名張・万葉の会|藤井寺&羽曳野 葛井寺(ふじいでら) |
葛井寺(ふじいでら)
葛井寺は、7世紀中頃、百済王の系譜を引く辰孫王を祖先とする白猪氏(後の葛井氏)の氏寺として建立。 真言宗御室派で西国三十三ヶ所の第5番札所。 山号は紫雲山。 本尊は乾漆造りの国宝「乾漆千手観音坐像(十一面千手千眼観世音菩薩像)」で、毎月18日に拝観できます。 脇手は持物をもつ大手38本、小手1001本(右500本、左501本)で、造像当初にはすべての脇手に墨描で眼が表されていたと考えられており、現在も一部の墨描が残存している。日本に現存する千手観音像としては最古のものの一つ。 豊臣秀頼寄進の切妻造、本瓦葺の四脚門は重要文化財に指定されています。 奈良時代の遣唐使「井真成(いのまなり)」の出身地と言われているが真偽は不明。
本堂内には新田義貞の御旗印も展示。 乾漆千手観音坐像(十一面千手千眼観世音菩薩像)は、八稜形框上に宝瓶を据えた五重蓮華座上に坐し、像高(髻頂部まで)は130.2cm(頂上仏面を含めた像高は144.2cm)。胸前で合掌する2本の手を中心に1039本の大小の脇手が円形に展開している。 全ての手に目が付いている。
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■新田 義貞(にった よしさだ)は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけて活躍した御家人・武将。正式な名は源 義貞(みなもと の よしさだ)。
河内源氏義国流新田氏本宗家の8代目棟梁。元弘元年(1331年)から始まった元弘の変では、大番役として上洛していたが、河内国で楠木正成の挙兵が起こり、鎌倉幕府に従って正成討伐に向かい、千早城の戦いに参加している。しかし、義貞は病気を理由に無断で新田荘に帰ってしまう。『太平記』には、元弘の変で出兵中、義貞が執事船田義昌と共に策略を巡らし、護良親王と接触して北条氏打倒の綸旨を受け取っていたという経緯を示している。元弘3年
/ 正慶2年(1333年)5月、義貞は挙兵した。挙兵の日時については史料によって若干隔たりがある。『太平記』は5月8日、『梅松論』は5月中旬、『神明鏡』は5月5日と記述している。
■楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
建武の中興の立役者として足利尊氏らと共に活躍。尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。鎌倉幕府からは悪党と呼ばれた。元弘元年(1331年)臨川寺領和若松荘「悪党楠木兵衛尉」として史料に名を残しており、鎌倉幕府の御家人帳にない河内を中心に付近一帯の水銀などの流通ルートで活動する、悪党と呼ばれた豪族であったと考えられている。この年に後醍醐天皇の挙兵を聞くと下赤坂城にて挙兵し、湯浅定仏と戦う(赤坂城の戦い)。後醍醐天皇と正成を結びつけたのは、伊賀兼光、あるいは真言密教の僧である文観と思われる。後醍醐天皇が隠岐島に流罪となっている間にも、大和国(奈良県)の吉野などで戦った護良親王とともに、河内国の上赤坂城や金剛山中腹に築いた山城、千早城に籠城してゲリラ戦法や糞尿攻撃などを駆使して幕府の大軍を相手に奮戦する。 元弘3年
/ 正慶2年(1333年)、正成らの活躍に触発されて各地に倒幕の機運が広がり、足利尊氏や新田義貞、赤松円心らが挙兵して鎌倉幕府は滅びた(元弘の乱)。今日でいうゲリラ戦法を得意とした正成の戦法は、江戸時代に楠木流の軍学として流行し、正成の末裔と称した楠木正辰(楠木不伝)の弟子だった由井(由比)正雪も南木流軍学を講じていた。
昭和37年(1962年)に三重県上野市の旧家から『上嶋家文書』(江戸時代末期の写本)が発見された。それによると伊賀国・服部氏族の上嶋元成の三男が猿楽(能)役者の観阿弥(觀阿彌)で、その母は楠木正成の姉妹であるという。つまり正成の甥が観阿弥ということになる(これは偽系図ともいわれている)。ちなみに観阿弥の息子世阿弥(世阿彌)は、服部氏の末裔と称し、観世氏を興したという。
■藤井寺のグルメ:葛井寺西門の松風軒は創業150年の老舗銘菓店。藤のむらさきを銘菓に写しての“むらさきもなか”は、風雅でお茶の友として最適と、評判です。 紫はしそ味、黄色はゆず味、茶色はあずき味。 皮はもち米粉を焼いて膨らました丸型。歯ざわりが良く、餡の味を引き立たせる役をしっかりとはたしています。技を感じさせる最中で、一個180円です。
切手でめぐる葛井寺(ふじいでら)
葛井寺の山門や乾漆千手観音坐像(十一面千手千眼観世音菩薩像) 国宝 |
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葛井寺の文化財 四脚門(西門) 、石灯籠 - 鎌倉時代、 |
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■遣唐使(けんとうし)とは、『旧唐書』や『新唐書』にも記されているとおり、倭国が唐に派遣した朝貢使のことをいう。中国では619年に隋が滅び唐が建ったので、それまで派遣していた遣隋使に替えてこの名称となった。寛平6年(894年)に菅原道真の建議により停止された。 |
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名張・万葉の会|藤井寺&羽曳野 葛井寺(ふじいでら) |
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