名張・万葉の会|藤井寺&羽曳野 国府(こう)遺跡・衣縫廃寺 |
国府(こう)遺跡
藤井寺市・国府(こう)遺跡旧石器時代から中世に至るまでの複合集落遺跡です。 縄文時代から弥生時代の人骨が90体検出され、市章にもなっているけつ状耳飾りも出土しています。また、飛鳥時代には衣縫廃寺が創建され、塔心礎が今でも残っています。 地名からこの付近は河内の国府が設置されていたと考えられています。 国府遺跡は、縄紋時代前期(約6000年前)の土器が出土しており、南河内において最も古い縄紋時代の遺跡であるとともに、人骨を遺す情報量の豊富な遺跡として今なお重要な意義をもった遺跡といえます。 アルカリ性の土壌も色んな過去のものを残す事に役立ったとも言われている。 石器には二上山のサヌカイトが使われています。
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国府遺跡と衣縫廃寺の跡 |
国府遺跡の |
国府遺跡の文化財 |
■国府遺跡のモニュメントは遺跡とは全く無関係ですが、下の礎石は重要文化財です。モニュメントは昔、ある鉄道会社がこの辺りで出来、1年で瞑れたそうです。それを知った篤志家が従業員を救済し、そのお礼で建てたそうです。(ガイドさん談)国府遺跡の古代寺院を衣縫造の氏寺とする傍証とします。
■衣縫廃寺 : 国府遺跡の区域内で、飛鳥時代に創建されたと考えられる寺院跡が見つかっている。今は廃寺で寺社名も伝わ っていないことから、便宜上近辺の字名をとって「衣縫廃寺」と呼ばれている。飛鳥寺式(花組)・船橋廃寺式・豊浦寺式(高句麗系)・紀寺式・西琳寺式などの軒丸瓦が出土しています。高句麗系瓦は、南河内の船橋廃寺・土師寺出土と同笵とされています。また飛鳥寺式は、飛鳥寺創建時のものと同笵のうえ、平瓦や丸瓦までも同一のものが使用されている事から、衣縫廃寺は飛鳥寺創建とほぼ同時期に建立されたのではないかと考えられています。 創建に関しての詳細は不明で、僧・慧灌(エガン)による推古33年(625)建立の井上寺であるという説、地名から衣縫造(キヌヌイノミヤツコ)の氏寺とする説、志紀郡にあることから志紀県主(シキアガタヌシ)の氏寺とする説などがあります。
■二上山 : 奈良県香芝市と大阪府南河内郡太子町の間をまたいでそびえるのが、標高517mの二上山です。二上山は雄岳(517m)と雌岳(474m)の二つの峰をもつ山で、いわゆる双峰岳です。古来からパワースポットでした。すぐ南麓には古代街道として有名な竹内街道が巡り、さらにその南方には修験道や山岳仏教において霊山である葛城山(959m)、金剛山(1125m)がそびえています。立地的状況から見ても、二上山は当時の里人や旅人(竹内街道の)にとってランドマーク的役割をじゅうぶんに果たしていたと思われ、それが信仰対象にまでなったのに、そう時間はかからなかったことでしょう。この山がサヌカイト(讃岐石)の産出地として、主に縄文時代において石器生産・流通の一大中心地だった。先史時代においては優良な石器石材として重宝されていました。日本列島においては、香川県白峰山と奈良県二上山がその代表的な山地でした。
讃岐岩(さぬきがん、sanukite、サヌカイト)は、名称のもとである香川県坂出市国分台周辺や大阪府と奈良県の境にある二上山周辺で採取される非常に緻密な古銅輝石安山岩。固いもので叩くと高く澄んだ音がするので、カンカン石とも呼ばれる。
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