名張・万葉の会|藤井寺&羽曳野 誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵) |
誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)
拝所誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん、誉田山古墳とも)は大阪府羽曳野市に所在する古市古墳群の中心となる巨大古墳です。 墳丘長約425m 後円部径約256m 高さ約36m 前方部幅約330m 高さ約35m、体積が日本一の前方後円墳。420メートルの墳丘の長さは、百舌鳥古墳群の大仙陵古墳(「仁徳天皇陵古墳」「大山古墳」「百舌鳥耳原中陵」などと呼ばれる)に次ぐ巨大前方後円墳です。 陵号は恵我藻伏岡陵(えがのもふしのおかのみささぎ)。一般的には応神天皇陵と呼ばれています。 5世紀初頭の築造と考えられ、体積では世界一の墳墓と評価されている。 応神天皇恵我藻伏崗陵(おうじんてんのうえがのもふしのおかのみささぎ)として誉田別尊(ほむたわけのみこと)−応神天皇の陵とされています。 近くにある誉田八幡宮はこの応神天皇を祭神としています。
切手以外の写真はクリックで拡大。
体積では143万3960立方メートルと拝所誉田御廟山古墳は日本一を誇る。後円部の直径267メートル高さ36メートル、前方部の端での幅330メートル高さ35メートルとそれぞれ日本最大の前方後円墳・大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を上回る。
■拝所誉田御廟山古墳の副葬品は、埴輪の種類が多い。円筒、キヌガサ、家、盾(たて)、甲(よろい)、草摺(くさずり)、水鳥など。内濠から土師器と共に魚形土製品が10個出土している。鯨、烏賊(いか)、蛸、鮫、海豚など。これらの土製品の解釈にはさまざまな説がある。 円筒埴輪や円形埴輪、後円部側の外濠の外部で馬形埴輪なども出土している。
■誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は大阪府羽曳野市にある神社である。旧社格は府社。応神天皇を祀り、応神天皇陵のすぐ南に鎮座する。
社伝では、欽明天皇の命により、応神天皇陵の前に社殿を建立したのに始まるとしており、そこから「日本最古の八幡宮」を称している。実際には、もっと後の八幡信仰が盛んになった時代に建立されたものとみられる。八幡神が源氏の氏神とされることから、源氏姓を名乗る歴代の将軍をはじめ、武家の信仰を受けた。国宝の塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうみこし)(鎌倉時代)
、金銅透彫鞍金具(古墳時代)がある。
■応神天皇(おうじんてんのう、仲哀天皇9年12月14日(201年1月5日) - 応神天皇41年2月15日(310年3月31日))は、第15代の天皇(在位:応神天皇元年1月1日(270年2月8日)
- 同41年2月15日(310年3月31日))。諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)。誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだのすめらみこと)、胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とも称される。実在性が濃厚な最古の大王(天皇)とも言われる。古事記』の干支崩年に従えば、4世紀後半となる。『宋書』や『梁書』に見える倭の五王の讃に比定する説(ほかに仁徳天皇や履中天皇を比定する説もある)、「広開土王碑」に見える倭国の朝鮮進出を指揮した可能性も指摘されている。 神功皇后の三韓征伐の帰途に宇瀰(うみ、福岡県糟屋郡宇美町)で生まれたとされる。
誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん:大阪府羽曳野市誉田)
★世界遺産名:「百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-」
百舌鳥・古市古墳群は,古墳時代の最盛期であった4世紀後半から5世紀後半にかけて,当時の政治・文化の中心地のひとつであり,大陸に向かう航路の発着点であった大阪湾に接する平野上に築造された。
世界でも独特な,墳長500メートル近くに達する前方後円墳から20メートル台の墳墓まで,大きさと形状に多様性を示す古墳により構成される。墳丘は幾何学的にデザインされ,埴輪などで外観が飾り立てられ,葬送儀礼の舞台となった。(令和元年登録)
名張・万葉の会|藤井寺&羽曳野 誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵) |