日本の風景|名張・万葉の会 山の辺の道(天理市) 卑弥呼関連の黒塚古墳と柳本駅・・ |
山の辺の道(天理から柳本へ)
日本最古の道である大和の古道(やまとのこどう)のうち、奈良盆地の東、平地と山地の間を縫うように南北に通る道が『山の辺の道』です。 山の辺の道は、三輪山のある桜井市から天理市を経由して奈良市の春日山まで続く道です。 今回は道のりの丁度真ん中の天理周辺のの神社・仏閣・古墳(遺跡)を対象としました。 天理市は天理教の本山、伊勢神宮と同じ古さの日本最古の石上神社と七支刀、天皇陵があります。 各々格式だけでなく相当古く有名な神社や遺跡。 また各神宮等の謂れは、Wikipedia を参考にしてます。 奈良・桜井(泊瀬の道の海石榴市が山の辺の道の出発点若しくは終点と言われています。 平成22年6月5日及び平成24年4月5日撮影。
切手以外の写真はクリックで拡大。 参考 天理市(山の辺の道)
黒塚古墳
■黒塚古墳は、全長約130m、後円部径約72m、後円部高さ約11m、前方部高さ約6mの前方後円墳。3世紀後半から4世紀前半の 古墳時代前期前半頃(3世紀末〜4世紀前半)の築造と考えられている。大量の鉄製刀剣類や、U字形の鉄製品とともに、34枚の鏡(三角縁神獣鏡
33面、画文帯神獣鏡1面)が出土した。 邪馬台国の女王、卑弥呼は魏に遣使していたとされ、中国の歴史書『三国志』「魏志倭人伝」には239年(景初3年)魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したとする記述があることから、三角縁神獣鏡がその鏡であるとする説がある。
参考:黒塚古墳資料館。
黒塚古墳は、珍しく盗掘を逃れ、33枚の三角縁神獣鏡が出土したことで有名。これは室町時代の後期に砦として利用されたためである。1577年(天正5年)には織田信長による激戦地となったが、破壊を免れた。
後円部中央に、墳丘主軸に直行して南北方向に竪穴式石室が造られていた。石室 は幅約 1.3〜0.9m、高さ約1.7m、長さ約8.3mで、古墳の規模から比べて大きな石室と言える。石室の大きさ、
副葬品の内容と数から推測できる被埋葬者は、当時この辺りで権力の中枢か、それに近い地位にいた人物人だと考えられる。 埴輪、葺き石などは確認されていないが、周濠だったと考えられる池が現存している。付近には崇神天皇陵・景行天皇陵と
いった巨大古墳や、多数の鏡が見つかっている天神山古墳などがあり、また約2km南には卑弥呼の墓と言われる箸墓(は しはか)古墳がある。
柳本駅へ
■柳本駅(やなぎもとえき、JR Yanagimoto Station )は、奈良県天理市柳本町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)桜井線(万葉まほろば線)の駅。 黒塚古墳
- 前方後円墳で地元民には《くろづか》という名称で親しまれ、かつては公園と一体となった子供達の遊び場だった。30枚以上の三角縁神獣鏡が発見されたことで知られる。邪馬台国の女王卑弥呼の墓だという説もあるが、まだよく分かっていない。
柳本駅近くの町家 |
駅前の水仙の花 |
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駅前のアネモネの花 |
JR柳本駅 |
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★桜井線(さくらいせん、Sakurai Line)は、奈良県奈良市の奈良駅から奈良県大和高田市の高田駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)。2010年3月13日から「万葉まほろば線」(まんようまほろばせん、Man-yoo Mahoroba Line)の愛称が使用されています。
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