京都市写真集|中京区 寺町通り界隈 錦小路通界隈 |
はじめに 寺町通り 錦小路通
■平安京の頃、寺町通りは都の最東の通りで、「東京極大路」と呼ばれる道幅32メートルの大路だったとか。 天正18年(1590)、応仁の乱で荒廃したこの通りを再興した豊臣秀吉が、市中の寺社をこの地に集めたことから「寺町通」と名付けられたそうです。 南は京都市役所から北は京都の中心・京都御苑あたりまでの道には、風格ある老舗の看板や暖簾、めずらしい骨董のお店やレトロな建物のお店が混然一体となって軒をつらねています。
■錦小路通(にしきこうじどおり)は京都市の東西の通りの一つ。平安京の錦小路にあたる。蛸薬師通と四条通の間を走る。東は新京極通の錦天満宮正面から西は壬生川通まで。
このページでは仕事の関係で京都市内(烏丸三条他)に10年間生活し、気が付けば何の写真も残っていないので、改めて撮り直した。 2020年現在は、コロナが蔓延している状況で、写真や情報は2016年のものです。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。
寺町通り三条界隈
■矢田寺(矢田地蔵尊)の寺伝によれば、平安時代の初め、大和国(奈良県)の矢田寺の別院として五条坊門(下京区)に創建され、以後、寺地を転々とし、天正七年(1579)に現在の地に移されたといわれている。 本堂に安置する本尊の地蔵菩薩(矢田地蔵)は高さ約2メートルの立像で、開山の満慶(まんけい)(満米(まんまい))上人が冥土へ行き、そこで出会った生身の地蔵尊の姿を彫らせたものといわれ、俗に代受苦地蔵と呼ばれ、地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めている。
また、当寺の梵鐘は、六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として人々から信仰され、一年を通じて精霊送りには、多くの参拝者で賑わう。中京区寺町三条上る天性寺前町
イノダコーヒー三条 |
本能寺 |
京都鳩居堂のディスプレイから |
寺町通り三条界隈 |
矢田地蔵尊 |
矢田地蔵尊 |
かに道楽 京都本店前の骨董屋さんの店先展示物 |
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寺町通りの歴史と由来 |
かに道楽 京都本店 |
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★寺町通は京都市の南北の通りの一つ。北は紫明通から南は五条通まで。途中の三条通で以北に比べ以南は西に少しずれており、真っ直ぐではないのが特徴。三条以北は平安京の東京極大路にあたる。
かつては南北方向の主要な通りの一つであり、今出川通から二条通にかけては京都電気鉄道寺町線(のちに買収され京都市電)の路面電車が走っていた。
東海道五十三次の最終地点は、「寺町三条」であったという。
錦小路通界隈
■宇治拾遺物語の記述によると、平安時代は具足小路と呼ばれ、その後なまって、糞小路となり、勅命で四条通をはさんで南隣の綾小路にちなんで錦小路に改められたという。
高倉通と寺町通間の錦市場は京の台所とよばれ、青果店、鮮魚店、乾物店、惣菜店などが並ぶアーケード、石畳の狭い通り。
★錦市場は、錦小路通のうち、「寺町通 - 高倉通」間に存在する食品販売中心の商店街である。魚、京野菜といった生鮮食材のほか、乾物や漬物、おばんざい(京言葉で日常の惣菜)などの加工食品を商う老舗・専門店が集まる市場。京都独特の食材は、ほぼここで揃う。
注)Wikipediaと寺町京極商店街のHP、公式パンフレットを参考にさせてもらっています。
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