欧州旅行 2019年11月 ロンドンでの市中漫歩 ロンドン塔、タワーブリッジ |
イングランドとウェールズ プロローグ 3
オックスフォードを出てロンドンへ。 地下鉄を使いロンドン塔、タワーブリッジへ、
これらがある所はシティ・オブ・ロンドン(英: City of London)と呼ばれ、イングランドのロンドン中心部に位置する地区です。 周辺地域とコナベーションを形成し、現代のメトロポリス・ロンドンの起源となる地域で、範囲は中世以降ほとんど変わっていない。単にシティ(the
City)、またはスクエア・マイル(the Square Mile)とも呼ばれる。
シティは英国のGNPの2.5パーセントに貢献している。ロンドン証券取引所やイングランド銀行、ロイズ本社等が置かれる金融センターとしてニューヨークのウォール街と共に世界経済を先導している場所です。
大英博物館とナショナルギャラリーは別ページで。
ページ内索引【ロンドン塔|タワーブリッジ】
ご注意)写真は2019年11月に当方が撮影したものです。著作権は保持しています。
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ロンドン塔
■ロンドン塔(Tower of London)は、世界文化遺産。イギリスの首都のロンドンを流れるテムズ川岸、イースト・エンドに築かれた中世の城塞である。
正式には「女王(国王)陛下のロンドン塔の宮殿および要塞(Her (His) Majesty's Royal Palace and Fortress
of the Tower of London)」と呼ばれ、現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。 1066年にイングランドを征服したウィリアム征服王が1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じ、約20年で現在のホワイト・タワーが完成した。その後、リチャード1世が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世が完成させた。
ロンドン塔は監獄でもあったことから、ここで処刑もしばしば行われた。 当日は生憎の雨。
テムズ川岸 ロンドン塔(Tower of London) |
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ロンドン塔は入場料が30ポンドと高く、ハードルが高く感じてしまいますが、重厚な作りは外からでも楽しめるので、ロンドンに訪れた際は必見です。 右の写真がホワイト・タワー で ロンドン塔の天守閣にあたる建物。 入りませんでした。 |
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タワーブリッジのすぐそばにある ロンドン塔(Tower of London) ホワイト・タワー |
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■ロンドン塔には、世界最大級の大きさであるワタリガラスが一定数飼育されている。ワタリガラスは大型で雑食の鳥で、1666年に発生したロンドン大火で出た大量の焼死者の腐肉を餌に大いに増えたともいわれている(しかし、実際に記録されている死者はわずか5名である)。 今回はワタリガラスは見つけることが出来なかった。
ロンドン塔 |
ロンドン塔 |
ヘンリー8世 |
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ヘンリー8世(Henry VIII, 1491年6月28日 - 1547年1月28日)は、テューダー朝のイングランド王(在位:1509年4月22日(戴冠は6月24日) - 1547年1月28日)、アイルランド王(在位(自称):1541年 - 1547年)。 |
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ロンドン塔に関連し 『ヘンリー8世と6人の妻』 (ルネサンスの宮廷画家 ホルバインが描いたもの) 妻は左からキャサリン王妃、アン・ブーリン、セイモア、アン、ハワード、パー |
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■ヘンリー8世はイングランド王室史上最高のインテリであるとされ、ラテン語、スペイン語、フランス語を理解し、舞踏、馬上槍試合などスポーツにおいても優れた才能を発揮した。音楽にも造詣が深く、ヘンリー8世作曲とされる楽譜(合唱曲"Pastime
with Good Company"など)が現存しているなど、文化史にもその名を残している。王の没後450年を記念して発行。熱心なカトリック教徒であったが、離婚問題でローマ教皇と対立し、離脱。自ら英国教会の長となり、以後、結婚・離婚を繰り返す。
①キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon, 1485年 - 1536年):1509年結婚、1533年離婚
②アン・ブーリン(Anne Boleyn, 1507年? - 1536年):1533年結婚、1536年離婚 エリザベス1世の母。元はキャサリン・オブ・アラゴンの侍女。離婚後にロンドン塔で刑死。
③ジェーン・シーモア(Jane Seymour, 1509年? - 1537年):1536年結婚、1537年死去
④アン・オブ・クレーヴズ(Anne of Cleves, 1515年 - 1557年):1540年結婚、同年離婚 ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン3世の娘。結婚後6ヶ月で離婚。
肖像画があまりにも美化されていたため、初対面時にヘンリーが激怒したというエピソードが残されている。
⑤キャサリン・ハワード(Katherine Howard, 1521年? - 1542年):1540年結婚、1542年キャサリン本人は姦通を否定したが聞き入れられず、事実は曖昧なまま処刑された。
⑥キャサリン・パー(Catherine Parr, 1512年? - 1548年):1543年結婚、1547年産褥熱にかかり夫と死別 。
■『倫敦塔』(ろんどんとう)は、夏目漱石の短編小説。作者の留学中に見物したロンドン塔の感想をもとに描いた作品。 あらすじは以下の通り。
『「余」は、行くあてもなく倫敦をさまよったのち、倫敦塔を見物した。 これが留学中ただ1度の倫敦塔見物である。 塔内では大僧正クランマー、ワイアット、ローリーら囚人船で運ばれてきた古人たちを思い、また血塔では、叔父によって王位を追われ殺されたエドワード4世の二人の小児の幻影を見る。そして白塔を出てボーシャン塔へ向かうと、奇妙な母子がいた。「余」はその女にジェーン・グレーを見る。「余」は現実か幻想かわからなくなり、倫敦塔を出る。』 漱石がジェーン・グレイのイメージをつかむのに利用したのが本作。 レディ・ジェーン・グレイは政争に巻き込まれ、王位につきながらもわずか9日で廃位とされる。そして、1554年2月12日に若干16歳でジェーン・グレイは斬首に。 ロンドン塔で、まさに処刑されようとされるジェーン・グレイを描いた。
ポール・ドラローシュ |
ヘンドリク・ヤコブス・ショルテンが描くレディ・ジェーン・グレイ |
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ナショナルギャラリー(ロンドン)にて |
■ヘンドリク・ヤコブス・ショルテン(Hendrik Jacobus Scholten、1824年7月11日 - 1907年5月29日)はオランダの画家、版画家である。風俗画や人物画を描いた。
トマス・モア(Thomas More, 1478年2月7日 - 1535年7月6日)は、イングランドの法律家、思想家、人文主義者。政治・社会を風刺した『ユートピア』の著述で知られる。大法官までのぼりつめたがヘンリー8世により反逆罪でロンドン塔で処刑された。
タワーブリッジ
■タワーブリッジ(Tower Bridge)は、イギリスのロンドン市内を流れるテムズ川に架かる跳開橋。 タワー・ブリッジはもちろん渡ることができます。 橋の上は、多くの通行人と自動車で賑わっています。 また、ロンドン塔に隣接しています。
1886年に着工、1894年に完成した。可動部分は初期は蒸気機関で水をパイプに通して跳開部の端に水圧を掛けシーソーの原理を利用して開閉していた(この技術は世界で初めてこの橋が実用に供した)が、現在は電力を利用している。 橋の長さは244m、左右にあるゴシック様式の主塔の高さは65mあり、内部は展望通路・歴史博物館がある。 主塔間の橋桁の長さは61m、上部橋の高さは44mである。
テムズ川に架かる跳開橋 タワーブリッジ(Tower Bridge) |
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ザ・シャード |
タワーブリッジ |
ロンドン塔 |
イギリスの人達は雨が降っても傘を差さない。 |
タワーブリッジ入口 |
タワーブリッジとザ・シャード |
■ザ・シャード(The Shard)、またはシャード・ロンドン・ブリッジ(Shard London Bridge)は、イギリスの首都ロンドンのロンドン・ブリッジ駅の南西側に所在する超高層ビル。2008年9月に着工、2012年7月5日に外構が竣工した。地上87階建て、尖塔高310m。EUで最も高いビルである。ザ・シャードは、ピラミッドを垂直に引き伸ばしたような形状をしており、互いに接触しない8つの面からなる。
ロンドン橋 (London Bridge)はロンドンを流れるテムズ川にかかる橋。 タワーブリッジとキャノン・ストリート鉄道橋の間に位置する。 市内のシティとサザークを結び、プール・オブ・ロンドンの西端に位置する。 |
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※ロンドン橋(London Bridge)は、ロンドンを流れるテムズ川にかかる橋。『ロンドン橋落ちた』という童歌(Nursery rhyme)によって世界に知られている有名な橋である。 2000年近い歴史があり、1750年にウェストミンスター・ブリッジが架けられるまでロンドン市内でテムズ川に架かる唯一の橋であった。
現在のロンドン橋は1973年竣工のコンクリート橋で地味であるのに対して、下流にあるタワーブリッジは2つの塔を持つ跳開橋で見栄えがよい。このため、観光客はタワーブリッジの方がロンドン橋であると、勘違いすることがある。
※キャノン・ストリート鉄道橋(Cannon Street Railway Bridge)は、イギリスの首都ロンドンのテムズ川に架かる鉄道橋である。元々の名前がアレクサンドラ橋である。 この橋はサウス・イースタン鉄道(Southeastern)のキャノン・ストリート駅(Cannon
Street station、シティ・オブ・ロンドンにあるターミナル駅) と接続するためにジョン・ホークシャーとジョン・ウォルフ・バーリーによって設計され、1863年に着工した。1866年にオープンした。
※サザーク橋( Southwark Bridge)は、サザーク区とシティ・オブ・ロンドンを結ぶ、テムズ川に架かるアーチ橋である。 建築家のアーネスト・ジョージとバシル・モットによって設計され、サー・ウィリアム・アロー・アンド・カンパニーによって建造、1921年に開通した。 「鉄の橋」として知られていたロンドン橋と比較して「石の橋」と呼ばれていた。完成当時はアーチの長さ(径間)が240フィート(73m)にも及んだことで注目を浴びた。
※ Wikipediaを参考に一部文の転用もしています。 |
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ロンドンでの市中漫歩 ロンドン塔、タワーブリッジ |
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