京都市写真集|左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道・哲学の道 想い出写真 |
はじめに
このページでは仕事の関係で京都市内(烏丸三条他)に10年間生活し、気が付けば何の写真も残っていないので、改めて撮り直した。 2020年8月現在、今は新型コロナウイルス感染症(
COVID-19(coronavirus disease 2019))が蔓延している状況で、写真や情報は2016年8月段階のものです。 第2弾は哲学の道をご紹介。
疏水分線は蹴上で琵琶湖疏水から分岐する水路です。 琵琶湖疏水(第一疏水)と同時期の明治20年ごろに開削されました。 沿線各地への水力利用や灌漑用水や防火用水の供給が主たる目的とされていました。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。
※ページの索引 [哲学の道|熊野若王子神社と大豊神社]
哲学の道
哲学の道は京都市左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道。 私は銀閣寺橋から南下。
永観堂付近にある熊野若王子神社前の冷泉通若王子橋を南端として始まり、東山山麓の琵琶湖疏水に沿って銀閣寺西の今出川通銀閣寺橋を北端として続く約1.5kmの散歩道。
銀閣寺橋から若王子橋まで、疏水べりに約2キロ続く散策道が哲学の道。京都大学の教授で哲学者として知られる西田幾太郎が思索にふけり、また学生たちと議論を交わしながら歩いたことからこの名がある。 西田幾太郎は「善の研究」の著作をした人物。
★哲学の道には弥勒院(みろくいん)の「幸せ地蔵尊」以外にもたくさんのお地蔵さんがあります。この写真は哲学の道沿いに小さなお地蔵さんを集めてある場所です。
熊野若王子神社と大豊神社
■熊野若王子神社は、哲学の道の終点・若王子橋のすぐ近くに佇む神社。後白河法王が永暦元年(1160)に熊野権現を勧請したのが始まりで、熊野神社・新熊野(いまくまの)神社とともに京都三熊野のひとつに数えられる。今では、道中安全祈願や進学、縁結びの神様として知られている。室町時代に足利尊氏・義政が花を愛でる宴を開いたといわれる桜の名所。
残念ながら時間がなく、立ち寄りはしませんでした。
純喫茶・喫茶若王子 廃業後も人は住んでおり、看板なども残っているという。また、猫が数多く住み着いていたらしく、「猫屋敷」という呼ばれ方もしていたそうだ。 |
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純喫茶・喫茶若王子 猫 |
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熊野若王子神社 石碑 |
左京区鹿ケ谷若王子山町に同志社墓地があります。創立者新島襄をはじめ、妻新島八重や山本覚馬、徳富猪一郎、同志社関係の宣教師たちが眠っています。
■大豊神社(おおとよじんじゃ)は、哲学の道の南端近く、哲学の道沿いの東側に掲示されている大豊神社への案内板にしたがって大豊橋を東に渡り、ゆるやかな坂を少し登っていくと大豊神社にたどりつきます。 大豊神社は平安時代初期(887年)に宇多天皇の病気平癒を願って藤原淑子が創建したと伝えられています。 左右に阿吽の狛犬が構える中央正面の石段を登ると、石の鳥居の奥に本殿があります。 大豊神社は動物に溢れた楽しい神社です。
★宇多天皇(867年6月10日〈貞観9年5月5日〉- 931年9月3日〈承平元年7月19日〉)は、日本の第59代天皇(在位:887年9月17日〈仁和3年8月26日〉-
897年8月4日〈寛平9年7月3日〉)。 諱は定省(さだみ)。 後の佐々木氏などに代表される宇多源氏の祖先にあたる天皇。源定省(みなもと の
さだみ)と称した。宇多天皇は関白藤原基経の嫡子時平を参議にする一方で、源能有など源氏や菅原道真、藤原保則といった藤原北家嫡流から離れた人物も抜擢した。
★大国主命が火攻めに遭遇した際にねずみが現れて、洞窟に大国主命をかくまって助けたことが古事記に書かれている。
★日吉社は比叡山延暦寺の守護神であるので、比叡のお山をお守りしている猿が、「狛猿」として鎮座している。
愛宕神社(本社)の神使は、元来『猪』であるが、愛宕山の天狗がかぶる鳶帽子から、鳶を神使として像を建てたとされる。
注)Wikipediaと哲学の道のHP、公式パンフレットを参考にさせてもらっています。
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