Repubblica Italiana(イタリア共和国)|花の都・フィレンツェとプラート |
Repubblica Italiana(イタリア共和国)
イタリア共和国(Repubblica Italiana)旅行写真。 世界遺産 花の都・フィレンツェ (Firenze) 。 古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティア
(Florentia) と名付けた事が語源とされる。 周辺国ではフィレンツェのことを Florence(英:フローレンス、仏:フロランス)、Florenz(独:フロレンツ)、Florencia(西:フロレンスィア)と呼ぶことにもその名残が見られます。 かってフィレンツェのフローリン金貨は、全欧州の貿易の基準通貨となってフィレンツェの商業は世界を支配しました。 また、建築、絵画、彫刻におけるルネサンス芸術は、15世紀をとおして大きく開花し、フィレンツェはボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍するルネサンス文化の中心地となって学問・芸術の大輪の花が開いた街です。 有名なものは、ドゥオーモ(大聖堂)。 雨交じりの天候でしたが、個人的には、狭い街並みや歴史遺産、イタリアで一番馴染みやすい町と感じました。 人口約35万人が住み、かつてのフィレンツェ共和国、トスカーナ大公国の首都で、イタリア統一後、短期間(1865~1871)ではありますがイタリア王国の首都がおかれました。 他は芸術の町らしくフィレンツェの町はオブジェ(彫刻)が非常に多い街で、あのダンテが生まれた街です。 プラートは、ルネサンス時代の巨匠ヒリッポ・リッピと修道女ルクレツィア・ブーティの駆け落ち事件で有名、ウッフィツィ美術館の有名絵画は、その修道女がモデルだそうです。
説明資料作成では、ガイドブックやWikipediaを利用してます。 ドゥオーモ|ヴェッキオ橋|ウフィツィ美術館とアカデミア美術館は別ページで掲載。 世界遺産の切手:イタリア。
ご注意)写真は私が撮影し著作権があります。転載禁止! |
ページ内索引 {花の都・フィレンツェ (Firenze)|サンタ・クローチェ聖堂
|サンタ・マリア・ノヴェッラ教会|サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
|ピアッツァ・デッラ・レプッブリカ(共和国)広場|シニョリーア広場
|捨て子養育院(Piazza SS. Annunziata)|ヴェッキオ橋とアルノ川周辺|夜景(ミケランジェロ広場)
|街角で 食事やホテルも
|ローマへの移動途中の風景や植物|ピッティ宮殿とピッティ美術館|プラート}
花の都・フィレンツェ (Firenze)
■フィレンツェ (Firenze) はイタリアのトスカーナ州フィレンツェ県に属する人口36万人の都市。 トスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県庁所在地であり、近郊の人口は約20万人。 古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティア
(Florentia) と名付けた事が語源とされる。フィレンツェは古代にエトルリア人によって町として建設されたが、直接の起源は紀元前59年、執政官カエサルによって入植者(退役軍人)への土地貸与が行われ、ローマ殖民都市が建設されたことによる。中世には一時神聖ローマ帝国皇帝が支配したが、次第に中小貴族や商人からなる支配体制が発展し、12世紀には自治都市となった。街の歴史的な中心部は世界遺産・で、花の聖母寺ドゥオーモ、シニョリーア広場とヴェッキオ宮殿(市庁舎)、ミケランジェロ広場、ピッティ宮殿、ヴェッキオ橋とアルノ河、サンタ・クローチェ教会をはじめ、ミケランジェロやボッティチェッリ、ダ・ヴィンチ等の巨匠達の作品を鑑賞できるウッフィツィ美術館、アカデミア美術館、パラティーナ美術館、サンマルコ美術館、バルジェッロ美術館、メディチ家礼拝堂等見所はつきません
ヴェネツィアから移動途中はオリーブの並木やヒツジの放牧など、のどかな田舎町の感じです。
■メディチ家(Medici)は、ルネサンス期のイタリア・フィレンツェにおいて銀行家、政治家として台頭。フィレンツェの実質的な支配者として君臨し、後にトスカーナ大公国の君主となった一族である。その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなどの多数の芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンスの文化を育てる上で大きな役割を果たしたことでも知られてる。1737年に継承者がとだえ、メディチ家のトスカーナ支配はおわった。トスカーナ大公国はオーストリアのハプスブルク家に継承された。
サンタ・クローチェ聖堂
■サンタ・クローチェ聖堂(Basilica di Santa Croce)は、フィレンツェにあるフランシスコ会の主要な教会で、カトリック教会のバシリカ。 サンタ・クローチェ広場にあり、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂からは南東800mのところに位置してます。 元々は市の城壁の外側にある湿地帯だった。 この聖堂は、ミケランジェロ、ガリレオ、マキャヴェッリ、ジョヴァンニ・ジェンティーレ、ロッシーニといった有名なイタリア人たちの埋葬場所でもあり、そのことから「<pantheon> delle glorie italiane(イタリアの栄光のパンテオン)」として知られてる。 サンタ・クローチェ聖堂はフランシスコ会の世界最大の教会で、16の礼拝堂を有し、その多くはジョットおよびその弟子たちによって装飾された。 さらに墓碑・記念碑もたくさん(偉人の墓が276基)ある。 Piazza Santa Croce, 16 - 50122 Firenze 見た目以上に強力なパワースポット!
■サンタ・クローチェ聖堂は、礼拝と保護の場所として、フィレンツェ市民の人気の場所、さらに誉れある偉大なフィレンツェ人を埋葬・追悼する場所となった。バルディ家やペルッツィ家といった有力な家は、自分たちの礼拝堂を所有してた。時が進むと、フィレンツェ以外の著名なイタリア人にもその場所が与えられた。 500年の間に教会に祈念碑を建てられた人々は以下の通りである。
レオン・バッティスタ・アルベルティ(15世紀の建築家、建築理論家) 、ヴィットーリオ・アルフィエーリ(18世紀の詩人、劇作家) 、エウジェーニオ・バルサンティ(Eugenio
Barsanti、内燃機関の共同開発者) 、ロレンツェ・バルトリーニ(Lorenzo Bartolini、19世紀の彫刻家) 、ジュリー・クラリー(ジョゼフ・ボナパルトの妻)ならびにその娘シャルロット・ナポレオーヌ・ボナパルト
、レオナルド・ブルーニ(Leonardo Bruni、15世紀の学者、歴史家、フィレンツェ共和国首相) 、ダンテ(遺体はラヴェンナに埋葬されてる)
、ウーゴ・フォスコーロ(Ugo Foscolo、19世紀の詩人) 、ガリレオ・ガリレイ(物理学者、哲学者、天文学者) 、ジョヴァンニ・ジェンティーレ(20世紀の哲学者)
、ロレンツォ・ギベルティ(ルネサンスの彫刻家) 、ヴィットリオ・ギベルティ(その息子) 、ニッコロ・マキャヴェッリ(Innocenzo Spinazzi作)
、カルロ・マルスッピーニ(Carlo Marsuppini、15世紀のフィレンツェ共和国首相) 、ミケランジェロ・ブオナローティ 、Raffaello
Morgheni (19世紀の彫刻家) 、ジョアキーノ・ロッシーニ 、Princess Louise of Stolberg-Gedern(Princess
Louise of Stolberg-Gedern、チャールズ・エドワード・ステュアートの妻) 、グリエルモ・マルコーニ 、エンリコ・フェルミ
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
■サンタ・マリア・ノヴェッラ教会(Basilica di Santa Maria Novella) は、元々、9世紀ごろ、この地にあったサンタ・マリア・ヴィーニェ礼拝堂が起源。その後、1211年にドミニコ会の修道士がこの地に新たな教会を建てることとしたのが、現在の教会である。その当時、修道僧たちが薬草を栽培して薬剤を調合してたのが、世界最古の薬局といわれるサンタ・マリア・ノヴェッラであり、800年以上経た今でも続いてる。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
■サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)は、イタリアのフィレンツェにあるキリスト教・カトリックの教会。フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成されてます。 教会の名前は「花の(聖母)マリア」の意味のロマネスク様式の大聖堂。綺麗さ大きさ以上に強力なパワースポット!
ピアッツァ・デッラ・レプッブリカ(共和国)広場
■■共和国広場(Piazza della Repubblica)は、イタリア国家統一運動を記念してできた広場。 いわばフィレンツェの発祥の地です。 ローマ時代は、フォロ(公共広場)だった所で市場などもあり、当時はフィレンツェ市民の集いの場でした。19世紀まであった 旧市場をチョンピ広場に移し、生まれ変わり、現在は高級カフェが軒を並べ、 フィレンツェっ子の待ち合わせの場所になったり、メリーゴーランドも設置されており、大人から子供まで楽しめるため、いつも人で賑わってます。 皆さんもご存知、映画「冷静と情熱のあいだ」のロケ地に使われた場所でもあります。広場からちょうど、洗礼堂とジョットの鐘楼の間からドゥオモのクーポラ部が見えます。Stazione Santa Maria Novella (サンタ・マリア・ノヴェッラ駅)から徒歩5分。ドゥオモから徒歩2分。
共和国広場の |
繁華街・ピアッツァ・デッラ・レプッブリカで見つけた |
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共和国広場の |
ホテルのプラートから |
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■メリーゴーラウンド(merry-go-round)とは、遊園地の遊具の一つ。別名回転木馬(かいてんもくば)。日本語では一般的に、メリーゴーランドと表記される。英語では「carousel(carrousel、カルーセル)」と呼ばれることが多い。 回転する床の上に、床の回転に合わせて上下する座席を備えた遊具である。座席は馬に似せて作られ、騎乗をシミュレートする。 1860年頃、フランスで蒸気機関を動力として作られ、1870年頃にはヨーロッパやアメリカなどに広まった。 ドイツのロマチック街道やオランダのアムステルダムでも見かけました。 ヨーロッパは移動式の遊園地が盛んなのかも知れません。
シニョリーア広場
■シニョリーア広場(Piazza della Signoria)は、イタリアのフィレンツェにあるヴェッキオ宮殿前のL字形の広場。シニョーリア広場とも。 フィレンツェ共和国の歴史の焦点であり、原点でもあり、今も市の政治的中心地としてその名誉を維持してる。周辺にヴェッキオ橋、ドゥオモ広場、ウフィツィ美術館へ向かう道などがあり、観光客も多く、地元民の待ち合わせ場所にもなってる。 ローマ都市だったころのフォルムであり、かつては周囲にローマ劇場、公衆浴場、市場などがあった。5世紀ごろには教会が建てられた。これらは1980年代に舗装し直す際に行った発掘調査で判明してる。さらに、新石器時代の遺物も見つかってる。 イタリア全土にあるシニュリーア広場は、古代ローマ時代の公共広場に起源し、領主の広場若しくは公共広場の意味だそうです。
■ウフィツィ美術館とアカデミア美術館は別ページで掲載。
アカデミア美術館(Galleria dell’Accademia)は、イタリアのフィレンツェにある美術学校フィレンツェ美術学校(アカデミア・ディ・ベッレ・アルティ・フィレンツェ、Accademia
di Belle Arti Firenze)の美術館です。 ミケランジェロのダビデ像を設置する場所で当初作られました。
ウフィツィ美術館 (Galleria degli Uffizi) は、メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリアルネサンス絵画の宝庫である。展示物は2,500点にのぼり、古代ギリシア、古代ローマ時代の彫刻から、ボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロらイタリアルネサンスの巨匠の絵画を中心に、それ以前のゴシック時代、以後のバロック、ロココなどの絵画が系統的に展示されてます。
■フィレンツェの象徴である2体のマルゾッコ( (Marzocco)大理石の獅子像)の右側、古代ローマ時代のもの ドナテッロ作(レプリカ) 切手にもなってます。
捨て子養育院(Piazza SS. Annunziata)
■捨て子養育院美術館("Galleria dello Spedale degli Innocenti")は、15世紀初頭に建てられた、建築様式の面に置いてとても重要な建築物です。絹織商ギルドがこの捨て子養育院の建設を決め、と資金を調達し、フィリッポ・ブルネッレスキにこの建物の設計を依頼します。この"病院(hospital)"は捨て子の養育と社会で必要な知識を教えることを目的としてた。建物内部には、食堂、回廊、宿舎、診療所、看護室、柱廊玄関があります。ブルネッレスキは、養育院にふさわしい建築様式を用い、建物を拡張しました。また当時のメディチ家の要求した題材と、養育院の活動内容をモチーフにしたフレスコ画で装飾しました。 写真には有りませんが、養育できない我が子を預ける窓口もチャンとあります。 日本でも同じ様なのがありましたが。 今は部分的に美術館で開放されてる。 包帯を巻いた捨て子のレリーフが凄く印象的な建築物です。 「赤ちゃんポスト」とギルランダイオの絵があります。 ギルランダイオはミケランジェロの絵のお師匠さんで、当時はレオナルド・ダ・ヴィンチに勝るとも劣らず有名だった。目玉はドミニコ・ギルランダイオの「東方三博士の礼拝」。
■ロレンツォ・イル・マニーフィコ(偉大なるロレンツォ)とよばれたロレンツォは、学問と芸術の大保護者で画家のボッティチェッリや人文主義者をその周囲にあつめた。ロレンツォは共和国政府を骨抜きにし、その野心的な外交政策で、フィレンツェは一時的にイタリア諸国家間の勢力の均衡をたもたせることになった。フィレンツェのフローリン金貨は、全欧州の貿易の基準通貨となってフィレンツェの商業は世界を支配した。建築、絵画、彫刻におけるルネサンス芸術は、15世紀をとおして大きく開花し、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍するルネサンス文化の中心地となって学問・芸術の大輪の花が開いた。
ヴェッキオ橋とアルノ川周辺
■ヴェッキオ橋またはポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)は、イタリアのフィレンツェを流れるアルノ川に架かる橋です。 イタリア語で「古い橋」の名が示すとおり、フィレンツェ最古の橋。 東京ディズニーリゾートの橋:ポンテ・ベッキオ - 東京ディズニーシーにヴェッキオ橋をモデルにした橋があり、「ポンテ・ベッキオ」と呼称されてます。
フィレンツェのアルノ川と街並み サンタ トリニタ橋 / ウフィツィ美術館から眺めたアルノ川の対岸の建築物 |
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ヴェッキオ橋またはポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio) / ヴェッキオ橋上の宝石店 |
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夜景(ミケランジェロ広場)
■■町の東南の丘の上に位置し、フィレンツェの展望台として有名な「ミケランジェロ広場(Piazzale Michelangelo)」は人気の観光名所です。 夏は夜遅くまで賑わってて、フィレンツェっ子の恋人たちのデートスポットとなってます。 それほど夜景はロマンティックで美しいのです。広場の中心には「ミケランジェロの記念碑」が建ち、ダビデ像のコピーが置かれてます。 町の中心から歩いて行くには、まずサンタ・クローチェ教会に向かいます。 その脇にある「グラツィエ橋(Ponte alle Grazie)」を渡りましょう。橋を渡った広場の麓の地区はフィレンツェでも最も美しい高級住宅街で散策も楽しいです。
■カルチョと呼ばれるフィレンツェ古代サッカー発祥の地として知られ、イングランドフットボールと双璧の存在となってる。トトカルチョ、カルチェットなどの語源。
街角で 食事やホテルも
■フィレンツェは。観光業、繊維工業、金属加工業、製薬業、ガラス・窯業、ジュエリーや刺繍などの工芸が盛んである。 観光はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、サンタ・クローチェ聖堂、サン・ロレンツォ聖堂、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会、ウフィツィ美術館などの歴史的な建造物が中心である。 貴金属、靴、皮ジャケットなどの革製品、フィレンツェ紙(マーブル紙)や、手作り香水や化粧品、焼き物など、伝統的手工芸製品の小売店も多い。
フィレンツェの |
フィレンツェの街並み |
店先の魚介類 アンコウ |
フィレンツェの街中のオブジェ ごく自然に存在 |
フィレンツェの路上の犬 |
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フィレンツェ街角の |
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イタリア風の |
ミケランジェロ広場の下 |
フィレンツェの |
フィレンツェの街並み |
フィレンツェの街並み |
旅の途中のイタリア美人 |
ヴェベツィアからフィレンツェに向かう道すがらで会ったイタリア美人 |
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イタリアの名物 ジェラート ドゥオーモの傍で一寸休憩 |
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フィレンツェのお店 |
食事で |
■ジェラート(Gelato)はイタリア語で「凍った」と言う意味の名前がついた氷菓。 果汁、果肉、牛乳、砂糖、時にはコーヒーや香草などを混ぜた物を凍らせて作る。イタリア人の夏には欠かせないお菓子です。 |
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フィレンツェに向かう途中で立ち寄った |
フィレンツェのスーパー |
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フィレンツェ郊外の風景 |
フィレンツェでの食事 |
フィレンツェでの食事で、賑やかな居合わせた子供たち |
フィレンツェ中華街の焼き飯、久し振りのご飯、思いのほか美味しい / |
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香味野菜入りのパスタ、ドレッシング添えの野菜サラダ、プリン |
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賑やかな居合わせた子供たちとの触れ合い |
■フィレンツェに来たら是非寄りたいのがここ、フィレンツェ中央市場=メルカート。 フィレンツェ人の生活に欠かせないこの市場は、地元の人の胃袋そのもの。 |
フィレンツェ近郊のホテル |
1階にはフィレンツェ名物「ランプレドット(Lampredotto=牛の胃袋の煮込み)」を売る「ネルボーネ(Nerbone)」という有名な屋台もあります。 1872年創業のこのお店はいつも地元の人と観光客で賑わってますが、ぜひ味見して下さい。美味しいですよ。 しかし、今回は残念ながらスキップ。 |
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ホテルの部屋から見た景色 |
フィレンツェ郊外の |
旅の仲間の美女達とお食事 |
■フィレンツェ歴史地区(Centro Storico di Firenze it / Historic Centre of Florence
en )はイタリアの都市フィレンツェの中心部は、ユネスコの世界遺産(文化遺産) に登録されてます。歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されており、ルネッサンスの芸術、文化を眼前にみることができます。 主な建築物は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂/市庁舎(ヴェッキオ宮殿)/ウフィツィ美術館
/ボーボリ庭園/サンタ・マリア・ノヴェッラ教会/サンタ・クローチェ聖堂 (フィレンツェ) です。 |
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※プラート(Prato)のダテイーニホテル:プラートとフィレンツェの間、フィレンツェ空港から15kmという便利な場所にあるDatiniは、静かな宿泊施設です。すべての客室がダブルで、24時間対応ルームサービスやSky
TVチャンネルなどのモダンな設備とアメニティが備わってます。 |
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ホテルの側の川 夕暮れ |
プラートのホテルの近所 |
ホテルの近所の |
黄昏時のホテルの全景 前は大きな道路が走ってる |
プラートで見掛けた交通標識 バス停? お店の道案内 |
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プラートのホテルの近所の |
プラートのホテルの |
ホテル近くのオリーブの木 |
プラートで |
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入場券売り場の |
■アーモンド(英名:Almond、学名: Prunus dulcis、シノニム:Amygdalus dulcis)は、バラ科サクラ属の落葉高木。およびそれから採ったナッツのこと。和名はヘントウ(扁桃)、ハタンキョウ(巴旦杏)あるいはあめんどう。原産はアジア西南部。現在では南ヨーロッパ、アメリカ合衆国、オーストラリアなどで栽培されており、アメリカ合衆国のカリフォルニア州が最大の産地である。日本では小豆島などで栽培されてる。 その木は約5メートルになる。日本では3-4月にかけて、葉のない枝に、白色又は桜色・桃色の花弁の端に小さな切込みの入ったサクラの特徴を有する花をサクラ同様のたたずまいで咲き誇り、7-8月に実が熟する(但し花柄が非常に長い桜の花と違いアーモンドは花柄が非常に短く、枝に沿うように花が咲く為、桜色・桃色の花の品種の場合は桃の花そっくりに見える)。 アーモンドはイタリアのそこかしこで見られる木です。 写真は花が咲いてませんが、ローマでは桜と見間違えた。写真あり。 |
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ローマへの移動途中の風景や植物
■フィレンツェからローマへは、ユーロスターでなくバスで移動 E35合繊を利用しています。 300km位あるそうです。 途中では古城やオリーブの林やらイタリアらしい風景に出会った。
※E35号線(European route E35)は欧州自動車道路のAクラス幹線道路。オランダのアムステルダムからドイツ、スイスを経てイタリアのローマまで延びている。
■鉄道では、トレニタリアの路線がいくつもフィレンツェを一つの拠点とし、各都市とを結んでいる。街のターミナル駅は市街地に近いフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(フィレンツェSMN駅)で、ユーロスター・イタリアをはじめとする優等列車、さらにはヨーロッパの他国へ向かう国際列車が発着してる。
ピッティ宮殿とピッティ美術館
プラート
■プラート(伊: Prato)は、イタリア共和国トスカーナ州北西部の都市で、その周辺地域を含む人口約19万人の基礎自治体(コムーネ)。プラート県の県都である。伝統的な繊維業の町である。考古学的発見から、プラート周辺の丘陵には旧石器時代から人が住んでいたことが証明されている。平野はのちにエトルリア人に植民地化された。1998年、近隣のカンピ・ビゼンツィオで、かつてあった名前の知られていない都市の遺跡が発見された。1512年、カンブレー同盟戦争の最中、プラートは教皇ユリウス2世と神聖ローマ皇帝カール5世によって召集されたスペイン軍により略奪された。彼らはメディチ家のためにフィレンツェ近郊の都市を取り戻そうとしたのである。プラート略奪の過酷さがフィレンツェ共和国の降伏をもたらし、メディチ家支配を復活させた。
■フィレンツェのあるトスカーナ地域は、イタリア半島の北部に位置し、シエナ、ピサ、フィレンツェなど魅力的な古都が数多く存在する。ユネスコ世界遺産の数も多い。農業が大変に盛んで、ワイン、オリーブ、小麦などを生産してる。特にワインはキャンティやスーペル・トスカーナといった名品を生産する、世界屈指の名醸地である。ワインが凄く美味しいですよ。
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Deutschland(ドイツ連邦共和国)|一つの国生まれ変わったドイツ・ベルリン&ポツダム |