日本の写真・風景|奈良・世界遺産の法隆寺と中宮寺・法起寺 |
法隆寺と中宮寺・法起寺
法隆寺や中宮寺は奈良県生駒郡斑鳩町に有ります。 法隆寺は、聖徳太子こと厩戸王ゆかりの寺院。創建は同じく聖徳太子ゆかりの寺院である大阪の四天王寺より約20年後の607年とされるが、確証はない。金堂、木造塔として世界最古の五重塔などがある西院伽藍(7世紀後半
- 8世紀初の建立)と、夢殿などのある東院伽藍(聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に、天平10年(738年)頃、行信僧都が斑鳩宮の旧地に太子をしのんで建立)に分かれる。 西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。 現在、法隆寺の大講堂は修理中です。 大宝蔵院には数多の国宝が収納されていました。 奈良の法隆寺は世界遺産だけでなく、日本の広報の宝庫です。 切手以外は殆ど拡大あり。撮影は2010年2月。 法隆寺も強力なパワースポット。 The
Spirit of 'Wa', the soul of the Japanese people. 平城遷都1300年祭ホームページ
ご注意)画像の無断転用はお断りします。 |
ページ内索引 { 法隆寺|中宮寺|法起寺|大坂・四天王寺 }
■藤ノ木古墳は奈良県生駒郡斑鳩町にある古墳。法隆寺西院伽藍の西方約350メートルに位置する。 出土物は斑鳩文化財センターで見ることができます。
■四天王寺は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩である。「金光明四天王大護国寺」ともいう。 『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている。
法隆寺
■法隆寺(ほうりゅうじ) は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山。別名を斑鳩寺(いかるがでら)という。 聖徳太子こと厩戸王ゆかりの寺院である。 創建は同じく聖徳太子ゆかりの寺院である大阪の四天王寺より約20年後の607年とされるが、確証はない。(別の説では、西暦586年(用明天皇元年)聖徳太子と額田部皇女(推古天皇)が、用明天皇の病気を癒す為に薬師仏と共に造立を発案して立てられました。) 金堂、五重塔などがある西院と、夢殿などのある東院に分かれる。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。 土塀は長年の風雨で少し崩れかけています。
■中門(国宝) :入母屋造の二重門。日本の寺院の門は正面の柱間が奇数(3間、5間、7間等)になるのが普通だが、この門は正面柱間が4間で、真中に柱が立つ点が特異である。門内の左右に塑造金剛力士立像を安置する。日本最古(8世紀初)の仁王像として貴重なものであるが、風雨にさらされる場所に安置されているため、補修が甚だしく、吽形(うんぎょう)像の体部は木造の後補に代わっている。門は現在、出入り口としては使用されず、金堂等の拝観者は回廊の西南隅から入る。
法隆寺 西の門1 |
法隆寺 西の門2 |
法隆寺石碑 |
日本最初の |
||
国宝・法隆寺・東大門 |
国宝・法隆寺・南大門 |
国宝・法隆寺・中門 |
金剛力士立像・吽形、阿形 |
||
★金剛力士立像・吽形、阿形:寺門に安置された仁王像で日本最古のものは法隆寺中門に立つ塑像。 建立711年、重要文化財 |
||
中門(国宝) |
金剛力士立像・吽形 |
金剛力士立像・阿形 |
■夢殿(国宝) :奈良時代の建立の八角円堂。堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する。 観音菩薩立像(救世観音)(国宝)、 行信僧都坐像(国宝)、奈良時代の乾漆像。道詮律師坐像(国宝) 平安時代初期の作。角堂の夢殿を中心とする東院伽藍は、天平10年(738年)頃、行信僧都が斑鳩宮の旧地に太子をしのんで建立したものである。 |
法隆寺・金堂 |
|
法隆寺・夢殿(奈良時代) |
法隆寺・金堂(飛鳥時代) 入母屋造の二重仏堂 |
法隆寺・金堂と五重塔 |
■五重塔(国宝) :木造塔として世界最古のもの。初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分である。初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像を安置する(計80点の塑像が国宝)。 |
||
国宝・法隆寺・大講堂 |
灯篭の絵模様(江戸時代?) |
法隆寺・五重塔 |
法隆寺・絵殿と舎利殿 |
■絵殿と舎利殿(国の重要文化財:1900年(明治33年)4月7日)は、鎌倉時代前期 1219年(承久元年)の建立です。聖徳太子が2歳の春に、合掌した際に掌中から出現したとされる仏舎利を安置しています。絵殿と一体となった建物(桁行7間、梁間3間、一重、切妻造、本瓦葺)です。 夢殿の近く、東院伽藍で裏が中宮寺です。絵殿には、摂津国(現在の大阪府)の絵師である秦致貞(はたのちてい、はたのむねさだ)が延久元年(1069年)に描いた「聖徳太子絵伝」の障子絵(国宝)が飾られていた。 The Spirit of 'Wa', the soul of the Japanese people. |
|
法隆寺・五重塔 |
法隆寺・五重塔の全景 |
法隆寺・金堂と五重塔 |
五重塔(国宝)接写 |
五重塔の前の礼拝石 |
金堂の軒を支える |
法隆寺の西院伽藍の老木 |
法隆寺の中門と五重塔 |
法隆寺の西院伽藍 |
■西院伽藍の老木は数百年以上の相当の年数を経たようで、根元は大きく開き色々な事を見てきたと思います。 |
||
「エンタシス(entasis)」の柱を持つ西院回廊(国宝) |
西院回廊から見る |
|
法隆寺の西院伽藍の池 |
法隆寺・正岡子規の句 |
法隆寺の入口と五重塔 |
■正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」明治28年10月、病床をぬけて松山から東京へ旅に出かけた正岡子規が奈良に立ち寄った際に法隆寺の茶店で詠んだ句と言われています。 しかし実際は、東大寺裏の宿で食べた柿と斑鳩の風景を結びつけた作とも言われています。 |
法隆寺境内の池 |
句碑の傍の手水舎 |
正岡子規の句の傍 |
||
綱封蔵(こうふうぞう) |
築地塀は(重文) |
聖徳太子1300年記念碑 |
東院伽藍へ |
宗源寺四脚門(重文) |
東院伽藍四脚門(重文)と夢殿の屋根 |
西院大伽藍是ヨリ西三 |
東院回廊(重文) |
礼堂(重文) |
■観音菩薩立像(夢違観音)(国宝)は奈良時代、銅造。もと東院絵殿の本尊。悪夢を良夢に替えてくれるという伝説からこの名がある。 |
||
夢違観音(国宝)(法隆寺入山パンフレットから転載) |
百済観音(国宝) (法隆寺入山パンフレットから転載) |
百済観音像のレプリカ、新納忠之介作、 |
■新納忠之介(にいろ ちゅうのすけ、1869年1月7日(明治元年11月25日) - 1954年(昭和29年)4月13日)は、日本の彫刻家。2,631体の仏像等の多くの文化財を修理した。現在の鹿児島県鹿児島市新照院町生まれ。修理前後の写真や書面など詳細な記録を残しており現在の文化財修理の基礎を築いた。百済観音模造 東京国立博物館、大英博物館蔵 |
||
国宝 観音菩薩立像 |
法隆寺金堂壁画(第9号壁) 模写 伝桜井香雲筆 |
重要文化財 聖徳太子七歳像 :法隆寺所蔵 |
大英博物館で撮影 |
大英博物館で撮影 |
大英博物館で撮影 |
法隆寺・金堂の内部(法隆寺入山パンフレットから転載) |
奈良・広陵町箸尾の「季節料理 四季」のかぐや姫 |
|
■金堂の内部には、金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、その左右には太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、母である穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っています。 |
★奈良県中部の広陵町は、「竹取物語」の舞台となった町とされています(諸説あり)。それにちなんで、町の一角には珍スポット的な香りの漂う『巨大かぐや姫』の像があります。
■奈良グルメで有名な柿の葉寿司(かきのはずし)は、奈良県・和歌山県、および石川県の郷土料理。奈良県・和歌山県と石川県では作り方・形状が異なり、奈良では一口大の酢飯に鯖や鮭などの切り身と合わせ、柿の葉で包んで押しをかけたすし。食べるに当たって柿の葉は剥がして食べる。柿の葉は通常食べない。場所によっては、柿の葉を巻く前に昆布を巻いてから柿の葉を巻くところもある(らしい)。柿の葉には殺菌効果があるといわれており、包むことにより(季節などにもよるが)数日程度の保存に適するようになる。柿の葉は、やわらかくするため、あるいは殺菌効果を高めるため、塩漬けにする場合がある。法隆寺名物 柿うどん。ペースト状にした柿をうどんの生地に練り込んだ鮮やかなオレンジ色の柿うどん(630円) は,山菜 ・蒲鉾 ・薄切モチがのっていて,ほんのり甘く,美味しかったです。 法隆寺南大門 の前。 法隆寺界隈で、味だけで選ぶのでしたら、【志むら】の梅うどんか、麺には梅とシソが練りこんであり、麺の色がピンク色で見た目にもきれいな梅そばです。
Hooryuu-ji (法隆寺, Temple of the Flourishing Law) is a Buddhist temple in
Ikaruga, Nara Prefecture, Japan. Its full name is Hooryuu Gakumonji (法隆学問寺),
or Learning Temple of the Flourishing Law, the complex serving as seminary
and monastery both.
The temple's pagoda is widely acknowledged to be one of the oldest wooden
buildings existing in the world, underscoring Hooryuu-ji's place as one
of the most celebrated temples in Japan. In 1993, Hooryuu-ji was inscribed
together with Hokki-ji as a UNESCO World Heritage Site under the name Buddhist
Monuments in the Hooryuu-ji Area. The Japanese government lists several
of its structures, sculptures and artifacts as National Treasures.
The temple was originally commissioned by Prince Shootoku; at the time
it was called Ikaruga-dera (斑鳩寺), a name that is still sometimes used.
This first temple is believed to have been completed by 607. Hooryuu-ji
was dedicated to Yakushi Nyorai, the Buddha of healing and in honor of
the prince's father.
中宮寺
■中宮寺(ちゅうぐうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に隣接する、聖徳太子ゆかりの寺院である。宗派は聖徳宗に属す。山号を法興山と称し、本尊は如意輪観音、開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされている。国宝の木造菩薩半跏像 が本尊。飛鳥時代の作。広隆寺の弥勒菩薩半跏像とよく比較される。寺伝では如意輪観音だが、これは平安時代以降の名称で、当初は弥勒菩薩像として造立されたものと思われる。中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。 中宮寺は法隆寺の夢殿の傍にあります。
創建当時の中宮寺跡は現境内の東方約500メートル、斑鳩町法隆寺東2丁目にあり、国の史跡に指定されている。この地はかつての地名を大字法隆寺字旧殿(くどの)といい、伽藍跡とおぼしき土壇が残っていた。大阪の四天王寺と同様に、金堂を北、塔を南に並べる伽藍配置であったことが分かっている。
法起寺
■法起寺(ほうきじ、ほっきじ、Hokkiji Temple)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の総本山。古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)とも呼ばれた。山号は「岡本山」(ただし、奈良時代以前創建の寺院にはもともと山号はなく、後世付したものである)。 本尊は十一面観音。聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。 世界遺産・「法隆寺地域の仏教建造物」 今では割りと寂れたお寺 奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本1873番地
世界遺産・法起寺の |
世界遺産・法起寺の |
三重塔 国宝。建立時期については慶雲3年(706年)頃の完成とみなされている。高さ24メートルで、三重塔としては日本最古である。また、特異な形式の薬師寺東塔を除けば、日本最大の三重塔と言われている。法隆寺五重塔の初層・三層・五層の大きさが法起寺三重塔の初層・二層・三層にほぼ等しいことが指摘されている。 |
★法起寺は法隆寺東院の北東方の山裾の岡本地区に位置する。この地は聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地といわれ、太子の遺言により子息の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりと伝えられている。
その後、舒明天皇10年(638年)に福亮僧正が弥勒像と金堂を造立し、慶雲3年(706年)に恵施僧正が三重塔を建立している
作成にあったては、Wikipediaや当地HP・パンフレット等を参考にしています。
日本の写真・風景|奈良・世界遺産の法隆寺と中宮寺・法起寺 |