー・ブタペストのブダ城(拡大なし)Hungarian Royal Palace. |
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■1987年、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」として世界遺産に登録。 |
Buda Castle (HGerman: Burgpalast, Turkish: Budin Kalesi , "ブダ城")
is the historical castle and palace complex of the Hungarian kings in Budapest.
It was established in the 14th century by the Angevin rulers of the Kingdom
of Hungary, later it was destroyed and rebuilt many times. In the past,
it was also called Royal Palace and Royal Castle.
Buda Castle was built on the southern tip of Castle Hill, bounded on the
north by what is known as the Castle District (Varnegyed), famous for its
Medieval, Baroque and 19th century houses, churches and public buildings.
It is linked to Clark Adam Square and the Szechenyi Chain Bridge by the
Castle Hill Funicular.
ハンガリーの民族衣装
■ハンガリーの民族衣装(コスチューム)の切手
1953.9発行。カロチャ、シャールケジほか地方の民族衣装。 1.70fo:刺繍による帯状装飾のコート「シュツール」を着ている。 2fo:何枚にも重ねたひだスカート2.50fo:刺繍した羊皮のコート「シュバ」を着ている。
[切手のリンク:ヨーロッパ切手|デッドカントリー切手|世界遺産|衣装切手 ]
カランツシャーグの女/カプヴァールの男/ |
■ハンガリー共和国の国民の95%以上はマジャル人(ハンガリー人)で、マジャル人はフィン・ウゴル語族のハンガリー語(マジャル語)を母語とし、ウラル山脈の方面から移ってきた民族です。 また、ハンガリーは多様な民族性に支えられた豊かな文化を持ち、特にハンガリー人の地域ごとの各民族集団(ロマなど)を担い手とする民族音楽は有名である。 リスト・フェレンツ(フランツ・リスト)、フランツ・レハール、コダーイ・ゾルターン、バルトーク・ベーラなど多数の著名なクラシック音楽の作曲家も輩出した。 ■日本からヨーロッパの主要空港から乗り継いで、その日の内にハンガリー。 |
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ブーヤークの女/アルフェルドの男/ |
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ホルトバギーの男/クソコリーの女/ |
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■伝統的な刺繍が可愛いと話題のハンガリーの民族衣装。 女性だけでなく、男性の伝統衣装にも美しい刺繍がほどこされているのが特徴です。 一般的に知られているカラフルなカロチャ刺繍は、文化的には、民族衣装のブラウスや、スカートの上から身につけるエプロンに使われていました。 普段着ではなく、教会への礼拝やお祭りの時など、特別な機会に身につけていたようです。
ハンガリーのワイン用ブドウと産地(1990年)
■ハンガリーのワイン用ブドウと産地(1990年) 切手「ワインとチーズ」
■ハンガリーワイン:ワイン産地ハンガリーを代表するトカイワイン。その歴史は古く17世紀の中頃に始まり、ながくヨーロッパのワイン好きに親しまれてきました。北の山脈が寒気をさえぎり、南から暖気が流れ込むハンガリー東北部の地形が貴腐ぶどうを熟成させ、より繊細で芳醇な風味を作り出します。世界3大貴腐ワインのひとつと称されるこのトカイワインは、ハンガリーのながい歴史と豊かな自然の結晶です。
ハンガリーの葡萄 |
ハンガリーの葡萄 |
ハンガリーの葡萄 |
白ブドウ |
■トカイワインまたはトカイ(ハンガリー語:Tokaji)は、ハンガリーのトカイ(Tokaj)と周辺の地方からなるトカイ・ワイン地区(ハンガリー語:Tokaj-Hegyalja Borvidek)で作られるワインである。そのワインはトカイ地方独特の気候が産み出す。二つの川が合流するトカイ地方は、秋から冬にかけての朝、濃い霧が発生する。この霧は丘の上に昇っていき、やがてブドウ畑全体を包み込む。そして霧による湿気によって、貴腐菌というカビに侵された白ブドウが作り出される。貴腐菌は水分を外に出し、糖分を濃縮させることで、とても甘いブドウになる。貴腐ワインが生まれたのは、17世紀にトカイはオスマン帝国の侵略を受け、住民たちはこの地から避難せざるを得なくなった。しかし村を離れている間に、ブドウ本来の収穫期を過ぎてしまい、霧によって収穫されずに残っていた実にカビがつき、腐り始めていた。諦めきれずそのブドウでワインを作ったところ、濃厚で甘い蜜のようなワインになったことが始まりである。 |
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ハンガリー政府観光局(ハンガリー政府観光局オフィシャルサイト(日本語)) | ||
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