大和の風景|奈良・明日香村(飛鳥)は「日本の心の故郷」の写真と切手 No.2 |
ページ内索引 [ 亀石と猿石、鬼の爼・鬼の雪隠|飛鳥坐神社|甘樫丘と雷丘(豊浦)|飛鳥水落遺跡と石神遺跡|飛鳥寺 |気都倭既神社|談山神社から明日香 |都塚古墳|石舞台|橘寺 川原寺跡 |ニュース ]
明日香村
歴史の宝庫の明日香村(あすかむら)は、奈良県の中央部に位置する村で奈良県高市郡明日香村が正式。中央集権律令国家の誕生の地である事から飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されている事で知られ、「日本の心の故郷」と呼ばれています。
切手以外の写真はクリックで拡大。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。 |
||
明日香村周辺の地図 |
||
明日香村大きな地図で見る |
このページのトップへ |
気都倭既神社(けつわきじんじゃ)
■気都倭既神社(けつわき、明日香村)は、社地は、俗に「もうこの森」とよばれている。 645年、大化の改新で藤原鎌足が、暗殺した蘇我入鹿の首に追われ、飛鳥板葺宮から当地まで逃げ、「もう来ぬだろう」と言ったらしい。 御祭神は、気津別命 天児屋根命 。 拝殿はなく、一段高いところに祠が二つ。 一つは明治末年に合祀された春日神社。
気都倭既神と |
気都倭既神社 |
気都倭既神社の |
前を流れる 冬野川の守護神。このあたりにもスピリチュアルなパワーを感じました。 |
||
明日香への道すがらの |
道標・左が「もうこの森」 |
|
春日造りの小さい社殿が二つあり、祭神は 「気津別命」・「天津兒屋根命」を祭る。 気津別命は饒速日命に繋がる神(物部氏の系統) 創建年代は不明。
談山神社から明日香への道のり
■談山神社から明日香(飛鳥、あすか)への道のり:談山神社から明日香(飛鳥)への道すがら、のどかな田舎の風景、森林の中、段々畑の道、千差万別。 相当の昔、中大兄皇子や藤原鎌足が通った道とは言え大変さが伺える。凡そ2時間程度で到着。 山道は登りもシンドイが下りは余計にシンドイ。
都塚古墳 くつな石、マラ石
■都塚古墳(6世紀後半)を調査中の同村教育委員会と関西大は2014年8月13日、墳丘が階段状に垂直に石積みされた“階段ピラミッド”のような外観だったことが分かったと発表した。
中国東北部から朝鮮半島北部を支配した高句麗(こうくり)の古墳と類似した特異な形態や規模の大きさなどから、大きな権勢を誇った大豪族・蘇我(そが)氏の礎を築いた稲目(いなめ、?~570)の墓との説が出ている。 この都塚古墳は、正月元旦に金鳥が鳴く伝承があり別称を「金鳥塚」、古墳時代後期の6世紀後半の築造と推定される。
■都塚古墳は1辺約41~42メートルの大型方墳で、階段状に土を盛って高さ4.5メートル以上の墳丘を築いたと分かった。段築は5段以上あったとみられ、1段の高さは30~60センチ。段の部分に拳大から人頭大の石を垂直に積み上げていた。墳丘の周囲を巡る幅1~1.5メートルの周濠(しゅうごう)跡も見つかった。同古墳は全長約12メートルの横穴式石室を備え、江戸時代には既に入り口が開いて、長さ2.2メートルの家形石棺を納めてあることが知られていた。一方、墳丘の詳しい形や規模はこれまで不明だった。
ブログ:歴史探訪|明日香にあったピラミッド型の古墳
飛鳥稲淵宮殿跡をあとにして稲淵川を下ると冬野川の合流地点の手前に小さな集落があります。 道路の傍らに辻堂摩崖仏がありました。 不動磨崖仏です。 専称寺というお寺の本堂に上がる中段にお堂が建っています。 中をのぞくと日本三石彫如意輪観音の一つがあります。 村の観音堂とも言われていて、この中に 如意輪観音石仏が祀られています。 鎌倉時代初期の作もしくはそれ以前の作。 黒い石(黒色蛇紋岩)に彫られた美しい如意輪観音像です。 2020.10.01
飛鳥川の上流 稲淵川 |
辻堂摩崖仏 不動磨崖仏 専称寺 |
|
村の観音堂 専称寺 |
如意輪観音像 |
農村レストラン |
「古代米」を使っためずらしいごはんと呉豆腐、地元野菜 |
専称寺は、飛鳥歴史公園の石舞台地区と、祝戸地区に挟まれた村の中に有ります。
この地点を過ぎると飛鳥歴史公園の入り口。 玉藻橋があります。
飛鳥川に架かる玉藻橋は石舞台古墳のすぐ近くにあります。
玉藻橋 万葉歌碑 |
玉藻橋から上流を 滝 |
明日香川 瀬瀬(せぜ)に玉藻は 生(お)ひたれど しがらみあれば 靡(なび)きあはなくに 作者未詳 (万葉集 巻7 1380) |
柵(しがらみ)とは、水の勢いを弱めるために、川の中に杭(くい)を一定の距離に打ち並べて柴や竹などを絡み付けたものを言います。遠い昔、飛鳥川に柵を渡す光景はよく見られたようです。
石舞台、酒船石遺跡
■石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。封土(盛り土)の上部が剥がされてるため、その形状は、2段積の方墳とも上円下方墳とも下方八角墳とも推測されてる。また、一辺51mの方形基壇の周囲に貼石された空濠をめぐらし、さらに外提(南北約83m、東西81m)をめぐらした壮大な方形墳であるという。蘇我馬子の墓であったことから封土が剥がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰とする説もある。
■石舞台から北へ向かうと小高い丘の上にある竹やぶに突如現れる謎の石があります。石の長さは5m、幅2.3m、厚さ1mの花崗岩のこの石は酒船石と呼ばれています。
酒船石遺跡 |
宇宙人のメッセージを思わせるような模様が特徴です。昔お酒を搾(しぼ)るのに使ったとか、薬を使うのに使ったとか色々な説があるようですが実際の所は謎です。ただ、この石の近くで水を引く土管や石棺が発掘されていることから、この石に水を引いていたのは確かなようです。側面には石を割った跡があり、近年他にこの石を流用したようです。 |
酒船石遺跡 |
酒船石の説明 |
酒船石遺跡 |
酒船石 |
橘寺(たちばなでら) 川原寺跡
■橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音。橘寺という名は日本書紀によると、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守(たじまもり)が持ち帰ったが既に天皇はなく、橘(みかんの原種)の実を植えたことに由来する。橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は太子建立七大寺の1つとされる。聖徳太子誕生の地に太子自身が創建とされる橘寺(たちばなてら)。
寺伝では、606年(推古14)、聖徳太子は推古天皇に請われて勝鬘経(しょうまんきょう)の講説を三日間この地で行った。すると、蓮の花が天から溢れ落ちてきて庭に積もった。さらに南の山に千の仏頭が現れ、太子の冠からは日月星の光が輝くなど不思議なことがおこった。そこで、天皇がここに寺を建てるよう皇子に命じられ、皇子が尼寺を建立したのが橘寺の始まりとされている。
■田道間守(たじまもり/たぢまもり)は、記紀に伝わる古代日本の人物。 『日本書紀』では「田道間守」、『古事記』では「多遅摩毛理」「多遅麻毛理」と表記される。
天日槍の後裔で、三宅連(三宅氏)祖。現在は菓子の神・菓祖としても信仰される。
史実としては、橘寺の創建年代は不明で、『日本書紀』天武天皇9年(680年)4月条に、「橘寺尼房失火、以焚十房」(橘寺の尼房で火災があり、十房を焼いた)とあるのが文献上の初見である。当初の建物は、東を正面として、中門、塔、金堂、講堂が東西に一直線に並ぶ、四天王寺式または山田寺式の伽藍配置だったことが判明している。
奈良・明日香の橘寺とヒガンバナ(彼岸花) 切手 |
■彼岸花(ひがんばな)の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。上記の飢餓植物としての面から一考する価値はあると思われる。別名の曼珠沙華は、法華経・・・の仏典に由来する。また、"天上の花"という意味も持っており、相反するものがある(仏教の経典より)。日にちを忘れない花です。 |
|
■川原寺(かわらでら)は、飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並び、飛鳥の四大寺の一に数えられた大寺院であったが、中世以降衰微した。 川原寺跡は国の史跡に指定されている。 7世紀半ばの天智天皇の時代に建立されたものと思れる。川原寺の伽藍配置は一塔二金堂式の特異なものであったことが判明し、「川原寺式伽藍配置」と称されている。 現在、川原寺跡は南大門、中門、廻廊などの旧位置がわかるように整備されている。 現在の真言宗豊山派 仏陀山 弘福寺は、重要文化財の木造持国天・多聞天立像(平安時代前期)を安置する。
国の史跡 川原寺跡 |
国の史跡 川原寺跡と真言宗豊山派 仏陀山 弘福寺 |
万葉歌碑 |
国の史跡 川原寺跡 真言宗豊山派 仏陀山 弘福寺 |
国の史跡 川原寺跡 |
国の史跡 川原寺跡 |
昭和32年から35年にかけて行われた発掘調査によって川原寺の伽藍配置は他にあまり類を見ない『1塔2金堂式』であり、北側の講堂の三方を僧坊がめぐり、その広さは東西詳細わからず(最低でも150m)、南北およそ300mを誇っていたことがわかりました。
昭和49年、川原寺の境内、北側の山肌から千数百体の三尊塼仏(塑像・レリーフ状の板に彫られた仏様)が出土しています。これは飛鳥時代のものとしては日本中のどこにも例が無い極めて珍しいものです。一説では創建時の中金堂の壁一面をそれらの塼仏が埋め尽くしていたのでは、と言われています。
※万葉歌碑の説明:
世の中の 繁き仮盧に 住み住みて 至らむ国の たづき知らずも 作者不詳(万葉集 巻16-3850)
「世間(よのなか)の無常を厭(いと)ふ歌」と題された歌の一つです。この歌の注に、「奈良の川原寺の仏堂にあった琴に書かれていた」とあります。
ページ内索引 [ 亀石と猿石、鬼の爼・鬼の雪隠|飛鳥坐神社|甘樫丘と雷丘(豊浦)|飛鳥水落遺跡と石神遺跡|飛鳥寺 |気都倭既神社|談山神社から明日香 |都塚古墳|石舞台|橘寺 川原寺跡 |高松塚古墳と中尾山古墳|キトラ古墳|ニュース ] |
||
大和の風景|奈良・明日香村(飛鳥)は「日本の心の故郷」 |