ロシア旅行の写真 サンクトペテルブルグ 聖イサアク大聖堂と血の上の救世主教会 |
サンクトペテルブルグの・世界遺産
サンクトペテルブルグの世界遺産は2017年現在36件が登録されていて、町全体が世界遺産と思えるようです。 メインはサンクトペテルブルグのメインストリートのネフスキー大通りがはじまる旧海軍省から徒歩5分のところに、巨大な聖イサアク(イサク)大聖堂がそびえています。 他にはエルミタージュ美術館、至聖三者大聖堂、宮殿広場、血の上の救世主教会、ペトロパヴロフスク要塞、ペテルゴフ宮殿、エカテリーナ宮殿、聖ニコライ海軍大聖堂・・等。
ルートは聖イサアク大聖堂→血の上の教会。 |
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ご注意)写真は2017年05月に当方が撮影したものです。著作権は保持しています。
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聖イサアク大聖堂
世界遺産の聖イサアク大聖堂(Saint Isaac's Cathedral)は、ロシア、サンクトペテルブルク中心にあるロシア正教会の大聖堂。 ドームの高さは101.5メートル。聖イサアク大聖堂の名称は、ピョートル大帝の守護聖人、ダルマチアの聖イサアク(聖イサク・ダルマツキー)に由来する。 市内のどこからでもそのドームが見えます。
従来のロシア・ビザンチン建築様式(ギリシャ十字の平面プラン、中央部に巨大ドーム、四方に小ドームを配置する)を基本に新古典主義様式によるファザードで建設された。
必要最小限の掲示。 現在はロシア正教の記念博物館として有料で一般公開されています。
エルミタージュ美術館や市街中心街の周辺に行くと、どこからも聖イサアク大聖堂の尖塔が臨める。
血の上の救世主教会
血の上の救世主教会(血の救世主教会、スパース・ナ・クラヴィー教会)は、ロシア、サンクトペテルブルクにあるロシア正教会の聖堂。 公式名は、ハリストス復活大聖堂、血の上の教会(Church
on Spilt Blood)の名称でも知られる。 世界遺産。
この名称は、1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)のロシア皇帝アレクサンドル2世はテロで暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地(グリボエードフ運河の河畔)である。高さは94m。
教会の建物は、モスクワのワシリー教会が赤やオレンジの暖色系を使っているのに対し、こちらは青や緑の寒色系が使われています。しかし、この教会の見どころは中。 中はロシアらしいモザイク画にあふれています。小さいですが、見応えがあります。 残念ながら中は見れませんでした。 ネフスキー通りから少し歩いたところにあります。
血の上の救世主教会は、アレクサンドル2世の暗殺というロマノフ家にとっての悲劇がきっかけになって建立された建築物である。このため、『聖書』の中から悲劇的な要素の強い主題とした面積7500平方メートル以上のモザイク画によって壁面が装飾されている。
アレクサンドル2世はクリミア戦争中に即位し,戦後農奴解放令発布,ゼムストボ設置などの改革(〈大改革〉と呼ばれる)を推進した。 しかし近代化とは裏腹な専制政治は、めざめ始めたロシア民衆から離反し始め、1881年テロリストによってアレクサンドル2世が暗殺された。
聖ニコライ海軍大聖堂
綺麗な水色の聖ニコライ海軍大聖堂(Nikolsky morskoy sobor)。 4重の鐘楼の周辺でハマナスが蕾を付けていた。 聖ニコライ海軍大聖堂はクリュコフ運河のほとりに建っています。 船乗りの守護聖者である聖ニコライにちなんで名付けられたこの大聖堂は、やがてロシアの宗教施設および海軍施設の中でも特に崇拝される場所となりました。 毎朝、散歩時に見ていました。
市内のこの地区はもともと船乗りの居住区でした。1743 年に教会が建てられましたが、人口の増加に伴い、エリザベータ女帝がこの地区の 2 つ目の教会を建築家サーヴァ
チェヴァキンスキーに命じました。 現在のバロック様式の大聖堂は 1760 年に完成し、1762 年に海軍大聖堂の地位を与えられました。 大聖堂は5つの金の丸屋根とドームが特徴。 建物はギリシャ正教式の十字架の形をしており、コリント様式の柱や精巧な柵のついたバルコニーが正面を飾ります。
写真は礼拝中のため、外回りだけですが、内部も立派な木彫りのイコノスタシス (イコンをはめ込んだ壁)。思わず見とれてしまうほど精巧な造りです。
聖堂の域内を示す印 |
聖ニコライ海軍大聖堂の全貌 |
聖堂の正面屋根の彫刻 |
美麗な4重の鐘楼 |
聖ニコライ海軍大聖堂と聖堂の丸屋根の尖塔 |
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聖ニコライ海軍大聖堂の正面ファザード |
この大聖堂が実は 2 つの教会から成り立っていることが分かるでしょう。下階の教会には大聖堂の中心的聖廟があり、聖ニコライを祀り聖遺物を所蔵しています。上階の顕栄教会(残念ながら見れず)には、1904 ~ 1905 年の日露戦争で戦死した海軍兵に捧げられた大理石の銘板があります。
教会の出入り口付近には別々に数人のおばあさんたちがいて物乞いをしていました。他の教会では見れなかったが、それだけ毎日礼拝が行われ、庶民に浸透しているのかがよく分かった。
聖ニコラスは、ヨーロッパ各地のさまざまな都市や国の船員、商人、射手、悔い改めた泥棒、売春婦、子供、醸造業者、質屋、未婚の人々、学生の守護聖人です。彼の評判は、初期のキリスト教の聖人に一般的であったように、忠実な人々の間で発展し、秘密の贈り物をするという彼の伝説的な習慣は、シンタークラースを通じてサンタクロース(「聖ニック」)の伝統的なモデルを生み出しました。
ペテロパヴロフスク要塞
18世紀に発生した大北方戦争の過程で、スウェーデンから土地を防衛するために築かれた。 ネヴァ川の河口付近のザーヤチ島を高い壁で取り囲むように構築された。 サンクトペテルブルグの歴史は、1703年5月27日のこの要塞の建設開始とともに始まったといわれています。
19世紀には、政治犯収容所としても利用され、一時はバクーニンやネチャーエフ、ドストエフスキー、レーニンらも収容された。 現在は総合博物館となっています。
要塞の中央に、首座使徒ペトル・パウェル大聖堂(ペトロパヴロフスキー大聖堂)があり、ピョートル大帝以降の皇帝が葬られている。
■首座使徒ペトル・パウェル大聖堂(ペトロパヴロフスキー大聖堂、Peter and Paul Cathedral)はロシア・サンクトペテルブルクのペトロパヴロフスク要塞にあるロシア正教会の聖堂。 ペトロパヴロフスキー大聖堂とも呼ばれる。 最初の大聖堂は、サンクトペテルブルクの石で造られた。 大聖堂の尖塔は、404フィート(約123メートル)あり、天井には十字架を持った天使を描いている。 この天使はサンクトペテルブルクを象徴する最も大事なものの一つである。 大聖堂内部にはピョートル大帝からニコライ2世までのツァーリと皇后の殆どが埋葬されている。
※ Wikipediaを参考に一部文の転用もしています。 |
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ロシア旅行の写真|2017年5月白夜のサンクトペテルブルグへ |
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