江戸の絢爛な文化・浮世絵や錦絵・相撲絵の切手
日本が世界に誇る浮世絵や錦絵・相撲絵の切手です。 安藤広重(歌川広重)と葛飾北斎の富嶽三十六景は別ページに記載しており、それ以外の切手を掲載しています。 浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立しました。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを描く。 「浮世」という言葉は、「現代風」とも訳される。現在一般に浮世絵といえば、専ら多色刷りの木版画(錦絵)を想像する場合が多いが、肉筆画なども含まれています。欧米諸国では浮世絵は、印象派の巨匠たちに見出されて高く評価され、その作品に影響を与え、油絵による模写もされている。 内容は順次更新中です。 喜多川歌麿、鈴木春信、東洲齋写楽、鳥居清長、菱川師宣、梅堂国政、細田栄之、勝川派、豊原
国周 他を収録中。そのほか海外ではAJMAN(アラブ土侯国)とパラグアイにて発行された浮世絵切手を最後に収録しています。ハンガリーの浮世絵は、ブダペストの東アジア絵画美術館の作品や2010年ハプスブルグ展、ボストン美術館の浮世絵から。
浮世絵ニュースを配信中。
日本の美術家の氏名のINDEX |
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歌川一門 |
歌川豊春(1735〜1814)を祖とする。 |
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■歌川 豊国(うたがわ とよくに、明和6年(1769年) - 文政8年1月7日(1825年2月24日))は江戸時代の浮世絵師。本名、倉橋 熊吉(くらはし
くまきち)。江戸芝神明前の人形師の息子として生まれる。歌川派の創始者歌川豊春の元で学び、理想の美しさを表現した役者絵や美人画で絶大な人気を得た。初代から4代までつづく浮世絵師(浮世絵)。ふつう歌川豊国という場合は初代をさす。2代は豊重、4代は国政が襲名した。歌川国貞は2代豊国を称したが、現在では3代とされる。 |
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歌川 国政・岩井粂三郎の千代 |
歌川 豊国・市川高麗蔵の |
国政・岩井粂三郎の千代 |
豊国・市川高麗蔵の |
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国政・岩井粂三郎の千代 |
豊国・市川高麗蔵の |
浮世絵は風俗画 |
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歌川 国貞・こしゃく娘 |
歌川 豊国・三美人 |
梅堂 国政・ 見立役服出世鏡 |
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■歌川 国貞 くにさだ、天明6年(1786年) - 元治元年12月15日(1865年1月12日))は江戸時代の浮世絵師。面長猪首型の美人画が特徴。艶本の挿絵も描いた。三代目歌川豊国。 |
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喜多川歌麿 |
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■喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ、 宝暦3年(1753年) - 文化3年9月20日(1806年10月31日)は江戸時代の浮世絵師である。姓は北川。名は信美。初号・豊章。狂歌名・筆の綾丸。葛飾北斎と並び国際的にもよく知られる浮世絵師で繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家。「ビードロを吹く娘」は歌麿が版元と世に問うた美人画の最高傑作です。好対照の栄之(えいし、最下段に掲載)とは気品ある美人画で競った。「歌まくら」などの春画や肉筆画にも傑作をのこし、単純化された色面の構成と繊細な線描によって、女性の官能的な魅力だけでなく、その生活や心理までもえがきだそうとした。 |
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歌撰恋之部 夜毎に逢恋 |
当時全盛美人揃 兵庫屋内花妻 |
高名美人六家撰 辰巳路考 |
高島おひさ |
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ビードロを吹く娘 |
文よむ女 |
喜多川 歌麿・台所美人 |
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■『ビードロを吹く娘』は喜多川歌麿の「婦人相学十体(画面上の文字から婦女人相十品とも呼ばれる)」の一品で1792-93年頃の作品といわれています。ビードロとは本来ガラスを意味するポルトガル語で、ガラス製の玩具を示してます。グラビア多色刷り、1954年。フランスの美術切手はこれに触発されたと聞いています。 |
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姿見七人化粧 |
江戸町一丁目 扇屋内花扇 |
あわび採りの海女 |
喜多川 歌麿・ |
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喜多川 歌麿・ビードロを吹く娘(2001年) |
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喜多川歌麿 |
喜多川歌麿 |
喜多川歌麿 「袖が浦の亀吉」 |
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鈴木春信 |
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■鈴木 春信(すずきはるのぶ、 享保10年(1725年)? - 明和7年6月15日(1770年7月7日)は、江戸時代中期の浮世絵師。細身、可憐で繊細な表情の女性像で知られる美人画浮世絵師。浮世絵版画における「錦絵」技法の大成者としても知られる。江戸神田白壁町の戸主(家主)。平賀源内の友人。宝暦10年ごろから急逝するまで、浮世絵師として活躍した。中判(約28 × 20cm)とよばれる正方形に近い画面を愛用し、春信様式ともよぶべき独特の可憐・華奢(きゃしゃ)な人物像をあみだした。また、古典的な和歌、物語、故事などを当世の風俗でえがく「見立て」の趣向を積極的にとりいれて、抒情(じょじょう)的な画面をつくりだした。 |
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まりつき |
文読み |
見立夕顔 |
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イエメンで発行された鈴木晴信 |
西川祐信・春の野遊図 |
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■上方の浮世絵師 |
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東洲齋写楽 |
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■東洲斎写楽は生没年不詳の浮世絵師。寛政6年(1794年)に出版が開始された後、確認されている錦絵作品は、およそ10ヶ月の期間内に集中しており、その後の消息は不明である。役者絵といえば「写楽」。個性的な表現ですね。歌麿をみいだした版元の蔦屋重三郎に才能をかわれ、役者の大首絵(おおくびえ)で颯爽(さっそう)とデビューしたが、あまりに赤裸々に個性を表現しすぎたために、適当な様式化と美化をこのんだ当時の鑑賞界にはうけいれられなかった。ドイツの美術研究家ユリウス・クルトがレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞したことがきっかけで("Sharaku" 1910年)、大正時代頃から日本でもその評価が高まった。 |
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四代松本幸四郎の山谷の |
三代坂東彦三郎 |
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肴屋五郎兵衛 |
鷺坂左内 |
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市川蝦蔵の竹村定之進 |
都伝内 |
大谷鬼次の奴江戸兵衛 |
岩井半四郎の乳人重の井 |
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三代目市川八百蔵の田辺文蔵 |
二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉 |
大谷鬼次の奴江戸兵衛 |
岩井半四郎の乳人重の井 |
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日本国際切手展2001記念郵便切手 東洲斎写楽の切手 坂田半五郎の藤川水右衛門、瀬川菊之丞の田辺文蔵妻おしづ、 |
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市川蝦蔵 |
「大谷徳治の奴袖助」 |
「中島和田右衛門のぼうだら長左衛門と |
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鳥居清長(鳥居派) |
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■鳥居 清長(とりい きよなが、 宝暦2年(1752年) - 文化12年5月21日(1815年6月28日)は、江戸時代の浮世絵師。江戸の本材木町の本屋白子屋市兵衛の子。鳥居派は役者絵を専門とする画派だが、清長の本領はむしろ美人画にある。細身で繊細な春信の美人画に対し、清長は八頭身でどっしりとした体つきの健康的な女性像で知られる。天明期をリードした浮世絵師です。浮世絵の他には春画・黄表紙(江戸時代中期の1775年以降に流行した草双紙(一種の絵本)のジャンルの一つ。)も作っています。代表作には、品川の遊郭に取材した「美南見(みなみ)十二候」や「風俗東之錦」などのシリーズがある。 |
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鳥居 清長・雨中湯帰り |
鳥居 清長・待乳山の雪見 |
濱屋 川岸の涼み |
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雨中湯帰り(2001年) |
鳥居清倍・ |
鳥居 清長・合間 |
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![]() 江戸で人気の荒事歌舞伎を |
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菱川師宣 |
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■菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ、男性、元和4年(1618年)? - 元禄7年6月4日(1694年7月25日))は、江戸時代の浮世絵師。それまで絵入本の単なる挿絵でしかなかった浮世絵を、鑑賞に耐えうる独立した絵画作品にまで高めるという重要な役割を果たした。浮世絵の確立者。しばしば「浮世絵の祖」と称される。100種以上の絵本、挿絵本、50種以上の枕絵本をのこした。白と黒の対比を強調した率直明快な師宣の版画表現は、当時の江戸市民の好みにもあって、大いに流行する。代表作に「吉原恋の道引」(1678刊)「浮世続(つづき)」(1683刊)「大和絵つくし」(1686刊)などがある。 |
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見返り美人(1948年) |
見返り美人(1991年) |
菱川 師宣 |
見返り美人(2001年) |
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■師宣の代表作「見返り美人」は版画ではなく肉筆画です。美人が後ろ姿なのは、当時流行の帯の結び目を人に見せたいがためと言われています。 |
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■浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材がある。「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画です。 |
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■大相撲の歴史:大相撲(おおずもう)は、日本古来の奉納相撲を起源とし、江戸時代から続く職業的な最高位の力士たちによって行われる神事や武道、または商業的な相撲興行であり及びその母体となる力士・関係者の集団・社会を指す。興行としての相撲が組織化されたのは、江戸時代の始め頃(17世紀)と言われている。しかし、浪人集団との結びつきが強いという理由で、1648年(正保4年)には幕府によって江戸における辻相撲禁止令が出された。その後、1684年(天和4年)、寺社奉行の管轄下において、職業としての相撲団体の結成と、年寄による管理体制の確立が条件とされて、相撲の興行が許可された。この時、興行を願い出た者に、初代の雷権太夫がいて、それが年寄名跡の創めともなった。この時の興行は江戸深川の富岡八幡宮境内で行われた。このとき、寺社奉行の管轄となったことで、江戸時代の間、興行は江戸市中の神社や寺院の境内で行われた。本所の回向院での開催が定着したのは、1833年(天保4年)のことである。 |
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秀ノ山雷五郎横綱の土俵入りの図 |
両国回向院太鼓のやぐらの図 |
陣幕と雷電(勝川春英) |
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当時英雄取組の図(初代歌川国貞) |
東西土俵入りの図(勝川春章) |
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幼遊び愛嬌角力の図 |
大角力両国橋渡の図(初代歌川国貞) |
勧進大相撲弓取の図 |
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大童山土俵入りの図 |
武隈と岩見潟取り組みの図(歌川国芳) |
勝川春章画・「風俗十二月図」 |
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■勝川春章1726〜93 江戸時代中期の浮世絵師(→ 浮世絵)。名は正輝。ほかに旭朗井(きょくろうせい)や李林などの号ももちいた。浮世絵師宮川長春の弟子の宮川春水にまなぶ。明和期(1764〜72)より作画を開始し、一筆斎文調と協力して、歌舞伎役者の似顔絵に新風をふきこんだ。 鳥居派の役者絵にくらべて写実性を増し、彼とその弟子の勝川春好のえがく役者絵そして角力(すもう)絵は、時勢の好みともマッチして、安永期(1772〜81)を中心に江戸市民たちの心をとらえた。 |
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作者不詳ほか |
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寛文美人図(日本、1978年) |
機織図(日本、1977年) |
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立美人図(日本、1979年) 懐月堂派(安度、度繁) 肉筆画 |
庭を歩く(ハンガリー,1971年) |
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■宝永年間(1704〜1711)頃、懐月堂安度(かいげつどうあんど)は浅草諏訪町に工房を構え、5人の優れた門人を従えて数多くの肉筆浮世絵を制作しました。研ぎ澄まされた大胆な筆致と明快な彩色によって描き出された立美人図は、同時代のみならず後々の絵師にも大きな影響を与えました。この堂々たる印象的な姿には、他の肉筆浮世絵にはない存在感があります。 |
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細田栄之 / 北馬 広重 |
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■細田栄之(ホソダ, エイシ , 1756〜1829) 江戸時代後期の浮世絵師。姓は細田、名は時富。細田栄之ともよばれる。細田家は500石取りの旗本で祖父は勘定奉行をつとめた。栄之も1772年(安永元)に家督をついで89年(寛政元)に隠居するまで、西丸小納戸(こなんど)役などを歴任している。細田栄之は歌麿のライバルと目されていました。 平安時代の源氏物語を江戸時代風にアレンジした「浮世源氏八景」も見ごたえがあります。 |
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細田栄之画「浮世源氏八景」 |
細田栄之画「船上の芸者」 |
ボストン美術館の絵葉書から細田栄之「桜と婦人」(浮世絵) |
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細田栄之画「巻物を見る女」 |
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豊原 国周 |
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豊原 国周(とよはら くにちか、天保6年(1835年) - 明治33年(1900年)7月1日)は幕末から明治にかけての浮世絵師。嘉永元年(1848)に歌川国貞(三代豊国)に入門する。嘉永5年(1852)に豊国の役者絵の一部を描き、門人八十八と署名する。安政2年(1855)頃より、最初の師である豊原周信と豊国の名前を合わせた画名である豊原国周と署名するようになる。顔貌描写に羽子板絵式の装飾味を持たせ、美人画にも独特のはれやかさを示した。 展示の写真は実物 (皇帝フランツ・ヨーゼフ1世からの国書と贈物の返礼に、明治天皇から贈った品々のうち、ウィーンに現存する画帖(日本の風景や暮らしを描いた100図)と2基の蒔絵棚が、日本に初めて里帰り。ウィーン美術史美術館蔵 2010年、ハプスブルグ展より) (拡大○) |
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風俗・物語・花鳥図画帖より |
風俗・物語花鳥図画帖より |
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■主な土侯国として現在ではアラブ首長国連邦を構成する7つの首長国のうち5つで発行していたが、他にも北イエメンの国王派ゲリラや南イエメンの首長国(いずれも現在のイエメンに統合)も入る場合がある。現在、アラブ首長国を構成するのはアジュマン(Ajman)、アブダビ(Abu Dhabi)、ウムアルカイワイン(Umm al Qaiwain)、シャルジャ(Sharjah)、ドバイ(Dubai)、フジャイラ(Fujairah)、ラスアルハイマ(Ras al Khaimah)であるが、1964年ごろからアラブ首長国連邦の成立する1972年ごろまで各首長国による切手発行が行われていた。 |
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AJMAN(アラブ土侯国)でexpo’70用に発行された浮世絵切手 |
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鈴木晴信、喜多川歌麿 |
喜多川歌麿、喜多川歌麿 |
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喜多川歌麿、錦絵 |
錦絵 |
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■土侯国(どこうこく)切手の題材として、当地の文物や風景が登場することがほとんどなく、世界中の収集家に受け入れられるように、世界各国の動物や植物、著名な風景や絵画、そしてオリンピックやアポロ計画、日本万国博覧会などをテーマにした切手を濫発していた。その結果、日本でも1970年代の切手ブームの時には、同じく格安で販売されていた東欧の社会主義国の切手とともに駄菓子屋の景品として挿入されることが多かった。また切手の製造販売権を海外のエージェントに売り渡していたため、首長国の住民はイスラム教徒であるにもかかわらず、ヌード絵画まで切手にする通常ありえないことも横行していた。また日本関連でも浮世絵の春画を切手にする国辱的な事が発生したほか、1971年の昭和天皇訪欧の際には、昭和天皇と香淳皇后の肖像を使った切手を発行したため、宮内庁が正式に抗議する事態も発生した。 |
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親日の国・パラグアイの浮世絵切手 |
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パラグアイ発行の浮世絵切手 |
■1937年に日系人が初めて入植して以来、日系人の貢献が高く評価されて伝統的に友好関係が続き、日本は非常に高い評価を受けている。日本人・日系人約7000人が住んでおり、2007年には移住70周年記念祭典が催された。パラグアイ国民の90%以上が、日本人と同じモンゴロイド系であるグアラニー人などのインディヘナの血が強い、スペイン人との間の混血(メスティーソ)である。 |
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パラグアイ発行の浮世絵切手 |
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