アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer)の絵画・版画の切手
ルネサンスのドイツの数学家・画家・アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer、1471〜1528)の絵画・版画の切手です。 デューラーは、ニュルンベルク生まれのドイツ絵画史上最大の画家。 彼の芸術はドイツ特有の力強い内面性と,イタリア美術の古典的な造形の見事な調和に到達した。 金銀細工師の息子として1471年生まれる。 金工家の父は彼を後継者にしようとしたが,デューラーの画家への志かたく,13歳ですでに見事な鉛筆素描『自画像』を描いた。15歳で有名アトリエに学び,19歳のころコールマールやバーゼルなどを旅し,生計は版画で立てた。 その報酬などで24歳のときイタリア旅行,鋭い自然観察の水彩画『アルコ風景』を描き,34歳のイタリア再旅行ではルネサンスの絵画理論の研究や作画の実際を学び,代表作『アダムとエヴァ』のほか,宗教・肖像・風景・動植物などを主題とし,力作として『バラの冠の聖母』,『万聖節』などがある。 なお見落とせないものに,デューラーの天才的な線描素質を駆使した木版画(『ヨハネ黙示録』『マリアの生涯』)と銅版画(『受難』の連作,『書斎の聖ヒエロニムス』、『騎士と死と悪魔』)がある。 また理論的研究書も遺している。 多数の書簡や著作の中で、デューラーはイタリア・ルネサンス美術を理解し、古典美術を理解する鍵(かぎ)として、幾何学と測定法を強調している。 芸術理論書「絵画論」の草稿で、美術に最も重要なのは「宗教・肖像・自然」であると述べました。
ページ内[ 絵画|木版画と銅版画 ] (ルーブル美術館:日本語解説 参考になるページ:「アルブレヒト・デューラー Albrecht Durer」)
■巨匠の絵画切手 [ ボッティチェッリ|ダ・ヴィンチ|ラファエロ|ミケランジェロ|デューラー|ティツィアーノ|ルーベンス|ベラスケス|アングル|エル・グレコ|レンブラント|カラヴァッジオ|フェルメール|ダイク|ドラクロワ|ゴヤ|ゴッホ(no.1|no.2)|ルノワール|マネとモネ|セザンヌ|ゴーギャン|マチス|ピカソ|ダリ|葛飾北斎|安藤広重|クリムト|シャガール|モディリアーニ|ミュシャ ] |
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ルネサンスの画家 アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer)の絵画 |
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■1494年にニュルンベルクでアグネス・フライと結婚したあと、デューラーはイタリアに旅だち、帰国途上で、「トレント城の景観」などの細部のすばらしい水彩の風景画を制作した。95年から1505年にかけてのニュルンベルクでの10年間には、「ヨハネ黙示録」(Apocalypse)の木版画シリーズ(1498)、大銅版画「運命の女神」(1501〜02)、銅版画「アダムとイブ」(1504)など、多数の作品を生みだして名声を確固たるものにした。 |
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『茨の冠の祝祭』(チェコスロバキア)/『ロザリオの聖母子』 |
『薔薇冠の祝祭』(チェコスロバキア) |
茨の冠の祝祭(チェコスロバキア) |
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『薔薇冠の祝祭』の部分 |
『東方の3博士の礼拝(Adoration of the Magi )』 |
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■『茨の冠の祝祭』(Feast of the Rose Garlands、1506)の主題は玉座に鎮座する聖母マリアと幼子キリストを中心に聖人たちを配する≪聖会話≫で、聖母マリアは左手で皇帝マクシミリアン1世に冠を与えながら、自身も上空の天使より冠を受けている。また幼子キリストの下部では楽器を手にし、場面に相応しい音楽を奏でる天使の姿を始め、聖母子への捧げ物などがデューラーの高度な細密描写によって描かれている。 |
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デューラー 『パウムガルトナー祭壇画』の『キリストの降誕』 拡大 |
デューラー『東方三博士の礼拝 (Die Anbetung der Konige)』 |
アルブレヒト・デューラー |
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未来のユダヤの王イエスの降誕に際し、東方の三博士が星に導かれ幼子キリストの下を訪れ礼拝と黄金、乳香、没薬の3つの贈り物を捧げる場面。100×144cm ウフィツィ美術館とアカデミア美術館 |
■初期のデューラーが手がけた祭壇画の代表的な作品『東方三博士の礼拝』。ウフィツィ美術館が現在所蔵する本作はフリードリヒ賢明公の依頼を受け制作されたもので、背景に描かれた小屋や、円形アーチの建築物によって強調される遠近法を用いた空間処理など、1494年から1495年までのヴェネツィア留学の成果が随所に表れている。キリスト教の祭壇画において最もポピュラーな主題のひとつ。 |
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『救世主としての少年イエスキリスト』(オーストリア、1971年) |
『27歳の自画像』 プラド美術館(フランス、1980年) |
『聖母子』 |
『聖アンナと聖母子』 |
■父親のもとで修業したあとのデューラーは1486年、15歳で画家・版画家のウォルゲムートに師事する。88〜93年にウォルゲムート工房は、ハルトマン・シェーデルによる「ニュルンベルク年代記」(1493)のために多数の木版挿絵を制作していたので、デューラーは下絵を制作しながら多くの教えを受けたに違いない。ルネサンス期に南ドイツは出版の中心地であり、当時の画家が木版画と銅版画の制作に習熟するのはごく普通のことであった。 |
デューラーが13歳の時に |
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『若いヴェネツィア女性の肖像』 オーストリア発行 |
『若いヴェネツィア女性の肖像(Portrait of a Young Venetian Woman 1505)』 エクアドル発行 |
『若いヴェネツィア女性の肖像』 |
『若いヴェネツィア女性の肖像』 |
「若いヴェネツィア女性の肖像」は、実物は思ったより小さな絵(画用紙大)でした。 物凄く綺麗な女性、綺麗な絵画と感じた。 |
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『切った梨を持つ聖母子』 |
『聖母子(The Madonna of the Carnation 1516)』 |
『切った梨を持つ聖母子』 |
『切った梨を持つ聖母子』 |
デューラー画 『聖母子』 |
『切った梨を持つ聖母子』(Madonna of the Pear 1512) |
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■『切った梨を持つ聖母子』:ウィーン美術史美術館に所蔵されるこの『切った梨を持つ聖母子』は、画家の力強い創造力が生み出した最も代表的な聖母子像作品であると戸思います。黒色の背景の中、黄色いヴェールと青い衣をまとった聖母マリアが、切った梨を手にする幼児キリストを抱く姿を描いた本作は、背景と描かれる人物の高いコントラストによって、決して下劣ではない、ある種の神格性を持った輝きを放ち、特にデューラーのヴェネツィア留学の成果が表れる幼児キリストの透明感と躍動感に富んだ表現は特筆に値する。本作の最も印象的に見せている表現のひとつとして挙げられるのが、この暗い背景に浮かぶ黄色いヴェールと青い衣をまとった聖母マリアの衣服である。 |
ウィーン美術史美術館 |
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グレナダ(1978年) 『パウムガルトナー祭壇の飾り』、『王の礼拝(Adoration of the Magi )』、 |
デューラー画 |
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『自画像』 |
『Jacob Muffel』 |
『若いヴェネツィア女性の肖像』 |
『オスヴァルト・クレル』1499 |
デューラー 『授乳の聖母』 |
デューラー 『祈りの手』 1508、アルベルティーナ美術館 |
『27歳の自画像』 デューラー、プラド美術館 |
『1500年の自画像(28歳の自画像、(Selbstbildnis von)1500)』 |
『聖母子』 グレナダ(1978年) デューラー Madonna and Child with the Pear 1526 |
デューラーは特に絵画やエングレービングによる銅版画の下書きを数多く残している。最も有名なものは1508年に作成され、現在はウィーンのアルベルティーナ美術館に所蔵されている『祈る手』である。それはヘラー祭壇画の十二使徒を調査したものである。彼は水彩とガッシュの絵も作り続けていた。それらは1502年作の『野うさぎ
』や1503年作の『芝草』などに代表され、数多くの牧草地での優雅な静物や動物画を含んでいた。 |
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■下の『鳥の翼』を描いたアルブレヒト・デューラーの作品。グアッシュを多用しているせいか、絵の具の発色が今でも鮮やかです。デューラーが生涯保持した細密画的な正確さがここでは遺憾なく発揮されています。下の北朝鮮の絵画は水彩画です。花の絵はボタニカルアートですね。 |
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『芍薬(シャクヤク)』 |
『植物』 |
『草の茂み(The Large Turf |
『鳥の翼』 |
■『野うさぎ』はデューラーの水彩画の中でも最も有名なものです。ウサギの毛があまりにリアルに描かれているので、一本一本細大もらさずに描いたのだとする説まで現れました。画面の一角に、AとDのイニシャルをあしらったモノグラムを添えていますが、画面にモノグラムを加えるのはデューラーが歴史上最初の人だったといわれています。 |
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『野うさぎ』1502 |
『野うさぎ』 1502 |
『リス』 |
『3人の農夫(Three Peasants in Conversation c. 1497)』 |
『エルスベート・トゥッヒャー(Elspeth Tucher)』1499、『芝(Watercolor and gouache on paper)』1503、 |
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『Kalchreutの風景』(コンゴ、1978年) デューラー、水彩画 |
デューラー『Portrait of Bernhard von Reesen』(東ドイツ発行) |
『海のカニ(Lobster 1495)』 |
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Bernard van Orley by |
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ハンガリーで発行されたデューラーの切手 |
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上段左から 『切った梨を持つ聖母子』(ウイーン美術館)、『パウムガルトナー祭壇画』の聖ゲオルギウス、 |
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下段左から 『パウムガルトナー祭壇画』の『キリストの降誕』1498-1504 、『四人の使徒』(Die zwei Apostel) 1526年 |
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■『切った梨を持つ聖母子』は、画家の力強い創造力が生み出した最も代表的な聖母子像作品であろう。黒色の背景の中、黄色いヴェールと青い衣をまとった聖母マリアが、切った梨を手にする幼児キリストを抱く姿を描いた本作は、背景と描かれる人物の高いコントラストによって、決して下劣ではない、ある種の神格性を持った輝きを放ち、特にデューラーのヴェネツィア留学の成果が表れる幼児キリストの透明感と躍動感に富んだ表現は特筆に値する。(サルヴァスタイル美術館より抜粋) |
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デューラー 『トレントの城(The Castle at Trento 1495)』 |
デューラー 『Virgin and Child with St. Anne』 1519 |
『パウムガルトナー祭壇画』の聖ゲオルギウス、聖エウスタキウス |
デューラー 『Portrait of Hieronymus Holzschuher 1526』 |
『聖母子像』1504-1507(デューラー、NEVIS、ワシントン・ナショナル・ギャラリー) 拡大○ |
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Madonna and Child (Haller Madonna) c. 1498 |
■この『聖母子』の作品は、かつてはベッリーニの作品と考えられていた。明らかに、ヴェネチア特有のクローズアップの半身像である。 |
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『View of Kalkrebut』 |
『東方三賢王の礼拝(1504年、ウフィツィ美術館所蔵)』(ドミニカ) |
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デューラー 『東方三博士の礼拝』(NZ,1961年) |
アルブレヒト・デューラー |
アルブレヒト・デューラー |
アルブレヒト・デューラー |
ウフィツィ美術館 |
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■『アダムとエヴァ(Adam und Eve)』 1507年 各209×81cm | Oil on panel | Museo del Prado, Madrid ■デューラーの制作した作品中、最も著名な作品のひとつ『アダムとエヴァ」は、人体比例の研究で得た男女の違いに合った調和的な様式美理論の成果がよく表現されているのと同時に、それはデューラーが独自に築き上げたの理想美を描いたものでもあった。 |
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デューラー 1507 |
デューラー 1507 |
『27歳の自画像』 デューラー、プラド美術館 |
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ナザレに住んでからの、その後のイエスについは聖書にくわしくは書かれていない。ただ、12歳になった時の逸話がルカに書かれている。 |
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デューラー |
デューラー |
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土候国AJIMAN発行 |
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『アダムとエヴァ』は二度目のヴェネツィア留学で学んだ、人体比例の研究で得た男女の違いに合った調和的な様式美理論の成果がよく表現されているのと同時に、それはデューラーが独自に築き上げたの理想美を描いたものでもあった。版画は画家の古典的比例研究の頂点を、絵画は画家の創造力と探求心によって生み出した理想的比例研究の頂点を示す作品として、画家を考察する上でも特に重要な作品となった。 |
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下の絵画はパラグアイで1982年に発行されたデューラーの『聖母の7つの悲しみ』です。フリードリヒ賢明公の注文を受け、デューラーが25歳頃に手がけた祭壇画『聖母の7つの悲しみ』。109.2×43.3cmで描かれる≪悲しみの聖母(The
Seven Sorrows of the Virgin: Mother of Sorrows c. 1496)≫部分を中心にし、≪キリストの割礼≫、≪エジプトへの逃避≫、≪博士たちと議論するキリスト≫、≪十字架を担うキリスト≫、≪十字架へのはりつけ≫、≪キリストの磔刑≫、≪キリストの哀悼≫とキリストの生涯と聖母マリアの悲しみの7場面を約63×45.5cmのサイズで描き周りに配している本作は、デューラーが1504年に手がけた初期の代表作『東方三博士の礼拝』前の宗教画作品としては最も高い完成度を示している。ドレスデン国立絵画館蔵。切手はパラグアイ |
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『聖母の7つの悲しみ』(Sieben Schmerzen Mariae)1496年頃 |
『The Flight into Egypt』 |
『Christ Among the Doctors』 |
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『Christ Carrying the Cross』 |
『Nailing of Christ to the Cross』 |
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『Christ on the Cross』 |
『Lamentation Over the Dead Christ』 |
『聖母子』(パラグアイ、デューラー) |
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≪キリストの磔刑≫ |
≪キリストの哀悼≫ |
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■エッチングに関しては、アルベルティーナ美術館が有名です。 ホーフブルク王宮の建築複合体南端にあるアルベルティーナ美術館は、世界的に最も重要でモダンな美術館のひとつです。6万点の油絵と水彩画、100万点を超すエッチング版画およびプリント画で、このコレクションは世界で1、2位を争う優れたものとされています。 コレクションにはデューラー、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ、ルーベンス、レンブラント、エゴン・シーレ、その他の15世紀から現代まで切れ目なく続くグラフィック・アートの発展を代表する有名画家の作品が含まれています。ここにあげたエッチング絵画もそのうちの一つです。 |
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『22歳の自画像』 デューラー、ルーヴル美術館 拡大○ |
『聖母子』(パラグアイ、1980年、デューラー) 拡大○ |
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『Self-Portrait in the Nude c. 1505』 (東ドイツ、1971年)自画像 |
デューラー『会話中の3人の農夫(Three Peasants in Conversation c. 1497)』 |
デューラー 『宗教学者 |
デューラー |
『聖メアリー・マグダレン(The Virgin Mary in Prayer 1518)』 |
『聖母子(Madonna and Child with the Pear 1526』デューラー |
『聖母子(Virgin and Child before an Archway c. 1495)』 |
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■アルブレヒト・デューラーは生涯を通じて、およそ100点の銅版画と300点の木版画を制作した。その為、版画を生業(生活の手段)にした最初の画家といわれる。1507年ごろから他界するまでは、著名な論文「人体均衡論」(没後出版、1528)のためにメモや素描の制作にもいそしんだ。しかし、文字よりも視覚表現になじんでいた当時の芸術家たちは、イタリア・ルネサンスの古典的な裸体像や理想化された主題を導入して芸術の近代化を図ろうとした著作よりも、むしろその銅版画や木版画のほうに注目した。 |
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『馬に乗った婦人と騎兵』(マルタ) Lady On Horseback And Lansquenet |
『バグパイプ吹き』(マルタ) |
『聖マリアとオナガザル』(マルタ) |
版画 『聖母子』 Life of the Virgin: Title-page in book form before 1511 (ワリスフュテュナ諸島、1979年) |
『Christ before Pilate』 |
『書斎の聖ヒエロニムス(St Jerome in his Study 1514)』 |
『農民の踊り(Peasant Couple Dancing)』デューラー |
『農民の踊り(Peasant Couple Dancing)』デューラー |
カールスルーエ州立美術館 |
ハンガリー1979年 |
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■ピラトの前に引き出されたイエス『Christ before Pilate』。ピラト:ポンティウス・ピラトゥス(古典ラテン語:Pontius Pilatus (ポンティウス・ピーラートゥス)、生没年不詳)は、ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督(タキトゥスによれば皇帝属領長官、在任:26年 - 36年)。新約聖書で、イエスの処刑に関与した総督として登場することで有名。『新約聖書』の日本語訳では格語尾を省いてポンテオ・ピラトと表記される。新約聖書の福音書のほか、ヨセフスの『ユダヤ戦記』などにも言及がある。イエス・キリストはローマからのパレスチナ総督だったピラトの前に連れ出されます。ピラトがイエスを十字架につけるか釈放するかの実際の権力を持っていたのです。ピラトはイエスを釈放するか、犯罪者のバラバを釈放するかの選択を群衆に与えたのでした。「この人を見よ(Ecce Homo)」エルサレムの人々にイエスを示すポンティウス・ピラトゥス。群集は満足しませんでした。ピラトは板ばさみになって、手を洗い、部下にイエスを群集の言うとおりにするよう命じます。イエスはかれの受けるべき十字架を示され、ゴルゴダの丘までエルサレムの街道を抜けてその十字架を運ぶようにと命令されます。 |
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ガーナ・イースター記念(1978年) キリストの捕捉〜復活 版画 『Christ on the Cross with the Virgin
and St John(ヨハネ)』 |
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Betrayal of Christ |
Crucifixion |
Lamentation |
Resurrection |
『The Peasant and His Wife at the Market 1519』(モーリタニア、1979年) デューラーの版画 |
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Rustic Couple |
The Standard Bearer |
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ヨーロッパでは13世紀、布に模様を印刷する手段として木版画の使用が始まりました。14世紀後半以降から、普及し始めた紙に印刷するようになります。また、活版印刷術とプレス印刷機の実用化により木版画は活字と組み合わされて、本の挿絵としても活用されるようになります。16世紀になると次第に木版画の生産量は減少し、代わりに銅版画のエングレーヴィングが主流となりました。エングレーヴィングによって非常に細かい部分までの描写が可能になったため、当時はこの技法が版画芸術を革新するものとみなされていました。代表的な画家を挙げると、エングレーヴィングではドイツのアルブレヒト・デューラー(1471-1528)、エッチングとドライポイントではレンブラントなどがいます。 |
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デューラー 『聖母マリアの一生(Life of the Virgin)』(1500 - 1505) から |
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デューラー版画 『受胎告知(Annunciation)』 |
デューラー版画 『キリスト降誕(Nativity)』 |
版画 『東方の3博士の礼拝(Adoration of the Magii)』 |
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デューラーの版画 『アダムとイヴ(adam-eve)』カールスルーエ州立美術館 他 |
■『ヨハネの黙示録の四騎士(ヨハネのもくしろくのよんきし)』は、『ヨハネの黙示録』に記される四人の騎士。 小羊(キリスト)が解く七つの封印の内、始めの四つの封印が解かれた時に現れるという。 四騎士はそれぞれが、地上の四分の一の支配、そして剣と飢饉と死・獣により、地上の人間を殺す権威を与えられているとされる。 |
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『メランコリア I』(銅版画) |
■メランコリア I(独:Melencolia I,Melancholia I)は、アルブレヒト・デューラーが1514年に製作した銅版画。 四体液説における人間の4つの性格の一つ「憂鬱」をテーマにしたもので、天使が憂鬱に沈んでいる。天使が頬杖をついている。その顔つきは尋常ではない。今にも発狂しそうな表情である。頬杖のポーズは憂鬱気質をあらわし、天才の資質である。魔方陣をはじめとして、寓意的な画題がいくつも描かれており、様々な解釈がある。 |
『ヨハネの黙示録の四騎士』 |
『騎士と死と悪魔』(1513) |
写真 編 |
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デューラー 旧約聖書の『ソドムを逃れるロトと娘たち』 |
「聖アンナと聖母子(Virgin and Cgild with Saint Anne) 」 |
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その他美術関係の切手・写真(切手が主体) |
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アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer)の絵画・版画 |
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