日本の風景|名張・万葉の会 山の辺の道(天理市) 天理市と天理教・教会本部 |
来歴
・平成22年6月5日及び平成24年4月5日撮影
・2021年11月5日にも名張万葉の会で再度訪れました。
■天理市(てんりし)は、奈良県北中部に位置する市。日本で唯一宗教団体の名称が市名となっており、市の中心部には天理教関連の施設が集中する等、宗教都市として知られてる。 市の中心部には石上神宮、大和神社や天理教関連の施設が集中しており、宗教都市としての性格を持ち合わせる。 「信者=落ち葉」で、天理市にお参りすることを“おぢばがえり”といいます。 天理市は歴史も古く、山の辺の道の中間点、文化財や史跡が散在してます。 天理市は天理教の本山、他には伊勢神宮と同じ古さの日本最古の石上神社と七支刀、天皇陵があります。
JR万葉まほろば線(桜井→天理)
桜井線(さくらいせん、Sakurai Line)は、奈良県奈良市の奈良駅から奈良県大和高田市の高田駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)。2010年3月13日から「万葉まほろば線」(まんようまほろばせん、Man-yo
Mahoroba Line)の愛称が使用されています。
山の辺の道(天理から柳本へ)
■日本最古の道である大和の古道(やまとのこどう)のうち、奈良盆地の東、平地と山地の間を縫うように南北に通る道が『山の辺の道』です。 山の辺の道は、三輪山のある桜井市から天理市を経由して奈良市の春日山まで続く道です。 今回は道のりの丁度真ん中の天理周辺のの神社・仏閣・古墳(遺跡)を対象としました。 天理市は天理教の本山、伊勢神宮と同じ古さの日本最古の石上神社と七支刀、天皇陵があります。 各々格式だけでなく相当古く有名な神社や遺跡。 また各神宮等の謂れは、Wikipedia を参考にしてます。 奈良・桜井(泊瀬の道の海石榴市が山の辺の道の出発点若しくは終点と言われています。 平成22年6月5日及び平成24年4月5日撮影。
切手以外の写真はクリックで拡大。 参考 天理市(山の辺の道)
★石上 宅嗣(いそのかみ の やかつぐ)は、奈良時代後期の公卿・文人。 姓は石上朝臣、のち物部朝臣、石上大朝臣。左大臣・石上麻呂の孫。中納言・石上乙麻呂の子。 官位は正三位・大納言、贈正二位。墓の所在は明らかでないが、杣之内火葬墓(奈良県天理市杣之内町)に比定する説がある。 杣之内火葬墓は奈良時代頃と見られる墓で、火葬骨と銀製かんざしを収めた木櫃と海獣葡萄鏡1面が検出されている。 旧宅に阿閦寺(あしゅくじ)を建立し、その片隅に書庫を設け、これを芸亭と名付け、主として仏教経典以外の書物である外典(げてん)を一般に公開した。この芸亭は日本最初の公開型の図書館。
天理市 天理参考館
■「天理参考館」という博物館は天理大学の付属施設で、アジア、アフリカなど世界各国の生活文化俗学、考古学関係の展示物が大充実。 荷物車に乗った園児は天理の駅前以降で幾度も見た。 合理的な園児の移動手段ですね。 埴輪、土偶、坪、刀、銅鐸、神獣鏡・・・
「天理参考館」の展示物(一部です) |
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三角縁龍虎鏡 |
古代の鏡 |
古代の貨幣 |
天理教・教会本部
「こどもおぢばがえり」とは、毎年7月下旬から8月上旬にかけて行われる、子ども向けの行事である。天理教の信者家庭でなくても参加可。信者詰所で(日帰り参加者もいる)宿泊し、天理市内で行われる様々な行事に参加する。子供達が人間としてより一層成長して行くとともに、友情の輪を広げて行くという趣旨がこめられてる行事である。 奈良市内に住んでた時はよく子供達が出掛けた記憶がある。 天理教では、人間の命の発祥地の中心を「ぢば」(地場)と称し、教祖の「ぢばさだめ」という啓示でその場所を定めてる。 現在の天理教教会本部は、この「ぢば」を中心に建られてる。 通常は、丁寧語の「お」をつけて「おぢば」と呼び、人がこの地を訪れることは、故郷に帰ることであるから、「おぢばがえり」と呼んでいる。
天理の宿泊所 |
「天理参考館」 |
「天理参考館」という博物館 |
桜満開の「天理参考館」 |
「天理参考館」という博物館 |
「天理参考館」の奥に見えるのが天理教本部 |
天理の街並み |
天理の桜 |
教会本部の入口の門 |
天理教本部(おぢばがえりで有名です) |
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天理の桜と梅の花 |
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■天理教(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した新宗教の一つである。中山みきを教祖(おやさま)とする宗教団体で、主祭神は天理王命(てんりおうのみこと)。そのほかに教祖と御霊を祀る。
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