Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集 海外写真集|ヨーロッパ・バチカン市国(Governor of Vatican City) 世界遺産のバチカンはテヴェレ川の西側に位置し、カトリックの総本山として知られる。 ミケランジェロやラファエロなどルネサンス時代の有名画家が活躍した場所。 バチカン美術館だけでなくバチカン市国自体が巨大な美術館と思えます。 世界にも冠たる強力なパワースポット。サン・ピエトロ大聖堂

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バチカン市国(Governor of Vatican City) 世界遺産のバチカン サン・ピエトロ大聖堂

 バチカン市国(Governor of Vatican City)。 通称バチカンはイタリアのローマ市内にある世界最小・世界遺産の主権国家。 ヴァチカン、ヴァティカンとも表記する。バチカンという名称は、この地のもともとの名前であった「ウァティカヌスの丘」 (Mons Vaticanus) からとられています。 ここに教会が建てられ、やがてカトリック教会の中心地となったもともとの理由は、この場所で聖ペトロが殉教したという伝承があったためです。 その狭い領土の中にサン・ピエトロ大聖堂、バチカン宮殿、バチカン美術館、サン・ピエトロ広場などが肩を並べている。 国全体が『バチカン市国』として今ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。 バチカン市国はローマの北西部に位置するバチカンの丘の上、テヴェレ川(テビレ川)の右岸にあります。 観光客が入れる場所は、サン・ピエトロ広場、サン・ピエトロ大聖堂、バチカン博物館周辺のみ。 写真撮影はシスティーナ礼拝堂以外はOKでしたが、余りにも膨大な絵画や彫刻、時間制限がある中で見る事は至難の業です。 ルーヴル美術館と比較し小規模で少し通路が狭い感じですが、量的・質的なものは遜色がない。 N.Yのメトロポリタン美術館の感じ。 バチカン美術館だけでなくバチカン市国自体が巨大な美術館と思えます。 説明資料作成では、Wikipediaやバチカン博物館の書籍を参考に利用させて戴きました。 教会の中でも取り分け神聖な場所ですので、肌の見えるノースリーブやひざ上のスカートなどはNG!服装には気をつけて見学して下さい! 世界にも冠たる強力なパワースポットです。
 サン・ピエトロ大聖堂のヴァーチャル・ツアー英語版(バチカン市国制作)。 ・・ 内部のイメージが鮮明に分かります。
 世界遺産の切手:イタリア。  絵画切手 [ ラファエロミケランジェロ ] 

 


 海外旅行写真|ヨーロッパ(Europa travel picture) バチカン市国

■ [ オーストリア(Austoria (2005年(Wien)|2006年(Zaltburug))|チェコ(Cezh)|フランス(France (パリ(Paris)
  |ルーヴル美術館(Louvre))|オランダ(Holland、(スキポール空港アムステルダム))|ハンガリー(Hungary)
  |ドイツ(Germany (ベルリン、ポツダム(Berlin、Potsdam))|ロマンチック街道)|スイス(Switzerland)

■イタリア特別編 [ イタリアのトップミラノヴェローナヴェネツィア
フィレンツェドゥオーモヴェッキオ橋ウフィツィ美術館とアカデミア美術館 )|ローマコロッセウムフォロ・ロマーノ )|
バチカン市国
バチカン博物館ラファエロの間システィーナ礼拝堂 ) ]

下のサムネイルをクリックすると大きな写真で閲覧できます。   ご注意)写真は当方が撮影したもので著作権があります。

 バチカン市国(Governor of Vatican City) 世界遺産のバチカンは、カトリックの総本山

■バチカンの地は古代以来ローマの郊外にあって人の住む地域ではなかったが、キリスト教以前から一種の聖なる地だったと考えられている。326年にコンスタンティヌス1世によって使徒ペトロの墓所とされたこの地に最初の教会堂が建てられた。やがてこの地に住んだローマ司教が教皇として全カトリック教会に対して強い影響力をおよぼすようになると、バチカンはカトリック教会の本拠地として発展し、755年から19世紀まで存在した教皇領の拡大にともなって栄えるようになった。1860年にイタリア王国が成立すると教皇領は接収されたため、ローマ教皇庁とイタリア王国政府が関係を断絶し、教皇は「バチカンの囚人」と称してバチカンに引きこもった。 このような不健全な関係を修復すべくイタリア政府とバチカンの間で折衝が続けられたが、1929年2月11日になってようやく教皇ピウス11世の全権代理ガスパッリ枢機卿とベニート・ムッソリーニ首相との間で合意が成立し、3つのラテラノ条約が締結された。
■「バチカン放送局日本語課の公式HP

 バチカン市国・サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂
(イタリア語:Basilica di San Pietro in Vaticano)

サン・ピエトロ大聖堂(イタリア語:Basilica di San Pietro in Vaticano)はバチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山。サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意味で、キリスト教の使徒ペトロ(ペテロ)のイタリア語読みに由来します。 カトリック教会の伝承によれば、サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所があったところに建立されたとされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇る。
本来は、コンスタンティヌス1世により、聖ペテロのものとされる墓を参拝するための殉教者記念教会堂として建設されたものである。14世紀まで、ローマ司教(現在のローマ教皇)の司教座聖堂は、コンスタンティヌスのバシリカ(現在のサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂)であった。 

サン・ピエトロ大聖堂(イタリア語:Basilica di San Pietro in Vaticano) ファサード、クーポラ バチカン市国

サン・ピエトロ大聖堂(イタリア語:Basilica di San Pietro in Vaticano)

サン・ピエトロ大聖堂 
この大聖堂の建設費用を調達するためとして贖宥状(いわゆる免罪符)が発行され、
マルティン・ルターによる宗教改革の直接のきっかけになった。

ファサードの最終的なプロポーション、すなわち列柱廊を持つ楕円形広場もベルニーニの手によるものである。サン・ピエトロ大聖堂は、ルネサンスからバロックの時期にかけての巨匠たちが主任建築家を引き継いで建設したものである。また、単なる宗教施設という規模を超えて宗教芸術の宝庫にもなっています。サン・ピエトロ広場は284本の、ドーリア式円柱で装飾された回廊により広場を取り囲むように構成されている。回廊の上には、ベルニーニの弟子らが作成した140体の聖人の像が飾られている。

 

■サン・ピエトロ大聖堂は世界最大級の教会堂建築である。創建は4世紀。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものである。高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m、総面積は49,737平方m。 ミケランジェロがバチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の設計者です。
ミケランジェロが主任建築家に任命されたとき、彼はすでにかなりの高齢(72歳)であったが、超人的な能力でこの計画を押し進め、根本的な解決案を作成した。彼はまず、ラテン十字のプランをブラマンテの計画した集中式プランに改編し、主ドームを支える柱の肉厚を増すとともに、サンガッロの行った工事を破壊してまで建物の輪郭を縮小した。こうして彼はドームの横加重を外壁に伝えるとともに、工事の規模自体を縮小してコストを切り詰め、造営工事の進捗を促したのである。造営工事は迅速に進められることになり、ミケランジェロの没年である1564年に、工事はドーム(クーポラ)下部構造のドラムにまで到達した。

バチカンのサンピエトロ広場とコロネード中央部のオベリスク

身廊壁龕の像(向かって右側)

身廊壁龕の像(向かって左側)

サンピエトロ広場とコロネード中央部のオベリスク 身廊壁龕の像(向かって右側)『聖ペテロ』


『聖ペテロ』

『アレクサンドリアの聖ペテロ』 サン・ピエトロ大聖堂

『アレクサンドリアの聖ペテロ』

■キリスト教の聖地であるローマのバチカン市国には巡礼者が毎年何100000人とはるばるやってくる。
サンピエトロ広場とオベリスク:紀元前1世紀にエジプトのアレクサンドリアでローマ人によって立てられていました。アウグストゥスに捧げられたものです。ヒエログリフは書かれていません。教会堂の前部には長径200m、短径165mの広場(サン・ピエトロ広場)が存在する。サン・ピエトロ広場の工事がジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計により始まり、1667年に完成した。

バチカン博物館から見える
雨のサン・ピエトロ大聖堂

雨模様のサンピエトロ広場

バチカン博物館の庭の
モニュメント 球の球

バチカン市国への道のり

バチカン博物館から見える雨のサン・ピエトロ大聖堂 雨のサンピエトロ広場 バチカン博物館の庭のモニュメント バチカン市国への道のり

北側にはバチカン宮殿、南に教皇謁見所と宝物館が隣接する。ルネサンス時代、バロック時代を通じ、ローマ教皇にふさわしい巨大教会堂として再建され、当時の第一級の芸術家たちがその造営に携わった。その巨大さ、荘厳さ、内部装飾の豪華さを含め、聖堂の中の聖堂と呼ぶにふさわしい威容を誇っている。 「柱廊玄関」:玄関の空間だけでも壮大です。5つの扉が並び、「死の扉」「善と悪の扉」「ブロンズの扉」「秘蹟の扉」「聖なる扉」があります。

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 バチカン市国・サン・ピエトロ大聖堂の内部と身廊の各礼拝堂

『主祭壇』 - カルロ・マデルノ

内陣の青銅製大天蓋
(バルダッキーノ)

内陣の青銅製大天蓋(バルダッキーノ)
バチカン参考資料より

『主祭壇』 カルロ・マデルノ 内陣の青銅製大天蓋(バルダッキーノ) Basilica di San Pietro in Vaticano

内陣の青銅製大天蓋

バルダッキーノの下の地下室

内陣の青銅製大天蓋(バルダッキーノ)

内陣の青銅製大天蓋(バルダッキーノ)は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニと、おそらく一部はフランチェスコ・ボッロミーニによって 1624年に着手され、1633年に完成した。バルダッキーノのねじれ柱は、旧サン・ピエトロ大聖堂のパーゴラに使われていた初期キリスト教時代の円柱を再現したもので、巨大な大聖堂の中心部に視線を集中させる効果を持つ。

■サン・ピエトロ大聖堂の中に入ってすぐ右側にルネサンスの巨匠・ミケランジェロが1498年(23歳)〜1500年(25歳)にかけて制作した「ピエタ」があります。十字架にかけられて亡くなったキリストの亡骸を聖母マリアが抱いている像を「ピエタ」と言います。

バチカン サン・ピエトロ大聖堂 本物
ミケランジェロ 『サン・ピエトロのピエタ』

当サイトの参考ページ「ミケランジェロ(ルネサンス)」

ミケランジェロ 『サン・ピエトロのピエタ』

サン・ピエトロのピエタ(バチカン、サン・ピエトロ大聖堂)

サン・ピエトロのピエタ(バチカン、サン・ピエトロ大聖堂)

■ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475年3月6日 - 1564年2月18日)は、イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。名前はミカエル(Michael)と天使(angelo)を併せたもの。西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われるバチカンのシスティーナ礼拝堂の天井フレスコ画や『最後の審判』、パオリーナ礼拝堂にある『聖ペテロの磔刑』、『パウロの改宗』を描いたことでよく知られている。もともとは彫刻家であり、『ピエタ』や『ダビデ像』等の傑作のほかにも『バッカス』、『モーセ』、『ラケル』、『レア』などが有名である。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンティとともにルネサンスの三大巨匠と呼ばれる。

サン・ピエトロ大聖堂のピエタの礼拝堂 ミケンランジェロ作『ピエタ』

Basilica di San Pietro in Vaticano サン・ピエトロ大聖堂のミケンランジェロ作『ピエタ』

聖ペトロの大司教座 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ
(右足は何世紀にも渡って訪れてきた巡礼者たちの口づけでピカピカ)

サン・ピエトロ大聖堂の『天国の扉』 聖ペテロが鍵を所持

(参考)フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の北側の扉『天国への門』です。

『聖ペテロの司教座』

『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』によれば聖ペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になった。カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなす。これは「天の国の鍵」をイエスから受け取ったペトロが権威を与えられ、それをローマ司教としてのローマ教皇が継承したとみなすからである。
強力なパワースポット!!

『天国への門』

サン・ピエトロ大聖堂の『天国の扉』 聖ペテロが鍵を所持

サン・ピエトロ大聖堂の『天国の扉』?

サン・ピエトロ大聖堂の『天国の扉』 Basilica di San Pietro in Vaticano


サン・ピエトロ大聖堂の『天国の扉』は、くぐれば天国に行かれる扉だそうで、開く周期があるようです。次は2025年だそうです。
ただ、他の方の『天国の扉』とは少し見映えが違いますが、ガイドさんからはココがそうだといわれて記念撮影をして来ました。
この扉の向こうに本物があるのかもと信じて止みません。
右上にフレンツェの『天国の扉』を掲載、この扉の浮彫は旧約聖書
を題材としたものです。

サン・ピエトロ大聖堂には、中央入口の扉(ジョット 作)を除き、@『死の扉』 - ジャコモ・マンズー 、A『善と悪の扉』 、B『中央扉』 - アントニオ・フィラレーテ(1445年8月14日旧大聖堂に設置、1620年に現在の聖堂に設置) 、C『秘蹟の扉』 、D『聖なる扉』  の扉があります。 『天国の扉』とはどれにあたるのか?
ローマ・カトリック教会において、特に重視されるのはマタイによる福音書の16:18-19のイエスのペトロに対する言葉である。
「シモン・バル・ヨナ。お前は祝福されたものだ。このことは血と肉によってでなく天におられる父によって示されている。わたしは言う、おまえは岩(ペトロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐものは天でもつながれ、地上で解くものは天でも解かれるのである。」 この箇所から「天国の鍵」のデザインが教皇の紋章に取り入れられている。

サン・ピエトロ大聖堂 聖なる扉

聖アンドレア

聖エレナ(コンスタンティヌスの母)

サン・ピエトロ大聖堂の天井

聖エレナ

祭壇画

祭壇画

プージアの礼拝堂の祭壇画

聖ピウス]世の祭壇

プージアの礼拝堂の祭壇画 聖ピウス]世の祭壇

サン・ピエトロ大聖堂 クーポラ

サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂の
大きな天使

サン・ピエトロ大聖堂の大きな天使

サン・ピエトロ大聖堂 祭壇画

バロックのドメニキーノ
 『聖ヒエロニムスの聖体拝領』

洗礼堂の聖堂の祭壇画

サン・ピエトロ大聖堂 祭壇画

洗礼堂の聖堂

バチカン市国の外壁と紋章 ガレーラの噴水

サン・ピエトロ大聖堂の内部の柱の彫刻と天井

バチカン市国の外壁と紋章  サン・ピエトロ大聖堂の内部の柱の彫刻と天井 Basilica di San Pietro in Vaticano
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 バチカン市国の近郊や軽食と動物

バチカンに入る直前の風景

バチカン博物館の野良猫

イタリアでカフェのことを“BAR(バール)”と呼び、華麗な手さばきでエスプレッソをいれる職人を「バリスタ」と呼びます。美味しかった。
また太った人懐こい野良猫も居ました。

バチカン博物館でのティータイム
カプチーノとケーキ

バチカンに入る直前の風景 バチカン博物館の野良猫 バチカン博物館でのティータイム

■カプチーノ(イタリア語:cappuccino)は、イタリアで好まれているコーヒーの飲み方の1つで、陶器のコーヒーカップに注いだエスプレッソに、クリーム状に泡立てた牛乳を加えたものをいう。イタリア語の本来の発音は「カップッチーノ」に近い。好みによってチョコレートパウダーで風味付けすることもある。

サン・ピエトロ大聖堂を背景に

バチカン美術館を出た風景

バチカンの入口のお店

バチカン博物館の入場券

サン・ピエトロ大聖堂を背景に バチカン美術館を出た風景 バチカンの入口のお店 バチカン博物館の入場券

博物館近くの教会

博物館を出た所にあったサンドウィッチ屋のメニュー

博物館近くの教会

マンガのヒーローたちがメニューに ex.スーパーマン

博物館を出た所にあったサンドウィッチ屋のメニュー

チキンバーガーで昼食

バチカン博物館から見えた景色

チキンバーガーで昼食 バチカン博物館から見えた景色

バチカン美術館を出た所にあった熊のヌイグルミのお店

教皇の衛兵としてスイス人衛兵が常駐している(2007年現在110人)。1505年1月22日に教皇ユリウス2世により創設され、1527年、ローマがカール5世の神聖ローマ皇帝軍に侵攻された際(ローマ略奪)、身を犠牲にしてクレメンス7世の避難を助けた。現在はスイス国内でカトリック教会からの推薦を受けたカトリック信徒の男子が選ばれている。スイス人衛兵たちは一応武器の携行はしているものの、本質的に儀仗兵である。1981年、ヨハネ・パウロ2世が襲撃された事件以来、教皇が公の場に出て行く時、スイス人衛兵たちは催涙スプレーを常時携行するようになったという。

バチカン美術館を出た所にあった熊のヌイグルミのお店

バチカン美術館からサンタンジェロ城に向かう道筋のローマの街並み 意外と整然としてるがタバコの吸殻多し

バチカン美術館からサンタンジェロ城に向かう道筋のローマの街並み 意外と整然としてるがタバコの吸殻多し
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 バチカン市国・バチカン美術館

詳細は「バチカン博物館

バチカン美術館は、バチカン宮殿の北側にある美術館で、図書館など20を越える施設の総称。バチカン宮殿、システィーナ礼拝堂を含めてバチカン美術館と呼ぶ場合も多い。所蔵品の中心となっているのは、ユリウス2世の彫刻コレクションである。また、キリスト教美術以外にも、古代ギリシャ、古代エジプトの膨大なコレクションを誇っている。

『チグリス川の神様』 ラオコーン像の左にある

『ラオコーン像』(伊: Gruppo del Laocoonte)

チグリス川の神様 『ラオコーン像』(ラオコーンぞう、伊: Gruppo del Laocoonte)
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 バチカン市国・システィーナ礼拝堂

詳細は「システィーナ礼拝堂

システィーナ礼拝堂は、バチカン宮殿、バチカン美術館と繋がっている。シクストゥス4世の命により教皇礼拝堂として1475年に建設が始まり、1481年に建物が完成した。礼拝堂の名称は教皇の名に由来している。ミケランジェロが4年の歳月をかけて描いた大天井画の『創世記』、やはりミケランジェロが6年の歳月をかけた『最後の審判』の壁画があることであまりに有名。 また、教皇を選出するコンクラーヴェの会場としても知られている。

ミケンランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画・アダムの創造
 (Creazione di Adamo、1510年)(タジキスタン)

■システィーナ礼拝堂天井画は、バチカン市国のバチカン宮殿内に建てられたシスティーナ礼拝堂の天井に、ミケランジェロ・ブオナローティによって描かれた絵画作品です。盛期ルネサンスを代表する芸術作品の一つであるこの天井画は、1508年から1512年にかけて制作された。天井画がある壮大なシスティーナ礼拝堂は、1477年から1480年にかけて、教皇シクストゥス4世によってバチカン宮殿内に建造されたものである。さまざまな主題を含むこの天井画は、祭壇壁の『最後の審判』の巨大なフレスコ画(これもミケランジェロ作)や、他の画家たちによって制作されたフレスコ壁画、ラファエロの原画によるタペストリー群などとともに、システィーナ礼拝堂全体の装飾計画の一部をなすものであり、これらは全体として、カトリック教会の教義を絵画化したものである。律法・預言・諸書の3部39巻からなる。

ミケンランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画・アダムの創造(タジキスタン)


旧約聖書創世記の9場面、天地創造から大洪水までを描いたフレスコ画で構成されている。

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 バチカン市国・「ラファエロの間」

詳細は「ラファエロの間

バチカン宮殿は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計した大階段でサン・ピエトロ大聖堂とつながっている。ラファエロ・サンティとその弟子らによるフレスコ画のある4つの部屋からなる「ラファエロの間」で有名です。ラファエロ自身の代表作である『アテナイの学堂』もラファエロの間第2室にある。また、フラ・アンジェリコの壁画で飾られたニコラウス5世礼拝堂も有名である。

ラファエロ 『アテナイの学堂』

ラファエロ 「署名の間」の『アテナイの学堂』

ラファエロの自画像

ラファエロの自画像
『アテナイの学堂』の右端下部

「署名の間」の『アテナイの学堂』
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 バチカン市国・コインカード(COIN・CARD)

拡大せず

バチカン市国では、以前はリラが用いられていたが、イタリアがユーロに通貨を変更した2002年1月1日以降、ユーロが流通するようになった。なお、バチカン発行のコインはユーロ圏ならどこでも使用することが可能である。 写真のコイン・ミントの発行枚数は12万枚、2010年。 ベネディクト16世 (ローマ教皇)。

バチカン市国・コインカード(COIN・CARD) 表

バチカン市国・コインカード(COIN・CARD) 裏

バチカン市国・コインカード(COIN・CARD) 表 バチカン市国・コインカード(COIN・CARD) 裏

教皇(きょうこう、ラテン語:Papa)は、キリスト教の高位聖職者の称号。一般的にはカトリック教会のローマ司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す。教皇の地位は「教皇位」、あるいは「教皇座」と呼ばれる。また、教皇の権威のことを「使徒座」ということもある。
日本語では「ローマ法王」と表記されることもあるが、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の表記を推奨している。ラテン語が公式言語である教会法の正文の中では、教皇は「ポンティフェクス・ロマヌス Romanus Pontifex」(ローマ司教)という名であらわされる。

バチカン市国のコインとサン・ピエトロ大聖堂 切手

バチカン市国のコインとサン・ピエトロ大聖堂(2006年)

バチカン市国のコインとサン・ピエトロ大聖堂 バチカン市国のコインとサン・ピエトロ大聖堂 切手
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 ローマのサンタンジェロ橋はヴァチカンの入口

ローマのサンタンジェロ城からのローマの風景 テヴェレ川

テヴェレ川に架かるサンタンジェロ橋

サンタンジェロ橋からのローマの風景 テヴェレ川 サンタンジェロ橋からのローマの風景 テヴェレ川に架かるサンタンジェロ橋

ヴァチカンへ続く道
ベルニーニが配した10体の天使が迎えてくれる

テヴェレ川(Tevere)は、古代ローマ時代には「澄んでない川」を語源とするティベリス川(Tiberis flumen ラテン語)と呼ばれていた。伝説では、ローマの創始者であるロムルスも双子の弟レムスと共にこの川に流された事になっている。

サンタンジェロ橋から
サンタンジェロ城を

サンタンジェロ橋の彫刻

サンタンジェロ橋の彫刻 サンタンジェロ橋の彫刻
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 バチカン市国関連の切手

ヴァチカン市国の地図  右は(自動化切手)

サンピエトロ大聖堂、サン・パオロ・フォリレ・ッムーラ教会、サンタマリア・マジョーレ教会、サン・ジョパンニ・イン・ラテラノ大聖堂

ヴァチカン市国の地図 世界遺産
サンピエトロ大聖堂、サン・パオロ・フォリレ・ッムーラ教会、サンタマリア・マジョーレ教会、サン・ジョパンニ・イン・ラテラノ大聖堂(自動化切手) ヴァチカン市国
サンピエトロ大聖堂、サン・パオロ・フォリレ・ッムーラ教会、サンタマリア・マジョーレ教会、サン・ジョパンニ・イン・ラテラノ大聖堂(自動化切手) ヴァチカン市国

■サン・パオロ・フォリレ・ッムーラ教会、サンタマリア・マジョーレ教会、サン・ジョパンニ・イン・ラテラノ大聖堂は、世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」の中核をなす施設。

サン・ピエトロ大聖堂

■バチカン市国は国自体が文化遺産の宝庫である。サン・ピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂など、ボッティチェッリ、ベルニーニ、ミケランジェロといった美術史上の巨匠たちが存分に腕をふるった作品で満ち溢れている。 またバチカン美術館とバチカンの文書資料館には歴史上の貴重なコレクションが大量に納められている。バチカンは1984年に世界遺産に登録された。 イタリアの世界遺産物件であるローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂と隣接している。 バチカン市国(Governor of Vatican City)発行のコインはユーロ圏ならどこでも使用することが可能であるが、切手はバチカン市国以内での郵便物の投函にのみしか通用しない。

バチカン市国の地図(モノクロ、博物館で購入)

サン・ピエトロ大聖堂 ヴァチカン市国 世界遺産 バチカン市国の地図(モノクロ、博物館で購入)

サン・ピエトロ大聖堂

ヴァチカン サン・ピエトロ大聖堂

タイランド発行

聖ヨハネ大聖堂(Basilica of St. John) 1949年

サン・ピエトロ大聖堂とサン・ピエトロ広場の鳥瞰図

聖ヨハネ大聖堂(Basilica of St. John) サン・ピエトロ大聖堂とサン・ピエトロ広場の鳥瞰図

バチカン全体の飛行機からの俯瞰図(バチカン、1946年)

聖女ドミティッラのカタコンベ(catacombs)
の聖ネレウス(ネレオ)と聖アキレウス(アキレオ)

バチカン全体の飛行機からの俯瞰図(バチカン、1946年) 聖女ドミティッラのカタコンベ(catacombs)の聖ネレウスと聖アキレウス

■聖ネレオと聖アキレオとは兄弟で、ローマ軍隊の兵士。聖ペトロの手から洗礼を受けた。この二人は、聖女フラヴィア・ドミティッラの家につかえていて、彼女とともに殉教した。
■バチカンには独自の郵便局と電話局があり、ローマ市民たちは国際郵便を出す場合、ローマ市内のポストに投函して地元局とローマ国際局を通すより、ちょっと歩いてでもバチカン市国内のポストに投函するほうが格段に早くつくということを経験的に知っている。

聖母マリア教会(Shrine of Our Lady of Europe)はジブラルタルのエウローパ岬(Europa Point)にあるカトリックの教区教会であり、ナショナル・シュライン(National Shrine )である。この教会はジブラルタルのカトリック守護聖人である「エウローパの聖母マリア」に捧げられたものである。
1979年に教皇ヨハネ・パウロ2世は、ジブラルタルの守護聖人として「エウローパの聖母マリア」の名を公式に認め、その後に教会の修復が行われた。
2009年5月、創建700年を記念して教皇ベネディクト16世より、滅多なことでは与えられない黄金の薔薇がこの教会にもたらされた。

聖母マリア教会(Shrine of Our Lady of Europe) 聖母マリア教会(Shrine of Our Lady of Europe)
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 バチカン市国の事

■「バチカン市国」と「ローマ教皇庁」は同義のようだが微妙に同義でない。例えばバチカン市国の最高責任者として行政庁長官 (Governatorato dello Stato della Citta del Vaticano) が存在するが、ローマ教皇庁の実質的な責任者は国務長官がつとめている。国務長官 (Cardinal Secretary of State) はバチカン市国の外交部門の最高責任者でもある。立法権は教皇の任命によるバチカン市国委員会 (Pontifical Commission for Vatican City State) が持っている。委員会のメンバーの任期は5年となっている。

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バチカン市国(Governor of Vatican City) 世界遺産のバチカンは、カトリックの総本山