大和の風景の切手と写真|山の辺の道(天理市) 天理教、大和神社・・
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山の辺の道
日本最古の道である大和の古道(やまとのこどう)のうち、奈良盆地の東、平地と山地の間を縫うように南北に通る道が『山の辺の道』です。 山の辺の道は、三輪山のある桜井市から天理市を経由して奈良市の春日山まで続く道です。 今回は道のりの丁度真ん中の天理周辺のの神社・仏閣・古墳(遺跡)を対象としました。 天理市は天理教の本山、伊勢神宮と同じ古さの日本最古の石上神社と七支刀、天皇陵があります。 各々格式だけでなく相当古く有名な神社や遺跡。 また各神宮等の謂れは、Wikipedia を参考にしてます。 奈良・桜井(泊瀬の道の海石榴市が山の辺の道の出発点若しくは終点と言われています。 平成22年6月5日撮影。 切手以外の写真はクリックで拡大。
参考 奈良・天理(山の辺の道)
索引 [ 天理市と天理教・教会本部|大和神社 ]
天理市と天理教・教会本部
■天理市(てんりし)は、奈良県北中部に位置する市。日本で唯一宗教団体の名称が市名となっており、市の中心部には天理教関連の施設が集中する等、宗教都市として知られてる。
市の中心部には石上神宮、大和神社や天理教関連の施設が集中しており、宗教都市としての性格を持ち合わせる。 「信者=落ち葉」で、天理市にお参りすることを“おぢばがえり”といいます。 天理市は歴史も古く、山の辺の道の中間点、文化財や史跡が散在してます。 天理市は天理教の本山、他には伊勢神宮と同じ古さの日本最古の石上神社と七支刀、天皇陵、戦艦大和の大和神社があります。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。
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★「こどもおぢばがえり」とは、毎年7月下旬から8月上旬にかけて行われる、子ども向けの行事である。天理教の信者家庭でなくても参加可。信者詰所で(日帰り参加者もいる)宿泊し、天理市内で行われる様々な行事に参加する。子供達が人間としてより一層成長して行くとともに、友情の輪を広げて行くという趣旨がこめられてる行事である。 奈良市内に住んでた時はよく子供達が出掛けた記憶がある。 天理教では、人間の命の発祥地の中心を「ぢば」(地場)と称し、教祖の「ぢばさだめ」という啓示でその場所を定めてる。 現在の天理教教会本部は、この「ぢば」を中心に建られてる。 通常は、丁寧語の「お」をつけて「おぢば」と呼び、人がこの地を訪れることは、故郷に帰ることであるから、「おぢばがえり」と呼んでいる。
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天理の街並み
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★天理教(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した新宗教の一つである。中山みきを教祖(おやさま)とする宗教団体で、主祭神は天理王命(てんりおうのみこと)。そのほかに教祖と御霊を祀る。
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教会本部の入口の門
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天理教本部(おぢばがえりで有名です)
正面が南礼拝場、右手が東礼拝場、左手が西礼拝場
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大和神社(おおやまとじんじゃ)
■大和神社(おおやまとじんじゃ)は、奈良県天理市にある神社である。式内社(名神大社)、十六社・二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。旧称朝和之宮(あさわのみや)。中殿に日本大国魂大神、左殿に八千戈大神、右殿に御年大神を祀る。 朱鳥6年(692年)、持統天皇は藤原京の造営にあたって、伊勢・住吉・紀伊の神とともに当社に奉幣し伺いを立てた。寛平9年(897年)、最高位である正一位の神階が授けられた。延喜式神名帳には「大和国山辺郡
大和坐大国魂神社 三座」と記載され、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記されてる。 戦艦大和には、同名であることから当社の祭神の分霊が艦内で祀られてた。 戦艦大和は昭和20年(1945年)に沖縄沖で沈没したが、そのときに亡くなった2717名の英霊が末社・祖霊社に合祀されてる。 朱鳥6年(692年)、持統天皇は藤原京の造営にあたって、伊勢・住吉・紀伊の神とともに当社に奉幣し伺いを立てた。寛平9年(897年)、最高位である正一位の神階が授けられた。延喜式神名帳には「大和国山辺郡
大和坐大国魂神社 三座」と記載され、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記されてる。後に十六社・二十二社の一社ともなった。
大和神社の境内と
二の鳥居
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高●神社
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大和神社
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大和神社の金ピカな
吊るし灯篭
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★巫女さんが持つ鈴は、御祈願の御鈴の儀に使用するものを神楽鈴(かぐらすず)ないし鉾先舞鈴(ほこさきまいすず)、浦安の舞で使用する短剣の根元に鈴がついたものを矛鈴と呼んでいます。
拝殿においてありました。
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大和神社の神楽鈴
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増御子神社
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厳島神社・事代主神社
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祖霊社
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★日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)で、宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されたが、第十代崇神天皇六年に天皇が神威をおそれ、天照大神を皇女豊鋤入姫命をして倭の笠縫邑に移されたとき、皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)に勅して、市磯邑(大和郷)に移されたのが当神社の創建であると伝えられてる。(2000余年前)奈良時代、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ遣唐使、その他使臣は、出発に際して、当社へ参詣し、交通安全を祈願された。
平安初期までに、天照大神を祀る伊勢神宮に次ぐ広大な社領を得、朝廷の崇敬を受けて隆盛した。しかし、平安京への遷都や藤原氏の隆盛などにより衰微し、中世には社領を全て失った。
★増御子神社は、猿田彦神、天鈿女命(あまのうすめ)、神武天皇の功臣、椎根津彦の子孫市磯長尾市氏命を祀る。例祭 4月1日 知恵の神、受験・就職・産業開発を祈る。
★高●神社(たかおおかみじんじゃ)は、御祭神高●大神 天候、産業を司り水利を受け給う。 祈雨、祈晴、暴風除けを祈る。 当社は古く、大倭神社注進状にも記載され丹生川上神社上社の本社でもある。
★厳島神社(左)・事代主神社(右)は、厳島神社:御祭神 市杵島姫命 例祭4月1日 9月23日 美容をすすめ弦楽の技を司どる水産の葉を奨め給う。 事代主神社:御祭神 事代主神 世にエビス様と称され、福の神です。
★祖霊社は、戦艦大和第2艦隊戦没者霊を祀ると共に、大国主神・氏子崇敬者が鎮まる。昭和20年4月7日 鹿児島県坊ノ岬沖にて撃沈され、伊藤整一命他2736柱を合祀される。
★朝日神社は、桜井・奈良街道を行く方は必ず詣でしと言う。殖産を興し交易を奨め給う。
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大和神社の本殿
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大和神社の由緒
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朝日神社
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