イタリア共和国|世界遺産 古代ローマの遺跡 フォロ・ロマーノと
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世界遺産 古代ローマの遺跡
フォロ・ロマーノ(伊:Foro Romano)とフォロ・ジュリアーノ、フォロ・トライアーノは、ローマにある古代ローマ時代の遺跡。 紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であったが、ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。 フォロ・ロマーノの発掘は、19世紀から本格的に行われるようになったが、帝政時代初期までに開発が繰り返されており、遺構も様々な時代のものが混在しているので、発掘調査は難しい。現在の遺跡は、大部分が帝政時代以降のものだそうです。
フォロ:フォルム、フォーラム(Forum)は、古代ローマ市にあった集会用の広場の意味です。
色々なフォロがひしめき合っており渾然一体の状態でした。 持ち帰り、めぼしい建物でフォロを分類しています。 サンタ・マリア・ディ・ロレート教会とサンティッシモ・ノーメ・ディ・マリア・アル・フォロ・トライアノ教会は古い絵葉書と写真で。 また、世界遺産 『ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂』の他に関してはコロッセオは別ページで、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂
、 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 、 サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 は切手で代用。 説明資料作成では、ガイドブックやWikipediaを利用しています。 歴史的なものや綺麗さ大きさ以上に強力なパワースポット! 世界遺産の切手:イタリア。
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ページ内索引 { フォロ・ロマーノ|フォロ・ジュリアーノ|フォロ・トライアーノ|ガイウス・ユリウス・カエサル|世界遺産 バジリカ }
フォロ・ロマーノ
■フォロ・ロマーノ(フォルム・ロマヌム、伊:Foro Romano)は、ローマにある古代ローマ時代の遺跡。観光地として有名である。 フォロ・ロマーノは、ラテン語の古名フォルム・ロマヌム(Forum Romanum)のイタリア語読み。 紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であったが、ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。 フォロ・ロマーノの発掘は、19世紀から本格的に行われるようになったが、帝政時代初期までに開発が繰り返されており、遺構も様々な時代のものが混在しているので、発掘調査は難しい。現在の遺跡は、大部分が帝政時代以降のもの。 フォロ・ロマーノは、東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部『フォルム・ロマヌム』の遺跡。 パラティーノの丘。 パンテオンから移動。
セプティミウス・セウェルスの凱旋門の彫刻の拡大 |
セプティミウス・セウェルス |
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セプティミウス・セウェルス |
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■サトゥルヌス神殿は、アエラリウムとも呼ばれ、共和制から帝政時代にかけて国家宝物庫として機能した神殿である。ムナティウス・プランクスによって紀元前30年頃にも再建されているが、現在の神殿は497年に再度建設されたものである。 フォロ・ロマーノの西端にある。 |
サトゥルヌス神殿 |
■セプティミウス・セウェルスの凱旋門は、フォルムの西端に建つ記念門。皇帝セプティミウス・セウェルスのパルティア遠征の戦勝記念として建設され、203年に完成した。高さ23m、幅25m。白大理石の豪華な彫刻によって装飾されています。コロッセオとパラティーノの丘の間に位置するコンスタンティヌスの凱旋門に踏襲された。 |
※サートゥルヌス神殿(ラテン語: Templum Saturni または Aedes Saturnus、イタリア語: Tempio di Saturno)は、ローマ神話の神サートゥルヌスを祭った神殿。 建設時期は紀元前501年。 徐々に崩壊してほとんど何も残っていないが、正面のポルチコ(建物の玄関に導く、あるいは柱列として拡がるポーチ)部分として8本の柱とペディメント(西洋建築における切妻屋根の、妻側屋根下部と水平材に囲まれた三角形の部分、日本建築の「破風(はふ)」)の一部だけが残存している。ペディメントには
Senatus Populusque Romanus incendio consumptum restituit と刻まれており、元老院とローマ市民が火災で失われたものを復元したことを意味している。 |
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フォロ・ロマーノの遺跡 |
世界遺産 ローマ |
花を持つ |
■クリア・ユリア(ラテン語: Curia Iulia,イタリア語: Curia Iulia)は古代ローマ時代ローマのフォルム・ロマヌムに建てられた元老院議事堂。ガイウス・ユリウス・カエサルが建設した。建設時期は、紀元前44年、 |
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フォロ・ロマーノの遺跡 |
世界遺産 フォロ・ロマーノの遺跡の風景 |
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フォロ・ロマーノの遺跡 |
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フォロ・ロマーノの遺跡 |
フォロ・ロマーノの遺跡 |
フォロ・ロマーノの遺跡 |
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の最上階から見えるフォロ・ロマーノと |
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■フォロ・ロマーノでは、定期的に民会(コミティウム)が開催されており、そのための広場は宗教的な儀式によって聖別されていた。民会は、クリア・ユリアとセプティミウス・セウェルスの記念門に挟まれた場所にあり、紀元前3世紀前半から紀元前1世紀前半までは、ロストラ(演壇)を備えた直径約30mの露天の円形広場であった。民会議場に隣接して北側に元老院議事堂(クリア・オスティリア)も設置されていた。 |
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世界遺産 |
ローマで購入した絵葉書から |
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ローマで購入した絵葉書から『フォロ・ロマーノの遺跡とネコ』では、フォロ・ロマーノの全体像がハッキリと判ります。 |
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世界遺産 フォロ・ロマーノ |
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フォロ・ロマーノの |
現在、敷地の北東にはフォーリ・インペリアーリ通りが通るが、古代には諸皇帝のフォルムのうち、フォルム・ユリウム(現フォロ・ジュリアーノ)、フォルム・ネルウァエ(別名フォルム・トランシトリウム)、フォルム・ウェスパシアヌム(別名テンプル・パキス)が隣接していた。 現在は、フォルム・ユリウム、フォルム・ネルウァエの遺構の一部が発掘され、公開されている。南側にはパラティーノ(古名パラティヌス)の丘が聳え、その頂きに皇帝宮殿(ドムス・アウグスタナ)がある。北西部はカピトリーノ(古名カピトリヌス)の丘に通じる。 |
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かつてローマの凱旋式は、フォロ・ロマーノのウィア・サクラ(聖なる道)を通って、公文書館(タブラリウム)の脇を抜け、カピトリーノにあったユピテル・オプティムス・マキシムス神殿に奉献するのが習わしであった。東に進むと、有名なコロッセオに、西に進むとテヴェレ川に至る。 |
The Roman Forum (Latin: Forum Romanum, Italian: Foro Romano) is a small,
rectanglar forum (plaza) surrounded by the ruins of ancient government
buildings at the center of the city of Rome. Citizens of the ancient city
referred to this marketplace as the Forum Magnum, or simply the Forum.
It was for centuries the center of Roman public life: the site of triumphal
processions and elections, venue for public speeches, criminal trials,
and gladiatorial matches, and nucleus of commercial affairs. Here statues
and monuments commemorated the city's great men. The teeming heart of ancient
Rome, it has been called the most celebrated meeting place in the world,
and in all history. Located in the small valley between the Palatine and
Capitoline Hills, the Forum today is a sprawling ruin of architectural
fragments and intermittent archeological excavations attracting numerous
sightseers.
フォロ・ジュリアーノ
■フォロ・ジュリアーノ(伊: Foro Juliano )またはフォロ・ディ・チェーザレ(Foro di Cesare)は、ローマにある古代ローマの遺跡。 フォロ・ジュリアーノは、ラテン語の古名フォルム・ユリウム(Forum Julium)のイタリア語読みである。 フォロ・ロマーノ(フォルム・ロマヌム)に隣接し、遺跡のほぼ全体を見ることができる。 紀元前1世紀に、ガイウス・ユリウス・カエサルによるフォロ・ロマーノの北西部再建計画の一環として建設されたもので、いわゆる皇帝たちのフォルムと呼ばれるものの先駆であった。 フォロ・ロマーノと同じく、西ローマ帝国滅亡後は土砂に埋もれ、その存在は忘れ去られていた。
紀元前46年9月26日、ウェヌス神殿が完成。 このとき、フォルム全体は未完成で、紀元前44年3月15日のカエサル暗殺とその後の混乱によって工事は中断したが、後継者でローマ帝国初代皇帝となったアウグストゥスによって引き継がれ完成した。
ユリウス氏族の祖神であるウェヌスを奉ったウェヌス・ゲネトリクス神殿は、西暦64年7月18日、皇帝ネロ時代のローマ帝国の首都ローマで起こった大火災によって破壊してしまったため、トラヤヌス帝によって113年5月12日に再建された。
フォロ・トライアーノ
■トラヤヌスのフォルム(羅: Forum Traiani)、あるいはフォロ・トライアーノ(伊: Foro di Traiano)は、古代ローマ時代のローマに築かれた皇帝たちのフォルム(en)のうち、最後に置かれたフォルムである。106年にダキア征服を成し遂げ、戦利品とともにローマに戻ったトラヤヌス帝の命によって築かれた。
■トラヤヌスの市場(ラテン語: Mercatus Traiani、イタリア語: Mercati di Traiano)は、ローマ市内の大きな廃墟でフォリ・インペリアリ通りのコロッセオとは反対側の端にある。その建物と構造は古代ローマの生活の生きたモデルであり、ローマにおける継続的な建築物修復の例であり、ローマ建築の好例でもある。 トラヤヌスの市場は紀元100年から110年、トラヤヌス帝に仕えていた建築家ダマスカスのアポロドーロスが建設した。中世期にはここに階が追加され、1200年に建設されたミリツィエの塔のような防御用の要素が追加された。この場所に後に修道院が建設されたが、20世紀初頭にトラヤヌスの市場を復元するため取り払われた。
Trajan's Market (Latin: Mercatus Traiani, Italian: Mercati di Traiano)
is a large complex of ruins in the city of Rome, Italy, located on the
Via dei Fori Imperiali, at the opposite end to the Colosseum. The surviving
buildings and structures, built as an integral part of Trajan's Forum and
nestled against the excavated flank of the Quirinal Hill, present a living
model of life in the Roman capital and a glimpse at the continuing restoration
in the city, which reveals new treasures and insights about Ancient Roman
architecture. Thought to be the world's oldest purpose-built shopping mall,
the arcades in Trajan's Market are now believed by many to be administrative
offices for Emperor Trajan. The shops and apartments were built in a multi-level
structure, of which several levels can be visited. Highlights include delicate
marble floors and the remains of a library.
Trajan's Market was built in AD 100-110 by Apollodorus of Damascus, an
architect who always followed Trajan in his adventures, to whom Trajan
entrusted the planning of his Forum. During the Middle Ages the complex
was transformed by adding floor levels, still visible today, and defensive
elements such as the Torre delle Milizie, the "militia tower"
built in 1200. A convent that was later built in this area was demolished
at the beginning of the twentieth century to restore Trajan's Markets to
the city of Rome.
ガイウス・ユリウス・カエサル
■ガイウス・ユリウス・カエサル(古典ラテン語:Gaius Julius Caesar、紀元前100年 - 紀元前44年3月15日)は、共和政ローマ期の政治家、軍人であり、文筆家。 三頭政治と内乱を経て、ルキウス・コルネリウス・スッラに次ぐ終身独裁官(ディクタトル)となり、のちの帝政の基礎を築いた。『賽は投げられた』
(Alea jacta est) 、『来た、見た、勝った』 (Veni, vidi, vici) 、「ブルータス、お前もか 」などの引用句でも知られる。『カエサル』の名は、帝政初期にローマ皇帝が帯びる称号の一つ、帝政後期には副帝の称号となった。 ドイツ語の
Kaiser(カイザー)など、皇帝を表す言葉の語源でもある。 また彼が布告し彼の名が冠された暦(ユリウス暦)は、紀元前45年から1582年まで1600年間以上に渡り欧州のほぼ全域で使用され続けた。
カエサルが関係を持ったと何らかの記述がある女性は以下の通りであり、他にも多くの女性と関係したと思われる。ただし記録にある限り、子宝にはほとんど恵まれなかった。
妻 : コルネリア - ルキウス・コルネリウス・キンナの娘。最初の妻 、ユリア - 長女、グナエウス・ポンペイウスと結婚、紀元前54年死去 、ポンペイア
- 2番目の妻、紀元前62年離婚 、カルプルニア - ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌスの娘。最後の妻
愛人 : コッスティア - 騎士階級の娘。婚約するも、コルネリアと結婚するために婚約破棄 、セルウィリア - マルクス・カト(小カト)の姉、マルクス・ユニウス・ブルトゥスの母
、ポストゥミア - セルウィウス・スルピキウスの妻。、ロリア - アウルス・ガビニウスの妻。 テルトゥラ - マルクス・リキニウス・クラッススの妻。
ムキア - ポンペイウスの妻。 クレオパトラ7世 - プトレマイオス朝エジプトのファラオ。 カエサリオン - 長男(諸説あり)。 エウノエ -
マウレタニア王ボグドの妻。
世界遺産 バジリカ
■世界遺産 『ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂』
世界遺産 『ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂』の対象建築物・遺跡は、フォロ・ロマーノ 、 コロッセオ 、 コンスタンティヌスの凱旋門
、 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂 、 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 、 サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 、 カラカラ浴場
です。
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 |
サンタマリア・マジョーレ教会 |
サン・ジョパンニ・イン・ラテラノ大聖堂 |
■サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(Basilica di San Paolo fuori le mura)はローマにあるカトリック教会の大聖堂。 ローマの五大バジリカ(他の四つはサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂)の一つ。 名称は『城壁外の聖パウロ大聖堂』の意味です。 コンスタンティヌス1世により聖パウロの墓の上につくられたもの。 386年、テオドシウス1世によって大規模に建設される。
1823年に火災で焼失するが、その後再建された。
バチカンで発行されたサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(Basilica di San Paolo fuori le mura)の切手。
■サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(”Basilica di Santa Maria Maggiore”)はイタリア、ローマにあるカトリック教会の聖堂。 『聖なるマリアにささげられた聖堂』の意で、ローマの四大バシリカ(古代ローマ様式の聖堂)の一つに数えられる。 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は古代キュベレ神の神殿があった場所に築かれた。 数回にわたる改修と1348年の地震に伴う崩壊の危機を乗り越え、ローマのバシリカ様式の聖堂では唯一原構造を残している貴重な建築物。
■サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂( San Giovanni in Laterano)は、イタリアのローマにあるカトリック教会の大聖堂。古代においてラテラノ大聖堂は『救世主大聖堂』と呼ばれ、ローマの多くの教会のランク付けの中で最上位に置かれ、信徒たちの敬意を集めた。ラテラノ大聖堂はローマ司教としての教皇の司教座聖堂(カテドラル)であることから、『全カトリック教会の司教座聖堂』とも称される。
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