バチカン市国(Governor of Vatican City)|ラファエロの作品 |
バチカンのラファエロの作品
バチカン市国(Governor of Vatican City)のバチカン宮殿・『ラファエロの間』とバチカン絵画館(ピナコテカ)、及びシスティーナ礼拝堂の天井画などのラファエロの作品。 『ラファエロの間』(伊:Stanze
di Raffaello)は、バチカン宮殿にある4つの部屋の総称。 この4つの部屋で一続きの応接室を構成しており、教皇庁の一部としてラファエロが天井画・壁画を描いた『署名の間』(ラファエロの間)等が公開されています。 ラファエロ・サンティと彼の弟子らの手による多くの著名なフレスコ画が展示されています。 『ボルゴの火災の間』、『署名の間』、『ヘリオドロスの間』、『コンスタンティヌスの間』から成る。 これらの部屋にはユリウス2世(既出)の命でラファエッロが1508年-1524年にかけて壁画を制作した。 『署名の間』の『アテナイの学堂』はラファエッロのと言うよりは西洋古典絵画のもっとも著名な作品の一つであろう。 この『ラファエロの間』へ行くには、細い通路を上へ下へと繰り返し、やっとの事でたどり着いた。 各々の部屋は横30m、縦20m四方か若しくはもっと狭い感じで写真も撮るのが精一杯。 ですが、流石に壮観・重厚な感じです。 興奮した為、画像の乱れはご容赦下さい。 説明資料作成では、Wikipediaやバチカン博物館の書籍を参考に利用させて戴きました。 宗教上の理由で、当然ながらフラッシュをしなければ撮影可能でした。 絵画切手:ラファエロ(ルネサンス)。
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■総合芸術の天才 ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi、1483-1520)は二十一歳のときに彼はフィレンツェに移り住む。 しかし、ただの田舎出の画家でしかなかった彼に、教会が宗教画を依頼することなどなく、彼は個人の注文主を見つけては肖像画や聖母子像を中心に絵を描いていた。 ラファエロはその生涯で多くの聖母子像を残しているが、その大部分はこの時期に描かれたと考えられている。 フィレンツェに来てからのラファエロは、師のピエトロ・ペルジーノ(Pietro
Perugino) の影響を脱して、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの芸術に触れ、多くの肖像画製作の経験を通して大きな成長を遂げる。 その後ローマに出たラファエロは教皇の信頼を得てヴァチカン宮殿で壁画を描くようになる。 またこの時期にラファエロは、若い頃に描いたテーマの絵を改めて取り上げて描きなおすこともしている。 ラファエロは25歳から死去する37歳まで、教皇ユリウス2世からローマに呼ばれ、ヴァチカンの宮廷画家として栄華を極めた。 この時期、彼は画家として非常に恵まれた状態にいたが、1520年、突然の高熱により亡くなってしまう。三十七歳であった。総合芸術の天才 ラファエロ・サンティ(Raffaello
Santi、1483-1520)は二十一歳のときに彼はフィレンツェに移り住む。 しかし、ただの田舎出の画家でしかなかった彼に、教会が宗教画を依頼することなどなく、彼は個人の注文主を見つけては肖像画や聖母子像を中心に絵を描いていた。 ラファエロはその生涯で多くの聖母子像を残しているが、その大部分はこの時期に描かれたと考えられている。 フィレンツェに来てからのラファエロは、師のピエトロ・ペルジーノ(Pietro
Perugino) の影響を脱して、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの芸術に触れ、多くの肖像画製作の経験を通して大きな成長を遂げる。 その後ローマに出たラファエロは教皇の信頼を得てヴァチカン宮殿で壁画を描くようになる。 またこの時期にラファエロは、若い頃に描いたテーマの絵を改めて取り上げて描きなおすこともしている。 ラファエロは25歳から死去する37歳まで、教皇ユリウス2世からローマに呼ばれ、ヴァチカンの宮廷画家として栄華を極めた。 この時期、彼は画家として非常に恵まれた状態にいたが、1520年、突然の高熱により亡くなってしまう。三十七歳であった。
ラファエロの間
■『ラファエロの間』と呼ばれる一連の部屋には、東から入って西に向かって歩いていくと、『コンスタンティヌスの間 (伊: Sala di Costantino)』、『ヘリオドロスの間
(Stanza di Eliodoro)』、『署名の間 (Stanza della Segnatura)』、『ボルゴの火災の間 (Stanza
dell'incendio del Borgo)』と続いている。
■ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)は二十一歳のときに彼はフィレンツェに移り住む。 しかし、ただの田舎出の画家でしかなかった彼に、教会が宗教画を依頼することなどなく、彼は個人の注文主を見つけては肖像画や聖母子像を中心に絵を描いていた。 ラファエロはその生涯で多くの聖母子像を残しているが、その大部分はこの時期に描かれたと考えられている。 フィレンツェに来てからのラファエロは、師のピエトロ・ペルジーノ(Pietro Perugino) の影響を脱して、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの芸術に触れ、多くの肖像画製作の経験を通して大きな成長を遂げる。 その後ローマに出たラファエロは教皇の信頼を得てヴァチカン宮殿で壁画を描くようになる。
署名の間 (Stanza della Segnatura)
■『聖体の論議』は、ラファエロが1508年または1509年、最初に描いたのは『聖体の論議』である。 この名前は、秘跡に対する祈りのことを示す、古い呼び方である。絵画中では地上と天上の両方に広がる存在として教会が表現されている。 秘跡あるいは秘蹟(ひせき、ラテン語Sacramentum)とは、キリスト教において、神と人間とを仲介し、神の恵みを人間に与える儀式のこと。
日本では教派によって訳語が異なる。英語ではサクラメント。 『秘跡』というのは日本のカトリック教会の訳語であり、他の教派では、正教会では『機密』(きみつ)、聖公会では『聖奠』(せいてん)、プロテスタントでは『礼典・聖礼典』、などといい、意味も異なっていることがある。
コンスタンティヌスの間
■コンスタンティヌスの間 (伊: Sala di Costantino) この部屋の装飾画に関しては、制作はユリウス2世、およびラファエロの存命中にはほとんど進められず、また題材は、異教徒に対するキリスト教の戦いと勝利に絞られている。ローマ帝国のコンスタンティヌス帝の生涯に始まり、ロマーノ、ペンニ、デル・コッレによる絵画がその後の歴史を綴っている。
ヘリオドロスの間
■コンスタンティヌスの間から西へ進むと、ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)である。
この部屋の絵画は1511年から1514年にかけて描かれた。この部屋には4つの絵画がある。『ヘリオドロスの神殿からの追放』と『ボルセーナのミサ』では、ラファエロは依頼主であるユリウス2世(パトロン、資金提供者でもある)を絵の題材への関与ある者、もしくは見守る者として描いている。ユリウス2世の死後に描かれた『大教皇レオとアッティラの会談』では、それがユリウス2世の後を継いだレオ10世になっている。
ボルゴの火災の間
■この部屋は、この部屋に飾られている絵画『ボルゴの火災(Stanza dell'incendio del Borgo) 』に因んで呼ばれている。 この絵画は、バチカン近くのボルゴ で発生した大規模な火事を、教皇レオ4世が十字を切って静めたという奇跡を描いている。この部屋は、ユリウス2世の後を継いだレオ10世が音楽に興ずる間とされた。この部屋の絵画の題材はレオ3世とレオ4世の生涯から取られており、『ボルゴの火災』の他に『レオ3世の宣誓』、『レオ3世のカール大帝への授冠』、『オスティアの戦い』がある。 『ボルゴの火災』はラファエロが構図を完成させてはいたが、弟子たちがフレスコ画として完成させた。
バチカン絵画館(ピナコテカ)
■1790年バチカン宮殿内(現在、タペストリーのギャラリーがある場所)に開設。その後再度移転し、1932年に現在の建物が完成。 バチカン宮殿西側にある美術館・博物館
Pinacoteca, Musei Vaticani 絵画館(かいがかん、ピナコテーク)とは、美術館、博物館のなかでも絵画の展示を中心とする、もしくは絵画に特化しており、絵画館を正式名称としている美術館。
■『聖母の戴冠 (オッディの祭壇画)』は、1504年にマッダレーナ・デリ・オッディからペルージャのサン・フランチェスコ聖堂のためにペルジーノに依頼された作品。ペルジーノは制作をラファエロに任せている。 画面上部は「聖母の戴冠」、下部は「聖トマスへの帯の授与」。石棺に咲く花は聖母が天に昇ったことを示している。
システィーナ礼拝堂
■システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)はサン・ピエトロ大聖堂に隣接し、バチカン宮殿内に建てられた礼拝堂。 ミケランジェロが描いた創世記などの大天井画、最後の審判の壁画で有名です。 教皇を選出するコンクラーヴェの会場としても知られています。
ラファエロの絵画 旧約聖書 『神』 システィーナ礼拝堂 / ラファエロの絵画 |
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