Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集 海外写真集|ヨーロッパ・イタリア共和国(Repubblica Italiana)  世界遺産 花の都・フィレンツェ (Firenze) 古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティア (Florentia) と名付けた事が語源とされる 。 個人的には、フィレンツェは狭い街並みや歴史遺産、イタリアで一番馴染みやすい町と感じました。

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イタリア共和国 世界遺産 花の都・フィレンツェ (Firenze)はルネサンス発祥の地とプラート

 イタリア共和国(Repubblica Italiana)旅行写真。 世界遺産 花の都・フィレンツェ (Firenze) 。 古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティア (Florentia) と名付けた事が語源とされる。 周辺国ではフィレンツェのことを Florence(英:フローレンス、仏:フロランス)、Florenz(独:フロレンツ)、Florencia(西:フロレンスィア)と呼ぶことにもその名残が見られます。 かってフィレンツェのフローリン金貨は、全欧州の貿易の基準通貨となってフィレンツェの商業は世界を支配しました。 また、建築、絵画、彫刻におけるルネサンス芸術は、15世紀をとおして大きく開花し、フィレンツェはボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍するルネサンス文化の中心地となって学問・芸術の大輪の花が開いた街です。 有名なものは、ドゥオーモ(大聖堂)。 雨交じりの天候でしたが、個人的には、狭い街並みや歴史遺産、イタリアで一番馴染みやすい町と感じました。 人口約35万人が住み、かつてのフィレンツェ共和国、トスカーナ大公国の首都で、イタリア統一後、短期間(1865〜1871)ではありますがイタリア王国の首都がおかれました。 他は芸術の町らしくフィレンツェの町はオブジェ(彫刻)が非常に多い街で、あのダンテが生まれた街です。 プラートは、ルネサンス時代の巨匠ヒリッポ・リッピと修道女ルクレツィア・ブーティの駆け落ち事件で有名、ウッフィツィ美術館の有名絵画は、その修道女がモデルだそうです。
 説明資料作成では、ガイドブックやWikipediaを利用してます。 ドゥオーモヴェッキオ橋ウフィツィ美術館とアカデミア美術館は別ページで掲載。 世界遺産の切手:イタリア
 

 

 海外旅行写真|ヨーロッパ(Europa travel picture)

■ [ オーストリア(Austoria (2005年(Wien)|2006年(Zaltburug))|チェコ(Cezh)|フランス(France (パリ(Paris)
  |ルーヴル美術館(Louvre))|オランダ(Holland、(スキポール空港アムステルダム))|ハンガリー(Hungary)
  |ドイツ(Germany (ベルリン、ポツダム(Berlin、Potsdam))|ロマンチック街道)|スイス(Switzerland)

■イタリア特別編 [ イタリアのトップミラノヴェローナヴェネツィア
フィレンツェドゥオーモヴェッキオ橋ウフィツィ美術館とアカデミア美術館 )|ローマコロッセウムフォロ・ロマーノ )|
バチカン市国
バチカン博物館ラファエロの間システィーナ礼拝堂 ) ]

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 イタリア共和国(Repubblica Italiana) 世界遺産 花の都・フィレンツェ (Firenze) ほか

■メディチ家(Medici)は、ルネサンス期のイタリア・フィレンツェにおいて銀行家、政治家として台頭。フィレンツェの実質的な支配者として君臨し、後にトスカーナ大公国の君主となった一族である。その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなどの多数の芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンスの文化を育てる上で大きな役割を果たしたことでも知られてる。1737年に継承者がとだえ、メディチ家のトスカーナ支配はおわった。トスカーナ大公国はオーストリアのハプスブルク家に継承された。

 フィレンツェ (Firenze) 花の都

■フィレンツェ (Firenze) はイタリアのトスカーナ州フィレンツェ県に属する人口36万人の都市。 トスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県庁所在地であり、近郊の人口は約20万人。 古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティア (Florentia) と名付けた事が語源とされる。フィレンツェは古代にエトルリア人によって町として建設されたが、直接の起源は紀元前59年、執政官カエサルによって入植者(退役軍人)への土地貸与が行われ、ローマ殖民都市が建設されたことによる。中世には一時神聖ローマ帝国皇帝が支配したが、次第に中小貴族や商人からなる支配体制が発展し、12世紀には自治都市となった。街の歴史的な中心部は世界遺産・で、花の聖母寺ドゥオーモ、シニョリーア広場とヴェッキオ宮殿(市庁舎)、ミケランジェロ広場、ピッティ宮殿、ヴェッキオ橋とアルノ河、サンタ・クローチェ教会をはじめ、ミケランジェロやボッティチェッリ、ダ・ヴィンチ等の巨匠達の作品を鑑賞できるウッフィツィ美術館、アカデミア美術館、パラティーナ美術館、サンマルコ美術館、バルジェッロ美術館、メディチ家礼拝堂等見所はつきません
ヴェネツィアから移動途中はオリーブの並木やヒツジの放牧など、のどかな田舎町の感じです。

花の都 フレンツェの街中
のアイリスの花

フレンツェの街中のアイリスの花

■フローレンス・ナイティンゲイル(Florence Nightingale)は裕福なジェントリの家庭である両親の2年間の新婚旅行中にトスカーナ大公国の首都フィレンツェで生まれ、フローレンス(フィレンツェの英語読み)と名付けられた。
■フローラとは、オウィディウスの説によると、彼女はかつてクローリス(クロリス、 Chloris)という名のギリシアのニュムペー(ニンフ)だった。しかし、風神ゼピュロスによってイタリアに連れて来られ、以後花の女神になったという。(ウフィツィ美術館のボッティチェッリの絵画参照)

 フィレンツェ サンタ・クローチェ教会

(Basilica di Santa Croce)

■サンタ・クローチェ聖堂(Basilica di Santa Croce)は、フィレンツェにあるフランシスコ会の主要な教会で、カトリック教会のバシリカ。 サンタ・クローチェ広場にあり、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂からは南東800mのところに位置してます。 元々は市の城壁の外側にある湿地帯だった。 この聖堂は、ミケランジェロ、ガリレオ、マキャヴェッリ、ジョヴァンニ・ジェンティーレ、ロッシーニといった有名なイタリア人たちの埋葬場所でもあり、そのことから「<pantheon> delle glorie italiane(イタリアの栄光のパンテオン)」として知られてる。 サンタ・クローチェ聖堂はフランシスコ会の世界最大の教会で、16の礼拝堂を有し、その多くはジョットおよびその弟子たちによって装飾された。 さらに墓碑・記念碑もたくさん(偉人の墓が276基)ある。 Piazza Santa Croce, 16 - 50122 Firenze  見た目以上に強力なパワースポット!

サンタ・クローチェ聖堂の前広場 右が聖堂

サンタ・クローチェ聖堂
のダンテ像 フィレンツェ

サンタ・クローチェ聖堂の前広場

ダンテ像 フィレンツェ 珍しい街路灯

珍しい街路灯
イタリアはアンティークな街路灯
が凄く多い お洒落です

■ダンテ・アリギエーリ は、1265年に中部イタリアにあるトスカーナ地方のフィレンツェで、金融業を営む小貴族アリギエーロ・ディ・ベッリンチョーネ・ダリギエーロとその妻ベッラの息子として生まれた。 ダンテを代表する最初の詩文作品、『新生』によれば、1274年の5月1日に催された春の祭りカレンディマッジョ(Calendimaggio) の中で、ダンテは同い年の少女ベアトリーチェ(ビーチェ)に出会い、魂を奪われるかのような感動を覚えたという。この時、ダンテは9歳であった。政争に敗れ、死刑宣告を受けてフィレンツェを追放される。その大著『神曲』の中では、フィレンツェの堕落を嘆き、悪し様に罵ってる。『神曲』天国篇完成後、1321年ラヴェンナで客死して当地に埋められた。フィレンツェは遺骨の返還を要求してるが、ラヴェンナはこれに応じない。
 また、近代イタリア語の基礎はフィレンツェの詩人ダンテ・アリギエーリによって創設され、彼の偉大な作品『神曲』は中世ヨーロッパで最高の文学作品だと考えられる。

古い絵葉書(1937年頃) 花の都・フィレンツェ

ゴシック建築のサンタ・クローチェ聖堂(Basilica di Santa Croce)のファサードと中庭 綺麗な寺院です

サンタ・クローチェ聖堂(Basilica di Santa Croce) 

■バシリカ 【basilica】 とは、古代ローマ時代に裁判所や商業取引所とされた長方形の建物。中央の広間が周囲の回廊より高くつくられ、高窓から採光する。 西洋中世の前述の内容に基づいた教会堂形式で、。身廊・側廊があり、通例東端部に祭壇を置く。または、教皇から特権を受けたカトリック教の聖堂。の意味です。 サンタ・クローチェ教会 (Chiesa di Santa Croce) は、イタリア語で「聖なる十字架の教会、聖十字教会」を意味し、イタリア各地にそう呼ばれる建築物がある。

ルネサンスの巨匠
ミケランジェロの墓碑

ガリレオ・ガリレイの墓碑
Gianbattista Foggini

ゴシック期の画家
チマブーエの十字架

ミケランジェロの墓碑 ガリレオ・ガリレイの墓碑 チマブーエの十字架

■チマブーエ(Cimabue, 1240年 - 1302年)はイタリア、ゴシック期の画家である。 ゴシック期のフィレンツェで活躍した画家。ジョットは彼の弟子と考えられる。主要作品は、『サンタ・トリニタの聖母子』(ウフィツィ美術館) 、『聖母と天使たち』 1270頃 (ルーヴル美術館) です。

Baroncelliチャペルの Frescoes of the life of St. Francis聖フランチェスコの生涯のフレスコ画 Taddeo Gaddi

Agnoloガッディ 、 祭壇画 Rinuccini chapel

立派な祭壇画

Agnoloガッディ 、Altarpiece 祭壇画 Rinuccini chapel リヌッチーニチャペル
 

■レオン・バッティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti、1404年2月14日 - 1472年4月25日)は、初期ルネサンスの人文主義者、建築理論家、建築家。専攻分野は法学、古典学、数学、演劇作品、詩作であり、また絵画、彫刻については実作だけでなく理論の構築にも寄与する。音楽と運動競技にも秀で、両足を揃えた状態で人を飛び越したと伝えられる。彼は多方面に才能を発揮し、ルネサンス期に理想とされた「万能の人」の最初の典型と言われた天才。
■ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日)はイタリアの物理学者、天文学者、哲学者です。1589年にピサ大学の教授の地位を得て、数学を教えた。さらにガリレオは科学の問題について教会の権威やアリストテレス哲学に盲目的に従うことを拒絶し、哲学や宗教から科学を分離することに寄与し、「科学の父」と呼ばれることになる。

フィレンツェ サンタ・クローチェ聖堂(Basilica di Santa Croce)の入場券 ユニークな絵画・彫像を掲載

 

■サンタ・クローチェ聖堂は、礼拝と保護の場所として、フィレンツェ市民の人気の場所、さらに誉れある偉大なフィレンツェ人を埋葬・追悼する場所となった。バルディ家やペルッツィ家といった有力な家は、自分たちの礼拝堂を所有してた。時が進むと、フィレンツェ以外の著名なイタリア人にもその場所が与えられた。500年の間に教会に祈念碑を建てられた人々は以下の通りである。
レオン・バッティスタ・アルベルティ(15世紀の建築家、建築理論家) 、ヴィットーリオ・アルフィエーリ(18世紀の詩人、劇作家) 、エウジェーニオ・バルサンティ(Eugenio Barsanti、内燃機関の共同開発者) 、ロレンツェ・バルトリーニ(Lorenzo Bartolini、19世紀の彫刻家) 、ジュリー・クラリー(ジョゼフ・ボナパルトの妻)ならびにその娘シャルロット・ナポレオーヌ・ボナパルト 、レオナルド・ブルーニ(Leonardo Bruni、15世紀の学者、歴史家、フィレンツェ共和国首相) 、ダンテ(遺体はラヴェンナに埋葬されてる) 、ウーゴ・フォスコーロ(Ugo Foscolo、19世紀の詩人) 、ガリレオ・ガリレイ(物理学者、哲学者、天文学者) 、ジョヴァンニ・ジェンティーレ(20世紀の哲学者) 、ロレンツォ・ギベルティ(ルネサンスの彫刻家) 、ヴィットリオ・ギベルティ(その息子) 、ニッコロ・マキャヴェッリ(Innocenzo Spinazzi作) 、カルロ・マルスッピーニ(Carlo Marsuppini、15世紀のフィレンツェ共和国首相) 、ミケランジェロ・ブオナローティ 、Raffaello Morgheni (19世紀の彫刻家) 、ジョアキーノ・ロッシーニ 、Princess Louise of Stolberg-Gedern(Princess Louise of Stolberg-Gedern、チャールズ・エドワード・ステュアートの妻) 、グリエルモ・マルコーニ 、エンリコ・フェルミ

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 フィレンツェ サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

世界最古の薬局 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサード

■サンタ・マリア・ノヴェッラ教会(Basilica di Santa Maria Novella) は、元々、9世紀ごろ、この地にあったサンタ・マリア・ヴィーニェ礼拝堂が起源。その後、1211年にドミニコ会の修道士がこの地に新たな教会を建てることとしたのが、現在の教会である。その当時、修道僧たちが薬草を栽培して薬剤を調合してたのが、世界最古の薬局といわれるサンタ・マリア・ノヴェッラであり、800年以上経た今でも続いてる。

黒と白の大理石をはめ込んだファサードの上部は、レオン・バッティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti、1404年生まれ、ルネサンス期に理想とされた「万能の人」の最初の典型)によるデザインだそうです。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサード
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 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)

「花の聖母マリア」の意味を持つ大聖堂  別ページ: ドゥオーモ

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)は、イタリアのフィレンツェにあるキリスト教・カトリックの教会。フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成されてます。 教会の名前は「花の(聖母)マリア」の意味のロマネスク様式の大聖堂。綺麗さ大きさ以上に強力なパワースポット!

フラ(ベアート)・アンジェリコ 『受胎告知』 サンマルコ修道院

ドゥオーモのファサード(正面)

ジョットの鐘楼とクーポラ

ドゥオーモの正面 クーポラと

■ドゥオーモとその洗礼堂の間を抜けて北に向かうと、10分弱歩いたところでサンマルコ広場に出ます。ヴェネツィアにある同名の広場とは比べようもない小さな広場ですが、広場に面した一角にサンマルコ美術館が静かに佇んでいます。
この美術館はかつてサンマルコ修道院として名を馳せ、かの有名なサヴォナローラがいた事でも知られてます。しかし、何よりもこの美術館が重要である理由は、初期ルネサンスを代表するある修道僧の名画が回廊に並んでいるからです。その修道僧の名はフラ(ベアート)・アンジェリコ。敬虔なキリスト教徒であったフラ・アンジェリコは、神への思いを筆に込めて、独特の装飾を美術館に施しました。その代表作が一階から二階へ通じる階段の踊り場で二階の方向を振り返ると、目に飛び込んで来ます。 「受胎告知」は有名です。

ドゥオーモの近くで警官にマーブル紙のお店を聞く イタリアの警官も親切に教えてくれました

ドゥオーモの近くで警官にマーブル紙のお店を聞く

■フィレンツェに行ったら、マーブル紙を買って来てと娘に頼まれて、皆目見当も付かずに道端で警官に売ってる店を訪ねてる場面です。 私も家内も全く知りませんでした。 皆さんはマーブル紙をご存知でしょうか? ヨーロッパの本などに使われるこのような文様が入った紙です。 このちょっと気の狂ったような色使いの紙は、17世紀頃からヨーロッパで使われ始め、その源流は日本の墨で文様を描く“墨流し”であるという説もあります。 作り方は、糊のようなどろっとした液体に顔料を垂らして、くしなどで模様を作り、紙に吸着させるというもの。 フィレンツェの伝統工芸だそうで、ドゥオーモの左手奥に沢山のお店がありました。 色鮮やかで綺麗な紙です。

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 フィレンツェ ピアッツァ・デッラ・レプッブリカ(共和国)広場周辺

フィレンツェの発祥の地

共和国広場のメリーゴーラウンド

共和国広場の
高級ホテル・高級カフェ

繁華街・ピアッツァ・デッラ・レプッブリカで見つけた風変わりな人形

共和国広場のメリーゴーランド 共和国広場のホテル 共和国広場 人形 共和国広場

■共和国広場(Piazza della Repubblica)は、イタリア国家統一運動を記念してできた広場。 いわばフィレンツェの発祥の地です。 ローマ時代は、フォロ(公共広場)だった所で市場などもあり、当時はフィレンツェ市民の集いの場でした。19世紀まであった 旧市場をチョンピ広場に移し、生まれ変わり、現在は高級カフェが軒を並べ、 フィレンツェっ子の待ち合わせの場所になったり、メリーゴーランドも設置されており、大人から子供まで楽しめるため、いつも人で賑わってます。 皆さんもご存知、映画「冷静と情熱のあいだ」のロケ地に使われた場所でもあります。広場からちょうど、洗礼堂とジョットの鐘楼の間からドゥオモのクーポラ部が見えます。Stazione Santa Maria Novella (サンタ・マリア・ノヴェッラ駅)から徒歩5分。ドゥオモから徒歩2分。

■メリーゴーラウンド(merry-go-round)とは、遊園地の遊具の一つ。別名回転木馬(かいてんもくば)。日本語では一般的に、メリーゴーランドと表記される。英語では「carousel(carrousel、カルーセル)」と呼ばれることが多い。 回転する床の上に、床の回転に合わせて上下する座席を備えた遊具である。座席は馬に似せて作られ、騎乗をシミュレートする。 1860年頃、フランスで蒸気機関を動力として作られ、1870年頃にはヨーロッパやアメリカなどに広まった。 ドイツのロマチック街道やオランダのアムステルダムでも見かけました。 ヨーロッパは移動式の遊園地が盛んなのかも知れません。

ホテルのプラートからフィレンツェに入った所の街並み風景

プラートからフィレンツェに入った所の街並み風景
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 シニョリーア広場(Piazza della Signoria)とウッフィッツィ美術館とアカデミア美術館

■シニョリーア広場(Piazza della Signoria)は、イタリアのフィレンツェにあるヴェッキオ宮殿前のL字形の広場。シニョーリア広場とも。 フィレンツェ共和国の歴史の焦点であり、原点でもあり、今も市の政治的中心地としてその名誉を維持してる。周辺にヴェッキオ橋、ドゥオモ広場、ウフィツィ美術館へ向かう道などがあり、観光客も多く、地元民の待ち合わせ場所にもなってる。 ローマ都市だったころのフォルムであり、かつては周囲にローマ劇場、公衆浴場、市場などがあった。5世紀ごろには教会が建てられた。これらは1980年代に舗装し直す際に行った発掘調査で判明してる。さらに、新石器時代の遺物も見つかってる。 イタリア全土にあるシニュリーア広場は、古代ローマ時代の公共広場に起源し、領主の広場若しくは公共広場の意味だそうです。
ウフィツィ美術館とアカデミア美術館は別ページで掲載。
アカデミア美術館(Galleria dell’Accademia)は、イタリアのフィレンツェにある美術学校フィレンツェ美術学校(アカデミア・ディ・ベッレ・アルティ・フィレンツェ、Accademia di Belle Arti Firenze)の美術館です。 ミケランジェロのダビデ像を設置する場所で当初作られました。 
ウフィツィ美術館 (Galleria degli Uffizi) は、メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリアルネサンス絵画の宝庫である。展示物は2,500点にのぼり、古代ギリシア、古代ローマ時代の彫刻から、ボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロらイタリアルネサンスの巨匠の絵画を中心に、それ以前のゴシック時代、以後のバロック、ロココなどの絵画が系統的に展示されてます。

ヴェッキオ宮殿の入口には、ダビデ(ダヴィッド)像のレプリカ
本物はアカデミア美術館 大きさは前の人と比較して

「ネプチューンの噴水」(大理石とブロンズ)。
バルトロメオ・アンマナーティ作(1575年)

ヴェッキオ宮殿の入口には、ダビデ像のレプリカ

ヴェッキオ宮殿の入口の、ダビデ像のレプリカ
ヴェッキオ宮殿の入口の、ダビデ像のレプリカ

「ネプチューンの噴水」(大理石とブロンズ)。バルトロメオ・アンマナーティ作(1575年)

■バルトロメオ・アンマナーティ(Bartolomeo Ammanati、1511年6月18日 - 1592年4月13日)はフィレンツェにほど近いセッティニャーノ出身の建築家で彫刻家。バルトロメオ・バンディネッリとヤーコポ・サンソヴィーノ(サン・マルコ図書館の建設で助手を務めた)に弟子入りして学び、ミケランジェロの作風に大きな影響を受けてる。 彫刻家よりも建築家としての評価が高い。
イタリアでは、外に置くものは殆どが全て複製と思って、いい。すぐ盗まれるから。でも精巧にできてます。
■右の切手は、上の写真のヴェッキオ宮殿前のシニョリーア広場の「ネプチューンの噴水」(大理石とブロンズ)バルトロメオ・アンマナーティ作(1575年)です。探していたら私の切手のストックから出てきました。海の神の姿のこの巨大な大理石像は、「白の巨人」と呼ばれました。

「ネプチューンの噴水」(大理石とブロンズ)バルトロメオ・アンマナーティ作

ヴェッキオ宮殿(市庁舎)

■ヴェッキオ宮殿( Palazzo Vecchio)は、イタリアのフィレンツェにある宮殿。シニョリーア広場に面してます。 1299年から1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設され、初めは、フィレンツェ共和国の政庁舎として使われ、一時、メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでここを住居としてた。1550年から1565年の間に、ジョルジョ・ヴァザーリによって部分的に改築された。現在でも、フィレンツェ市庁舎として使われてる。粗い切り石積み外観は、初めて見るので違和感があります。塔の高さは94m。

「ヘラクレスと半人半獣カークス像」ヴァンディネッリ作(1533年)
ヴェッキオ宮殿入り口

ヴェッキオ宮殿 フィレンツェ 「ヘラクレスとカークス像」ヴァンディネッリ作(1533年)

タイルで出来た絵画
(ヴェッキオ宮殿近くで)

「ヘラクレスとカークス像」へ
(シニョリーア広場(Piazza della Signoria)で)

ピカソ展ポスター
(ヴェッキオ宮殿近くで)

彫金・銀製品
(ヴェッキオ宮殿近くで)

タイルで出来た絵画(ヴェッキオ宮殿近くで) 「ヘラクレスとカークス像」へ(ヴェッキオ宮殿近くで) ピカソ展ポスター(ヴェッキオ宮殿近くで) <p>彫金・銀製品(ヴェッキオ宮殿近くで)</p>

フィレンツェ市庁舎
(ヴェッキオ宮殿)

サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場のコジモ1世の像

フィレンツェ オリオ広場で

アカデミア美術館
入口の混雑

フィレンツェ市庁舎 フィレンツェ シニョリーア広場(Piazza della Signoria)で フィレンツェ シニョリーア広場(Piazza della Signoria)で アカデミア美術館 入口の混雑

 シニョリーア広場のロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)の彫像

■ロッジア・ディ・ランツィ(Loggia dei Lanzi)またはランツィの回廊は、イタリアのフィレンツェにあるシニョリーア広場の角にある建物で、ウフィツィ美術館に隣接してます。 ロッジア・デッラ・シニョリーア (Loggia della Signoria)、シニョリーア回廊とも。幅広いアーチの開口部が通りに面し、間口は3区画分、奥行きは1区画分である。アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられてる。この幅の広いアーチはフィレンツェ人にとって魅力的だったようで、ミケランジェロはシニョリーア広場全体をこのアーチで取り囲むことを提案したほど気に入ってたという。

ジャンボローニャの「サビニの女たちの略奪」1580年〜1583年の作

古代ローマの彫像を復元 「パトロクロスを抱きかかえるメネラウス」

「ケンタウロス・ネッソスを打つヘーラクレース」(1599年)

ピオ・フェンディの
「ポリュクセネーの陵辱」

「サビニの女たちの略奪」 「ケンタウロス・ネッソスを打つヘーラクレース」(1599年) 「ポリュクセネーの陵辱」

■『サビーニ族の女たちの強奪の伝説』:紀元前753年4月21日、ロムルスは即位し、ティベリス川(テヴェレ川)の畔に都市ローマを建設した。ローマは建国当初、大部分がひとり身の男性だった。政治が安定すると、他の部族から女を略奪してくる。ロムルスは近くに住むサビーニ族を祭りに招待し、祭りが高潮に達した頃、ロムルスの命令で、ローマの若者がサビーニ族の女たちに襲いかかった。驚いたサビーニ族の男達は、自分の妻や子供を守るのに懸命で、自分達の部落にやっと逃げ帰った。その後サビーニ族は、強奪された娘たちの返還をローマに要求したが、ロムルスは自らも正式に結婚して妻にすると言い、結婚式も挙げた。この女たちの返還について、サビーニ族とローマとの戦いは4度にわたった。4度目にローマ人の妻になった元サビーニ族の女が、この戦いをやめて欲しいと仲裁に入り、事が収まり和平が成立した。サビーニ族の女たちは、強奪はされたが奴隷にされたわけではなく、妻として大事にされ相応の待遇を受けてたからだ。のちにローマはサビーニ族を平等に併合し、ローマ人とまったく同等の市民権を与え、移住を勧めてしクイリナーレの丘の付近の土地を与えたを言われる。欧米には、今でも花婿が花嫁を抱き上げて新居の敷居をまたぐ習慣があるがそれはこの故事に由来すると言われる。
■シニョリーア広場のロッジア・ディ・ランツィ(シニョリーアの柱廊、ランツィの回廊)の彫像の殆どがアカデミア美術館、ピッティ宮殿などのフィレエンツェの美術館等に本物が存在します。レプリカとは言え非常に精巧にできてます。 他にはドナテッロの「ユディットとホロフェルネス」像もあります。 レプリカですが、非常に精巧で、見てみると物凄く見事でした。

ベンヴェヌート・チェッリーニの「メデューサの頭を掲げるペルセウス」

ドナテッロ作(レプリカ) 旧約聖書
「ユディットとホロフェルネス」像

シニョリーア広場のロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)
素晴らしいレプリカ

ベンヴェヌート・チェッリーニの「メデューサの頭を掲げるペルセウス」像 ドナテッロの「ユディットとホロフェルネス」像 シニョリーア広場のロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)

フィレンツェの象徴である2体のマルゾッコ( (Marzocco)大理石の獅子像)の右側、古代ローマ時代のもの ドナテッロ作(レプリカ)  切手にもなってます。
■ロッジア・ディ・ランツィ((Loggia dei Lanzi)ランツィの回廊)は通りに面して柱間の広いアーチが3つ並んでいる。アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられてる。この幅の広いアーチはフィレンツェ人にとって魅力的だったようで、ミケランジェロはシニョリーア広場全体をこのアーチで取り囲むことを提案したほど気に入ってたという。回廊の陽気な雰囲気は、重々しいヴェッキオ宮殿と好対照をなしてる。屋根はあるが事実上、野外彫像展示場になってます。
名称の「ランツィ」とは、コジモ1世治世下でこの建物をランツクネヒト(ドイツ人傭兵)が使ったことに由来する(ランツクネヒトが訛ってランツィになった)。すぐ後ろにウフィツィ美術館ができた後、ベルナルド・ブオンタレンティがこの建物の屋根を改造してテラスにし、メディチ家の王子たちがシニョリーア広場で行われる式典などを観覧する場所とした。

フィレンツェの象徴である2体のマルゾッコ(大理石の獅子像)の右側、ローマ時代のもの

フィレンツェ関連の書籍&DVD紹介

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サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場 捨て子養育院

(Piazza SS. Annunziata)

■ロレンツォ・イル・マニーフィコ(偉大なるロレンツォ)とよばれたロレンツォは、学問と芸術の大保護者で画家のボッティチェッリや人文主義者をその周囲にあつめた。ロレンツォは共和国政府を骨抜きにし、その野心的な外交政策で、フィレンツェは一時的にイタリア諸国家間の勢力の均衡をたもたせることになった。フィレンツェのフローリン金貨は、全欧州の貿易の基準通貨となってフィレンツェの商業は世界を支配した。建築、絵画、彫刻におけるルネサンス芸術は、15世紀をとおして大きく開花し、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍するルネサンス文化の中心地となって学問・芸術の大輪の花が開いた。

サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場のコジモ1世の像

サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場のヨーロッパ最古の孤児院、捨て子養育院
(Ospedale Degli Innnocenti)の入口にある包帯でなく産着を巻いた子供のレリーフ

サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場 コジモ1世の像 捨て子養育院の入口にある包帯を巻いた子供のレリーフ 捨て子養育院の入口にある包帯を巻いた子供のレリーフ

■捨て子養育院美術館("Galleria dello Spedale degli Innocenti")は、15世紀初頭に建てられた、建築様式の面に置いてとても重要な建築物です。絹織商ギルドがこの捨て子養育院の建設を決め、と資金を調達し、フィリッポ・ブルネッレスキにこの建物の設計を依頼します。この"病院(hospital)"は捨て子の養育と社会で必要な知識を教えることを目的としてた。建物内部には、食堂、回廊、宿舎、診療所、看護室、柱廊玄関があります。ブルネッレスキは、養育院にふさわしい建築様式を用い、建物を拡張しました。また当時のメディチ家の要求した題材と、養育院の活動内容をモチーフにしたフレスコ画で装飾しました。 写真には有りませんが、養育できない我が子を預ける窓口もチャンとあります。 日本でも同じ様なのがありましたが。 今は部分的に美術館で開放されてる。 包帯を巻いた捨て子のレリーフが凄く印象的な建築物です。 「赤ちゃんポスト」とギルランダイオの絵があります。 ギルランダイオはミケランジェロの絵のお師匠さんで、当時はレオナルド・ダ・ヴィンチに勝るとも劣らず有名だった。目玉はドミニコ・ギルランダイオの「東方三博士の礼拝」。

ルネサンス ドミニコ・ギルランダイオ画 フィイレンツェ捨て子養育院の『東方三博士の礼拝』

ギルランダイオ 『聖母子』

ギルランダイオ 捨て子養育院の『東方三博士の礼拝』 ギルランダイオ 『聖母子』

■サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場は、ルネサンス時代に作られてたいくつかの広場の中でも初期のものになります。台形の地形に、シンメトリーの建物が立ってます。広場に立ったらブルネッレスキの建物正面に柱廊がある捨て子養育院とミケロッツィによるサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会が目に入ります。教会内部には、アンドレア・デル・カスターニョとポントルモの絵画があります。フィレンツェには珍しく、ゴシック様式の教会です。
広場に面する捨て子養育院絵画館はブルネレスキの設計で、ヨーロッパ最古の養育院。隣にはローマ時代以前のエトルリア文明の遺物を集めた考古学博物館があります。
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会を正面に右側に捨て子養育院が起つ、柱廊で囲まれたサンティッシマ・アンヌンツィアータ広場は、フィレンツェの中でも最も美しい広場と言われてる。

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フィレンツェの地図


フィレンツェ 大きな地図で見る

 

 フィレンツェ ヴェッキオ橋とアルノ川周辺

 別ページ: ヴェッキオ橋

ヴェッキオ橋またはポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)は、イタリアのフィレンツェを流れるアルノ川に架かる橋です。 イタリア語で「古い橋」の名が示すとおり、フィレンツェ最古の橋。 東京ディズニーリゾートの橋:ポンテ・ベッキオ - 東京ディズニーシーにヴェッキオ橋をモデルにした橋があり、「ポンテ・ベッキオ」と呼称されてます。 

フィレンツェのアルノ川と街並み
サンタ トリニタ橋

ウフィツィ美術館から眺めたアルノ川の対岸の建築物

ヴェッキオ橋またはポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)

ヴェッキオ橋上の宝石店

フィレンツェのアルノ川と街並み ウフィツィ美術館から眺めたアルノ川の対岸の建築物
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 フィレンツェ 夜景(ミケランジェロ広場)

ミケランジェロ広場(Piazzale Michelangelo)

夜景スポット「ミケランジェロ広場」から眺めるフィレンツェの夜景 ダビデ像 写真以上に見事な景色

夜景スポット「ミケランジェロ広場」から眺めるフィレンツェの夜景

■町の東南の丘の上に位置し、フィレンツェの展望台として有名な「ミケランジェロ広場」は人気の観光名所です。夏は夜遅くまで賑わってて、フィレンツェっ子の恋人たちのデートスポットとなってます。それほど夜景はロマンティックで美しいのです。広場の中心には「ミケランジェロの記念碑」が建ち、ダビデ像のコピーが置かれてます。町の中心から歩いて行くには、まずサンタ・クローチェ教会に向かいます。その脇にある「グラツィエ橋(Ponte alle Grazie)」を渡りましょう。橋を渡った広場の麓の地区はフィレンツェでも最も美しい高級住宅街で散策も楽しいです。ポッジ広場(Piazza G.Poggi)付近から出てますモンテ・アッレ・クローチ通り(Via del Monte alle Croci)を通り、途中左に延びる緩やかな階段を上って行くと広場に到着です。途中も糸杉とオリーブ畑が見えてとても景色がいいです。 ミケランジェロ広場のダビデ像の複製は、クレメンテ・パーピによって作られました。
■カルチョと呼ばれるフィレンツェ古代サッカー発祥の地として知られ、イングランドフットボールと双璧の存在となってる。トトカルチョ、カルチェットなどの語源。

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 フィレンツェ 街角で 食事やホテルも

フィレンツェは。観光業、繊維工業、金属加工業、製薬業、ガラス・窯業、ジュエリーや刺繍などの工芸が盛んである。 観光はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、サンタ・クローチェ聖堂、サン・ロレンツォ聖堂、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会、ウフィツィ美術館などの歴史的な建造物が中心である。 貴金属、靴、皮ジャケットなどの革製品、フィレンツェ紙(マーブル紙)や、手作り香水や化粧品、焼き物など、伝統的手工芸製品の小売店も多い。

フィレンツェの仲の良い兄弟

フィレンツェの街並み
ヴェッキオ宮殿近く

店先の魚介類 アンコウ

イタリア風の一般民家の中庭

店先の魚介類 アンコウ イタリア風の一般民家の中庭

フィレンツェの街中のオブジェ ごく自然に存在

フィレンツェの路上の犬

フィレンツェの街並みと坂道

フィレンツェの街中のオブジェ フィレンツェ路上の犬 フィレンツェの街並みと坂道

フィレンツェ街角のパフォーマー
ウフィツィ美術館前

ミケランジェロ広場の下
のローマの水道?

フィレンツェ街角のパフォーマー ローマの水道

フィレンツェの街並み 豪華な邸宅

フィレンツェの街並み

旅の途中のイタリア美人

フィレンツェのお店

イタリア美人

ヴェベツィアからフィレンツェ
に向かう道すがらで会った
イタリア美人


マネキンか芸術的な彫刻か
判別が付きません。

イタリアの名物 ジェラート ドゥオーモの傍で一寸休憩

イタリアの名物 ジェラート イタリアの名物 ジェラート

ジェラート(Gelato)はイタリア語で「凍った」と言う意味の名前がついた氷菓。 果汁、果肉、牛乳、砂糖、時にはコーヒーや香草などを混ぜた物を凍らせて作る。イタリア人の夏には欠かせないお菓子です。 

フィレンツェに向かう途中で立ち寄ったスーパーと内部の様子
買い物場所には入口が一つで出口はレジ以外にない作り

フィレンツェのスーパー
のファーストフードエリア

食事でトスカーナ・ワインの赤を

フィレンツェに向かう途中で立ち寄ったスーパー スーパーのファーストフードエリア 食事でトスカーナ・ワインの赤を

テーブルワインのため味
は覚えてない
銘柄 rosato(ロザトワイン)

フィレンツェ郊外の風景
のどかです

フィレンツェでの食事
野菜のスープ ミネストローネ

フィレンツェでの食事で、賑やかな居合わせた子供たち

フィレンツェ郊外の風景 ミネストローネ

ミネストローネ(minestrone)は、田舎の家庭料理、主にトマトを使ったイタリアの野菜スープ。材料にはタマネギ、ジャガイモ、ニンジン、キャベツ、セロリ、ズッキーニ、さやいんげん、ベーコンなどが用いられる。パスタ(ショートパスタやカペッリーニを短く折ったもの)や米を入れることも多い。野菜や豆、パスタ等を入れたごった煮風スープ。 美味しいです。

フィレンツェ中華街の焼き飯、久し振りのご飯、思いのほか美味しい

フィレンツェ・中華料理 肉団子の甘酢あんかけ

フィレンツェ中華街の焼き飯、久し振りのご飯、思いのほか美味しい フィレンツェ・肉団子の甘酢あんかけ

香味野菜入りのパスタ、ドレッシング添えの野菜サラダ、プリン 
素材は単純ですが美味しかったフレンツェのディナー

賑やかな居合わせた子供たちとの触れ合い(フィレンツェ)

■リストランテ:イタリア語でレストランの意。一般的にトラットリア、ピッツェリア、オステリアに比べ高級で、コースで食事が供される(もちろん、リストランテとは名ばかりの店や、高級なトラットリアもある)。

フィレンツェ近郊のホテル
HOTEL DATINI

ホテルの部屋から見た景色

フィレンツェ郊外のホテルの部屋

旅の仲間の美女達とお食事

旅の仲間とお食事 フィレンツェ

■フィレンツェに来たら是非寄りたいのがここ、フィレンツェ中央市場=メルカート。 フィレンツェ人の生活に欠かせないこの市場は、地元の人の胃袋そのもの。1階にはフィレンツェ名物「ランプレドット(Lampredotto=牛の胃袋の煮込み)」を売る「ネルボーネ(Nerbone)」という有名な屋台もあります。 1872年創業のこのお店はいつも地元の人と観光客で賑わってますが、ぜひ味見して下さい。美味しいですよ。 しかし、今回は残念ながらスキップ。

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 フィレンツェからローマへの移動途中の風景や植物

ユーロスターでなくバスで移動

時速は100Kmで高速道路を

喫煙場所での女性の語らい

時速は100Kmで高速道路を 喫煙場所での女性の語らい

フレンツェ郊外の鄙びた風景

途中、山の上にお城らしきものが多数散見されます

プラートのホテルの朝食

フレンツェ郊外の鄙びた風景 途中、山の上にお城らしきものが多数散見されます 途中、山の上にお城らしきものが多数散見されます プラートのホテルの朝食
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 フィレンツェ ピッティ宮殿とピッティ美術館

■ピッティ宮殿(ピッティきゅうでん、伊:Palazzo Pitti)は、イタリアのフィレンツェにあるルネサンス様式の広大な宮殿。トスカーナ大公の宮殿として使用された。アルノ川の西岸に位置し、ウフィッツィ美術館とはヴァザーリの回廊を通じて結ばれてる。
■ピッティ美術館は、1833年に公開が始まった。メディチ家を中心とした歴代の主が収集した1000点以上の美術品が公開されてる。絵画を中心としたコレクションで別名は「パラティーナ美術館」。コジモ2世により1620年頃から収集が始められた。 切手は拡大しません。

フィリッポ・リッピ 『聖母子とマリア誕生の物語(トンド・ピッティ)』 
ピッティ美術館(フィレンツェ)

『ヴェールを被る婦人の肖像
(ラ・ヴェラータ)』(サンマリノ)
ピッティ美術館(フィレンツェ)

ラファエロ 『小椅子の聖母』
ピッティ美術館(フィレンツェ)

ラファエロの代表作
『大公の聖母』
ピッティ美術館(フィレンツェ)

フィリッポ・リッピ 『聖母子とマリア誕生の物語(トンド・ピッティ)』 ピッティ宮殿


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『ヴェールを被る婦人の肖像(ラ・ヴェラータ)』(サンマリノ、1963年) ラファエロ ラファエロ 『小椅子の聖母』ピッティ美術館(フィレンツェ) ラファエロ 『大公の聖母』ピッティ美術館(フィレンツェ)
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 プラートのダテイーニホテルの周辺

HOTEL DATINI

■フィレンツェ歴史地区(Centro Storico di Firenze it / Historic Centre of Florence en )はイタリアの都市フィレンツェの中心部は、ユネスコの世界遺産(文化遺産) に登録されてます。歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されており、ルネッサンスの芸術、文化を眼前にみることができます。 主な建築物は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂/市庁舎(ヴェッキオ宮殿)/ウフィツィ美術館 /ボーボリ庭園/サンタ・マリア・ノヴェッラ教会/サンタ・クローチェ聖堂 (フィレンツェ) です。
■右はフィレンツェ近郊の宿泊所 伝統的な繊維業の町プラートのホテルの名刺 プラートはフィレンツェの隣町で、イタリアの田舎の新興住宅地を彷彿とさせるように新しいアパルトメントが多数ありました。サッカーーチームのクラブも近辺にありました。 プラートのダテイーニホテル。

プラトーのホテル プラトーのダテイーニホテル

プラート(Prato)のダテイーニホテル:プラートとフィレンツェの間、フィレンツェ空港から15kmという便利な場所にあるDatiniは、静かな宿泊施設です。すべての客室がダブルで、24時間対応ルームサービスやSky TVチャンネルなどのモダンな設備とアメニティが備わってます。
レストランSalomeでは、典型的なトスカーナ料理と種類が豊富なビュッフェ式朝食を提供してます。Viale Marconi 78/80, Prato

ホテルの側の川 夕暮れ
日本でも見掛ける風景

黄昏時のホテルの全景 前は大きな道路が走ってる

プラートで見掛けた交通標識 バス停? お店の道案内

ホテルの側の川 夕暮れ 黄昏時のホテルの全景 前は大きな道路が走っています プラートで見掛けた交通標識 バス停? お店の道案内 プラートで見掛けた交通標識 バス停? お店の道案内

プラートのホテルの近所
の中古車販売

ホテルの近所のニワトリと
アーモンドの木 鄙びた風景

プラートのホテルの近所の
お宅の門番犬

プラートのホテルの近所の風景

ホテルの近所の中古車販売 ホテルの近所のニワトリとアーモンドの木 ホテルの近所のお宅の門番犬 ホテルの近所の風景

■アーモンド(英名:Almond、学名: Prunus dulcis、シノニム:Amygdalus dulcis)は、バラ科サクラ属の落葉高木。およびそれから採ったナッツのこと。和名はヘントウ(扁桃)、ハタンキョウ(巴旦杏)あるいはあめんどう。原産はアジア西南部。現在では南ヨーロッパ、アメリカ合衆国、オーストラリアなどで栽培されており、アメリカ合衆国のカリフォルニア州が最大の産地である。日本では小豆島などで栽培されてる。 その木は約5メートルになる。日本では3-4月にかけて、葉のない枝に、白色又は桜色・桃色の花弁の端に小さな切込みの入ったサクラの特徴を有する花をサクラ同様のたたずまいで咲き誇り、7-8月に実が熟する(但し花柄が非常に長い桜の花と違いアーモンドは花柄が非常に短く、枝に沿うように花が咲く為、桜色・桃色の花の品種の場合は桃の花そっくりに見える)。 アーモンドはイタリアのそこかしこで見られる木です。 写真は花が咲いてませんが、ローマでは桜と見間違えた。写真あり。

ホテル近くのオリーブの木

入場券売り場のアーモンドの花

ホテル近くのオリーブの木 プラート

プラートで
本当に田舎町ですね

入場券売り場のアーモンドの花 フィレンツェ

フィリッポ・リッピ 『ヘロデの饗宴』 1452-66年頃 フレスコ プラート大聖堂(ドゥオーモ) 拡大○

プラートの逸話

フィリッポ・リッピ 『ヘロデの饗宴』 1452-66年頃 フレスコ プラート大聖堂

プラートはリッピのファンならプラートのドゥオーモは必見
◎1452年、リッピはフィレンツェの北西20キロにあるプラートの大聖堂の壁画制作を委嘱され、1464年頃までこの仕事に携わってる。洗礼者ヨハネ伝と聖ステファノ伝を主題としたこの壁画は現存し、リッピの代表作と見なされてる。この壁画制作期間中の1456年にはプラートのサンタ・マルゲリータ修道院の礼拝堂付き司祭に任命された。当時リッピは50歳前後の壮年である。

同年、リッピはサンタ・マルゲリータ修道院の当時23歳の修道女ルクレツィア・ブーティを祭礼の混雑にまぎれて誘い出し、「聖帯祭」の日に自宅に連れ去った。ルクレツィアの妹もリッピの家に逃げた。リッピは「夜間犯罪および修道院取締局」に告発された。このことは当然、問題となり、リッピは告発されて修道院に出入り禁止となった。ルクレッツィアもリッピも孤児であり、自分の意思で修道院に入ったわけではない。メディチ家の当主コジモ・デ・メディチのとりなしにより、彼らは教皇から正式に還俗を許され、正式の夫婦となった。リッピの描くマリアやサロメのモデルはルクレツィアだとされてる。1457年頃には2人の間に息子・フィリッピーノ・リッピが生まれた。フィリッポ・リッピは、フィレンツェでスキャンダルを起こしたかも知れませんが、その後はルクレーツィアを生涯愛し続けました。 
プラートのドゥオーモは、10世紀に建てられたサント・ステファノ教会を前身とする。現在の建物は12世紀に建てられたロマネスク様式のもの。14世紀、聖母マリアが身につけてたベルト(Sacra Cintra)がもたらされた。ドナテッロ作の説教壇、フィリッポ・リッピ作のフレスコ画を所蔵する。


■フィレンツェのあるトスカーナ地域は、イタリア半島の北部に位置し、シエナ、ピサ、フィレンツェなど魅力的な古都が数多く存在する。ユネスコ世界遺産の数も多い。農業が大変に盛んで、ワイン、オリーブ、小麦などを生産してる。特にワインはキャンティやスーペル・トスカーナといった名品を生産する、世界屈指の名醸地である。ワインが凄く美味しいですよ。
■鉄道では、トレニタリアの路線がいくつもフィレンツェを一つの拠点とし、各都市とを結んでいる。街のターミナル駅は市街地に近いフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(フィレンツェSMN駅)で、ユーロスター・イタリアをはじめとする優等列車、さらにはヨーロッパの他国へ向かう国際列車が発着してる。
 

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イタリア共和国(Repubblica Italiana) 世界遺産 花の都・フィレンツェ (Firenze)