名張・万葉の会|藤井寺&羽曳野 仲津姫命陵(仲津山古墳) 古市古墳群 |
仲津姫命陵(仲津山古墳)
世界遺産・仲津山古墳(なかつやまこふん:大阪府藤井寺市沢田、墳丘長約286m 後円部径約168m 高さ約26m 前方部幅約188m 高さ約23m)は、4世紀後半〜5世紀初めの築造とされ、墳丘長290mの大型前方後円墳です。応神天皇の皇后で仁徳天皇の母の仲津姫命(なかつひめのみこと)の陵とされています。
古市古墳群では誉田御廟山古墳(応神陵古墳)に次ぐ大きさを誇ります。周濠は、幅が狭く深い空堀です。応神天皇の后、仲姫の陵とされていますが、古墳の形態などから応神天皇よりも古い4世紀後半頃の大王陵だとする説もあります。 昔は殆どが空堀だったそうです。
切手以外の写真はクリックで拡大。
■仲津姫命坐像について、
神功皇后は左膝を立て、仲津姫命は右膝を浮かせて坐す。両像とも頭上に髻を結い、豊かな髪を長く垂らす。着衣の形式も共通で、大袖の上に背子を重ね裙を着けている。胸元から長く垂れる紐は、背子の内懐の紐と見る説と、紕帯(はたおび)(裙の紐)と見る説がある。 また、この両像は、肩に領巾(ひれ)をかけており、それぞれ両脇の下を通って長く垂らし、仲津姫の背面地付には、その先端が木屑漆を盛上げて作られている。 領巾は、上古より男女の服装に用いられたが、時代の下降と共に女子の服飾具とされ、「延喜式」の女子の装束の項にも記されている。
奈良朝の女子の服制は、唐代のそれを取り入れて成立しており、領巾の着用例は中国唐代の絵画に描かれた婦人像をはじめ、我が国でも法隆寺五重塔本塑像、薬師寺吉祥天画像などが知られている。 本像は平安時代の作でありながら、奈良朝の古式を踏襲した形で作られており、奈良・平安時代の服飾のあり方を考える上でも、極めて興味深い作例である。
「特別展 大和古寺の仏たち」 1993年 東京国立博物館より
★世界遺産名:「百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-」
百舌鳥・古市古墳群は,古墳時代の最盛期であった4世紀後半から5世紀後半にかけて,当時の政治・文化の中心地のひとつであり,大陸に向かう航路の発着点であった大阪湾に接する平野上に築造された。
世界でも独特な,墳長500メートル近くに達する前方後円墳から20メートル台の墳墓まで,大きさと形状に多様性を示す古墳により構成される。墳丘は幾何学的にデザインされ,埴輪などで外観が飾り立てられ,葬送儀礼の舞台となった。(令和元年登録)
名張・万葉の会| |