Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
海外写真集|ヨーロッパ・バチカン市国|バチカン宮殿・『ラファエロの間』とバチカン絵画館(ピナコテーカ)のラファエロの作品 『ラファエロの間』は4つにわかれ、ラファエロ・サンティと彼の弟子らの手による多くの著名なフレスコ画が展示されています。

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バチカン市国|バチカン宮殿・『ラファエロの間』とバチカン絵画館(ピナコテーカ)のラファエロの作品

 バチカン市国(Governor of Vatican City)のバチカン宮殿・『ラファエロの間』とバチカン絵画館(ピナコテーカ)、及びシスティーナ礼拝堂の天井画などのラファエロの作品。 『ラファエロの間』(伊:Stanze di Raffaello)は、バチカン宮殿にある4つの部屋の総称。 この4つの部屋で一続きの応接室を構成しており、教皇庁の一部としてラファエロが天井画・壁画を描いた『署名の間』(ラファエロの間)等が公開されています。 ラファエロ・サンティと彼の弟子らの手による多くの著名なフレスコ画が展示されています。 『ボルゴの火災の間』、『署名の間』、『ヘリオドロスの間』、『コンスタンティヌスの間』から成る。 これらの部屋にはユリウス2世(既出)の命でラファエッロが1508年−1524年にかけて壁画を制作した。 『署名の間』の『アテナイの学堂』はラファエッロのと言うよりは西洋古典絵画のもっとも著名な作品の一つであろう。 この『ラファエロの間』へ行くには、細い通路を上へ下へと繰り返し、やっとの事でたどり着いた。 各々の部屋は横30m、縦20m四方か若しくはもっと狭い感じで写真も撮るのが精一杯。 ですが、流石に壮観・重厚な感じです。 興奮した為、画像の乱れはご容赦下さい。 説明資料作成では、Wikipediaやバチカン博物館の書籍を参考に利用させて戴きました。 宗教上の理由で、当然ながらフラッシュをしなければ撮影可能でした。 絵画切手:ラファエロ(ルネサンス)。
  


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バチカン市国
バチカン博物館ラファエロの間システィーナ礼拝堂 ) ]

下のサムネイルをクリックすると大きな写真で閲覧できます。   ご注意)写真は当方が撮影したもので著作権があります。

 ラファエッロ(ラファエロ)の間

『ラファエロの間』への通路 絵画がタップリ

『ラファエロの間』と呼ばれる一連の部屋には、東から入って西に向かって歩いていくと、『コンスタンティヌスの間 (伊: Sala di Costantino)』、『ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)』、『署名の間 (Stanza della Segnatura)』、『ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)』と続いている。
ラファエロの間に含まれる4つの部屋のうち、コンスタンティヌスの間がもっとも広い。この部屋の装飾画に関しては、制作はユリウス2世、およびラファエロの存命中にはほとんど進められず、また題材は、異教徒に対するキリスト教の戦いと勝利に絞られている。ローマ帝国のコンスタンティヌス帝の生涯に始まり、ロマーノ、ペンニ、デル・コッレによる絵画がその後の歴史を綴っている。

『ラファエロの間』への通路

 『署名の間 (Stanza della Segnatura)』

『聖体の論議』は、ラファエロが1508年または1509年、最初に描いたのは『聖体の論議』である。この名前は、秘跡に対する祈りのことを示す、古い呼び方である。絵画中では地上と天上の両方に広がる存在として教会が表現されている。
秘跡あるいは秘蹟(ひせき、ラテン語Sacramentum)とは、キリスト教において、神と人間とを仲介し、神の恵みを人間に与える儀式のこと。
日本では教派によって訳語が異なる。英語ではサクラメント。『秘跡』というのは日本のカトリック教会の訳語であり、他の教派では、正教会では『機密』(きみつ)、聖公会では『聖奠』(せいてん)、プロテスタントでは『礼典・聖礼典』(れいてん、せいれいてん)、などといい、意味も異なっていることがある。

ラファエロ 『聖体の論議』 幅10.75m ヴァチカン『署名の間』 写真は実物

ラファエロ 『聖体の論議』 幅10.75m ヴァチカン『署名の間』

ラファエロ 『聖体の論議』 幅10.75m ヴァチカン『署名の間』 切手で代用

ラファエロ 『聖体の論議』 幅10.75m ヴァチカン

右の3種の切手は、ラファエロが描いたヴァチカン宮殿・署名の間《聖体の論議》です。天上と地上と2分割し、地上にいる教会教義に貢献した聖人たちや教王、教会博士たちを描いたもの。
そこに、フラ・アンジェリコ(左端)やダンテなどが紛れ込んでいる。

ヴァチカン宮殿・署名の間《聖体の論議》のラファエロの絵画(サンマリノ、2009年)

ラファエロ絵画 切手 ヴァチカン宮殿・署名の間《聖体の論議》

『聖体の論議の中の神曲を書いたダンテ』(ラファエロ)

『聖体の論議』から『神学(theology)』、『詩歌(poetry)』、『正義(justice)』、『哲学(philosophy)』
≪ヴァチカン宮≫ 署名の間  (ラファエロ、バチカン市国、1983年)

聖体の論議 ラファエロ ルネサンス 絵画切手 神曲を書いたダンテ(バチカン市国、1965年) 『聖体の論議』から「神学(theology)」、「詩歌(poetry)」、「正義(justice)」、「哲学(philosophy)」(ラファエロ、バチカン市国、1983年)

■ダンテは≪ヴァチカン宮≫ 署名の間に描かれている絵画です。
■聖体の論議:≪ヴァチカン宮≫ 署名の間 ラファエロは、法王ユリウス2世より、天井の寓意画に対応するように、4周の壁面に歴史的な物語を描くよう命を受けた。『神学』と『哲学』は真理。『正義』は善。『詩』は美にかかわっている。

『アテナイの学堂』 1509年の終わりに、ラファエロは『聖体の論議』の向かい側の壁に次の絵を描き始めた。これは『アテナイの学堂』と名付けられ、この部屋の隣のユリウス2世の書庫が、学問の部屋としての位置づけを持っていたことから、哲学的な理性によって真実を探ることが主題となっている。ラファエロの作品中、もっとも広く知られているものであろと思います。

ラファエロ 『アテナイの学堂』

ラファエロ 『署名の間』の『アテナイの学堂』 撮影写真

ラファエロの自画像 『アテナイの学堂』

ラファエロの自画像『アテナイの学堂』の右端下部

「署名の間」の『アテナイの学堂』 ラファエロ

ラファエロ 『署名の間』の『教令集の公布』 写真

ラファエロ 『署名の間』の『アダムとイヴの原罪』 資料

ユリウス2世 ラファエロ 『署名の間』の『教令集の公布』 署名の間 アダムとイヴの原罪

ラファエロの『教令集の公布』 中央の教皇グレゴリウス9世は、ユリウス2世がモデルとなっている。 教皇の左に立つのはジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿、右に立つのは、アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿、らしい。

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 『コンスタンティヌスの間 (伊: Sala di Costantino)』

この部屋の装飾画に関しては、制作はユリウス2世、およびラファエロの存命中にはほとんど進められず、また題材は、異教徒に対するキリスト教の戦いと勝利に絞られている。ローマ帝国のコンスタンティヌス帝の生涯に始まり、ロマーノ、ペンニ、デル・コッレによる絵画がその後の歴史を綴っている。

『ミルヴィオ橋の戦い(コンスタンティヌスの間)』 写真

コンスタンティヌスの間の天井画 写真

ミルヴィオ橋の戦い(コンスタンティヌスの間) コンスタンティヌスの間の天井画

『コンスタンティヌス帝の洗礼』 写真(拡大せず)

『ミルヴィオ橋の戦い(コンスタンティヌスの間)』: 紀元312年に起こったコンスタンティヌスとマクセンティウスとの戦いを描いたもの。中央上方で神々が戦いを援護している。コンスタンティヌスが勝利したこの戦いあとミラノ勅令が制定され、キリスト教が公認されることとなった。

コンスタンティヌスの間の最後の絵は『コンスタンティヌス帝の洗礼』であり、死の床に伏すコンスタンティヌス帝を描いており、ペンニによって塗装されている。

コンスタンティヌス帝の洗礼

 『ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)』

『大教皇レオとアッティラの会談』 写真
The Meeting of Leo the Great and Attila, 1514

コンスタンティヌスの間から西へ進むと、ヘリオドロスの間である。この部屋の絵画は1511年から1514年にかけて描かれた。この部屋には4つの絵画がある。『ヘリオドロスの神殿からの追放』と『ボルセーナのミサ』では、ラファエロは依頼主であるユリウス2世(パトロン、資金提供者でもある)を絵の題材への関与ある者、もしくは見守る者として描いている。ユリウス2世の死後に描かれた『大教皇レオとアッティラの会談』では、それがユリウス2世の後を継いだレオ10世になっている。

『大教皇レオとアッティラの会談』は、レオ1世とフン族の王アッティラの停戦交渉を描いている。また聖ペテロと聖パウロも上空に剣を持った姿で描かれている。ラファエロによる原案では、ユリウス2世の姿でレオ1世を背景中に描こうとしていたことが分かっている。

大教皇レオとアッティラの会談 The Meeting of Leo the Great and Attila, 1514

『聖ペテロの解放』(ガーナ)
ヘリオドロスの間 バチカン

ラファエロの絵画 1514
『聖ペテロの解放』

■『聖ペテロの解放』は、新約聖書「使徒行伝」第12章4-10節の使徒ペテロをめぐる記述から採られた。ヘロデ王の命によって投獄され、2本の鎖につながれて二人の兵士の間に寝ていたペテロのもとに突如として神の御使いが現われ、同時に光が牢を照らした。御使いはペテロの脇腹を叩いて起こし、「急いで立て」と言った。すると鎖が手から落ちた、という場面である。

『聖ペテロの解放』(ガーナ) ラファエロ ルネサンス ラファエロ ルネサンス 絵画切手 ニジェール 『聖ペテロの解放』

バチカン「ヘリオドロスの間」

 『ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)

この部屋は、この部屋に飾られている絵画『ボルゴの火災』に因んで呼ばれている。この絵画は、バチカン近くのボルゴ で発生した大規模な火事を、教皇レオ4世が十字を切って静めたという奇跡を描いている。この部屋は、ユリウス2世の後を継いだレオ10世が音楽に興ずる間とされた。この部屋の絵画の題材はレオ3世とレオ4世の生涯から取られており、『ボルゴの火災』の他に『レオ3世の宣誓』、『レオ3世のカール大帝への授冠』、『オスティアの戦い』がある。『ボルゴの火災』はラファエロが構図を完成させてはいたが、弟子たちがフレスコ画として完成させた。

『ボルゴの火災』The Fire in the Borgo 実際の写真

『ボルゴの火災』The Fire in the Borgo  ラファエロ

『ボルゴの火災(The Fire in the Borgo)』は『教皇の書 (羅: Liber Pontificalis)』に記されているレオ4世による奇跡を描いた絵画である。カトリック教会によると、847年にローマの一地方であるボルゴで起こった火災を、レオ4世が祝福 (benediction) により鎮火したとされている。

『レオ3世のカール大帝への授冠』The Coronation of Charlemagne

『オスティアの戦い』The Battle of Ostia

「レオ3世のカール大帝への授冠」The Coronation of Charlemagne 「オスティアの戦い」The Battle of Ostia

『レオ3世のカール大帝への授冠』The Coronation of Charlemagne 西暦800年のクリスマスに行われたミサの最中に突然行われた、レオ3世によるカール大帝への授冠の情景を描いた絵画
『オスティアの戦い』The Battle of Ostia 849年にオスティアでの海戦で、レオ4世がサラセン人を打ち破ったこと(オスティア海戦)を描いた絵画。

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 ラファエッロ(ラファエロ)の間の天井画(拡大せず)

『ラファエロの間』の天井画

『ラファエロの間』の天井画 『ラファエロの間』の天井画 

ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)は二十一歳のときに彼はフィレンツェに移り住む。 しかし、ただの田舎出の画家でしかなかった彼に、教会が宗教画を依頼することなどなく、彼は個人の注文主を見つけては肖像画や聖母子像を中心に絵を描いていた。 ラファエロはその生涯で多くの聖母子像を残しているが、その大部分はこの時期に描かれたと考えられている。 フィレンツェに来てからのラファエロは、師のピエトロ・ペルジーノ(Pietro Perugino) の影響を脱して、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの芸術に触れ、多くの肖像画製作の経験を通して大きな成長を遂げる。 その後ローマに出たラファエロは教皇の信頼を得てヴァチカン宮殿で壁画を描くようになる。 

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 バチカン絵画館(ピナコテーカ) とシスティーナ礼拝堂

バチカン宮殿西側にある美術館・博物館

1790年バチカン宮殿内(現在、タペストリーのギャラリーがある場所)に開設。その後再度移転し、1932年に現在の建物が完成。

『信仰(Faith)』
(サンマリノ、1969年 ラファエロ)

『希望(Hope)』
(サンマリノ、1969年 ラファエロ)

『慈愛(Charity)』
(サンマリノ、1969年 ラファエロ)

■この3点『信仰/慈愛/希望』は『キリストの遺骸の運搬(ボルゲーゼの十字架降下)Deposition』(ボルゲーゼ美術館)のプレデッラ(基底部)に配置されていました。

ラファエロの絵画 The Madonna of Foligno 1511-12 
『フォリーニョの聖母(聖会話)』 バチカン絵画館

ラファエロ : The Baglioni Altarpiece - 慈善 Charity (1507)
バチカン絵画館

Raffaello Sanzio : The Baglioni Altarpiece - Charity (1507)

ラファエロ : The Baglioni Altarpiece - 希望 Hope (1507)
バチカン絵画館

Raffaello Sanzio : The Baglioni Altarpiece - Hope (1507)

『フォリーニョの聖母(聖会話) The Madonna of Foligno』は、もともと大祭壇画として描かれたもので、右下で祈っているシギスモンド・デ・コンティが寄進したものです。 『フォリーニョの聖母(聖会話)』の構図は8の字型となっています。 上部の、いかにもラファエロ作らしい優しい聖母子を、天使のような雲が囲んでいます。 そして下部は両側に二人づつ配しています。 左側の上は洗礼者ヨハネで、その下が聖フランチェスコです。 そして右側で寄進者に寄り添っているのが聖ヒエロニムスです。

ラファエロの絵画 『フォリーニョの聖母(聖会話)』 
バチカン絵画館 (ニカラグア) 切手

ラファエロの絵画 
『フォリーニョの聖母(聖会話)』 写真

『フォリーニョの聖母(聖会話)』 ヴァチカン(ニカラグア) ラファエロの絵画 『フォリーニョの聖母(聖会話)』

ラファエロが描いた『キリストの変容(Trasfigurazione)』の部分画(1518-20年、バチカン宮殿 絵画館所蔵)
聖書を持つモーゼ ほか
  バチカン市国発行。 実際の写真より切手の方が鮮明ですね。

ラファエロ ルネサンス 絵画切手 バチカン市国発行。キリストの変容(Trasfigurazione)(1518-20年、バチカン絵画館所蔵)ラファエロ ルネサンス 絵画切手 バチカン市国発行。キリストの変容(Trasfigurazione)(1518-20年、バチカン絵画館所蔵)ラファエロ ルネサンス 絵画切手 バチカン市国発行。キリストの変容(Trasfigurazione)(1518-20年、バチカン絵画館所蔵) ラファエロが描いた『キリストの変容(Trasfigurazione)』
ラファエロ ルネサンス 絵画切手 バチカン市国発行。キリストの変容(Trasfigurazione)(1518-20年、バチカン絵画館所蔵)ラファエロ ルネサンス 絵画切手 バチカン市国発行。キリストの変容(Trasfigurazione)(1518-20年、バチカン絵画館所蔵)ラファエロ ルネサンス 絵画切手 バチカン市国発行。キリストの変容(Trasfigurazione)(1518-20年、バチカン絵画館所蔵)

■ラファエロの『キリストの変容(Trasfigurazione)』は、1517年ナルポンヌ大聖堂の祭壇に掲げるべく、ナルポンヌ司教の枢機卿ジュリオ・デ・メディチより依頼され、制作された祭壇画『キリストの変容』。しかし完成後、実際に置かれたのはローマのサン・ピエトロ・イン・モントリオ聖堂であった。主題はキリストが天から声を聞き、自分が神であることを示す場面≪キリストの変容≫で、本作は主題に添った上部の場面と、下部の悪魔に取り憑かれた少年の治癒物語の場面の2場面構成となっているが、下部の民衆がキリストを指し示すことによって、この奇蹟の場面を一枚の画面に結び付けている。

ラファエロの『キリストの変容(Trasfigurazione)』 下部拡大 
バチカン絵画館 実際の写真

『キリストの変容(Trasfigurazione)』ヴァティカン宮美術館

ラファエロの『キリストの変容(Trasfigurazione)』 下部拡大 バチカン絵画館 ラファエロ ルネサンス 絵画切手 ニジェール 

ラファエロのフレスコ画
(オート・ボルタ、1983年)

ラファエロのフレスコ画(オート・ボルタ、1983年)

ラファエロの絵画 
旧約聖書 『神』 システィーナ礼拝堂

ラファエロ 『聖母の戴冠 (オッディの祭壇画)』
バチカン絵画館 1502-03 ラオスの切手

ラファエロの絵画 旧約聖書 『神』 システィーナ礼拝堂 ラファエロ 『聖母の戴冠 (オッディの祭壇画)』1503 バチカン絵画館

1504年にマッダレーナ・デリ・オッディからペルージャのサン・フランチェスコ聖堂のためにペルジーノに依頼された作品。ペルジーノは制作をラファエロに任せている。 画面上部は「聖母の戴冠」、下部は「聖トマスへの帯の授与」。石棺に咲く花は聖母が天に昇ったことを示している。

ラファエロの絵画

■サン・ピエトロ広場(イタリア語:Piazza San Pietro)はバチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂の正面にある楕円形の広場。ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計により、1656-67年に建設された。4列のドーリア式円柱による列柱廊と140体の聖人像に囲まれた広場の中央にオベリスク(Obelisco Vaticano )が立つ。広場に向かう信者たちが渡るサン・タンジェロ橋。足を踏み入れると、ベルニーニが配した10体の天使が迎えてくれる。持っているのは十字架や茨の冠、キリストの受難を象徴するものなど、信者たちはこの橋を渡りながら、キリストの受難と自らの苦しみを思い、聖地へと向かう。

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