Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
美術切手|ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)の絵画 彫刻だけでなく絵画も物凄く人間を観察した様に、筋肉など躍動感が溢れる。 『ピエタ』や『ダビデ像』、『最後の審判』は特に有名。 バチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の設計者でもある。

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ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)の絵画・彫刻の切手

 ルネサンスのミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475年3月6日 - 1564年2月18日)は、イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。名前はミカエル(Michael)と天使(angelo)を併せたもの。 ミケランジェロはフィレンツェ共和国(現在のイタリアのトスカーナ州)カプレーゼに生まれた。 西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われるバチカンのシスティーナ礼拝堂の旧約聖書・創世記を題材にした天井画 (Cappella Sistina)やシスティーナ礼拝堂正面壁の『最後の審判』、パオリーナ礼拝堂にある『聖ペテロの磔刑』、『パウロの改宗』を描いたことでよく知られている。 もともとは彫刻家であり、『ピエタ』や『ダビデ像』等の傑作のほかにも『バッカス』、『モーセ』、『ラケル』、『レア』などが有名である。 バチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の設計者でもある。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンティとともにルネサンスの三大巨匠と呼ばれる。 ミケランジェロは長命であり、作品も盛期ルネサンスの時代から、マニエリスムの時代への移り変わりを示している。また躍動的な表現は、次のバロックの時代を準備したといわれる。1975年はミケランジェロの生誕500年でした。
※バチカン市国旅行|システィーナ礼拝堂(ピエタ) 、イタリア旅行|フィレンツェ アカデミア美術館(ダビデ像)

 

■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリダ・ヴィンチラファエロミケランジェロデューラーティツィアーノルーベンスベラスケスアングルエル・グレコレンブラントカラヴァッジオフェルメールダイクドラクロワゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワールマネとモネセザンヌゴーギャンマチスピカソダリ葛飾北斎安藤広重クリムトシャガールモディリアーニミュシャ ]

■ルネサンスチチアンの先頭の頭文字(ア行〜タ行ナ行〜ワ行その他

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ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)の絵画

■ミケランジェロはイタリア=ルネサンス美術の最高の巨匠。レオナルド=ダ=ヴィンチと並んで二つの巨峰を形づくるが,その作風はきわ立って対極的である。フィレンツェ共和国の由緒ある家柄に生まれ,幼くして絵を熱愛し,1488年の13歳で同市の高名な画家ギルランダイオ兄弟のもとに弟子入りする。人間自由と生命の賛美を肉体を通じて極限まで理想化して表現しようとする。レオナルドの“静”に対するミケランジェロの“動”。前者が隈ずみまで均整のとれた調和的空間,永遠性を表す一種の理想空間を造型したとするならば,後者は人間の肉体と精神のもつあらゆる可能性,動いてやまぬ生命の動態の刻とを凝縮する一種の劇的な空間を生みだしてゆく。1536年から6年半,畢生の大作であるシスティナ礼拝堂大壁画『最後の審判』に精魂を傾ける。中心に怒りのキリストを配したこの大群像は生涯をかけた彼の人体研究の集大成であるとともに,その激越なダイナミズムにおいて,すでにルネサンスをこえる予感を伝える。

ミケランジェロの自画像
(ソ連、1964年発行)

ミケランジェロ ルネサンス

システィーナ礼拝堂のミケランジェロの作品 自画像やシスティーナ礼拝堂:預言者 イザヤ、デルフォイの巫女、エレミア、ヨエル 
 (バチカン市国、1964年)

ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 バチカン市国発行 ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 バチカン市国発行

"Pieta(ピエタ)", "バッカス(Bacchus)", ”フィレンツェのピエタ(フィレンツェ、ドゥオーモ博物館)”
and "David(ダビデ)"他の彫像(ミケランジェロ)

■サン・ピエトロ大聖堂の中に入ってすぐ右側にミケランジェロが1498年(23歳)〜1500年(25歳)にかけて制作した『ピエタ』があります。十字架にかけられて亡くなったキリストの亡骸を聖母マリアが抱いている像を『ピエタ』と言います。
■1506年、ミケランジェロはローマ教皇ユリウス2世にローマへ呼び戻され、教皇の墓廟を制作するよう命ぜられる。墓といっても彫刻を多数並べた巨大な構築物である。しかし多数の仕事を命ぜられたミケランジェロは、制作を何度も中断せざるを得なかった。また墓標の規模も度々変更された。墓廟の制作には40年も関わることになり、モーセ像などが制作された。
1508年、今度はユリウス2世から墓廟の制作より先に バチカン宮殿にあるシスティーナ礼拝堂の天井画を描くよう命じられた。自分は彫刻家であり、画家ではないと拒んだが、しぶしぶ教皇の命令に従った。礼拝堂内に約20mもの高さのある足場を組み、横になって苦しい作業を続け、1512年までの4年間をかけて創世記をテーマにした『天地創造』の大フレスコ画が完成した。

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画・アダムの創造
 (Creazione di Adamo、1510年)(タジキスタン)

■システィーナ礼拝堂天井画は、バチカン市国のバチカン宮殿内に建てられたシスティーナ礼拝堂の天井に、ミケランジェロ・ブオナローティによって描かれた絵画作品です。盛期ルネサンスを代表する芸術作品の一つであるこの天井画は、1508年から1512年にかけて制作された。天井画がある壮大なシスティーナ礼拝堂は、1477年から1480年にかけて、教皇シクストゥス4世によってバチカン宮殿内に建造されたものである。さまざまな主題を含むこの天井画は、祭壇壁の『最後の審判』の巨大なフレスコ画(これもミケランジェロ作)や、他の画家たちによって制作されたフレスコ壁画、ラファエロの原画によるタペストリー群などとともに、システィーナ礼拝堂全体の装飾計画の一部をなすものであり、これらは全体として、カトリック教会の教義を絵画化したものである。律法・預言・諸書の3部39巻からなる。
実物を見ると大迫力に圧倒されます。

ミケンランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画・アダムの創造(タジキスタン)


旧約聖書創世記の9場面、天地創造から大洪水までを描いたフレスコ画で構成されている。

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画・アダムの創造
フレスコ画(セイント・トーマス・プリンシペ)

ミケランジェロ システィーナ礼拝堂の天井画『アダムの創造』、
『太陽と月の創造』(インド、1975年)

ミケランジェロ『アダムの創造』、『太陽と月の創造』(インド、1975年)

■『アダムの創造 (Creazione di Adamo)』:システィーナ礼拝堂天井画で最も有名な部分のひとつ『アダムの創造』。主題は旧約聖書の創世記で、このアダムの創造はその中の一場面を描いたもの。創世記第一章では、天地万物の創造主、神が7日間で全てを創造し、その6日目に創造されたのが人間(アダム)とされている。万物の創造主、神は自身の姿形に似た人間を創造した際、五つの祝福を人間に与えたとされている。ここでは最初の人アダムに生命を吹き込み、地上の支配者という役割を与える場面が描かれ、中央の創造主とアダムの指先が触れる部分は、神の意志と生命の伝達を表すとされている。天地万物の神によって創造された最初の人アダムは、創世記ではこの後、妻のイブとともに禁断の木の実を食べて原罪を犯し、二人ともエデンの園から追放されたとされている。

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画・アダムの創造
フレスコ画(フィリピン)

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画・アダムの創造
フレスコ画(ハンガリー、1975年)

■システィーナ礼拝堂の天井の装飾の中心をなすのは、『創世記』に取材した9つの場面であり、中でも『アダムの創造』が著名である。父なる神の指とアダムの指とが触れ合おうとする場面は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』と並んでよく知られた画像であり、数限りない複製や模写が作られてきた。

システィーナ礼拝堂の天井の装飾の中心をなすのは、『創世記』に取材した9つの場面
旧約聖書創世記の9場面、天地創造から大洪水までを描いたフレスコ画で構成されている。

旧約聖書創世記の9場面、天地創造から大洪水までを描いたフレスコ画で構成されている。

システィーナ礼拝堂の天井の装飾の中心をなすのは、『創世記』に取材した9つの場面
『アダムとイヴ』、『楽園追放』、『ノアの大洪水』(バチカン市国)

旧約聖書創世記の9場面、天地創造から大洪水までを描いたフレスコ画で構成されている。

■1496年にサンジョルジオ枢機卿がミケランジェロ作の大理石の天使を購入し、彼をローマへと招いた。ミケランジェロはローマで古代彫刻の影響を受けながら、5年の間とどまり、『ピエタ』(サン・ピエトロ大聖堂)とバッカスを作った。
この間、フィレンツェではメディチ家の追放、サヴォナローラによる神制政治、サヴォナローラの失脚、新たな共和国体制、と政変が続いていた。ミケランジェロはそうした時期のフィレンツェに戻り、1501年に共和国政府の依頼で彼の代表作のひとつであるダビデ像を4年かけて制作した。
■『ピエタ』 :死せるイエスを抱きかかえながら、嘆き悲しむ聖母マリアの像である。これはミケランジェロが自らの署名を書き入れた唯一の作品である。4種類制作し、それぞれ以下のように呼ばれている。なお4作目の『ロンダニーニのピエタ』は、晩年の頃に盲目で手探りの中で制作しようとした未完成品である。  @サン・ピエトロのピエタ(バチカン、サン・ピエトロ大聖堂) 、Aフィレンツェのピエタ(フィレンツェ、ドゥオーモ博物館) 、Bパレストリーナのピエタ(フィレンツェ、アカデミア美術館) 、Cロンダニーニのピエタ(ミラノ、スフォルツァ城博物館)

サン・ピエトロのピエタ(バチカン、サン・ピエトロ大聖堂)

システィーナ礼拝堂正面壁 (Giudizio Universale)) 『最後の審判』

サン・ピエトロのピエタ(バチカン、サン・ピエトロ大聖堂) システィーナ礼拝堂天井画 (Cappella Sistina)

■ミケランジェロが制作した4作品(ただし、完成したのは『サン・ピエトロのピエタ』のみ)の通称と制作年、現在の収蔵場所は以下の通り。
サン・ピエトロのピエタ(1498年 - 1500年、サン・ピエトロ大聖堂) / フィレンツェのピエタ(1547年? - 、フィレンツェ、ドゥオーモ博物館)未完成 / パレストリーナのピエタ(1555年? - 、フィレンツェ、アカデミア美術館)未完成 / ロンダニーニのピエタ(1559年 - 、ミラノ、スフォルツァ城博物館)未完成
とりわけ『サン・ピエトロのピエタ』は、他の芸術家によっても同じ題材で数多く作られたピエタと比較しても肩を並べるもののない傑作であり、これによってミケランジェロの名声は確立された。また、視力を失いながら手探りで制作を続けたといわれる4作目『ロンダニーニのピエタ』はミケランジェロの遺作となった。

ミケランジェロ作『ピエタ』 バチカン博物館 本物はサン・ピエトロ大聖堂(掲載)    ミケランジェロ作『ピエタ』レプリカ 拡大
マリア様の神々しい表情、わが子の死を悼む愛情溢れる表情、何ともいえません

ミケンランジェロ作『ピエタ』 ミケンランジェロ作『ピエタ』

サン・ピエトロのピエタ(バチカン市国)

 この『サン・ピエトロのピエタ』はミケランジェロの数ある彫刻の中でもダビデ像と並ぶ最高傑作と言われています。 およそ2年をかけてミケランジェロは大理石の一枚岩からかつてなく壮麗な彫刻を創り上げました。 制作にあたり『ピエタ』という題材について彼の下した解釈は、過去の他の芸術家たちとは大きく異なるもので、失意に沈む年配の女性として表現されるのが通例であった聖母マリアの姿を、ミケランジェロは若々しく穏やかで神々しい女性に仕立て上げたのである。 息子イエスよりも若く見えることについて枢機卿は『マグダラのマリアの間違いではないか』と非難した(ドレスの裾からマリアの爪先がわずかに覗いていることからも、この非難は的外れなものではない)が、ミケランジェロは『原罪のない聖母マリアは歳をとらない』と断言した。 弱冠23歳のミケランジェロが制作したピエタは、死せる息子キリストを抱える聖母マリアの悲しみに満ちた表情や筋肉や衣服の細密な描写など、それまでに彫刻されたピエタの表現を遥かに超えたものであった。

サン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロ作『ピエタ』 本物

ミケランジェロの傑作『ダヴィデ像』 本物 アカデミア美術館

ミケランジェロの傑作『ダヴィデ像』

■ダビデ(David)像(ダヴィデ像)は、ミケランジェロが1501年から制作を開始し、1504年9月8日に公開した彫刻作品。ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つです。力強さと若き人間の美しさの象徴ともみなされる作品であり、芸術の歴史における最も有名な作品のひとつと言える。大理石で身の丈5.17メートルにかたどられたこの像は、旧約聖書の登場人物ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現しています。
実際にフィレンツェのアカデミア美術館(ダヴィッド像を展示するためだけに作られた美術館)で、実物を見てみると大きさを含め圧倒されます。 人体の隅々まで熟知して作成したものだと思います。 感嘆の一言に尽きる。 ヴェッキオ宮殿はアカデミアに像が移るまでの間、設置されていたところです。

バチカン サン・ピエトロ大聖堂 本物
ミケランジェロ 『サン・ピエトロのピエタ』

フィレンツェのヴェッキオ宮殿の入口には、ダビデ像のレプリカ 
本物はアカデミア美術館

ミケランジェロ 『サン・ピエトロのピエタ』 ヴェッキオ宮殿の入口には、ダビデ像のレプリカ

ミケランジェロの『ピエタ』(アルゼンチン、1951年) と ピエタのデッサン(モナコ、1975年)

ダビデ像
(ミケランジェロ、ウルグアイ)

ミケンランジェロのピエタ(アルゼンチン、1951年) ピエタのデッサン ミケランジェロ モナコ

ダビデ像
(ミケランジェロ、モナコ)

ダビデ像の口元と鼻筋(西ドイツ、1986年)

ダビデ像(モナコ) 絵画切手 ミケランジェロ  

■『ダビデ像』:(フィレンツェ、アカデミア美術館、現在ヴェッキオ宮前にあるのはレプリカ)  高さ4.34mの巨大な像である。敵であるゴリアテを見据える激しい表情は『テリビリタ』と呼ばれる。

■キリスト教の教典である旧約聖書のダビデは割礼を神との契約とするユダヤ人の王であるが、この彫像に割礼の痕はない。このことは、ダビデの父がユダヤ人ではなくパレスチナ人だったと考えているネストリアンやムスリムの歴史認識と一致している。また、瞳の形は丸ではなく、当時割礼に使われた器具と同様のハート型をしている。 唇も鼻の形もハート型していますね。 ダヴィデ像では、人体の重心を片方(ここでは右足)にのせ、もう片方(左足)を自由に遊ばせることで身体全体の流れをS字形にしてバランスを取る、いわゆる≪コントラポスト≫の構図を用いたことで、人間としての自然の動きに富んだ表現した。戦いを目前に自軍が怯むのを感じ、臆することなく敵陣ゴリアテを挑むような視線で見つめるダヴィデの緊張感に溢れる視線が、この彫刻を一層表現豊かな作品にしている。またダヴィデ像の瞳部分は、他に例の無いハート型で彫られている。

ダビデ像(ミケランジェロ、キルギスタン)

ダヴィデ像の瞳部分は、他に例の無いハート型

ダヴィデ像の瞳部分は、他に例の無いハート型

■1530年にメディチ家がフィレンツェに復帰すると、ミケランジェロはフランスへ逃亡するが、クレメンス7世はミケランジェロの行為を不問にしてローマに呼び戻す。クレメンスはシスティーナ礼拝堂の祭壇背後の壁画を依頼するが、ミケランジェロは壁画の仕事には気が進まなかった。しかし、次の教皇パウルス3世が強く催促したため、壁画『最期の審判』を1536年から1541年までかけて完成させた。

ミケランジェロ

左から、Pittiの聖母子、バチカンのNiche、システィーナ礼拝堂の絵画の部分・聖母子 
(ミケランジェロ、イタリア発行1975年)

ミケランジェロ ルネサンス ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 イタリア発行 左から、Pittiの聖母子、バチカンのNiche、システィーナ教会の絵画の部分・聖母子

Dawn 若い男
(ミケランジェロ、マリ,1975年)

若い男
(ミケランジェロ、グレナダ)

角が生えたモーゼ像(ミケランジェロ、グレナダ)
(ローマ、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会)

Dawn ミケランジェロ 若い男(ミケランジェロ、グレナダ) ルネサンス 角が生えたモーゼ(ミケランジェロ、グレナダ) ルネサンス

■モーゼ(モーセ)は、旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる紀元前13世紀ごろ活躍したとされる古代イスラエルの民族指導者。ユダヤ教・イスラム教・キリスト教およびバハーイー教など多くの宗教において、もっとも重要な預言者の一人とされる。伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされてきた。

ミケランジェロ作品(イタリア)

ミケンランジェロ作品(イタリア)

角が生えたモーゼ像(ミケランジェロ、マリ、1975年)
角が生えたモーゼ(ミケランジェロ、マリ) ルネサンス 

■『モーセ像』もとはユリウス2世から依頼のあった墓廟の一部とすべく造られたもの。このモーセには2本の角が生えている。これは旧約聖書の出エジプト記のラテン語訳で、『モーセの顔は光を放っていた』と訳すべきところを『角が生えていた』と誤訳されていたためとされている。
ただし、現在でも、イスラエルの国が出版しているユダヤ経典のタウラー(モーセ五書)には、『角が生えていた』と、二箇所にわたって記載がある。その角が生えた理由は『主と語ったゆえ』とされており、モーセの時代にこの地域で頭上に角の生えた神はエジプトの女神だったことが有名で、ルネサンスの歴史認識と一致する。  

『アダムとイヴ』

Statue of Moses by Michelangelo - in Basilica San Pietro in Vincoli, Rome
Michelangelo's statue of Moses in the Church of San Pietro in Vincoli, Rome, is one of the most familiar masterpieces in the world. Horns the sculptor included on Moses' head are the result of a mistranslation of the Hebrew Bible into the Latin Vulgate Bible with which he was familiar. The Hebrew word taken from Exodus means either a "horn" or an "irradiation." Experts at the Archaeological Institute of America show that the term was used when Moses "returned to his people after seeing as much of the Glory of the Lord as human eye could stand," and his face "reflected radiance." In early Jewish art, moreover, Moses is often "shown with rays coming out of his head."

グレナダ・グレナディーン発行のミケランジェロの絵画と彫刻 システィーナ礼拝堂:デルフォイの巫女
(イタリア、1961年の様々な預言者の顔の模写シリーズが中心)

ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 グシスティーナ礼拝堂:デルフォイの巫女 ミケランジェロの絵画と彫刻ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手

ミケランジェロの自画像
(ハンガリー)

ケランジェロの自画像(ハンガリー)

システィーナ礼拝堂天井画 (Cappella Sistina) 切手は『創世記』

ミケランジェロ システィーナ礼拝堂天井画 (Cappella Sistina)

預言者の顔、ヨエル、リビアのSybil、イサイア(イザヤ)、エリトリアのSybil
((ミケランジェロ、イタリア、1961年の様々な預言者の顔の模写)

ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 イタリア 奴隷の顔、ジョエル、リビアのSybil、イサイア、エリトリアのSybil ミケランジェロ ルネサンス ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 イタリア 奴隷の顔、ジョエル、リビアのSybil、イサイア、エリトリアのSybil ミケランジェロ ルネサンス ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 イタリア 奴隷の顔、ジョエル、リビアのSybil、イサイア、エリトリアのSybil

ダニエル、Delphic-Sybil(デルフォイの巫女)、Cumanean-Sybil(クマエの巫女)、ザチャーリア、エレミア
システィーナ礼拝堂 (ミケランジェロ、イタリア、1961年の様々な預言者の顔の模写)

ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 イタリア ダニエル、Delphic-Sybil、Cumanean-Sybil、ザチャーリア、ジェレミア ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 イタリア    ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 イタリア ダニエル、Delphic-Sybil、Cumanean-Sybil、ザチャーリア、ジェレミア

エゼキエル(Ezekiel)、預言者の顔、ミケランジェロの自画像

『最後の審判』((ミケランジェロ、バチカン市国、1994年)

(イタリア、1961年の様々な預言者の顔の模写)
ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 イタリア エザキエル、奴隷の顔、ミケンランジェロの自画像 エザキエル、奴隷の顔、ミケンランジェロの自画像
ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 イタリア  エザキエル、奴隷の顔、ミケンランジェロの自画像

イエスキリストを描く、ミケランジェロは壁画『最期の審判』を
1536年から1541年までかけて完成させた。

『最後の審判』 ミケランジェロ ルネサンス 絵画

アダム(イタリア、1961年)

イヴ(イタリア、1961年)

ミケランジェロ 絵画 アダム(イタリア、1961年) ミケランジェロ ルネサンス 絵画切手 イヴ(イタリア、1961年)

■『最後の審判』((ミケランジェロ、バチカン市国、1994年)イタリア語 Giudizio Universale)は、ルネサンス期の芸術家ミケランジェロの代表作で、バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれたフレスコ画である。1541年に完成した。 これより先、ミケランジェロはローマ教皇ユリウス2世よりシスティーナ礼拝堂の天井画を描くよう命じられ、1508年から1512年にかけて創世記をテーマにした作品を完成させている。 それから20数年経ち、教皇パウルス3世に祭壇画の制作を命じられ、1535年から約5年の歳月をかけて1541年に『最後の審判』が完成した。天井画と祭壇画の間には、ローマ略奪という大事件があり、今日、美術史上でも盛期ルネサンスからマニエリスムの時代への転換期とされている。 『最後の審判』には400名以上の人物が描かれている。中央では再臨したイエス・キリストが死者に裁きを下しており、向かって左側には天国へと昇天していく人々が、右側には地獄へと堕ちていく人々が描写されている。右下の水面に浮かんだ舟の上で、亡者に向かって櫂を振りかざしているのは冥府の渡し守カロンであり、この舟に乗せられた死者は、アケローン川を渡って地獄の各階層へと振り分けられていくという。ミケランジェロはこの地獄風景を描くのに、ダンテの『神曲』地獄篇のイメージを借りた。

世界人権宣言・ミケランジェロの彫刻(瀕死の奴隷、ルーヴル)
アルゼンチン、1954年

世界人権宣言・ミケランジェロの彫刻(瀕死の奴隷)アルゼンチン、1954年

『リビアの巫女 (Sibilla libica)』、『デルフォイの巫女』 他(コートジボアール)

■ルネット(lunette)は、壁面の半円形の部分を指し、開口部(窓)になっている場合もある。 一般に室内のヴォールトと壁面の接したところにできる半円形の部分を指して使う。ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂のルネットを見て、その部分を最後の審判の構成に利用した。ルネットが窓になっている場合、これを『弦月窓 (half-moon window)』または『扇窓 (fanlight)』と呼ぶ。

『リビアの巫女 (Sibilla libica)』

■『リビアの巫女 (Sibilla libica)』 1511年、395×380cm | フレスコ | システィーナ礼拝堂(バチカン):『預言者と巫女』部分の人物には沈黙、思想、読書、瞑想、熱狂、恍惚、対話など、様々な場面でのポーズで、その精神状態を表しているとされている。システィーナ礼拝堂天井画はミケランジェロの生気みなぎる豊かな肉体表現が絵画として最も顕著に表れた作品のひとつであり、中でも本場面『リビアの巫女』部分は、巫女の壮麗な美しさと、対象を背面から捉える絶妙な構図展開が融合した代表的部分として広く知られている。

(ミケランジェロ) (ミケランジェロ)

神によって、予言の力を与えたれた女性、女司祭たち。 エリュトレイアの巫女 (受胎告知の百合とともに描かれることが多い)
クマエの巫女  (深皿、貝殻の形の皿が持ち物)、ペルシアの巫女 (持ち物はランタン、踏みつけられた蛇)、リビアの巫女   (ろうそく、松明が持ち物)

ダビデ像 (ミケランジェロ、ソ連)とシスティーナ礼拝堂の天井画、壁画より

Delphic-Sybil(デルフォイの巫女)


『アダムの創造』、『最後の審判』((ミケランジェロ)

システィーナ礼拝堂の天井画より、ミケランジェロ 『ノアの大洪水』、『神』、『楽園追放』

サン・ピエトロのピエタ

『聖家族と幼児洗礼者ヨハネ(トンド・ドーニ)』 1504-06年頃 ミケランジェロ
(Sacra Famiglia con san Giovannino (Tondo Doni)) テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ヨエル
(ミケランジェロ)

聖家族と幼児洗礼者ヨハネ(トンド・ドーニ) 1504-06年頃(Sacra Famiglia con san Giovannino (Tondo Doni))120×120cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

■ミケランジェロの板絵として唯一確実な帰属が判明しているこの『聖家族と幼児洗礼者ヨハネ』、通称トンド・ドーニ。主題は聖母マリアとキリストを中心に聖人を配する構図≪聖家族≫で、本作は聖母マリアの夫聖ヨセフを描いているのが特徴。我が子を見上げる聖母マリアの表情は愛情と崇敬の念に満ちているのと同時に、母(または人)としての力強さが、彫刻家であるミケランジェロならではの人体表現によって表現されている。本作では聖ヨセフと聖母マリアの姿は律法化の世界(旧約世界)を表現しているとされているとされ、幼子イエスは新約の世界、つまり恩恵の世界を表現しているとし、また背後に描かれる裸体の青年群像は異教的な世界を表すとされている。そして裸体の青年群像と聖家族の間に位置する洗礼者聖ヨハネは、異教的世界とキリスト教世界の仲介を為す存在として描かれた。

(ミケランジェロ)

『聖家族と幼児洗礼者ヨハネ(トンド・ドーニ)』 1504-06年頃 ミケランジェロ
イエスの顔と聖母マリアの顔の拡大(サンマリノ)

ミケランジェロの描く人物の頭部
(西ドイツ、1975年)

ミケランジェロの描く人物の頭部(西ドイツ、1975年)

ミケランジェロ(一部、ダヴィンチの有名絵画も混入、左から2件目) 『最後の審判』、『デルフォイの巫女』 他(2001年)

 

ミケランジェロのバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の天井に描かれたフレスコ画(Cappella Sistina)『最後の審判』 が中心

下段右端は、『レオ10世と枢機卿達』ラファエロ・サンティ画です。
また上段右から2つ目は、ジョルジョ・ヴァザーリ作『ロレンツォ・デ・メディチの肖像』(ウフィッツィ美術館)です。
切手の編集者が理解不足で間違ったもの。

ミケランジェロの超有名な彫刻と絵画

ミケランジェロ バチカン システィーナ礼拝堂

ミケランジェロ 『最後の審判』より ラッパを吹く天使ほか

  

■フィレンツェの支配者だったロレンツォ・デ・メディチの時代には、フィレンツェ(ミケランジェロの生まれ故郷)はルネサンスの中心として黄金時代を迎えた。ロレンツォは幼いミケランジェロを自宅に引き取り学ばせた。 ロレンツォが亡くなった1492年、ロレンツォの子で後継ぎのピエロはミケランジェロへの後援をやめた。17歳のミケランジェロはフィレンツェを離れボローニャで3年ほど生活した。その後すぐの1496年にサンジョルジオ枢機卿がミケランジェロ作の大理石の天使を購入し、彼をローマへと招いた。ミケランジェロはローマで古代彫刻の影響を受けながら、5年の間とどまり、『ピエタ』(サン・ピエトロ大聖堂)と『バッカス』を作った。この間、フィレンツェではメディチ家の追放、サヴォナローラによる神制政治、サヴォナローラの失脚、新たな共和国体制、と政変が続いていた。ミケランジェロはそうした時期のフィレンツェに戻り、1501年に共和国政府の依頼で彼の代表作のひとつであるダビデ像を4年かけて制作した。1546年には建設工事中であったサン・ピエトロ大聖堂の建築主任となる。
■サン・ピエトロのピエタ制作時、当時の枢機卿から『マリアの姿が若過ぎる」と批判を受けたが、それに対し、『罪ある人間は歳をとるが、無原罪の聖母は常人のようには歳をとらないのだ』と答えている。

ミケランジェロ 『聖母』

ミケランジェロ 『自画像』、『聖母』

『階段の聖母』 フィレンツェ、ブオナローティ美術館

『サン・ピエトロのピエタ』
サン・ピエトロ大聖堂

階段の聖母 フィレンツェ、ブオナローティ美術館

フィレンツェ アカデミア美術館 本物
ミケランジェロ 『パレストリーナのピエタ』

バチカン サン・ピエトロ大聖堂 本物
ミケランジェロ 『サン・ピエトロのピエタ』

パレストリーナのピエタ ミケランジェロ ミケランジェロ 『サン・ピエトロのピエタ』

ミケランジェロのピエタ : 死せるイエスを抱きかかえながら、嘆き悲しむ聖母マリアの像である。これはミケランジェロが自らの署名を書き入れた唯一の作品である。4種類制作し、それぞれ以下のように呼ばれている。なお4作目の『ロンダニーニのピエタ』は、晩年の頃に盲目で手探りの中で制作しようとした未完成品である。  以下はミケランジェロの4大ピエタです。
サン・ピエトロのピエタ(バチカン、サン・ピエトロ大聖堂) 、フィレンツェのピエタ(フィレンツェ、ドゥオーモ博物館) 、パレストリーナのピエタ(フィレンツェ、アカデミア美術館) 、ロンダニーニのピエタ(ミラノ、スフォルツァ城博物館)

ミケランジェロの自画像と各種作品 システィーナ礼拝堂の天井画、祭壇画より

 

システィーナ礼拝堂天井画完成500年 聖書をテーマとするミケランジェロの天井画「大洪水」、「イブの創造」、「ノアの泥酔」。
下段右端は「聖母子と聖ヨハネと天使」(マンチェスターの聖母、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)

ミケランジェロの天井画「大洪水」 ミケランジェロの天井画「イブの創造」

「ノアの泥酔」、右端は「聖母子と聖ヨハネと天使」(マンチェスターの聖母、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)

ミケランジェロの天井画「ノアの泥酔」 ミケランジェロの「聖母子と聖ヨハネと天使」(マンチェスターの聖母、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)

その他美術関係の切手・写真(切手が主体)

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Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni (6 March 1475 - 18 February 1564), commonly known as Michelangelo, was an Italian Renaissance painter, sculptor, architect, poet, and engineer. Despite making few forays beyond the arts, his versatility in the disciplines he took up was of such a high order that he is often considered a contender for the title of the archetypal Renaissance man, along with fellow Italian Leonardo da Vinci.
Michelangelo's output in every field during his long life was prodigious; when the sheer volume of correspondence, sketches, and reminiscences that survive is also taken into account, he is the best-documented artist of the 16th century. Two of his best-known works, the Pieta (ピエタ) and David (ダビデ像), were sculpted before he turned thirty. Despite his low opinion of painting, Michelangelo also created two of the most influential works in fresco in the history of Western art: the scenes from Genesis on the ceiling and The Last Judgment on the altar wall of the Sistine Chapel in Rome. As an architect, Michelangelo pioneered the Mannerist style at the Laurentian Library. At 74 he succeeded Antonio da Sangallo the Younger as the architect of St. Peter's Basilica. Michelangelo transformed the plan, the western end being finished to Michelangelo's design, the dome being completed after his death with some modification.

ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)の絵画・彫刻の切手

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