名張・万葉の会|藤井寺&羽曳野 辛國神社(からくにじんじゃ) |
辛國神社(からくにじんじゃ)
辛國神社は、「延喜式」にも記載のある古い歴史をもち、今から千五百年程前、雄略天皇の御代に創設された神社で、平安時代には官社となり、式内社として人々の尊信を集めてきた神社です。 物部の祖先を祀ったことに始まります。 室町時代に河内守護畠山基国が寄進して春日の神を合祀。明治41年には長野神社も合祀され、現在の形になりました。 深い緑に包まれた参道は「大阪みどりの百選」に選ばれています。やはり辛国=唐国・韓国という事で渡来した人々に関係があるのでは?日本書紀には、『雄略十三年春三月、餌香長野邑を物部大連に賜う』とあるが、餌香長野邑は、旧藤井寺町のあたりと思われる。この地方を治めることになった物部氏は、その祖神を祀って神社をつくり、その後、辛國氏が祭祀をつとめ、辛國神社と称するようになった。 切手以外の写真はクリックで拡大。
辛國神社の石柱 |
辛國神社の一の木製両部鳥居 |
辛國神社の拝殿 |
辛國神社の本殿 |
辛國神社合祀の春日大社 |
辛國神社の境内の松の木 |
以下は辛國神社様のHPを引用しています。
■辛國神社の縁起・御由緒
日本書記には「雄略十三年春三月、餌香長野邑を物部目大連に賜う」とありますが、餌香長野邑は、旧藤井寺町のあたりと思われます。この地方を治めることになった物部氏は、その祖神を祀って神社をつくり、その後、辛國氏が祭祀をつとめ辛國神社と称するようになりました。
三代実録には、清和天皇「貞観九年二月二十六日河内国志紀郡辛國神社を官社に預る」とあります。元の神社は恵美坂の西南神殿にあったと思われます。室町時代(義満の頃)河内守護職畠山基国氏が社領二百石を寄進して、現在地に神社を造営し、奈良春日大社に懇請してその祭神、天児屋根命を合祀したと伝えられています。
明治四十一年、長野神社の祭神素盞鳴命を合祀して現在に至っています。
辛國神社 大阪府藤井寺市藤井寺 1-19-14
■辛國池と鹿
神社の境内にある辛國池にまつわる伝説です。話の主人公は、神社にある辛國池と奈良の鹿です。
池は大昔からありましたが、今より大きな池できれいな水が湧き出ていました。
その頃、奈良の春日大社から神様がこの辛國神社に来られることになりました。
神様の道案内をしたのが、元々神様に仕えていた奈良の鹿なのです。次の年から辛國神社の祭りに、春日大社からのお使いとして鹿が来るようになりました。その鹿が疲れた体を休めるのに辛國池のおいしい水を飲み、足も冷やし、元気を取り戻して再び奈良に帰って行ったそうです。この昔話を伝えるため、当時の様子を描いた絵が代々のお社に引き継がれ残されています。今も二百年前に建てられたお社に鹿の絵が描かれています。
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