京都市写真集| 想い出写真 上京区の安倍晴明の晴明神社と菅原道真の北野天満宮 |
はじめに
このページでは仕事の関係で京都市内(烏丸三条他)に10年間生活し、気が付けば何の写真も残っていないので、改めて撮り直した。 2020年8月現在、今は新型コロナウイルス感染症(
COVID-19(coronavirus disease 2019))が蔓延している状況で、写真や情報は2016年8月段階のものです。
第6弾は上京区の安倍晴明の晴明神社と菅原道真の北野天満宮をご紹介。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。
上京区(かみぎょうく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。市の中心部に位置し、かつての京都の北側に該当します。
安倍晴明の晴明神社
■晴明神社(せいめいじんじゃ)は、京都市上京区にある神社。平安時代の陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明(921年2月21日-1005年10月31日〉を祀る。一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座する。全国各地に同名の神社が存在する。旧社格は村社。寛弘2年(1005年)に晴明が亡くなると、その時の天皇一条天皇は晴明の遺業を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、寛弘4年(1007年)、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。晴明神社は、「魔除け」「厄除け」の神社です。御祭神である安倍晴明は、ご生前より、天皇から貴族、庶民に至るまで、広くその悩みや苦しみを取り払うことで大きな信頼を得ておられました。
■安倍晴明は、921年(延喜21年)に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされる。また、生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある。幼少の頃については確かな記録がないが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたという。979年(天元2年)、59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で那智山の天狗を封ずる儀式を行う。『小右記』によると、正暦4年(993年)2月、一条天皇が急な病に伏せった折、晴明が禊(みそぎ)を奉仕したところ、たちまち病は回復したため正五位上に叙された。また、『御堂関白記』によると、寛弘元年(1004年)7月には深刻な干魃が続いたため晴明に雨乞いの五龍祭を行わせたところ雨が降り、一条天皇は晴明の力によるものと認め被物(かずけもの)を与えたことなどが記されている。晴明が死んだ11世紀の内に、早くも晴明は神秘化されていった。歴史物語の『大鏡』『十訓抄』や説話集の『今昔物語集』『宇治拾遺物語』はいくつかの晴明に関する神秘的な逸話を載せる。
★陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指す。中でも平安時代中・後期(11世紀から12世紀)を通じて、陰陽諸道のうちで最も難解であるとされていた天文道を得意とする安倍家からは達人が多数輩出され、陰陽頭は常に安倍氏が世襲し、陰陽助を賀茂氏が世襲するという形態が定着した.。
菅原道真の北野天満宮
■北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「星梅鉢紋」。福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。
右大臣菅原道真が左大臣藤原時平の讒言にあって左遷され、延喜3年(903年)に大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。永延元年(987年)に初めて勅祭が行われ、一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られた。正暦4年(993年)5月20日には正一位・左大臣を、次いで10月20日には太政大臣が追贈された。
慶長10年(1605年)には豊臣秀頼が片桐且元を奉行として北野経王堂を再建し、慶長12年(1607年)には現在の壮麗な社殿を造営している。
★伴氏社は、北野天満宮の表参道に面して祀られている。門に到達するちょっと手前だ。金柑の木に覆われるように、その鳥居は立っている。なんでも鎌倉時代のものだという。お祀りされているのは菅原道真公の母君である。母君は個人名は残されていないが、伴真成の娘さんだったらしい。石鳥居だが、上の横棒は反っており、二段になっている。石造りだから一つの石から削り出されているとは思うが、上段を笠木、下段を島木と言う。下の横棒は貫と呼ばれていて、中央部で上下をつないでいるのは額束と言う。神号や社号を記した扁額を取り付けるベースになるものだ。形式としては城南宮鳥居に額束を設けた形になっているのだ。京都御苑にある厳島神社の唐破風鳥居、蚕ノ社にある三柱鳥居と並んで、京都三鳥居の一つに数えられている。
★一の鳥居:今出川通りに面して建つ高さ11.4メートルの大鳥居。木曽の花崗岩の一本柱で、大正10年10月に建立されました。上部に掲げられた扁額は高さ2.7メートル・幅2.4メートル、重量は563キログラム。 大きな狛犬は高さが5mくらいありました。
★平安京の天門(乾=北西)を守護する北野天満宮は、三辰(日・月・星)信仰の聖地ともいわれ、天からのエネルギーが満ちる場所と考えられてきました。北野天満宮では旧暦の七夕に合わせ、8月4日から16日まで七夕祭が行われます。
鳥居や参道、境内や御土居など至る所に、色とりどりの短冊が付けられた笹が飾られていました。
注)Wikipediaと晴明神社や北野天満宮のHP、公式パンフレットを参考にさせてもらっています
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