日本の写真・風景|奈良(東大寺、春日大社、談山神社、薬師寺、平城旧跡、法隆寺・・) |
奈良について
関西・奈良の良い所やお気に入りの場所を旅行写真と切手でご案内します。 世界遺産の奈良(東大寺、春日大社、談山神社、薬師寺、平城旧跡、法隆寺・・)を中心に整理します。 奈良は世界遺産以外でも有名な場所が多数あります。 先日も卑弥呼の墳墓らしきものが奈良県桜井市で見つかってますし、飛鳥(明日香)は飛鳥時代の曽我氏や聖徳太子の遺物が多数あり。 太古の昔から南北朝の時代まで奈良が日本の中心でした。 まさしく歴史遺産の宝庫です。 奈良の時は新大宮で生活し、近くに在原業平の不退寺や法華寺、平城旧跡は子供らの遊び場でした。 2010年3
月10 日は710 年に平城京に都が遷された記念すべき日、平城遷都1300 年で奈良の町は活気に溢れてます。 市内から少し離れた所に明日香や法隆寺、ボタンの花の長谷寺、国宝の室生寺、桜の名所吉野山、橿原神宮、談山神社、三輪山、大和三山、日本で一番雨量の多い大台ケ原、修験の山・大峯山の麓の天川村・・数え切れないほど有名な場所があります。
奈良の東西南北で分類。 切手以外は殆ど拡大あり。
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ページ内索引 奈良県 [ 北部(奈良市内)|東部|南部|西部 ]
奈良北部
■奈良ドリームランドは奈良県奈良市北部に存在したディズニーランドと非常に似たエリア構成の遊園地です。2006年8月31日に惜しまれつつ閉園となった。1998年開設の木造ジェットコースター「ASKA」は世界的にも高評価であったといわれてます。神奈川の大船にもドリームランドがあり行った事があります。モノレールに乗った事、凄く懐かしいです。
■薬師寺(奈良県奈良市西ノ京町)は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718) 現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録された。 また、薬師寺東塔は一見六重に見えますが、実は三重の塔です。これは各層に裳階[もこし]と言われる小さい屋根があるためで、この大小の屋根の重なりが律動的な美しさをかもし出し「凍れる音楽」という愛称で親しまれてます。 塔の上層部を相輪[そうりん]といいます。その更に上部に尊い塔が火災にあわぬようにとの願いをこめて、水煙が祀られてます。水煙に透かし彫りされた24人の飛天は笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿で、晴れ渡った大空にみ仏を讃えてます。古都奈良の文化財(世界遺産登録年:1998年,Historic Monuments of Ancient Nara)
今はなきドリームランド |
猿沢の池と |
若草山の山焼き |
三笠山が若草山だといわれてます。若草山の山焼き行事、1月第2日曜日。 |
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■朱雀門(すざくもん)は、古代、平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門。中国の条坊制を模範に造営された古代都城では、中央北辺に宮殿、官衙からなる宮城が置かれた。 「平城遷都1300年の切手と写真」 |
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東大寺金堂の |
雪の平城宮跡 |
奈良・平城宮跡 |
■平城宮(奈良市)は平城京の中央北端に位置する宮跡で、東西1.3km、南北1km、面積130haの広がりをもちます。平城宮は首都の北部中央に設けた天皇の居所であり、内部には国の政治や儀式を執り行う大極殿・朝堂院、天皇の居所である内裏、行政機関である各役所がありました。 |
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「平城京天平祭☆夏」 大極殿前庭では、約一万個の燈花会が / 奈良・平城宮跡の朱雀門 世界遺産 |
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■春日大社は、奈良県奈良市の奈良公園内にある神社で、旧称春日神社。式内社(名神大社)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。全国にある春日神社の総本社である。 藤原氏の守護神である武甕槌命と経津主命、祖神である天児屋根命と比売神を祀る。四神をもって藤原氏の氏神とされ、春日神と総称される。神紋は下がり藤。武甕槌命が白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使とされる。広大な境内には多数の摂末社がある。本殿の東側には比売神の御子神として天押雲根命を祀る摂社若宮神社があり、若宮神社、夫婦大国社を始めとする本殿東側の十二社は、「福の神十二社めぐり」として古来より崇敬を集めている。 |
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奈良・春日大社 |
奈良・春日大社の |
奈良・春日大社 |
奈良・春日大社 |
春日大社の世界遺産 |
春日大社入口 |
春日大社の |
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■法相宗の大本山・興福寺(奈良市)は、前身の寺院・山階寺が699年に創立されたのを起源とします。平城遷都に伴って現在の場所に移され、興福寺となりました。藤原氏の氏寺ですが、主要堂塔の建立の発願は天皇や皇后によるものが多数をしめます。これは藤原氏と朝廷との密接な関係を示すもので、造営工事も朝廷の直営で行われました。 山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王 等の諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われてます。五重塔と猿沢の池が奈良のシンボルであり有名です。 また、グルメで有名な奈良漬けは、一説には奈良県の興福寺の僧が道端にあった瓜を酒のもろみの入ったカメにいれたのが始まりともいわれてますが定かではない。ようです。しかし少なくとも1200~1300年前には奈良漬はあったみたいです。古都奈良の文化財(世界遺産登録年:1998年) |
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興福寺の五重塔(国宝) |
興福寺の東金堂(国宝) |
興福寺の北円堂(国宝) |
中金堂の東にある金堂で、西向きの建物。神亀3年(726)に聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を願ってお建てになりました。 |
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奈良・興福寺の阿修羅像 |
国宝・興福寺・ |
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わかくさ国体で発行 |
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■阿修羅(あしゅら、あすら、asura)は八部衆に属する仏教の守護神。修羅(しゅら)とも言う。大乗仏教時代に、その闘争的な性格から五趣の人と畜生の間に追加され、六道の一つである阿修羅道(修羅道)の主となった。古くインドでは生命生気の善神であった。興福寺宝物殿の解説では、「阿修羅」はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記してる。 帝釈天と戦争をするが、常に負ける存在。この戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼ぶ。 |
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阿修羅(興福寺) |
奈良ホテルの近くから見る興福寺の五重塔 |
興福寺・仏頭 |
■ホセ・パシアノ・ラウレル・イ・ガルシア(Jose Paciano Laurel y García、1891年3月9日 - 1959年11月6日)は、フィリピンの政治家、第3代大統領。当時は第二次共和国で、日本軍政下であった。 コラソン・アキノ政権で副大統領を務めたサルバドール・ラウレル (Salvador Laurel) は息子。太平洋戦争勃発後は、アメリカ植民地政府を放逐しフィリピンを占領下に置いた日本に協力、フィリピン行政委員会委員を務めた。帝国議会で東條英機首相が示した、フィリピン独立の方針を受けた独立準備委員会で委員長として憲法を起草した。奈良ホテルで亡命生活を送る。1945年8月15日の日本の降伏2日後の8月17日に第二次共和国の解散を宣言した。 |
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興福寺・天燈鬼 |
平城宮・大極殿正殿 |
奈良公園・浮見堂と |
■平城宮・大極殿正殿と桜と蹴鞠(けまり):平城遷都1300年にちなみ、奈良時代の繁栄を象徴する史跡平城宮跡の中心的建造物である第一次大極殿正殿と奈良県の県花である奈良八重桜を、奈良時代から続く伝統球技である蹴鞠とともに構成しデザインしてます。 |
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興福寺・五重塔、興福寺・北円堂、興福寺・阿修羅 |
国宝・興福寺・阿修羅像 |
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平城宮跡・朱雀門 |
■運慶の家族は全員が高い技術を持った名仏師。それぞれの代表作は、以下の通りです。 |
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■国宝、天燈鬼・龍燈鬼立像は、奈良市の世界遺産・興福寺の国宝館に安置されています。 鎌倉時代、興福寺西金堂の仏前を照らすものとして作られた像で、鎌倉時代を代表する仏師である運慶の三男、康弁の作と言われています。 愛嬌あふれる表情からは、康弁の遊び心と高い表現力が伺えます。
奈良東部
■おふさ観音(おふさかんのん)は、奈良県橿原市小房(おうさ)町にある寺院の通称名。山号は十無量山。正式名称は高野山真言宗別格本山 十無量山 観音寺。イングリッシュローズが境内に所狭しとあふれる寺院として知られてる。大和三山の耳成山と畝傍山のほぼ中央に位置する寺院で、本尊は十一面観世音菩薩。1650年(慶安3年)、この辺りにあった鯉ヶ淵という池の中から白いカメに乗った観音が現れ、それを発見した付近に住む娘おふさが小さな堂を建立して観音を祀ったことが起源とされる。参詣者をもてなす目的で、イングリッシュローズを中心に約1800種およそ2000株(2008年5月現在)のバラとクレマチス・ハーブ他の植物が境内で栽培・展示されてます。
■曽爾(そに)村にある曽爾高原(奈良県宇陀郡曽爾村)は奈良県と三重県の県境に位置した国立公園です。標高は約900mで倶留尊山(くろそやま)と亀山の山肌が高原になってます。曽爾高原の秋は一面見渡す限りのススキが群生しており風によってこの銀色の穂が揺れる様子はそれは見事で、多くの観光客がここを訪れます。この高原のススキは曽爾村の萱葺き屋根の材料として長年使われてたのですが、瓦やトタンが普及し年々使用量が減り、又杉 他の植林で高原消滅の危機もあったようですが、この景観を残す為に奈良県に保護を嘆願し守られるようになりました。 兜岳(高さ920m)別称女岳は、鎧岳のすぐ西側にあり、鍬形の兜のような山容から名付けられてます。鎧岳・兜岳と屏風岩は昭和9年に国の天然記念物。
奈良・曽爾高原からの大台ケ原の遠望と有名なススキの高原 |
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兜岳 |
長谷寺の本尊の |
長谷寺の |
奈良の長谷寺と牡丹 |
■長谷寺と牡丹:686年、天武天皇のため、僧道明が銅板法華説相図を西の岡に安置したことが始まりとされます。 灯篭が2間おきに吊るされてる登廊の両側には、春になると約7000株の牡丹の花が見ることができます。(詳細は「奈良・桜井(談山神社、長谷寺)」は「写真・長谷寺」) |
長谷寺・登廊 |
■室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。開基(創立者)は、賢璟(けんきょう)、本尊は釈迦如来である。奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川(店長の町の隣町で、店長の町へと流れ込んでいて、行く行くは木津川となります。)の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されてた事から「女人高野」の別名があります。 |
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国宝・室生寺五重塔 |
国宝・室生寺五重塔と |
国宝・室生寺五重塔 |
吉祥天像(京都・浄瑠璃寺) |
■左は吉祥天、七福神の一人です。吉祥天は仏教の福徳の女神で別名「功徳天」サンスクリット語では「シェリーマハーデービー」と呼ばれてます。ヒンズー教ではラクシュが仏教に取り入れられたもので、ヒンズー教ではビシュヌ神の妃。吉祥天の像で有名な所は、奈良の薬師寺と木津にある浄瑠璃寺です。 |
箸墓古墳の傍の甘党 |
浄瑠璃寺・国宝・本堂(阿弥陀堂、京都・木津)と宝池 |
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■浄瑠璃寺(じょうるりじ、)は、京都府木津川市加茂町にある真言律宗の寺院。山号を小田原山と称し、本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基(創立者)は義明上人である。寺名は薬師如来の居所たる東方浄土『東方浄瑠璃世界』に由来する。永承二年(1047)に開基。重要文化財の厨子入木造吉祥天立像(附:吉祥天摺仏59枚(像内納入品)、革製厨子金具形残欠8片) は本堂内に安置。像高90.0cm。檜材割矧ぎ造。彩色・截金。平安朝風の優美な作風の像であるが、『浄瑠璃寺流記事』によれば実際の制作は鎌倉時代の建暦2年(1212年)である。仏教尊像としての威厳と、現実の女性を思わせる官能美が見事に調和した作品である。 本堂(阿弥陀堂)は国宝です。 |
奈良西部
■『竹取物語(たけとりものがたり)』は、日本最古とされる物語である。竹取物語は通称であり、竹取翁の物語ともかぐや姫の物語とも呼ばれた。光り輝く竹の中から現れて竹取の翁の夫婦に育てられたかぐや姫の物語。『万葉集』巻十六の第三七九一歌には、「竹取の翁」が天女を詠んだという長歌があり、この物語との関連が指摘される。 かぐや姫・老夫婦・帝は架空の人物だが、実在の人物が登場してる事も本作品の特徴である。5人の公達のうち、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物である。また、車持皇子のモデルは藤原不比等、石作皇子のモデルは多治比嶋だっただろうと推定されてる。この5人はいずれも壬申の乱の功臣で天武天皇・持統天皇に仕えた人物であることから、奈良時代初期が物語の舞台に設定されたとされる。 主人公のかぐや姫も、垂仁天皇妃である迦具夜比売(かぐやひめ、大筒木垂根王の女)との関係や、赫夜姫という漢字が「とよひめ」と読めることからから豊受大神との関係について論じられる等、様々な説がある。日本各地に竹取物語由来の地と名乗る地域があります。
奈良・広陵町箸尾のレストランのかぐや姫(里中満智子作) |
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『竹取物語』に書かれた竹取翁(讃岐造)とかぐや姫の住んでいたところは、讃岐氏に関係のある「讃岐神社」のことですが、讃岐と名付けられた神社のあるところは、大和国(現在の奈良県)内では奈良県北葛城郡広陵町だけです。讃岐神社は今も巣山古墳の近くの竹やぶに囲まれて、ひっそりと鎮座してます。讃岐神社を出て、竹取公園の方へ歩いて行きますと、『竹取物語』の中で、かぐや姫の名付け親となった「みむろとの いんべの あきた」が住んでいたという「みむろ丘」が、馬見丘陵の彼方に夕陽にかすんで見えます。復元された三吉石塚古墳の上に立って、真っ赤な夕陽が二上山に沈むのを見てると、竹やぶの中から竹取の翁とかぐや姫が出てくるような幻想におそわれます。(広陵町事業部地域振興課) |
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法隆寺金堂・五重塔 |
大和郡山城址と桜(奈良) |
大和郡山城址 |
■郡山城(こおりやまじょう)は、奈良県大和郡山市に築かれた城。平山城に分類され、戦国大名筒井順慶により築城が開始され、豊臣政権では秀吉の弟秀長の居城となり、江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれた城です。日本さくら名所100選。金魚は日本一です。 |
大和郡山の金魚 |
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大和郡山城址 |
大和郡山城址の桜 |
大和郡山城址の |
■薬師寺西塔は、1528(享禄元)年の兵火により焼失、礎石のみが残されていたものを昭和56年に453年ぶりに再建。国宝の東塔とほぼ同じ形で、白鳳様式を用いて建てられています。よく見ると東塔は裳階(もこし=軒下壁面に付いた庇状構造物)部分が白壁なのに、西塔には連子格子を取付けた連子窓(れんじまど)が設けられています |
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薬師寺・東塔(国宝) |
薬師寺・西塔 |
天竺への旅姿の玄奘 |
切手:探検家や冒険家 |
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唐招提寺(奈良) |
唐招提寺(奈良) |
■国宝・唐招提寺(律宗総本山)は759年、鑑真が右京五条二坊の地に律宗の道場を創建したのに始まる。鑑真は唐の揚州大明寺の僧で、度重なる難航海と両目の失明という悲運に屈せず渡来した。鑑真は東大寺に戒壇を設け、多くの高僧に戒律を授けた。 |
唐招提寺・金堂は国宝。 |
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唐招提寺・お身拭い. お身拭いは、全員でお経を唱え、伽藍内の諸尊像のホコリを払い、身を清める年末の恒例行事です。 |
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唐招提寺 国宝・ |
唐招提寺 国宝・ |
唐招提寺 国宝・ |
鑑真(奈良・唐招提寺、中国発行) |
■木心乾漆千手観音立像 - 535.7センチメートル。奈良時代末期の作で、廬舎那仏像よりはやや時代が下がるとされている。千手観音像は40手(合掌手を含めて42手)で千手を代表させるものが多いが、本像は実際に1,000本の手を表した例で、大手42本の間に小手をびっしりと植え付ける。現状は大手42本、小手911本、計953本であるが、制作当初は計1,000本の手を有したものと思われる。 |
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■法隆寺は、聖徳太子こと厩戸王ゆかりの寺院。創建は同じく聖徳太子ゆかりの寺院である大阪の四天王寺より約20年後の607年とされるが、確証はない。金堂、木造塔として世界最古の五重塔などがある西院伽藍(7世紀後半
- 8世紀初の建立)と、夢殿などのある東院伽藍(聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に、天平10年(738年)頃、行信僧都が斑鳩宮の旧地に太子をしのんで建立)に分かれる。 西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
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奈良南部
■洞川温泉は、山上川畔より涌出する摂氏26度の無色透明アルカリ性温泉です。神経痛・筋肉痛・関節痛・運動麻痺・慢性消化器痛・冷え性に対して治癒効果があり、大峯山の登山者たちの疲労回復に利用されてきました。名産吉野杉を使った内湯と温泉気分を満喫できる露天風呂が自慢です。天川村洞川は霊峰大峯山の登山口で、古来から水の美しさで知られたところ。なかでも環境庁による名水百選にも選ばれた、ごろごろ水・泉の森・神泉洞という3つの湧水からなる[洞川湧水群]では、花崗岩と石灰岩の特異な地層からミネラル分を適度に含むからだに良いおいしい水が湧き出し、遠い昔から修験者たちののどを潤してきました。
■奈良県十津川村にある谷瀬のつり橋に行ってきました。 十津川村は奈良県の最南部にある、日本一大きな村です。 ドライブ目的で吉野方面に走り出したものの、目的地は決めておらずとりあえず道の駅でもめぐろうか~なんて走ってると、ちらほら見える日本一の文字。 気になったので行ってみれば全長297m、高さ54mの日本最長のつり橋が…! 幅が80cmくらいしかない上に、板が薄く、両端はワイヤーで支えてあり、しかも下が見えるので結構怖いものがあります。 一度に20人以上は渡れませんという赤文字の幕が下がり、人もいないのに風でギーコギーコ鳴ってました。しかし橋のサイドには「通学路」の文字が…すごいよ谷瀬の子供たち。 でもまあ小さい時からなので慣れてるのかな?大変なのは多分、結婚とかで谷瀬のつり橋を利用しなくちゃいけなくなった高所恐怖症の人ですよね。 自分は嫁ぎ先にこんなトラップがあると知ったら結婚前にご両親に挨拶…の段階で橋前で土下座して破棄してしまうかも。 多分高いところが苦手なわけじゃない人でも、真ん中あたりは相当怖いと思いますよ。吊り橋からさらに、十津川温泉郷の1つ湯泉地温泉まで20分さらに、国道168号線を南へ20分で 十津川温泉に到着。そこから県道734号線を20分走ると上湯温泉へと、到着します。
奈良県十津川村にある「谷瀬のつり橋」 パワースポット |
空中散歩、十津川村「谷瀬つり橋」 |
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「谷瀬のつり橋」の遠景 |
実際の「谷瀬のつり橋」 |
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奈良・吉野山の桜 切手 |
■吉野山の桜:4月上旬から中旬にかけて3万本とも言われる桜が花開きます。 吉野の桜は山岳宗教と密接に結びついており、信仰の桜として保護されてきました。 |
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■奈良グルメで有名な柿の葉寿司(かきのはずし)は、奈良県・和歌山県、および石川県の郷土料理。奈良県・和歌山県と石川県では作り方・形状が異なり、奈良では一口大の酢飯に鯖や鮭の切り身と合わせ、柿の葉で包んで押しをかけたすし。食べるに当たって柿の葉は剥がして食べる。柿の葉は通常食べない。場所によっては、柿の葉を巻く前に昆布を巻いてから柿の葉を巻くところもある(らしい)。柿の葉には殺菌効果があるといわれており、包むことにより(季節にもよるが)数日程度の保存に適するようになる。柿の葉は、やわらかくするため、あるいは殺菌効果を高めるため、塩漬けにする場合がある。 |
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「近所にある世界遺産・国宝・室生寺五重塔の紹介」 |
■日本の国宝の索引 [ 世界遺産(日本全体、奈良、京都、日光、琉球)|建築物|絵画|工芸品 ]
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