Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集 日本の美術切手|江戸の絢爛な文化・浮世絵 海外で人気のある浮世絵・浮世絵師の切手 浮世絵は本当に風俗画です。 西洋とは隔絶した色鮮やかな衣服や髪型、誇張した人物像、珍しいと思うし、外国人に浮世絵が好まれるのも理解できます。 歌川 国芳 豊原 国周 歌川 国貞 歌川 芳富 月岡 芳年 他

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海外で人気のある浮世絵・浮世絵師の切手

 江戸の絢爛な文化・浮世絵 海外で人気のある浮世絵・浮世絵師の切手。 ハンガリーの浮世絵は、ブダペストの東アジア絵画美術館の作品や2010年ハプスブルグ展、ボストン美術館の浮世絵から。 浮世絵は本当に風俗画です。 西洋とは隔絶した色鮮やかな衣服や髪型、誇張した人物像、珍しいと思うし、外国人に浮世絵が好まれるのも理解できます。 2011年、歌川 国芳の絵に東京スカイツリーが描かれていると話題になりました。 浮世絵師は、歌川 国芳/歌川 国貞/歌川 芳富/豊原 国周/月岡 芳年 他。浮世絵ニュースを配信中。  


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 浮世絵・錦絵

浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材がある。「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。 現在一般に浮世絵といえば、専ら多色刷りの木版画(錦絵)を想起される場合が多いが、昔は木版画、絵画、2つの混合技法、そして巻物の肉筆浮世絵なども含まれる。肉筆浮世絵は、形式上、屏風絵、絵巻、画帖、掛け物、扇絵、絵馬、画稿、版下絵の8種類に大別される。和本にも浮世絵が挿絵として描かれている。引き札も浮世絵の一種である。

 歌川 国芳

■歌川 国芳(うたがわ くによし、1798年1月1日(寛政9年11月15日) - 1861年4月14日(文久元年3月5日〉)は、江戸時代末期の浮世絵師。画号は一勇斎。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人である。 しかし国芳は、同時代に活動した葛飾北斎や歌川広重らの人気絵師に比べ、日本における知名度や評価は必ずしも高いとは言えなかった。 「幕末の奇想の絵師」。作品は役者絵、武者絵、美人画、名所絵(風景画)から戯画、春画までさまざまなジャンルにわたっているが、中でも歴史・伝説・物語などに題材を採り、大判3枚つづりの大画面に巨大な鯨や骸骨、化け物などが跳梁するダイナミックな作品に本領を発揮している。反面、肉筆画の作品は種類は多彩だが、現存数が少ない。 国芳の絵は、何か見るからに本物を見てみたい衝動に駆られます。 以下は2004年今後で発行。

歌川 国芳

歌川 国芳画 『猫の六毛撰』

歌川国芳画「猫の六毛撰」

歌川国芳画「猫の六毛撰」。
平安時代に紀貫之が挙げた「六歌仙」をもじっている。
江戸文化の洒落が詰まった浮世絵、

歌川 国芳

■2011年3月3日、とある新聞に記事が掲載 浮世絵師・歌川国芳の浮世絵に、今東京で建設中のスカイツリーと東京タワーが描かれているとか。ニュースでは、やぐらを少し高く描いたものだと説明もありましたが、やぐらをこの様な描き方をすることは通常はないという別の意見も。
そして、浮世絵が描かれたであろう場所からは、ほぼ絵と同様にスカイツリーが見えるそうで、すでにいくつものニュースやブログで沢山の記事が出ています。浮世絵のミステリーや予言なんて言葉も飛び交っているようで、さて江戸時代の歌川国芳には現在の東京が見えていたのか?実際、どういうつもりでこの絵を描いたんでしょうね。 ご覧になった方も多数いると思いますが、下の通り確かに描かれています。

浮世絵師 歌川 国芳

2011年3月3日 中日新聞朝刊の記事から抜粋
『東都三ツ股の図』(1831年頃) 隅田川と小名木川が
交差する東岸の左奥に見えるスカイツリー(江東区)

浮世絵師 歌川 国芳

 歌川 芳富

■歌川 芳富(うたがわ よしとみ、生没年不詳)は、江戸時代後期から明治時代初期にかけての浮世絵師。
歌川国芳の門人。姓は萩原。初め一芸斎、芳富と号し、明治元年(1868年)からは芳州、真斎と号している。作画期は嘉永から明治13年(1880年)頃にかけてで、明治6年(1873年)以降、横浜に移住したといわれるが、それ以前の万延、文久年間にかけても多くの横浜絵を描いている。また、芳富は文久元年(1861年)に没した師、国芳の死絵を描いたことで知られている。芳州の落款では風俗画、歴史画などを描き、明治期には絵入新聞の挿絵などをも手がけている。

歌川 芳富

歌川 芳富

歌川 芳富 歌川 芳富

歌川 芳富の作品としては、「外国人之図 アメリカ ヲロシャ ウミン国」大判錦絵 、「オランダ」大判錦絵 、「生写南京人之図」大判錦絵 、「猛虎之図」大判錦絵 、「徳川家十五代之将軍慶喜公謹依之慶応四辰年四月十一日卯ノ上刻西城奉還之図」大判3枚続 、「外国入船ノ図」大判錦絵揃物 、「愛知病院外科手術図」肉筆 明治13年(1880年) がある。

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 歌川 国貞

■歌川 国貞(うたがわ くにさだ、天明6年(1786年) - 元治元年12月15日(1865年1月12日))は江戸時代の浮世絵師である。面長猪首型の美人画が特徴。3代目歌川豊国。歌川 国貞(うたがわ くにさだ、天明6年(1786年) - 元治元年12月15日(1865年1月12日))は江戸時代の浮世絵師。面長猪首型の美人画が特徴。三代目歌川豊国。存命中と没後で評価が分かれる。豊国襲名後は工房を安定させ大量の作品を出版、作品の数は浮世絵師の中で最も多い。嘉永6年(1853年)の『江戸寿那古細撰記』には「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)」とある。二代目国貞は門人の三代目 歌川国政(1823年-1880年)。弘化3年(1846年)に国貞の長女に入婿し、二代目国貞を襲名した。更に明治3年(1870年)、三代目豊国を称して騒ぎとなっている。実際には四代目豊国であった。

歌川 国貞

歌川 国貞Utagawa Kunisada; 三代歌川豊国

歌川 国貞

歌川 国貞は、10代半ばで豊国の門下に入り、歌川を称し、後に国貞と称した。五渡亭の号は狂歌師の大田南畝からつけてもらったものであった。文化4年(1807年)、22歳頃から美人画の挿絵を描き始め、文政8年(1825年)には艶本の挿絵も始めた。代表作として、「浮世名異女図会」、「思事鏡写絵」、「当世美人合」、「当世美人流光好」「時世江戸鹿子」、「江戸名所百人美女」、「星の霜当世風俗」などといった美人画シリーズに秀作があり、「豊国漫画図絵」の役者絵30枚も見逃せない。Utagawa Kunisada(1786 - January 12, 1865) was a japanese ukiyo-e artist.

『海女』  歌川 国貞

歌川 国貞

歌川 国貞 海女 歌川 国貞

『海女』 歌川 国貞

歌川 国貞

歌川 国貞

歌川 国貞 歌川 国貞

歌川 国貞

五渡亭国貞時代の美人画が、良く時代の「粋」な女性像を表現し得ている。また、『諺紫田舎源氏』の挿絵は、「源氏絵」のブームを巻き起こし、逆に歌舞伎に作用するほどであった。国貞の肉筆浮世絵も見落とせないが、また、国貞時代の秘画(春画)も彼の力量を良く伝えるものであった。

『吉原時計』 吉原など花街風景 歌川 国貞(拡大○)

江戸時代の男女の風景(秘画、春画) 歌川 国貞(拡大○)

『吉原時計』 吉原など花街風景 歌川 国貞 江戸時代の男女の風景(秘画、春画) 歌川 国貞

『在原業平』 (歌川国貞)

『花園を訪ねて』(歌川国貞)

『在原業平』 歌川国貞 『花園を訪ねて』(歌川国貞)
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 豊原 国周

豊原 国周(とよはら くにちか、天保6年(1835年) - 明治33年(1900年)7月1日)は幕末から明治にかけての浮世絵師。嘉永元年(1848)に歌川国貞(三代豊国)に入門する。嘉永5年(1852)に豊国の役者絵の一部を描き、門人八十八と署名する。安政2年(1855)頃より、最初の師である豊原周信と豊国の名前を合わせた画名である豊原国周と署名するようになる。顔貌描写に羽子板絵式の装飾味を持たせ、美人画にも独特のはれやかさを示した。 展示の写真は実物 (皇帝フランツ・ヨーゼフ1世からの国書と贈物の返礼に、明治天皇から贈った品々のうち、ウィーンに現存する画帖(日本の風景や暮らしを描いた100図)と2基の蒔絵棚が、日本に初めて里帰り。ウィーン美術史美術館蔵 2010年、ハプスブルグ展より) (拡大○) 

風俗・物語・花鳥図画帖より 
豊原国周「駕籠かきと美人」

風俗・物語花鳥図画帖より
豊原国周「三曲」 紙本彩色 

歌川 国貞 
「こしゃく娘」

豊原 国周 豊原 国周 歌川国貞・こしゃく娘 浮世絵

豊原 国周 風俗・物語花鳥図画帖より と歌川 国貞 の浮世絵(ウガンダ)

豊原 国周
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 月岡 芳年

 Yoshitoshi Tsukioka (Taiso)

■月岡 芳年(つきおか よしとし、天保10年3月17日(1839年4月30日) - 明治25年(1892年)6月9日)は幕末から明治前期にかけての浮世絵師。「最後の浮世絵師」と評価されることもある。嘉永3年(1850年)、12歳で歌川国芳に入門(1849年説あり)。武者絵や役者絵などを手掛ける。 嘉永6年(1853年)、15歳のときに『画本実語教童子教余師』に吉岡芳年の名で最初の挿絵を書く。同年錦絵初作品「文治元年平家一門海中落入図」を一魁斎芳年の号でを発表。江戸川乱歩・三島由紀夫などの偏愛のために「芳年といえば無惨絵」と思われがちだがその画業は幅広く、歴史絵・美人画・風俗画・古典画に渡る。近年はこれら無惨絵以外の分野でも再評価されてきている。師匠の国芳譲りの武者絵が特に秀逸である。動きの瞬間をストップモーションのように止めて見せる技法は、現代のマンガや劇画に通じるものがあり、劇画の先駆者との評もある。彼の作品は海外でのほうが評価が高いのもこのためであろう。

"Twenty-eight Famous Murders with Verse", "Ichikawa Kodanji IV" "Bando Hikosaburo V", "Komagine Hachibyoe","Exploits of the Tokugawa Shogunate", "Toyotomi Hideyoshi(豊臣秀吉)", and "Marshall Takamori(西郷隆盛)" 月岡 芳年

"Flores", "Horibe Yahei", and "The Spirit of the Komachi Cherry Tree"   花魁     月岡 芳年  (拡大○)

月岡 芳年 月岡 芳年
月岡 芳年

『上級武士の家の奉公人』、『花魁(おいらん)、傾城』、『雪中の芸者(Geisha)』、『もぐさ(moxa)をする寛いだ婦人』
月岡 芳年(アンチグア、2003年)  Yoshitoshi Tsukioka (Taiso) 1839-1892

月岡 芳年 月岡 芳年 月岡 芳年

月岡 芳年 従四位万里小路幸子

月岡 芳年  美人画

月岡 芳年

月岡 芳年  美人画

芳年には歴史絵の傑作がある。『大日本史略図会』中の日本武尊、明治16年(1883年)の「藤原保昌月下弄笛図」など。明治という時代のせいか彼の描く歴史上の人物は型どおりに納まらず、近代の自意識を感じさせる。美人画・風俗画も手がけており、『風俗三十二相』でみずみずしい女性達を描いた。

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 中井 芳滝

中井 芳滝(なかい よしたき、天保12年2月22日(1841年4月13日) - 明治32年(1899年)6月28日)は、江戸時代末期から明治時代の大坂の浮世絵師。歌川芳梅の門人。大坂の人。姓は笹木、後に中井、名は恒次郎。一養斎、一養亭、養水、寿栄堂、里の家、豊玉、糊家、阪田舎居などと号す。安政2年(1855年)に独立し中井芳滝を名乗る。文久(1861年 - 1864年)年間から明治(1868年 - 1912年)にかけて活躍しており、役者絵、美人画を描き、上方最後の浮世絵師と称された。他に徳川慶喜大坂退去後の「城中大火図」や、『大阪錦絵新聞』の挿絵などがある。明治13年(1880年)京都へ移住後は主に婦人風俗などの絹本画を描いた。

水戸光圀役の中村宗十郎

水戸光圀役の中村宗十郎

中井 芳滝 水戸光圀役の中村宗十郎 中井 芳滝

■中村 宗十郎(なかむら そうじゅうろう、天保6年(1835年) - 明治22年(1889年)10月8日)は明治時代に上方で活躍した歌舞伎役者。同時期の初代實川延若、初代市川右團次とともに「延宗右」と呼ばれ、関西劇壇の重鎮として人気を集めた。

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 春好斎 北洲

(hokumei shunyokusai)

 春江斎 北英

雪の中の子供をつれた常盤御前』 春好斎 北洲

『小幡 小平次の幽霊』 春梅斎 北英

雪の中の子供をつれた常盤御前(hokumei shunyokusai)

小幡 小平次、小幡 小平二(こはだ こへいじ)は、山東京伝の『復讐奇談安積沼』や鶴屋南北の『彩入御伽草』などの江戸時代の怪談話に登場する架空の歌舞伎役者。幽霊役で名をあげた後に殺害され、自分を殺した者のもとへ幽霊となって舞い戻ったとされる。
顔が幽霊に似ているとの理由で幽霊役だった。

■春好斎 北洲(しゅんこうさい ほくしゅう、生没年不詳)は、江戸時代後期の大坂の代表的な浮世絵師。文政元年(1818年)、上方へ旅した北斎に師事した以降は、北洲と号すとともに「よしのやま」の印を使用している。大判錦絵に限れば約300点を残したといわれ、上方では質量ともに最大量の役者絵を残した浮世絵師であった。北洲は流光斎如圭や松好斎の様式を受け継ぎ、それに役者が映える姿を強調する江戸の趣味を加味して、上方役者絵を完成に導いている。
■春梅斎 北英(しゅんばいさい ほくえい、生没年不詳)は、江戸時代 後期の大坂の浮世絵師。春好斎北洲の門人。春江、北英、春江斎、春梅斎、春梅亭、雪花楼、春陽斎とも号す。ふもとのゆき、越しのゆき、こしじのむめ、ふもとのむめという印を使用した。文政12年(1829年)から春江斎北英と称し、春梅斎の号は天保4年(1833年)11月から使用している。大坂の人で、立売堀1丁目に住んでいた。作画期は文政11年(1828年 )から天保7年(1836年)のおよそ9年ほどで、大判役者絵を最も得意とした。この短い活躍期に多数の役者絵を創作しており、その技巧は終始、巧緻で全く破綻がないものであった

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 栄松斎長喜

■栄松斎 長喜(えいしょうさい ちょうき、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。錦絵、黄表紙、狂歌本、洒落本の挿絵及び肉筆浮世絵に優れた作品を残している。大判錦絵の代表作に「初日の出」(大英博物館所蔵)、重要文化財「井筒中居かん 芸子あふきやふ勢や」、「秋色女」(以上、東京国立博物館所蔵)、「蛍狩り」(ホノルル美術館所蔵)が挙げられる。その他、三枚続「なにわや店先」(慶應義塾図書館所蔵)などの堂々とした作品が多い。どちらかといえば、長喜の時期に、佳作が残されている。肉筆では、「太夫と朝比奈図」(大英博物館所蔵)が知られる。

栄松斎長喜 St.Kitts
Eishousai Choki (c. 1780-1800)

Eishousai Choki (c. 1780-1800)
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日本の代表的な浮世絵師


1.初期(延宝から宝暦)の浮世絵師
花田内匠、菱川師宣、菱川師房、古山師重、古山師政、菱川和翁、田村水?、山崎龍女、石川流宣、鳥居清元、鳥居清信、鳥居清倍、鳥居清満、懐月堂安度、長陽堂安知、懐月堂度繁、懐月堂度辰、懐月堂度種、懐月堂度秀、松野親信、宮川長春、宮川一笑、宮川長亀、宮川春水、西川祐信、西川祐尹、奥村政信、奥村利信、西村重長、石川豊信、鳥居清広、月岡雪鼎、川又常行、川又常正、杉村治兵衛、二代鳥居清信、二代鳥居清倍、万月堂、鳥居清忠、鳥居清重、鳥居清経、広瀬重信、鳥居清里、小川破笠、鳥山石燕
2.中期(明和から文化)の浮世絵師
鈴木春信、礒田湖龍斎、北尾重政、一筆斎文調、岸文笑、勝川春章、勝川春好、勝川春英、歌川豊春、鳥居清長、勝川春潮、窪俊満、北尾政演(山東京伝)、北尾政美(鍬形寫ヨ)、水野廬朝、恋川春町、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、栄松斎長喜、鳥高斎栄昌、一楽亭栄水、東洲斎写楽、歌川豊国、歌川国政、歌川豊広、酒井抱一、歌川国丸、鈴木春重(司馬江漢)、勝川春常、勝川春泉、勝川春山、喜多川藤麿、喜多川月麿、喜多川式麿、闇牛斎円志、歌舞伎堂艶鏡、玉川舟調、鳥橋斎栄里、鳥園斎栄深、五郷、一貫斎栄尚、琢斎栄玉、酔月斎栄雅、弄春斎栄江、栄烏、鳥喜斎栄綾、栄鱗、鳥卜斎栄意、葛堂栄隆、一掬斎栄文、鳥玉斎栄京、文和斎栄晁、鳥囀斎栄寿、酔夢亭蕉鹿、桃源斎栄舟、鳥龍斎栄源、十返舎一九、祇園井特
3.後期(文化から安政)の浮世絵師
葛飾北斎、菱川宗理、昇亭北寿、柳々居辰斎、 魚屋北渓(葵岡北渓)、蹄斎北馬、柳川重信、高井鴻山、葛飾応為、大山北李(恒斎北李)、安田雷洲、牧墨僊、本間北曜、二代喜多川歌麿、喜多川雪麿、菊川英山、渓斎英泉、磯野文斎、二代鳥居清満(鳥居清峰)、歌川国安、歌川国虎、二代歌川豊国(歌川豊重)、三代歌川豊国(歌川国貞)、歌川国芳、歌川広重(安藤広重)、歌川豊広、歌川国政、勝川春扇、歌川国直、勝川春亭、歌川貞虎、歌川貞景、歌川貞房、歌川房種、歌川芳虎、歌川重丸、歌川貞広、玄珠斎栄暁、三畠上龍、吉原真龍、春好斎北洲、春梅斎北英
4.終期(幕末から明治)の浮世絵師
歌川貞秀(橋本貞秀)、二代歌川広重(歌川重宣)、歌川芳藤、落合芳幾、月岡芳年、河鍋暁斎、豊原国周、三代歌川広重、三代歌川国貞、長谷川貞信、二代目長谷川貞信、小林清親、井上安治(井上探景)、田口米作、小倉柳村、楊洲周延(橋本周延)、小林永濯、尾形月耕、水野年方、山本昇雲、歌川芳鶴、歌川芳満
5.大正から昭和の浮世絵師
土屋光逸、恩地孝四郎、川瀬巴水、北野恒富、小早川清、弦屋光渓、橋口五葉、山本鼎、吉田博、山村耕花、伊東深水

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 河鍋 暁斎

kawanabe kyosai

河鍋 暁斎(かわなべ きょうさい、1831年 - 1889年は幕末から明治にかけて活躍した反骨の浮世絵師である。最初の妻の父は鈴木其一、三番目の妻から生まれた長女暁翠、次男暁雲も日本画家。多くの戯画や風刺画を残している。狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ自らを「画鬼」とも号している。

『新富座妖怪引幕〈仮名垣魯文贈〉』(部分)

河鍋 暁斎|観世音菩薩図

河鍋 暁斎|『花鳥図』

『新富座妖怪引幕〈仮名垣魯文贈〉』(部分)

河鍋暁斎筆 1880年 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館蔵
 「新富座妖怪引幕」

河鍋 暁斎|観世音菩薩図  河鍋 暁斎|『花鳥図』

河鍋 暁斎|『化け猫』

河鍋暁斎|『美人観蛙戯図』

河鍋暁斎|『横たわる美人と猫』

河鍋 暁斎|花鳥図 絹本着色 1881年 東京国立博物館蔵
伝統的な画風の中に蛇が孔雀に巻きつくという独特の世界観を組み込ませている。狩野派や伊藤若沖と見比べても遜色は全く無い。

河鍋 暁斎|『化け猫』 河鍋暁斎|美人観蛙戯図 河鍋暁斎|横たわる美人と猫
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Ukiyo-e (浮世絵, literally "pictures of the floating world") is a genre of Japanese woodblock prints (or woodcuts) and paintings produced between the 17th and the 20th centuries, featuring motifs of landscapes, tales from history, the theatre, and pleasure quarters. It is the main artistic genre of woodblock printing in Japan.
Usually the word ukiyo is literally translated as "floating world" in English, referring to a conception of an evanescent world, impermanent, fleeting beauty and a realm of entertainments (kabuki, courtesans, geisha) divorced from the responsibilities of the mundane, everyday world; "pictures of the floating world", i.e. ukiyo-e, are considered a genre unto themselves.

 

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