西洋美術切手 近代絵画|アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha)
アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, アルフォンス・マリア・ムハ、1860年7月24日 - 1939年7月14日)は、アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。オーストリア帝国領モラヴィアのイヴァンチツェに生まれた。ブルノ中学校に入り教会の聖歌隊となった。 夏休みに合唱隊の聖歌集の表紙を描くなど絵を得意とした。 彼の出世作は1895年、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスター。 威厳に満ちた人物と、細部にわたる繊細な装飾からなるこの作品は、当時のパリにおいて大好評を博し、一夜にして彼のアール・ヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものとした。ポスターに並び、装飾パネルも数多く手がけている。 2点ないし4点のセットの連作が多く、いずれも女性の姿を用いて様々な寓意を表現している。 ミュシャの描く女性は本当に優美でかわいい。
代表的な作品には以下のようなものがある。
『ビザンティン風の頭部』-「ブルネット」、「ブロンド」;(1897年) 、『四芸術』-「詩」、「ダンス」、「絵画」、「音楽」;(1898年)、『四つの宝石』-「アメジスト」、「エメラルド」、「トパーズ」、「ルビー」;(1900年)
、『四つの星』-「明けの明星」、「北極星」、「宵の明星」、「月」;(1902年)
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アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha) |
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ミュシャは店長が一押しの画家です。1860年、チェコスロヴァキア( Czechoslovakia)のモラヴィア地方に生まれ、プラハ、ウィーン、ミュンヘンで絵を学んだ後、1888年パリ、アカデミー・ジュリアンに入学。その後、1894年女優サラ・ベルナールのために描いたポスター『ジスモンダ』で一躍脚光を浴びる。優美な女性像、花や植物をモチーフとした叙情的な曲線、文様で装飾されたミュシャの作品は、世界中の多くの人々に愛されており、アール・ヌーヴォーを象徴する画家、装飾芸術家として高く評価されています。チェコスロバキアの一番切手プラハ城のデザインもしたそうです。 ミュシャの参考ページ 「en:List of works by Alphonse Mucha」 |
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ミュシャ 『白日夢』、『黄道十二宮』 リトグラフ |
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アルフォンス・ミュシャ画(拡大○) |
アルフォンス・ミュシャ画 |
ミュシャの絵画 |
アルフォンス・ミュシャ画『ビザンティン風の頭部、ブルネット』 |
■ポスター作品『ヒヤシンス姫』。ミュシャが故郷チェコへ帰郷した翌年となる1911年に制作された本作は、同国の人気舞台女優アンドゥラ・セドラコヴァが主演したラディスノフ・ノヴァク脚本オスカー・ネドバル編曲によるオペラ・パントマイム≪ヒヤシンス姫≫の宣伝用ポスター作品である。画面中央に描かれる本舞台の主役ヒヤシンス姫は右手で頬杖をつきながら観る者へと真っ直ぐ視線を向けている。ヒヤシンス姫が身に着ける衣服はミュシャの故郷であるスラヴ風の様式が色濃く反映されており、画家の故郷に対する深い情念を感じることができる。さらに頭部へは赤いヒヤシンスの花が飾り付けられた髪飾りが、背景にはパリ時代を彷彿とさせながらやや簡素化された円形へモチーフを組み合わせた装飾が施されており、ここにパリ時代とスラヴ時代の様式的融合を見出すことができる。チェコを代表する美しい女優が主演のオペラ・パントマイムであった点や故郷に対する強いアイデンティティー、愛国心などの事由により制作したと考えられている。 |
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ミュシャの1900年制作の『四季』の連作を2点ずつ描く2種を収める。夏と秋(右)、冬と春(左)。 (ブルガリア、2010年) |
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ミュシャ 何とも言えず綺麗な絵です(ビニアビサウ、2003年) |
アルフォンス・ミュシャ画『芸術』(ダンス)(絵画)(音楽)・ |
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アルフォンス・ミュシャ画 『芸術』(ダンス)(絵画)(音楽) |
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ミュシャ(1860-1939)の代表作『黄道十二宮』(1897年) チェコ |
ミュシャ(1860-1939)の代表作『黄道十二宮』 オーストリア |
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智天使ケルビム |
『黄道十二宮』(1896):シャンプノワ・リトグラフ工房のカレンダーとしてデザインされたものを、プリュム芸術出版社のレオン・デュシャンが買い取り、『ラ・プリュム』
誌のカレンダーとして売りだして大好評を博した。美しい女性の横顔、線描で記号化された長い髪、女性を囲む円形の枠に十二宮星座を配して、枠の外側を月桂樹の葉やツタの文様が額縁のように包んでいる。 |
智天使ケルビム |
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ミュシャ の絵画 |
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ミュシャ(1860-1939)の代表作『黄道十二宮』(1897年) では、智天使ケルビムの周囲へは天球上における太陽の通り道である『黄道』を12等分して、左から牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座、乙女座、天秤座、蠍座、射手座、山羊座、水瓶座、魚座と十二星座が当てはめられており、意匠として大変素晴らしい調和を生み出している。 |
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■サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844年10月22日-1923年3月26日)はフランスの舞台女優。サラ・ベルナールはパリで生まれた。ユール(Youle)の名で知られたユダヤ系オランダ人売春婦ユディト・ファン・ハルト(Judith van Hard)の、生き残った中で最年長の私生児であった。1895年にサラは、当時無名の挿絵画家だったアルフォンス・ミュシャにポスター製作を依頼した。年の瀬で主だった画家がクリスマス休暇をとっていたため、急遽ミュシャに白羽の矢が立ったという。ミュシャがこのとき作ったポスター「ジスモンダ」はパリ中で脚光を浴び、ミュシャがアール・ヌーヴォーの象徴として活躍するきっかけとなった。 |
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『ジスモンダ(Gismonda)』のポスター』(1894) |
ミュシャ誕生150年 小型シート(ブルガリア) |
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1900年制作の『四季』の連作を2点ずつ描く2種を収める。夏と秋(左)、冬と春(右)。 |
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■アール・ヌーヴォー様式を代表する画家アルフォンス・ミュシャが名声と社会的地位を得るきっかけとなった伝説的ポスター作品『ジスモンダ』。女優サラ・ベルナールの舞台『ジスモンダ』のために作成したポスターで、ミュシャの出世作。威厳に満ちたアテネの女王ジスモンダ(サラ)の肖像と、繊細な装飾のデザインはパリで大好評を博し、ミュシャは一夜にしてアール・ヌーヴォーの旗手として揺るぎない地位を獲得した。舞台女優サラ・ベルナールが扮するジスモンダは、主イエスを迎えるために棕櫚(ヤシ科の常緑高木で、キリスト教では死に対する永遠の生命の勝利を意味する)の葉を右手に持っている(※これは主イエスのエルサレム入城の際に、棕櫚の葉を手にして主イエスを迎えたとされる民衆の姿に由来している)。威厳的でありながら高潔性に満ち、左手を己の胸に沿え、斜め上に視線を向ける本作のジスモンダの凛とした美しさに溢れた姿は、『ジスモンダ』に主演するサラ・ベルナールも絶賛したと伝えられている。また演技力と美貌で一世を風靡したとはいえ50歳となって人気に陰りの見え始めたサラ・ベルナールは『ジスモンダ』の大成功によりフランス演劇界の女王として君臨することとなった。 |
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(関連HP) |
@mucha museum {http://www.mucha-museum.co.jp/} |
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ミュシャと一番切手 チェコスロバキアの一番切手です。プラハ城(ミュシャ)がデザインのモチーフになっています。 |
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He was the first author of postage stamps and banknotes of the independent Czechoslovak Republic. Mucha was not just a graphic designer and creator of the famous poster in the style of Art Nouveau (Secession), a versatile talent abounded and intervened in many fields, sculpture, design, starting and ending at the theater. Proposed labels on bottles, chocolate, cigarettes, or painted on a restaurant menu. He died in 1939 after interrogation by the Gestapo for pneumonia. He is buried in the cemetery at Vysehrad in Prague. |
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ミュシャ の絵画 シート地は『黄道十二宮』の智天使ケルビム |
■アルフォンス・ミュシャは1908年、ボストン交響楽団によるスメタナの≪わが祖国≫を聴き、強く感銘を受け、スラブ諸国の文化の伝道に尽力することを決意。1910年、故郷チェコに定住。翌年からスラヴ民族の歴史を綴った連作『スラヴ叙事詩』の制作に取り組み、チェコスロバキアの国家行事のポスターなどを手がけつつ、1928年まで同連作を制作し続けた。1938年、肺炎により健康状態が悪化、翌1939年チェコで死去。なおミュシャは作品のデザイン性の豊かさから、デザイナーとしての評価も高い。 |
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ミュシャ の絵画 |
ミュシャ の絵画 |
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■アール・ヌーヴォー(フランス語: Art Nouveau)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐に亘った。 「ティファニー」(アメリカ合衆国。ルイス・カムフォート・ティファニーの名による)、「ユーゲント・シュティール(ドイツ。雑誌『ユーゲント』から)、「ウィーン分離派」(オーストリア)、「ネーウェ・クンスト」(オランダ)、「スティレ・リベルティ」(イタリア。リバティ百貨店から)、「モデルニスモ」(スペイン)、「スティル・サパン」(スイス)、「スティル・モデルヌ」(ロシア)、「モダン・スタイル」(イギリス)など。フランスでは、アール・ヌーヴォーは批判者からは、特徴的なアラベスクなフォルムから「ヌーイ様式」(麺類様式)、またエクトール・ギマールにより1900年に実現されたパリ地下鉄のこの様式の出入口から「メトロ様式」などとも呼ばれた。 |
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ミュシャの絵画 『モナコ・モンテカルロ』、『黄道十二宮』 |
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日本とミュシャとの関係では、 |
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Alfons Maria Mucha spent many years working on what he considered his life's fine art masterpiece, The Slav Epic (Slovanska epopej), a series of twenty huge paintings depicting the history of the Czech and the Slavic people in general, bestowed to the city of Prague during 1928. He had wanted to complete a series such as this, a celebration of Slavic history, since he was young. Since 1963 the series has been on display in the chateau in Moravsky Krumlov the South Moravian Region in the Czech Republic. |
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