日本の写真・風景|関西:難波・商人の街の大阪・兵庫・和歌山・大津宮と琵琶湖の滋賀
|
近畿・関西
近畿・関西の良い所やお気に入りの場所を写真でご案内します。 大阪と兵庫、和歌山、滋賀を中心を中心に整理します。 太古の昔から南北朝の時代まで関西が日本の中心でした。 関西地方は歴史遺産の宝庫です。 大阪市の住吉大社の近くの住之江区に10年住んでいました。 世界遺産の姫路城、国宝の彦根城、和歌山城や大阪城、世界遺産の紀伊山地や高野山、比叡山延暦寺、琵琶湖、法善寺横町、だんじり、道頓堀、宝塚歌劇、神戸ルミナリエ、文楽・・・。仕事で関西には30年お世話になりました。 パワースポットだらけ。 最近の写真だけでなくセピア色した写真も掲載します。京都と奈良、大阪市及び東大寺、春日大社、法隆寺と長谷寺は別頁で特集しています。 ねこのたま駅長の貴志も。 不足分は切手で補間しています。
ページ内索引 [ 大阪|京都|兵庫|和歌山|滋賀|奈良 ]
関西・大阪
■関西・大阪の写真は大阪市が中心でにご覧戴けます。 世界遺産も含まれる。
大阪・住吉大社
第1本宮の本殿前の拝殿
|
大阪・住吉大社の反橋
|
大阪・住吉大社の反橋
神様が渡る橋
|
|
|
|
|
■住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。摂津国一宮です。 海の神である住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と息長足姫命(神功皇后)を祀り、「住吉大神」と総称される。 仲哀天皇9年(200年)、神功皇后が三韓征伐より七道の浜(現在の大阪府堺市堺区七道、南海本線七道駅一帯)に帰還した時、神功皇后への神託により天火明命の流れを汲む一族で摂津国住吉郡の豪族の田裳見宿禰が、住吉三神を祀ったのに始まる。 また、住吉大社の反橋(太鼓橋)は、慶長年間に淀殿が寄進。朱色の優美なシルエットが美しい。 住吉大社本殿
4棟は国宝に指定されています。 海の神である住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と息長足姫命(神功皇后)を祀り、「住吉大神」と総称される。遣隋使・遣唐使の守護神。
|
大阪・住吉大社
第1本宮の本殿前の拝殿
|
大阪・住吉大社
第1本宮の本殿前の拝殿
|
大阪・住吉大社の参道
|
|
|
|
■法善寺横丁の水掛不動尊は大阪・ミナミの繁華街の中にあります。
周りは飲み屋さんなどの飲食街。風情ある石畳に行き交う足音がコツコツと鳴り響く。もともとこの地は浄土宗天龍山法善寺の境内で、参拝客相手の露店がいつしか横丁に発展したもの。織田作之助の小説「夫婦善哉」の舞台として知られ、歌謡曲「月の法善寺横丁」にも歌われた。 難波の駅や御堂筋のすぐ近く。かに道楽も近い。法善寺(ほうぜんじ)は、大阪市中央区にある浄土宗の寺院。山号は天龍山。本尊は阿弥陀如来。そのほか水掛不動(西向不動尊)や金毘羅堂などがあり、特に水掛不動さんは有名。この寺は千日念仏を行った事から俗に千日寺と呼ばれた。寺の前を千日前と呼ぶ。寛永13年(1637年)創建。
■お不動さんはひたすら水を掛けられるがまま、それゆえにびっしりと苔むして元の素顔や姿を拝む事が出来ない。
|
法善寺横丁 水掛不動尊
|
法善寺横丁 金毘羅堂
|
南海本線難波駅の東京タワーキャラクター・ノッポン
|
|
|
|
何故か大阪で東京のはとバスに乗車
なんばパークス(NAMBA PARKS )駐車場
|
はとバスの美人車掌さん
|
|
|
|
■御堂筋(みどうすじ)は、大阪府大阪市の中心部を南北に縦断する国道である。現代の大阪市の都心部は御堂筋を中心に形成されている。名前は北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派 難波別院)が沿道にあることに由来する。全長4,027メートル、幅43.6メートル、全6車線の幹線道路で、日本の道100選のひとつ。
|
生駒山ケーブルカー
1930年頃 絵葉書
|
大阪駅 1960年頃 絵葉書
|
|
|
切手でめぐる関西地方(大阪)の良い所
大阪と奈良・金剛山
(1962年)
|
■金剛山(こんごうさん)は、奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境目にある山。かつては高間山・高天山(たかまやま)や葛城嶺(かづらきのみね)とも言いました。 標高1,125m。正確な山頂は葛木岳といい、御所市の葛木神社の本殿の裏山にあり、立ち入ることはできない。国見城跡の広場が山頂扱いされている。他に湧出岳1,112m、大日岳1,094mのピークがある。大阪府の最高地点
(1,056m) がこの山の中腹にあります。 金剛生駒国定公園
|
|
■大坂城・大阪城(おおさかじょう)は、摂津国東成郡大坂(現在の大阪市中央区の大阪城公園)にあった安土桃山時代から江戸時代の城。大阪城は、1583年(天正11年)、安土桃山時代に石山本願寺の跡地である、上町台地に、豊臣秀吉が築城を開始した。通称「太閤さんのお城」とも呼ばれているが、1959年(昭和34年)の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などは徳川氏、徳川幕府によるものであることがわかっている。お花見のシーズンは賑わいます。
|
ビルの谷間の大阪城
|
|
■桜宮公会堂:造幣局の正面玄関として、これもまた明治4年に建てられたものです。その後、造幣局の改修にともない、当地へ移設。昭和31年に、泉布観とともに重要文化財に指定されました。これと同じように造幣局の応接所として明治4年に建てられたコロニアル風の泉布観も明治天皇が名付けられたもの。以来、皇室や外国使節の宿泊所としても活用されてきました。重要文化財に指定されています。
|
桜宮公会堂玄関
(1871年)
|
■約300年の歴史と伝統を誇る「岸和田だんじり祭」は、元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆、あわやひえなどの5つの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、行った稲荷祭がその始まりと伝えられています。
|
大阪 岸和田だんじり祭
|
|
|
関西・兵庫
■姫路城は、白漆喰(しろしっくい)の白壁ゆえ、別名・白鷺城(しらさぎじょう)とも呼ばれています。 4大国宝城(姫路城、松本城、彦根城、犬山城)の一つで、築城以来の姿をほぼ残しており、1993年に日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録されました。 城は海抜45.6mの姫山の頂上に建てられており、天守閣の高さは46.4mです。通路は迷路のように曲がりくねり、複雑な防御の仕組みにより、まっすぐ進めないようになっています。
世界遺産の姫路城(白鷺城)3景
|
|
|
|
国宝・姫路城は法隆寺とともに1993年12月11日、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界遺産リストにその名が登録されました。
|
兵庫県朝来市・
生野銀山
|
■生野銀山は大同2年(807年)に開坑され、室町年間の天文11年(1542年)には山名祐豊(すけとよ)が銀鉱脈を発見、本格的な採掘が始まりました。その後織田信長・豊臣秀吉の直轄時代を経て、江戸時代には徳川家康が「銀山奉行」を設置。佐渡金山、石見(いわみ)銀山と並び徳川幕府の財源的な存在でした。そして「生野代官」が置かれ、やがて生野銀山は第三代将軍・家光の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出しました。昭和48年に閉山、1200年の長い歴史に幕を閉じました。その間掘り進んだ坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しており採掘した鉱石の種類は70種にも及んでいます。
2007年に近代化産業遺産、および日本の地質百選に選定された。
|
|
神戸異人館・風見鶏の館
|
神戸異人館 うろこの家
|
神戸のアイスが食べたいワンちゃん
|
|
|
|
■風見鶏の館は、城館風の高い天井やアール・ヌーボー風の装飾等 異人館の中でも異彩を放つ建物で、昭和53年に 神戸市の所有となり、同年に国の重要文化財に
指定されています。
■神戸で最初に公開された異人館で、国指定登録文化財。外国人向けの高級借家として建てられた。 建物の外壁と多い天然石のスレートが魚のうろこに似ているところから“うろこの家”の愛称が生まれ、親しまれている。
館内のインテリアも昔のまま。アンティークな家具や置物の逸品のほか、欧州の王室が愛用していた豪華な陶磁器などが燦然と輝いている。 隣接のうろこ美術館は絵画の宝庫。おもにヨーロッパとロシアの近・現代絵画を収集。 マチス、ユトリロ、キスリング、ビュッフェ、トロワイヨン、ワイエスら高名な画家の佳作が展示されている。
|
切手でめぐる関西地方(兵庫)の良い所
■現在の舞子公園一帯は、古来舞子浜といわれており、白砂青松と淡路島を望める風光明媚な景色から、天下の名勝といわれてきました。 江戸時代、「東海道五拾三次」を描いた安藤広重(1797~1858)は、「播磨舞子の浜」(口絵)で舞子浜の美しい海岸風景を描いています。
また、志賀直哉(1883~1971)は「暗夜行路」のなかで、「塩屋、舞子の海岸は美しかった。夕ばえを映した夕なぎの海に・・」と舞子浜の様子を描いています。
ルミナリエ(兵庫・神戸)
|
瀬戸内海・舞子の浜
(1948年) 兵庫県
|
|
|
■神戸ルミナリエ(こうべルミナリエ)は、兵庫県神戸市において、1995年から毎年12月に行われている祭典。通りや広場を独特の幾何学模様で構成されたイルミネーションで飾り、昼間とは異なる風景を現出させてその景観を楽しむ。 この装飾は、イタリア人のヴァレリオ・フェスティ(Valerio Festi)と神戸市在住の今岡寛和の共同作品である。 阪神・淡路大震災の発生を契機に鎮魂と追悼、街の復興を祈念して震災で激減した神戸への観光客を呼び戻す目的で毎年開催されている。
|
神戸港と神戸タワー
|
兵庫・神戸港の花火大会・
神戸ポートタワー
|
|
|
■旧ハンター住宅は、もと神戸市中央区北野町3丁目にあった建物を昭和38年に現在地に移築したもので、現存する神戸の異人館の中では最大の規模のものの1つです。 最初に作られたのがいつかは、はっきりとわかっていませんが、明治22年頃ドイツ人のA.グレッピー氏が英国人の技師に依頼して作ったものといわれています。 その後、英国人のE.H.ハンター氏が、北野町背後の高台に居宅を作るにあたり、この建物を買い取り、改造して現在にみる建造物に仕上げたもので、棟札に「上棟式範多氏」「40年5月吉日 棟梁芝嶋吉 建」と墨書きされています。
|
旧ハンター住宅
(神戸、1889年)
|
|
■辰鼓櫓(しんころう)は兵庫県豊岡市出石の出石総合支所敷地(旧出石町役場、旧弘道小学校敷地)に現存する明治時代初期の時計台。 ■宝塚歌劇団(Takarazuka Revue Company)は、兵庫県宝塚市を本拠に、未婚の女性のみからなる日本の歌劇団。1914年に初の公演を行って以来、今日も人気を集める女性歌劇(少女歌劇)の劇団である。現在は花(はな)・月(つき)・雪(ゆき)・星(ほし)・宙(そら)の5組と、いずれの組にも所属しない専科に分かれている。創設の当初から「老若男女誰もが楽しめる国民劇」を目指し、日本で初めてレヴューを上演した劇団として、一躍有名になった。現在も、健全かつどの世代の人が見ても楽しめる演目を中心に、芝居(ミュージカル)やレヴューを上演し続けている。ジャンルは古今東西を問わず、歴史劇、ファンタジー、そしてSFまで多岐にわたる。
|
宝塚歌劇・スミレの花咲くころ(日本)
|
辰鼓櫓とコウノトリ
(日本、兵庫)
|
|
|
関西・和歌山
■円月島 (白浜町)は、臨海浦の南の海上にぽっかりと浮かぶ小島。正式名は高島だが、島の中央が円形に開いていることから円月島と呼ばれ、白浜のシンボルとなっている。
■和歌山県白浜の千畳敷は、その名のとおり広い岩畳を思わせる大岩盤。瀬戸崎の先端から太平洋に向けて突きだしたスロープ状になった白く柔らかい岩は第3紀層の砂岩からなる大岩盤で、打ち寄せる荒波に浸食され壮大な景観を創っています。
円月島 (白浜町)
|
円月島 (白浜町)
|
千畳敷(白浜町の名勝)
|
|
|
|
アドベンチャーワールド (白浜町) ペンギン、イルカ、パンダ
|
|
|
|
■アドベンチャーワールド (白浜町)は、『人間と動物と自然とのふれあい』をテーマに一日中たっぷり楽しめる、アミューズメントパークです。パンダがいるパークとしても有名です。中国との協力で進められているジャイアントパンダの繁殖研究事業では、現在までに10頭の繁殖実績があり、うち9頭が無事に成長している。
|
アドベンチャーワールド (和歌山県白浜町) 可愛いパンダ 2011.03
|
|
|
|
アドベンチャーワールド (白浜町) 可愛いパンダとキリン
|
|
|
|
■加太・淡嶋神社は、その昔、神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。 沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。 「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」 その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。 その島が、友ヶ島です。その島には、少彦名命と大己貴命が祭られていて、皇后さまは助けてくれたお礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。 その後、何年か経ち、神功皇后の孫にあたられる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られ、いきさつをお聞きになりました。そこで、島では何かとご不自由であろうと、お社を対岸の加太に移され、ご社殿をお建てになったのが、加太淡嶋神社の起こりとされています。 供養のために2万体ともいわれるひな人形が奉納されている本殿は天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐で全焼した後、浅野幸長が再建、紀州徳川家初代・徳川頼宣が修復、江戸時代末期に第十代・徳川治宝が造営したものである。昭和54年(1979年)には傷みが目立つようになった社殿を覆うような形で新社殿が造営された。 神宝として神功皇后奉納の金銅造丸鞘太刀(国宝)、護良親王奉納の大円山形星兜(国宝)などが伝わり、この神社が古くから皇族や有力武士の厚い崇拝を受けていたことがわかる。 境内には紀文の帆柱(紀国屋文左衛門のみかん船の帆柱。願い事を唱えながら、この柱の穴をくぐり抜けると、願い事が叶うと言われています)があります。
また、加太・淡嶋神社は人形供養の神社としても有名で、境内には供養のために納められた、無数の雛人形や市松人形、はてはフランス人形までもが所狭しと並べられ、異様な雰囲気をかもし出している。そのため心霊スポットとしてマスコミに取り上げられることがある。髪の毛が伸びることで話題を集めたお菊人形も安置されている。
■ご祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと)は、医薬の神様。 特に、女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
|
和歌山県加太・淡嶋神社
奉納された木彫り熊
|
3月3日のひな流しで有名
加太・淡嶋神社 本殿
|
加太・淡嶋神社 招き猫
|
|
|
|
加太・淡嶋神社
社殿を埋める人形
|
■友ヶ島(ともがしま)は、和歌山県和歌山市加太に属し、紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ無人島群(神島、地の島、沖ノ島、虎島の四島を合わせた総称)。瀬戸内海国立公園の一部。大阪湾と紀伊水道を分ける紀淡海峡を塞ぐ形で立地し、東は紀伊半島、西は淡路島と対する。 ラピュタの世界。
■第2砲台を右に見て樹林帯の道を10分ほど登ると白亜の友ヶ島灯台が見えてきます。 白亜の友ヶ島灯台は明治5年にイギリス人ヘンリー・リチャード・ブラントンが設計により建設された灯台で東経135°の子午線の目近くに位置しています。紀淡海峡を隔てて、淡路島と対峙する灯台で紺碧の海と緑の芝生が鮮やかなコントラストを描き、まるで映画のワンシーン。
|
|
加太の港
|
友ヶ島の野奈浦桟橋
|
友ヶ島の桟橋近くの
沼(蛇ヶ池)
|
|
|
|
第一砲台跡(友ヶ島)
|
白亜の友ヶ島灯台
|
(友ヶ島)
|
|
|
|
対岸に見えるのは、
淡路島の由良港(友ヶ島)
|
第三砲台跡(友ヶ島)
|
航空保安無線施設
(友ヶ島)
|
|
|
|
島内には大戦中の施設も多く残され6カ所の砲台跡のほか紀伊防備隊の海軍聴音所、弾薬庫、軍馬舎、将校官舎、厠なども当時の面影を偲ばせてくれます。また、島内の歩道はほとんどがかつての軍用道路で、今も舗装されていない風情ある道路で島内を巡ることが出来ます。
|
軍事施設跡(友ヶ島)
|
軍事施設跡(友ヶ島)
|
弾薬庫(友ヶ島)
|
|
|
|
友ヶ島(ともがしま)は、明治時代に旧日本軍により、外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で、沖ノ島内5箇所と虎島に砲台が造られた。第二次世界大戦までは要塞地帯として一般人の立入は禁止され、地形図にも記載されなかった(修験道の山伏修行にて虎島に入る人達は特別に入島を許されていたと言われている)。島内の遊歩道に道幅の広い部分が多いのは、砲台などへ通じる軍用道路として開削されたためである。 ラピュタの世界。
後の第二次世界大戦は航空戦主体となり、対艦用に造られた砲台は使用されることのないまま終戦を迎えた。戦後は友ヶ島全体が瀬戸内海国立公園に指定された為、終戦時に爆破処分された第2砲台以外は軍事施設跡が比較的良好な状態で残っている。 ■樫野埼灯台(かしのざきとうだい)は、和歌山県東牟婁郡串本町沖の紀伊大島の東端断崖に建つ灯台。「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計し、1870年(明治3年)7月8日<旧暦では6月10日>に初点灯した日本最初の石造灯台。
|
樫野埼灯台
(かしのざきとうだい)
|
トルコ<軍艦エルトゥールル号>慰霊碑(串本町)
|
橋杭岩(串本町)
|
|
|
|
■エルトゥールル号遭難事件とは1890年9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号(Ertugrul Firkateyni)が和歌山県串本沖、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難した事件である。この事件は、日本とトルコの友好関係の起点として記憶されている。
|
■橋杭岩(はしぐいいわ)は、和歌山県東牟婁郡串本町にある奇岩群で、吉野熊野国立公園に属している。同町の大字鬮野川(くじのかわ)の小字橋杭の、紀伊大島に対向する海岸から紀伊大島方面へ南西一列におよそ850mもの長きにわたって大小約40の岩が連続してそそり立っており、橋杭岩とはその岩の総称である。直線上に岩が立ち並ぶその姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることが出来る。
|
橋杭岩(串本町)
|
|
たま駅長の貴志駅外観
|
貴志駅の入口
|
貴志駅のお店
(ねこグッズ)
|
|
|
|
たま電車(和歌山ー貴志)
|
■貴志駅(きしえき)は和歌山県紀の川市貴志川町神戸(こうど)にある和歌山電鐵貴志川線の駅。この駅の売店の飼い猫「たま」が同社より正式に駅長に任命されたことで話題を呼んだ。貴志駅出入口から南へ100m程の所に『工房レトロ貴志川ギャラリー』というオリジナルの猫グッズ・原画ショップがある。たま駅長や和歌山電鐵とは直接の関係はないが、店内は個性的な猫絵グッズであふれており、貴志駅周辺で猫グッズを取り扱っているのは小山商店以外ではこの店のみである。
|
|
切手でめぐる関西地方(和歌山)の良い所
■那智大滝は「日本の滝100選」のひとつ。「日本の音風景100選」にも選定されています。 一般に「那智の滝」といわれ、「一の滝」ともいわれるこの滝は、落差133mの日本一の直瀑です。 那智の滝は、今でも素晴らしい滝ですが、滝の背後や周囲の山々がすべて原生林に覆われていた昔の姿を想像すると、遥かに神々しい姿であったに違いありません。 滝の落ち口の岩盤に3つの切れ目があって、3本になって滝が落ちることから那智の滝は「三筋の滝」ともいわれます。 滝の落ち口の幅は13m。 滝の落ち口には注連縄の張られていますが、この注連縄は毎年2回、7月9日と12月27日に神職の手によって張り替えられます。 滝の右手には「那智原始林」と呼ばれる原生林が広がっていて、国の天然記念物に指定されています。32haというわずかな面積ですが、那智原始林は和歌山県下唯一の原生林で、とても貴重な照葉樹林の森です。
和歌浦・観海閣(1951年)
和歌山
|
つつじ並びに和歌山マリーナシティ及び和歌浦湾
(2002年)
|
和歌山城と桜
|
|
|
|
沖の島野奈浦
(友ヶ島、1951年)
|
吉野熊野・那智の滝
(1970年、国立公園)
|
護摩壇山とシャクナゲ
(和歌山県)
|
|
|
(高野竜神国定公園)
|
■護摩壇山(高野龍神スカイライン:紀州の屋根、護摩壇山を頂上とする龍神村の山並みは、いまだ雄大な原生林の大樹海をいにしえ人の逸話を数多く残している大自然と伝説の宝庫です。その山頂近くには、ごまさんスカイタワーという護摩供養の護摩木を積み上げた形のユニークな塔があります。
関西・滋賀
■滋賀県では、井伊直弼の彦根城と日本で一番大きい琵琶湖、信楽焼き、大津絵、紫香楽宮が有名です。信楽町(しがらきちょう)は、かつて滋賀県の南東(甲賀忍者の甲賀地方)に存在した町。陶磁器の信楽焼で有名である。町全体にタヌキの置物があります。紫香楽宮/信楽宮(しがらきのみや)は、奈良時代、聖武天皇が近江国甲賀郡(現在の滋賀県甲賀市信楽町)に営んだ離宮。後に甲賀宮(こうかのみや)とも称され、都となった。
国宝・彦根城天守閣
|
信楽焼き・夫婦タヌキ
|
|
|
■彦根城(ひこねじょう)は、日本の滋賀県彦根市金亀町にあった城である。江戸時代および明治2年(1869年)の版籍奉還後から明治4年(1871年)の廃藩置県まで彦根藩の役所が置かれた。近世にあたる江戸時代に滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城である。山は「金亀山」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいう。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。城内は『梟の城』、『武士の一分』、『大奥』など数多くの映画や、テレビドラマのロケ地として頻繁に使われている。
■信楽焼(しがらきやき)は、滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶器で、日本六古窯のひとつに数えられる。一般には狸の置物が著名である。 信楽は、付近の丘陵から良質の陶土がでる土地柄である。長い歴史と文化に支えられ、伝統的な技術によって今日に伝えられて、日本六古窯のひとつに数えられている。
|
信楽焼き・タヌキ
|
|
琵琶湖大橋
|
琵琶湖・大津港
|
八幡山城・西の丸跡
琵琶湖の向こうに比叡山
|
|
|
|
琵琶湖沿いのホテル・食堂街
|
瀬田の唐橋
|
近江八幡・
日牟禮八幡宮の本殿
|
|
|
|
■瀬田の唐橋(せたのからはし、瀬田唐橋〈せたからはし〉)は、滋賀県大津市瀬田-唐橋町の瀬田川に架かる橋。東海道・東山道(中山道)方面から京都へ向かうには、琵琶湖を渡るか南北いずれかに迂回しないかぎり、琵琶湖から流れ出る瀬田川を渡る必要がある。1889年(明治22年)まで、瀬田川に架かる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、交通の要衝かつ京都防衛上の重要地であり、古来「唐橋を制する者は天下を制す」といわれた。 201年(神功皇后摂政元年)、香坂皇子と忍熊皇子が反乱。忍熊皇子は神功皇后(応神天皇の母)の家来である武内宿禰の軍に攻められ、瀬田の渡しで入水して自害したという(『日本書紀』巻第9
気長足姫尊 神功皇后)。
■日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)は、滋賀県近江八幡市宮内町にある神社。古くから近江商人の信仰を集め、二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財。
|
「幻住庵」
「とくとくの清水」
|
「幻住庵」の門
|
義仲公の側女
山吹御前の塚
|
|
|
|
義仲寺の境内の
芭蕉の実
|
■幻住庵:1690年、松尾芭蕉47歳、「おくのほそ道」の旅を終えた翌年、4月~7月までの4か月を国分山の幻住庵に暮らし「幻住庵記(げんじゅうあんき)」を書く。芭蕉俳文中の秀作とされる。松尾芭蕉「野ざらし紀行」の、『とくとくの清水』の話は有名です。
■義仲寺(ぎちゅうじ)は、滋賀県大津市馬場にある単立(天台宗系)の寺院。山号は朝日山。本尊は聖観音菩薩。この寺の創建については不詳であるが、源義仲(木曾義仲)の死後、愛妾であった巴御前が墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる。
|
|
比叡山・延暦寺・根本中堂(国宝)
|
比叡山・延暦寺・根本中堂
|
|
|
比叡山・延暦寺
|
八幡山城・北の丸跡から
見る比良山(近江八幡)
|
■八幡山城(はちまんやまじょう)は、滋賀県近江八幡市宮内町周辺(近江国蒲生郡)に存在した日本の城(山城)。 羽柴秀次(豊臣氏の2代目関白)の居城として知られる。別名近江八幡城とも呼ばれている。
|
|
|
■比叡山(ひえいざん)とは、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称である。大比叡の一等三角点は大津市に所在する。高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、延暦寺や日吉大社があり繁栄した。東山三十六峰に含まれる。別称は叡山、北嶺、天台山、都富士など。古事記では比叡山は日枝山(ひえのやま)と表記され、大山咋神が近江国の日枝山に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。登山も盛んで、代表的な登山口としては京都市左京区修学院から登る雲母(きらら)坂、滋賀県側の門前町・坂本から無動寺谷を通って登る登山道などがある。
|
切手でめぐる関西地方(滋賀)の良い所
■琵琶湖(びわこ)は、滋賀県にある湖。日本で最大の面積を誇る。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。ラムサール条約登録湿地。滋賀県の面積の6分の1を占め、流れ出る水は瀬田川・宇治川・淀川と名前を変えて、大阪湾(瀬戸内海)へ至る。琵琶湖が形成された時期は、約400万年~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。
滋賀・琵琶湖にヨシ
にヨット
|
彦根城(滋賀県)
|
国宝・彦根城天守閣
|
|
|
|
■碧水城と呼ばれた美しい水口城(みなくちじょう、小堀遠州作)の城下町の面影を漂わせています。信楽の近くになります。特産品は広重53次に描かれている「干瓢(かんぴょう)」「藤細工」「煙管」などがある。また4月に行われる水口曳山祭は有名です。絵は宿場の外れの干瓢農家を描いてる。干瓢は
栃木の生産であったが、城主の移動と共に伝わったものと言われてる。水口はみなくちです。歌舞伎の「重の井の別れ」の舞台となったところです。今も国道1号線が通っています。シーボルト
が「江戸参府紀行」に水口のことを書いています。 滋賀県甲賀市。
■「京立ち石部泊り」と言われ、京都を出て1日の行程にあり、京都から東へ下る旅人の多くが最初に泊まる宿場である。広重描く石部は遠くに琵琶湖が見渡せる草津に近い目川の里、画中の田楽焼豆腐「いせや」はすでに無い。近くには金山の採掘跡があり、堅実な人のたとえで呼ばれる「石部金吉」はここから出た。
|
歌川広重画 東海道五拾三次之内 草津
(名物立場)
|
歌川広重画 東海道五拾三次之内 滋賀・水口
(名物干瓢)
|
歌川広重画 東海道五拾三次之内 石部
(滋賀県湖南市)
|
|
|
|
世界遺産・延暦寺・
根本中堂
|
延暦寺・根本中堂、延暦寺・不滅の法灯、
延暦寺・にない堂
|
|
|
世界遺産・
延暦寺・根本中堂
|
■比叡山延暦寺は、延暦7年(788)、最澄(伝教大師)が平安京の鬼門鎮護のために一乗止観院(現根本中堂)を建て比叡山寺と称したのが 始まりとされます。延暦25年、桓武天皇から天台法華円宗を公許され、天台円教・密教・禅法・戒律の四宗兼学道場となりました。 色々な高名の僧侶の名前が記載してある階段を通り登ります。 かの有名な武蔵坊弁慶も居たそうです。 一番有名な比叡山焼き討ち(ひえいざんやきうち)は、元亀2年9月12日(1571年9月30日)に行われた戦い。この戦いで、織田信長は僧侶、学僧、上人、児童の首をことごとく刎ねたと言われている。 写真にありませんが、年末年始で必ず出てくる除夜の鐘の鐘楼もあります。 ゴマ豆腐が有名です。
|
|
■日本の国宝の索引 [ 世界遺産(日本全体、奈良、京都、日光、琉球)|建築物|絵画|工芸品 ]
|
|
|
日本の写真・風景|関西:難波・商人の街の大阪・兵庫・和歌山・大津宮と琵琶湖の滋賀
|
|